閑話 父親の責務
遅くなってしまい、申し訳ありません
リカルドの話を立って聞いていたエルトは、もう一度腰を落ち着かせた。
ここで少々、慌てたところで状況の拙さは解決できないと判断したからだ。
それよりも、目の前の知恵者からもっと情報を引き出すほうが有意義である、と。
「海軍によってアークレイムがマグドリアとレグルスの戦いに介入……あり得る話だ。しかし、解せない。それをするメリットは?」
「陽動かと。マグドリアに目が向けば、アークレイムへの警戒は薄くなる。大軍でもってアルシオンかレグルスの国境を破る、もしくはそこを守護する使徒を討つというのが本来の目的のはずです」
「ほう……陽動でわざわざマグドリアまで行くと? 随分と手が込んでいるな」
「テオドール・エーゼンバッハは元々、単独でレグルスと戦う気などなかったのでしょう。前から深い繋がりがあった。そういうことです。つまるところ、レグルスの王都襲撃から始まって、ここまでの流れは全て予定通りということでしょう」
エルトは不愉快そうに眉を顰める。
誰かの手の平の上で転がされた。その事実と、それに気付けなかったことが屈辱であったからだ。
「しかし、アークレイムがいくら大軍を差し向けようと、アルシオンとレグルスが協力すれば使徒の数ではレグルスとアルシオンが勝る。一人で二人の使徒を相手にするのは辛いと思うが?」
「その点に関しては、絶対の信頼を置いているラディウス方面の使徒の力を当てにしているのでしょう。なにせ、ラディウスの使徒と互角という話です。使徒が二人までなら突破できると判断したのでしょう」
「私が即応するとは考えないのか?」
「ですから、陽動を仕掛けています。マグドリアの結果がどうであれ、レイナ・オースティンとエルトリーシャ・ロードハイムをマグドリアに釘付けにできる。それが作戦の目的です。また、あなたが全てを読んで、マグドリアに向かわないならば、それはそれでアークレイムとマグドリアの使徒でレイナ・オースティンを始末するだけ。結局、アークレイムの目的は使徒の首なのですよ」
エルトはリカルドの説明を聞いて、王都でのことを思い出す。
たしかに狙われたのは自分だったと。
レグルスの使徒が一人やられれば、レグルスの優位は消え去る。
マグドリアとアークレイムという二か国の脅威に対抗できなくなるということだ。
どの作戦にせよ、成功していれば使徒の首が取れる。
そして次の作戦への布石となる。
大局を操られた。
そのことをエルトはしっかりと認め、それを壊すために頭を働かせた。
「クロスフォード伯爵。意見を伺いたい。私はどう動くべきだろう?」
「使徒レイナを助けに行くべきでしょう。陽動と分かっていても、見捨てることはできません。幸い、こちらには古代遺跡がありますから。調査の結果、あれは異なる空間に人を飛ばし、ショートカットする魔法装置であることが判明しました。ですから、数日でマグドリアに行くことができるでしょう」
「それでも数日か……」
「はい。時期を考えれば、もうアークレイムの海軍は到着していてもおかしくないでしょう。一方、レグルス軍はナルヴァ要塞を攻略中か、落としたとしても戦勝の喜びに浸っている頃。いえ、おそらく落としたでしょう。ナルヴァ要塞は大軍に対して強さを発揮する要塞です。地形の関係上、大軍は数の利を生かせない。しかし、攻めることが可能な西と東を抑えれば、ある程度の数で攻め込めます。ほぼ間違いなく、マグドリアの使徒とアークレイムの使徒は挟撃を仕掛けてきます」
「持たないと言いたいのか? レイナならたとえ使徒が二人相手でも半月は持たせるはずだ」
「普通の要塞ならばそうでしょう。けれど、今、レイナ・オースティンがいるのはナルヴァ要塞です。彼女の強みは風。どこにでもあるモノが武器になることです。これにより、彼女はどのような場所でも十二分に力を発揮します。しかし、今回は向こうも同条件です。ナルヴァ要塞の近くには流れの激しい大きな川がある。アークレイムの使徒の神威は水。本来、防御側に有利に働くはずの川は、この場合は敵の武器に変わります。水を操る使徒が出てきた時点で、ナルヴァ要塞は欠陥要塞へと変わるのです」
