閑話 クロスフォード子爵領
クロスフォード子爵領は平和であった。
どの村も、唯一の町であるリースも、いつもと変わらない日常を過ごしていた。
ただ、リースの町にある領主の屋敷では、いつもと違う音が響いていた。
机を強くたたく音だ。
二十日前。
マグドリアとの戦に出陣した兵士たちは、つい先ほど帰還した。
負け戦にも関わらず、奇跡的に死者はおらず、けが人が数人いただけだった。
ただし。
「行方不明とはどういうこと……?」
リカルド・クロスフォード子爵の名代として出陣した、息子のユウヤ・クロスフォードは行方不明となった。
それを聞いたセラフィーナが机を叩いたのだ。
セラフィーナの前には、ユウヤと共に出陣したマイセン・ブライトフェルン侯爵と、その娘のアリシアがいた。
横ではリカルドが静かに目を瞑っている。
「申し訳ない……兵の話では、最後は殿軍を率いて敵の本隊に突撃して行ったと……」
「なぜ……私の兄が殿軍にいたの?」
「……私を助けるために応援に駆けつけてくれた。撤退の最中、多くの指揮官が倒れ、ユウヤに頼らざるを得なかったのだ……。許せ。すべて私の責任だ」
マイセンが静かに頭を下げる。それを見て、ゆっくりとセラフィーナは椅子に座る。
それに倣い、アリシアも頭を下げる。
「ごめんなさい……セラ、リカルドおじ様」
「侯爵やアリシアのせいではありません。頭をあげてください」
リカルドは頭を下げる二人にそう言って、優しげな笑みを浮かべた。
そしてリカルドは懐から一枚の紙を取り出す。
地図だ。
「敵に最後の突撃をしたと言いましたね? ですが、敵の指揮官は倒れていない。ということは、ユウヤは敵の指揮官を討てなかった」
「なにが言いたい? リカルド。お前の息子が行方不明になったのだ! 心配ではないのか!?」
「心配ですが、信頼していますから。あの子は無駄死にをするような子じゃない。勝算もなく突撃はしませんし、全滅の危険を承知で戦うような子でもない。あの子が突撃した理由は、おそらく後続への追撃をさせないため。指揮官を討てば、それどころではないですからね」
「……父様。ユウヤは生きてる?」
リカルドの説明で察しがついたセラは、そうリカルドに問いかける。
リカルドはそんなセラに笑いかけ、頭を撫でる。
「おそらく。あの子の性格からして、最後の最後まで敵陣で暴れまわって邪魔するよりも、別方向に逃げて、敵を分断しようとするはず。敵も自分の陣を攻撃した部隊を放ってはおけませんから。また攻撃されたら敵いませんからね」
「しかし、逃げられたという保証は……」
「ヘムズ平原はレグルスにも通じています。逃げるならそちらであり、レグルス方面には森があります。追手は非常に追いにくいでしょう。そして……マグドリアという国は我が国を侵略しようとしている。もしも、私がマグドリアの指揮官で、ユウヤを捕らえるなり、討つことができれば、それを喧伝します。無謀な突撃をした指揮官を討った、と。我らに歯向かうことは無意味だ、と。こちらの士気をくじくことができるからです」
「ですけど、おじ様。ユウヤは有名な将軍でも、爵位の高い貴族の息子でもありません。討ち取ったといわれても、わが国に影響はないのでは?」
アリシアの質問にリカルドはうなずく。
「確かに。けれど、ユウヤを討ち取ったことだけを喧伝するんじゃないよ。私ならば、十五の子供は勇猛にも戦った。しかし、討たれた。王族が真っ先に逃げだしたからだ、とでも言うかな。ユウヤを称え、王族を貶める。事実であるからこそ、これは非常に効く。どの貴族も、頼りない王族の下では戦いたくないもの。これで離反も誘えますね」
「だ、だが、リカルド……。その通りだとして、ユウヤはどこにいる? 逃亡中にマグドリア軍に見つからず……命を落とした可能性も……」
「無きにしも非ずといったところですが、あの子は諦めが悪いですからね。生きてレグルスにいると思いますよ」
「根拠はなんだ?」
「父親の勘です」
最後の最後で論理的ではない説明をきいて、マイセンはガクリと肩を落とした。
一方、セラはその説明を聞いて表情を明るくする。
「なら、大丈夫。父様の勘は当たるから」
「セラ……それでいいの?」
「問題ない。ユウヤは生きてる」
「あなたも根拠のないことを言うのね……」
「根拠ならある」
「なに?」
「妹の勘」
