第二十七話 信頼
エルトからの報告を受けたレイナは、一人になりたいといって、俺とセドリックを追い出して部屋に籠ってしまった。
俺とセドリックは部屋の前で今後の対策を話し合っていた。
「どうする?」
「このままというわけにもいかないでしょう……」
「そうだろうな。敵は来る。対策が必要だ」
「しかし、レイナ様の指示もなく動くわけにもいきません……」
優秀なリーダーの弊害か。
リーダーが機能不全になると組織が硬直してしまう。
下手に動けば、レイナの足を引っ張る可能性があるし、やっぱりレイナにさっさと方針を打ち出してもらわないとだな。
だが。
「あの様子じゃ時間がかかるぞ」
俺たちを追い出したときのレイナは、深く沈んだ様子だった。
策を考えているかも怪しい。
あちこちに考えを巡らせることができるからこそ、この状況の拙さを一番理解できてしまうんだろう。
「そう言われましても……」
「副官だろ。どうにかできないのか?」
「……レイナ様は他の使徒様とは違います。任せることはあっても、頼ることはないのです……。それに私は副官の中でも新参者ですから」
「それで?」
「ですから……私には今のレイナ様に掛ける言葉が思い浮かびません」
「信用はされても、信頼はされてないってことか。まぁ、この状況でそんなことを言う奴は確かに頼りないな」
セドリックの言葉にため息を吐く。
気まずそうにセドリックは視線を落とすが、今は落ち込んでいる場合じゃない。
敵は後方を塞ぎに来た。
それを意味するのは挟撃の準備が整ったということだ。
最悪でも一日以内に敵は来る。
時間がないのだ。
「騎士たちに待機命令を出しておけ。こっちは俺がどうにかする」
「申し訳ありません……。外部の方である公子になら、レイナ様も頼るかもしれませんね」
「しっかりしろ! 情けない! 少しは気を強く持て! そんな顔で騎士たちの前に出たら、拙いことが起きたと知らせるようなもんだぞ!」
「も、申し訳ありません!」
セドリックはシャキッとするが、まだ顔は情けないままだ。
こればかりはしょうがないか。
敵の罠にハマった状況だ。
落ち込むなというほうが無理か。
「顔を水で洗ってから行け。お前も指揮官だ。背伸びをするのが将。自分がどれだけ矮小でも大きく見せ、どれだけ怖くても強気なことを言う。誰かを率いるとはそういうことだ。まぁ受け売りだけどな」
「心得ました。ちなみにどなたのお言葉ですか?」
「お前と同じで、使徒の副官をしてる奴だ。レイナとの間に絆があると思うなら、それを信じて動け」
セドリックは少しだけマシな顔つきで、俺に一礼すると走っていった。
さて、あとはレイナか。
「おい、セドリックは行ったぞ。入っていいか?」
扉をノックするが、反応は返ってこない。
ため息を吐いてから、もう一度ノックをする。
「入れろ。一人で考えるより二人のほうがいいだろ?」
「……うるさい」
意外なほど近くから声が返ってきた。
もしかしたら、扉の向こうにいるのかもしれない。
それならそれでいいか。
「こんなこと言うと怒ると思うんだけどな」
「うるさい。黙ってろ」
「まぁ、聞けよ。使徒っていう存在を人は勘違いしてると思わないか。使徒は人間だ。傷つければ血を流し、痛みを感じて、下手すれば死ぬ。神威を持っていて、戦において非凡な才を持っている人間だ。だから……たまには臆病でもいいと思うんだ」
「誰が臆病だ! あたしは臆病者じゃない!」
扉が開くことはない。
しかし、向こうからそれなりに元気な声が返ってきた。
反応できる程度の元気はあるらしい。
「じゃあ、策を聞かせてみろ。一つくらい考え付いてるんだろ?」
「それは……」
レイナが言いよどむ。
そりゃあそうだろ。
多分、レイナが考えついた策は臆病と言われてもおかしくない策だ。
「部屋に閉じこもって、後ろ向きなまま考えた策を聞かせてみろ。それとも策も考えず絶望してたのか?」
「うるさいぞ! 言ってやるよ! 後方のマグドリア軍を破って、残存兵力と合流。その後、国境線まで退く! 戦略的撤退だ! 悪いか!?」