自然の防御が意味を成さない。
その事実にエルトは微かに汗を流した。
つまり、ナルヴァ要塞は三方向から攻撃を受けることになる。
しかも二人の使徒によって。
レグルス軍を跳ね返した五十年前とは状況が明らかに違う。
相性のいい使徒が出てきている。
そのことにエルトは焦りを感じた。
「つまり、レイナはナルヴァ要塞を〝取らされた〟ということか?」
「そうなりますね。ナルヴァ要塞は最近の国境の変化の関係で、そこまで重要な要塞ではなくなりました。万が一、挟撃が失敗しても大きな痛手にはならない。というよりは、そういう風に国境線を引きなおしたのでしょう」
「戦争は領土を争うもののはずだが……それを捨てるとはな」
エルトは小さくため息を吐く。
要塞や国境付近の領土を捨てるというのは、エルトにはない発想だからだ。
正確にいえば、この大陸にいる多くの将軍たちの頭の中にもない発想である。
思いつくのは一部だけ。
その一部に入る人間がエルトの目の前にいた。
「使徒の力は巨大ゆえに、その首は領土に勝ります。マグドリアはナルヴァ要塞を捨て駒に、攻勢を仕掛け、アークレイムはラディウスと争っている南部の一部を捨て、こちらに攻勢を仕掛けに来た。もちろん、ラディウスが南部全域を支配できる力を持たないと踏んでの行動でしょう。どちらも重要ではない領土を捨て、使徒の首を取りに来た。それだけの価値があなた方にはあるわけです」
「……テオドールはこれからどう動く?」
「それは私にはなんとも。ただし、彼はマグドリアの使徒です。最終的にマグドリアが得をするように動くでしょう。アークレイムとレグルスの共倒れ。それがベストでしょうが、そこまでは求めてはいないはずです。彼の目的はヘムズ平原での失敗を取り戻すこと。前と同じく均衡状態に戻れば、いいと考えているのかもしれませんね」
すべて後手後手。
これからどう頑張っても、マグドリアの優位は崩れない。
たとえ、ナルヴァ要塞での戦いを上手く凌いだにせよ、レグルスにはアークレイムの本隊が迫る。
アークレイムは大国だ。本気になれば十数万の軍を用意できる。
今まではラディウスへの警戒のため、多くの兵力を割いていた。しかし、ラディウスに対して割り切った対応をするならば、その軍はレグルスへと向かう。
エルトは今まで黙っていたフィリスに視線を向けた。
なぜ、ここまでレグルスが厳しいかといえば、一国で二つの国を相手にしているからだ。
隣の同盟国は何をしているのか。
そうエルトは視線で訴えかけた。
「お父様には話を通してあるわ。すべて承知の上で、アルシオンは自国の防御を固めることを優先した」
「ほう……」
「私を睨まないで欲しいわ。やれることはやっているのだから」
「具体的には?」
「各地の貴族に声を掛けているの。アークレイムの進軍は避けられない。なら、国境軍に加えて貴族軍も動員して、それをアークレイムにぶつけるつもりよ。私が考えたことではないけれど」
フィリスはばつが悪そうにリカルドを見る。
リカルドは苦笑しながら、紅茶を飲む。
その余裕にエルトは不自然さを覚えた。
レグルスの危機はアルシオンの危機につながる。
どうしてそこまで余裕でいられるのか。
それが気になったのだ。
「伯爵。策があるのか?」
「策などありません。一つ一つ対応し、潰していく。それが今できる最善です」
「対応して潰す?」
「ええ。公爵はマグドリアに向かい、使徒レイナとユウヤを救ってください。私やフィリス殿下はその間に貴族たちに兵を出させます。侵攻がはっきりすれば、陛下も動かざるをえませんから」
「アルシオンの兵力をアークレイムに集中させるのは理解できるが、誰が率いる? あなたか?」
「もちろん、私も同行します。ですが、率いるのはエリオット殿下でしょう。ただし、実質的にはユウヤが率いる形でしょうが」
「ユウヤ?」
エルトは何を言っているんだという表情を浮かべた。
遠く離れたマグドリアの地にいるユウヤが、アークレイムとの戦に間に合うわけがない。
そこでエルトは気付く。
それはそっくりそのまま、今の自分に当てはまると。
「……まさか」
