閑話 エルトとリカルド
10月24日。昼。
クロスフォード伯爵領。
いまだにナルヴァ要塞で戦闘が続く中、エルトとその護衛の騎士たちはクロスフォード伯爵領に到着していた。
通常ならば十日は掛かる距離を七日ほどで駆け抜けたエルトたちを迎えたのは、その領地の主だった。
「ご機嫌よう。ロードハイム公爵」
街の入り口で待っていたのはリカルドだった。
その出迎えにエルトは微かに笑みを浮かべる。
「ご機嫌よう。クロスフォード伯爵。騎士たちが疲れている。休む場所を貰っても構わないだろうか?」
「用意は出来ていますよ」
年は娘と親ほど離れているが、この場の上位者はエルトだ。
馬上からの言葉に対して、リカルドは少しだけ頭を下げる。
先行していた騎士により、エルトの到着を告げられたのが数時間前。
それを聞き、急いでリカルドは迎えの準備を整えたのだ。
「小さな街ですが、おくつろぎください」
「ありがたい話だが、私はあなたに話があって来たんだ」
リカルドは先に来た騎士より、エルトの到着しか聞いていなかった。
だが、この時期にわざわざエルトが来る理由を察せれないリカルドでもなかった。
「わかりました。では、私の屋敷に行きましょう」
そう言ってリカルドが歩き始める。
エルトは馬を下り、残る騎士たちをクリスに任せ、リカルドの後に続いた。
街にいた住民たちは何事かと、仕事の手を止める。
なにせ領主が見たこともない美しい少女を連れて歩いているのだ。
「申し訳ありません。公爵。皆、あなたのような方を見るのは初めてですので」
「平気だ。慣れているからな」
視線を気にすることもなく、エルトはさらりと告げる。
堂々とした立ち振る舞いに、リカルドは苦笑を漏らした。
「そう言って頂けると助かります」
「伯爵。ユウヤは私に敬語を使わない。だから、あなたも素のままで喋ってくれて構わないぞ? あなたはユウヤの父親なのだから」
エルトは我慢しきれないと言った様子で、リカルドに対して注文をつける。
その注文に対して、リカルドは肩を竦める。
「あの子とあなたの関係は特別なものです。あの子の父親だからといって、あの子と同じように接するわけにはいきませんよ」
「そうか……。それは残念だ」
微かにがっかりしたような表情を浮かべたエルトだが、気を取り直したように周囲を見渡す。
大して面白味のない街だ。
大きくもなく、珍しいところもない。
どこにでもある街だ。
しかし、エルトにはそれでも良かった。
「ユウヤはここで生まれ育ったのか?」
「いえ、私たちの元々の領地はもっと小さなモノでしたから。この街は先の戦で受け取った領地の一つですよ」
「なるほど。じゃあ、暇があればそこにも行きたいな」
「断っておきますが、ここよりも田舎ですよ?」
「構わない。私が見たいんだ。けど、今回はそんな時間はないかもしれないな」
そんなことを呟きながら、屋敷に到着したエルトは、客間へと案内された。
そして、そこにはエルトにとって意外な人物がいた。
「お久しぶりです。ロードハイム公爵」
「おや? フィリス殿下じゃないか。どうしてここに?」
そこにいたのはフィリスだった。
フィリスはエルトの質問に対して、柔らかな笑みを浮かべてから答える。
「伯爵にご相談があって。お邪魔だったかしら?」
「いや、ちょうどいいと言えばちょうどいいな」
「やっぱり、今回はユウヤの件で?」
フィリスは心配そうな表情を浮かべて、エルトに聞いた。
その心配そうな表情を見て、エルトの心の中で微かに悪戯な悪魔が目覚めた。
エルトはニヤリと笑うと。
「殿下はユウヤがいたく心配なようだな。レグルスで仲が深まったかな?」
「な、仲が深まった!? わ、私とユウヤはそう言う関係ではないわ!」
からかい混じりの言葉にフィリスは素直な反応を示した。
予想通りの反応にエルトは苦笑を浮かべて、冗談だ、と告げる。
からかわれたと気付き、フィリスは顔を赤くして椅子に座る。
それに続き、エルトも椅子に座った。
「さて、話と行こうか」
この場の主導権を獲得したエルトは、いつも通りの調子でフィリスとリカルドに向かって話し始めた。
ユウヤが生存していること。
レグルスの使徒であるレイナが保護していること。
ただ、迎えに行かねばならないこと。
その他もろもろを話したあと、エルトは一息ついた。
「やっぱり伯爵の言う通り、ユウヤは生きていたわね」
「転移に巻き込まれたわけですから、元々そこまで危険ではありませんよ。あの子の力があれば、多少、厳しい環境でも生きていけますからね」
そうは言いつつ、確かに生きていると言われて、リカルドは微笑みを浮かべる。
わかっていたこと、確信していたことでも、しっかりと情報が入ってくれば安心するのだ。
息子の無事を喜ぶリカルドを見て、微かにエルトは自分の父を思い返した。
義理ではあるが、愛情を惜しみなく注いでくれた父。
戦場に出て、帰ってくるたびに心配そうな顔であれこれと聞いてきた父。