アリシアは額を押さえて、天を仰いだ。
泣かれて騒がれることを予想していたため、この対応は予想外だったのだ。
「本当に生きているかしら? ユウヤ。まぁ、確かにあのときのユウヤは尋常じゃなく強かったけれど……」
アリシアはフェルトと共に相手をしていた狂戦士を、ユウヤが苦も無く一撃で倒したことを思い出す。
その後もほかの兵士がいいようにやられていく中、ユウヤだけは渡り合っていた。
それを思えば、生きているかもという思いが湧いてくる。
「まぁ……家族がそう言うのだから私たちも信じてみよう。とりあえず、儂のほうでレグルスに問い合わせてみよう」
「いえ、侯爵。その前にやることがあります」
「なんだ?」
「戦の準備です」
リカルドの言葉にマイセンは怪訝な表情を浮かべ、アリシアは小さくため息を吐いた。
リカルドの横ではセラがうんうんと頷いている。
「わかるように説明しろ……。戦は終わったのだぞ?」
「終わっていません。敵軍は我らを破ったのですから」
「だが、敵も相応の損害を受けた。侵攻するほどの戦力もなく、一時撤退して、軍を再編成していると聞く。アークレイムも撤退したことだし、戦はしばらくありえんぞ」
「いえ、すぐに侵攻してくるでしょう」
「ならば、今度はウェリウス大将軍と精鋭の騎士団が防衛に当たる。我らは使徒がいるとは知らなかったが、今度は知っているうえに、こちらも使徒がいる。国境が破られることはないだろう」
マイセンの話を聞いて、リカルドは首を横に振る。
そして机に広げた地図を指さす。
指をさしたのは、国境を接する二つの国、マグドリア、アークレイムだ。
「各国の軍事力のバランスは崩れました。今回の大敗で、アルシオンの弱体化は周知の事実。レグルスはともかく、マグドリアとアークレイムはこの機会を逃ささないでしょう。こちらが立ち直る前に攻め込んできます。挟み撃ちにあえば、今度こそ侵攻されます」
「マグドリアはともかく、アークレイムが動くでしょうか? 動くならなぜ今回、退いたのでしょうか?」
「魔族の国、ラディウスが動いたから。一度退いて、ラディウスが動く前にアルシオンを攻め落とす気。私ならそうする」
魔族の国、ラディウスは大陸を追われた亜人種、通称〝魔族〟たちの国だ。
彼らは人間によって大陸の東にある三つの島に追われたが、百年ほど前に勢力を盛り返し、アークレイムが支配していた大陸の端を奪い取っている。
そのラディウスとの戦によって、アークレイムは大陸中央部へ侵攻することができないのだ。
「そうだとするなら……レグルスに援軍を頼めないかしら? アルシオンをマグドリアやアークレイムに奪われるのは、レグルスだって気に食わないはず」
「自国の戦力で国土を守れない国を、レグルスが信用すると思う? アルシオンは弱体化した。使徒が出てきたといっても、倍以上の戦力で大敗するほどに。負けるかもしれない国に、レグルスが援軍を出すとは思えない。むしろ、この機に乗じて、侵攻してくる可能性だってある」
「そのとおり。戦で領土を奪い合うのが当たり前の時代です。軍事力の衰えは、国としての信頼を失うことにもつながります。ですから、すぐに戦の準備をし、敵を食い止めねば。ある程度、こちらの力を見せねばレグルスも動いてくれません」
「なるほど……。陛下には儂から働きかけよう。敵が撤退したせいで、油断が生まれておったな。いかん、いかん」
「私も貴族を回ります。先の戦の雪辱に燃える貴族は少なくないはずです」
アリシアとマイセンが意気揚々と立ち上がる。
それを見て、リカルドは大きくうなずく。
「その意気です。それと、もう一つ」
「なんだ? なんでも言え。国のためだ。なんでもやろう」
「では、遠慮なく。オーウェル侯爵にお願いして、北部貴族を纏めていただいてください。今回の敗戦は貴族軍がバラバラだったのが大きな原因。まずは団結しましょう」
「わ、儂にあの成り上がりに頭を下げろと!?」
「国のためです。ユウヤが戻ってきたとき、国がありませんでした、では話になりません。ユウヤのことに責任を感じるならば、お願いします」
「ぐっ……!」
「両家の犬猿の仲は周知の事実。その両家が因縁を捨てて、国のために手を取ったと聞けば、ほかの貴族も団結しましょう」
リカルドの言葉にマイセンは歯ぎしりするほど歯を噛みしめ、やがて絞りだすように、わかった、と答えた。