「こちらの利点は古代遺跡があることです。あの遺跡はマグドリアとアルシオンに〝繋がっています〟。こちらから行ける以上、スイッチさえあれば向こうからもこちらに来れるそうです。スイッチとなるのは魔力を宿した強力な魔剣。とはいえ、一度稼働すると、しばらく日を置かないといけないそうですが、まぁちょうどいいでしょう。あなたがマグドリアにいって、敵を追い払った頃には使えるはずです」
「……それでユウヤと一緒に私も戻ってこいと?」
「ええ。これでアークレイムの優位は崩れる。兵力においても、使徒の数においても。水の神威を持つ使徒ならば、マグドリアからすぐに戻ってくるかもしれませんが、それですら二対三。兵力に関しても、アークレイムの本隊はおそらく十五万から多くて二十万。アルシオンが動員するのは貴族軍を合わせて七万から八万。レグルスの国境守備軍は同じく七万から八万。加えて、あなたの騎士団。ほぼ互角、もしくは少し負けている程度で済むはずです」
エルトは顎に手を当てて考え込む。
言うのは簡単ではあるが、実際にやるとなると難しい。
アークレイムとの戦が近い以上、マグドリアではそこまで時間を掛けられない。
足止めを食らえば、それだけアークレイムに利することになる。
とはいえ、自分が行ったところでせいぜい互角。
挟撃を受けて孤立するレイナを、散っている国境守備軍を率いて救援に向かったとしても、兵力はせいぜい互角。
素早く片づけられるほど簡単な相手でもない。
「私の働き次第か……」
「ええ、その通りです」
「……私がここに来なければどうするつもりだった?」
「あなたのことはよく知らないが、ユウヤはあなたのことをよく知っています。その話から鑑みるに、あなたは必ずここに来た。あなたは困っている友人を放ってはおけない。ましてや借りがあるならば尚更です」
「あなたも先の先まで読んでいるタイプの人間か……正直、苦手だ」
「それは残念です。公爵はユウヤの命の恩人ですから、仲良くしたかったのですが」
そう言いながらリカルドは笑みを浮かべる。
まるで生徒を教える教師のようだと思いながら、エルトは小さく息を吐いた。
状況は理解できた。
あとは行動のみ。
「伯爵。情報に感謝を。御子息は必ず救うゆえ、安心して頂きたい」
「その点についてはあまり心配はしていませんよ。あなたは失敗しない。というより、マグドリアにあなたが行けば、確実に〝優位〟に立てる。ですから、あまり無理はしないでください。あなたが無理をすると、ユウヤも無理をするでしょうから」
優位。
その言葉にエルトはハッとする。
どんな優位があるのかと考えれば、おのずと見えてくる。
兵力ではない。
では何か。
〝使徒の数〟だ。
それはつまり、使徒として名が知られていない者をリカルドが把握しているということに他ならなかった。
「……いつから?」
「最初からですよ」
傍にいたフィリスが首を傾げる。
エルトとリカルドだけが理解できる会話だった。
「過保護なことだ。こうして策を巡らしているのもユウヤのためか?」
「過保護ではありませんよ。あの子に任せているだけです。策を巡らせているのは……父親としての責務です」
「父親としての責務?」
「ご存知ないならお教えしましょう。ある程度育った息子に対して、父親がするべきことは一つだけです。〝危なくなったら助けてあげる〟。それさえしてれば、息子は勝手に学んでいきますから」
「大陸規模で手を差し伸べてくれる父親は、あなたくらいだろうな……」
エルトは呆れつつも、羨ましいと感じていた。
しかし、思い直す。
自分にだって居たのだ。助けてくれる父親が。
ただ、少しだけ出会うのが遅く、別れが早かっただけのこと。
誰かを羨む必要はない。
そう自分を納得させて、エルトは再度席を立つ。
「では私はもう行く。マグドリアのことは任せてもらおう」
「公爵、一つ言い忘れていたことがあります」
「なんだ?」
「私の策に従う必要はありません。マグドリアで二人の使徒の首をあげても、まったくもって問題はないのですから」
エルトはリカルドの言葉に目を何度も瞬かせると、ニコリと人好きの笑みを浮かべる。
「もちろん、そのつもりだ! 良い結果を期待しているがいい!」
「……ご武運を」
そう言ってエルトはクロスフォードの館を後にした。