それを思い返し、心配をかけたものだと自分の行いを反省した。
戦で武勇を示すことが恩返しになると思っていた。
しかし、父からすればその姿は危なっかしくて仕方がなかったのだろう。
そんなことを思いながら、エルトは話を再開した。
「迎えの騎士団はもう送ってあるが、マグドリアにつくまでは時間がかかる。私がここに来たのはてっとり早くマグドリアに行けるかもしれない方法があるからだ」
「なるほど。遺跡というわけですね」
リカルドの言葉にエルトは頷く。
ユウヤとアリシアが巻き込まれた遺跡の転移陣。
それを利用できないかと、エルトはわざわざ調べにきたのだった。
「王女として聞き捨てならない話ではあるけれど、聞かなかったことにしましょう」
遺跡は国の財産だ。
いくらブライトフェルンが見つけた物とはいえ、そのブライトフェルンの領地も国の物だ。
それを他国の重鎮に調べさせるというのは、非常にまずい。
だからこそ、エルトはお忍びで来ているのだが。
「そうしてくれるとありがたい。まぁ、貴国の英雄を救うための事だし、当然といえば当然だが」
「あら? 公爵はアルシオンのために動いているの? 私はてっきりユウヤ個人のために動いているのかと思っていたわ」
さきほどの仕返しとばかりにフィリスが告げる。
しかし、エルトは当然のように頷いた。
「もちろん、あいつ個人のために動いてる。当たり前だろ? アルシオンのためにここまで積極的にはならない。私が動くのはユウヤが関わっているからだ」
恥じることもなく告げるエルトの潔さにフィリスは呆気に取られ、リカルドは苦笑する。
リカルドもフィリスもエルトとは初対面ではない。
マグドリアとアルシオンの戦争の後、エルトはアルシオンの王都に留まっており、その最中に話をする機会は何度もあったし、フィリスはレグルスにいったときに一緒に行動もしていた。
だが、エルトリーシャ・ロードハイムという人物の本質に二人が触れたのは、これが初めてだった。
良く言えば、我が道を行く人物。
悪く言えば、傲慢な人物。
そしてユウヤに言わせれば、我儘な人物。
といっても、これはエルトだけでなく、大半の使徒に大なり小なり、共通することではあったが。
「では、伯爵。ブライトフェルン侯爵へ話を通してもらえるか?」
「わかりました」
話が終わったため、エルトは立ち上がろうとして、あることに気付く。
とある人物が足りていないからだ。
ユウヤの母親ではない。
旅好きで滅多に帰ってこないとユウヤが話しているのを、エルトは憶えていた。
足りないのは母親ではなく、妹のほうだった。
「そういえば伯爵、セラはどこに?」
「セラには少々、お使いを頼んでいまして。残念ながら公爵がいる内には戻ってこないでしょう」
「そうか……ちなみにそのお使いというのはどんなものだ?」
お使いという言葉をそのままの意味でエルトは取らなかった。
幼い子供に対して、簡単な頼み事をしたのではなく、自分の代理としてどこかに派遣した。
そう受け取ったのだ。
そうだとするなら、興味があったのだ。
知恵者としてアルシオンから評価され、ユウヤが全幅の信頼を置くリカルド・クロスフォード。
彼がこの状況下でどんなことを考えているのか、と。
そしてそれはエルトの予想を上回っていた。
「大したことではありません。ウェリウス大将軍に手紙を届けてもらっただけです」
「ほう? その内容は?」
「アークレイムが大軍で攻めてきた場合は、レグルス軍と共同して対抗するべきだという進言です。幸い、セラは使徒ディアナと面識があるので、良い使者となるでしょうし」
それはつまり、リカルドがアークレイムが大軍で攻めてくると思っているということだった。
それもアルシオンの国境守備軍だけでは足りないほどの大軍で。
「なるほど……。もしそうならレグルスとしてもありがたい。それが事実となれば他人事ではないからな」
大軍の矛先がレグルスに向けば、苦戦は免れない。
だが、あらかじめアルシオン軍と協力体制が出来ているならば状況は一変する。
もちろん、アークレイムが攻めてきたならばの話ではあったが。
「……伯爵。少しお聞きしたいのだが」
「どうぞ」
「アークレイムが大軍で攻めてくると考える理由を教えてほしい」
「簡単です。アルシオンにマグドリアとレグルスの戦に介入してほしくないからですよ」
「そんな理由で?」
少し弱い。
そうエルトは思ったが、リカルドは微笑みを浮かべながら首を横に振る。
「あと、これは妻からの情報なのですが……。アークレイムの海軍が動いているようです。かなり前に、隠密で。アークレイムの使徒は水を操る。その力を使えば、予想外の速さで海を渡れる。それこそレグルスを通り過ぎて、マグドリアに介入することも可能でしょう」
その瞬間、エルトはリカルドの認識を改めた。
あくまでユウヤの父親という認識だったが、そんなものでは甘い。
この父に比べれば、ユウヤはまだまだひよこも同然だった。