「ああ、とても。大前提が間違っている。後方のマグドリア軍を破れると本気で思ってるのか? まず間違いなく、アークレイム軍に背後を突かれるぞ?」
「アークレイムが来るって保証はない! 来たとしても、まだ海の上かもしれないだろ!?」
「来ないって保証もない。上陸して、こちらの様子をうかがっているとしたら? 要塞内で挟撃されるのと、野戦で挟撃されるの。どっちがマシかもわからないのか?」
レイナの言うことは間違っていない。ただしあってもない。
アークレイム軍の情報は確かじゃない。
来ないかもしれないし、来るかもしれない。
しかし、来ていたら大惨事じゃ済まない。
もしもアークレイムが来ないというなら、マグドリア軍だけの作戦となる。
それなら要塞に籠っていればいい。どれだけ兵力をつぎ込もうと、使徒一人までなら対処は可能だ。
挟撃されようが関係ない。
使徒の神威も無敵じゃない。効果範囲というものがある。
要塞を挟んで向こう側にまで効果を及ぼすのは一苦労だ。できないわけじゃないが、そんなことをすれば一気に体力を失う。
それに要塞の向こう側の軍の指揮も取りづらくなる。つまり、レイナは使徒がいる方向に集中できるということだ。
適当に耐えていれば、後方のレグルス軍が使徒のいない軍へ攻撃を仕掛けて、包囲を打ち破るだろう。
それで終わりだ。
しかし、アークレイム軍が来ると話は違ってくる。
両方に意識を割かねばならず、後方のレグルス軍が包囲を打ち破るのも期待できない。
それは後方軍を指揮するライマンも承知の上だろうから、迂闊には動けないはずだ。
そうなると、いずれナルヴァ要塞は落ちる。
だが、それでもいずれだ。
エルトが来るまで耐えきれる可能性はある。
けれど、要塞を出て挟撃を食らえば耐えることは不可能だ。
なんとか戦場から逃れたとしても、レイナは常に背後から追われる。
最悪、レグルス軍は全滅。国境守備が崩壊した上で、逆侵攻を食らいかねない。
ナルヴァ要塞に籠っていれば、時間を稼げるからどうにか国境に残っている軍は守備を整えれるはずだ。
レグルス本国が対策を考える時間だって稼げる。
要塞から出るという選択は、勇敢なようで無謀なだけだ。
それがわからないレイナじゃないだろうに。
「……うるさいぞ。お前に何がわかるんだ!?」
「少なくとも、状況の拙さは理解できてる。だから、最善を尽くせと言っている」
「後方軍を打ち破る! あたしが絶対にだ! それの何がいけないんだ!?」
「出来なかったらどうする? みんなまとめて仲良く死ぬってのか? 心中とは恐れ入る。よく、それで人を率いていられるな?」
「死なない! あたしは……誰も死なせない!」
レイナの考えはよくわかる。
誰も死なせない。もちろん、味方をだ。
いや、レイナ的には家族を、か。
この場に残れば援軍の動き次第じゃ悲惨な死が待つ。
食料が尽き、間断なく敵軍の攻めに晒される。
そんな状況に家族を置きたくないんだろう。
だが。
「死なせたくないなら、大事にしまっておけ。ここは戦場だ。承知の上で連れてきたんだろうが! なら、理想は捨てろ! 誰も死なない戦場なんてない! 敵も味方も死ぬのが戦場だ! 得る物に比べて、失う物が多すぎる場所なんだ!」
「うるさい!」
「耳を閉じても敵は来る。早く動かなきゃ、お前の騎士は死ぬぞ。なにも残せず、名誉と誇りを汚される。ろくな抵抗もできず、亡国のキッカケをつくったと歴史に名を残すことになるぞ!?」
「だから言ってるだろ! 戦略的に撤退を!」
「そんなことをお前の騎士たちが望むのか!? この要塞を落とすのだって、命を落とした奴らがいた。ここに来るまでも命を落とした奴らがいた。それを全て捨てて、何が残る? 国境全体の危機だけだ。なら、ここで時間を稼いだほうが何倍もマシだ!」
「援軍の来ない籠城なんて愚策だ!」
レイナは叫ぶ。
俺が言いたいことくらいわかるだろうに、わからないフリを続けてる。
エルトは多分、俺と同じ方法でマグドリアに来ようとしてる。
そして来ることができれば、後方のレグルス軍と合流するだろう。
そうなれば形勢逆転だ。
それまで耐えればいい。
問題はいつ来るかわからないという点と、本当に来れるかわからないという点だ。
不確かな情報にしがみ付くことになる。
だが。
「エルトは来るといえば必ず来る。俺が保証する」
「あたしはお前ほどあいつを信頼しちゃいない! あたしの騎士の命を預けられるか!?」
「この状況を自分だけでどうにかできるのか? 今まではどうにかできたかもしれない。けれど、今回は無理だ。誰かに頼る必要がある。一人じゃ無理だ。なら、あいつを頼れ。力は認めているはずだ」
「……百歩譲って、あいつが来るとして、いつ来るかもわからない援軍を信じろとあたしの騎士たちに言うのか?」
「違う。自分を信じろと言えばいい。状況を説明して、その上で自分を信じろと言え。それで騎士たちは戦える」
オースティンの騎士団は国への忠誠も持っているだろうが、国や王よりもレイナに忠誠を誓っている。
そんな騎士たちにとって、レイナは絶対だ。
レイナが信じれば、騎士たちも信じる。
そして信じていれば心は折れず、戦える。
「そんなの……無理だ……。一体、何人死ぬか……あたしはそれに耐えられない」
「甘えるな。死ぬかもしれない者を数える余裕なんてない。何人生き残らせるか。今はそういう戦いだ。勝機は薄い。だが、薄くしたのは……他でもないお前だ。責任を持て」
「……なんだよ。全部あたしのせいかよ」
「それが将だろ? だから誰かに頼らなきゃやっていけない。騎士たちに頼れ。一人で背負いこむな」
「……幻滅されないか?」
「馬鹿か。お前の騎士たちは、お前の後ろに匿われるために騎士になったんじゃない。お前に守ってもらうために騎士になったわけじゃない。もちろん、お前の道具として死ぬために騎士になったわけでもない。彼らはレイナ・オースティンと共に戦うためにお前の騎士になったんだ。認めて、頼れ。余計な気遣いは彼らへの侮辱だ」
そう俺が言うと、しばらく無言が続いた。
やがて扉が開く。
そこには覇気のないレイナがいた。
その目には微かに涙の痕がある。
その表情は酷く頼りない。
「なら……ユウヤはあたしと一緒に死んでくれるか?」
子供のような問いかけだ。
しかし、切実だ。
この問いに嘘をついてはいけない。
だから、正直に答える。
「それはできない相談だ。俺は死にたくない」
「……なんだよ」
「だから、守ってやる。お前は騎士と一緒に死に物狂いで戦え、当然だ。これはレグルスの戦いだしな。俺が命を賭ける義理はない。けど、お前には恩があるから守ってやるよ。使徒だろうが、魔族だろうが、何が来ようと銀十字の旗と剣に誓って守ってやる。お前が死ななきゃ騎士たちも大勢助かる。それじゃ、不満か?」
「……不満しかない」
「そうか。けど、これが精一杯だ」
「そうか……じゃあ聞くけどよ。これがエルトリーシャなら一緒に死ぬのか?」
唐突な質問に俺は目を微かに見開くが、レイナの顔は至って真剣だった。
それに対して、俺はやはり正直に答える。
「同じように答えるんじゃないか。死なないように頑張ろうって言うと思う。俺、痛いのも死ぬのも御免だし」
「なんだよ。結局、そういう理由かよ。情けない奴だな」
「みんなそんなもんだ。だから、最善の努力をするんだろ? で? どうする?」
俺の問いかけにレイナは意思の籠もった目で応える。
そして。
「籠城戦だ。両軍を迎え撃つ。後方軍には伝令を出す。エルトリーシャが来るまで一切の兵を動かすなとな」
「それがいい。エルトを信じよう」
「あたしはエルトリーシャを信じたんじゃない。ユウヤを信じたんだ。それを忘れるなよ? あいつが来なかったら、末代まで祟るからな?」
「そりゃあ無理だ。あいつが来ないなら、俺も死んでるし」
「駄目だ。何が何でも生き残れ。お前が生き残れば、あたしも生き残る」
「無茶を言ってくれる」
そんなことを言いながら、レイナと俺は笑い合う。
方針は決まった。
いつ来るかもわからないエルトを待つ戦いが始まったのだ。