第十一話 最後の突撃
「右だ! 右に流れながら戦え!!」
狂戦士の軍団を押さえている兵の数は約五千。
その五千の後ろには撤退中の負傷兵たち。こちらも約五千。
その五千の中にはマイセンやアリシアもいる。
「後続をやらせるわけにはいかない……!」
すでに指揮官は碌なのが残っていない。
貴族の多くは負傷兵と共に撤退しており、今は貴族の副官や経験豊富な老兵が指揮を執っている。
その指揮官たちの下へ俺は馬を走らせていた。
右に流れて戦うことを指示するためだ。
ただ、俺に指揮権はない。
従ってくれるか怪しかったが、今のところは誰も文句はいわずに従ってくれる。
この状況じゃ仕方ないか。
「逃げたい者は逃げて構わない」
自分の持ち場に戻った俺は、そう兵士に声をかけた。
今、俺が預かっている兵は初老の将軍の兵だ。
無茶をして死なせるわけにはいかない。
だが、予想に反して誰も動かない。
半分くらいは離脱すると思ったんだが。
「馬鹿言っちゃいけねぇよ。若君。普通の指揮官ならいざ知らず、十五の子供が命を賭けてるってのに、逃げだす奴なんていやしねぇさ」
「ああ! そんな奴はそもそも戦場になんて来たりしない!」
「あんたについていく! 指示をよこせ! あんな化け物どもに背中から襲われるくらいなら、前向いて立ち向かったほうが千倍マシだ!」
それぞれが武器を掲げて俺の言葉に応じてくれる。
それに俺は剣を掲げることで応じた。
「ありがとう! では、右に奴らを釣り出すぞ!」
俺たちから見て右。
それは進軍中のマグドリア本隊の進路上だ。
そこに狂戦士の軍団を誘い出し、足止めを図る。
それで後続が逃げ切る時間は稼げるはずだ。
問題は、素直に狂戦士たちが俺たちに釣られてくれるかだけど。
「動物は動くモノを追う習性があるし、問題ないだろう」
笑いながら、根拠のないことを呟く。
つまり、これは賭けなのだ。
●●●
賭けは一応成功した。
狂戦士の軍団と俺たち殿部隊が交戦しているため、マグドリアは進むことができず、進軍の足を止めた。
ただし、それだけだ。
時間は稼げるが、狂戦士の軍団と足を止めて戦うことにはかわらない。
みるみる味方の数が減っていく。
一人を倒す間に五、六人は楽に殺されている。
このままじゃ時間稼ぎもできず全滅してしまう。
「まだか……」
混戦の中。
俺は待っていた。
敵の使徒の神威。その効果が切れるのを。
無限に続くわけがない。一時の効果のはずだ。
これだけ強力な神威なら時間は短いだろう。
おそらく一時間といったところだ。
そしてそろそろ一時間が経つ。
すると、俺の目の前まで迫ってきていた狂戦士の様子がおかしくなる。
いきなり武器を落として、ガクリと膝をついたのだ。
そして茫然自失したように、目を見開いたまま動きを止める。
それはあちこちに見られる現象だった。
効果が切れたのだ。
この機会は逃せない。
「目の前の相手に構うな! 逃げたい者は今すぐ逃げろ! 死に場所をここと決めた者は俺についてこい!! 敵本隊に突撃し、敵将の首を取る!」
そう声をかけると、俺は馬に強化をかける。
敵の使徒は短時間で一万の兵を狂戦士に変えた。
その代償は結構大きいはずだ。
当分、神威は使えないだろう。
「道はこのユウヤ・クロスフォードが作る! 命を捨てた愚か者だけ、背中の銀十字を追って来い!!」
狂戦士の軍団が突然動きを止めたことに、こちらも驚いたが、敵も驚いている。
敵軍はいまだに一万の兵力を保っているが、迎撃の体勢は取っていない。
それだけ狂戦士たちに自信があったのだ。
それが命取りだ。
駆ける俺の後ろには、数十騎の騎兵が続く。
後ろからはまだまだ来るだろう。
元々、殿は命を捨てる覚悟でやる。ここで逃げる者は半数以下だろう。
「はっ!」
気迫と共に剣を振って、隊列の先頭にいた兵を斬る。
そのまま返す刃で、進路上の敵の首を斬り飛ばす。
前方に立ちふさがる敵は、強化された馬蹄の餌食となる。
そうやって敵陣を切り裂く。
油断していた軍などこんなものだろう。
こちらがマグドリアを侮り、いいようにやられたように。
今度はこちらの番だ。
「続け! アルシオンの戦士たち! 俺の背中を追って来い!!」
檄を飛ばせば、後ろから怒号が響く。
士気は高い。
そして後ろの兵士たちは予想以上に力を発揮している。
まるで先ほどまでの狂戦士のようだ。
いや、まさしく狂戦士か。こちらはすでに死兵だ。
俺たちが恐怖した狂戦士たちとなんら変わらない。
アルシオンが受けた恐怖を、マグドリアはそっくりそのまま食らっているわけだ。
恐怖に竦めば、動きが硬くなる。
そんな兵士を斬るのは簡単だ。剣を振れば、避けることすらしない。
敵陣の真ん中まで来た。この調子ならば敵将を討つことも可能だろうか。
そう考えたとき、俺の視界に黒い軍旗の集団が現れた。
軍旗だけじゃない。
身に着ける鎧や兜も全身真っ黒だ。
そして先頭の騎士に至っては、持っている剣さえ黒い。
「これ以上はいかせん!」
「行かせてもらう!」
向かい合う形で馬を走らせ、馬が進路を変えた瞬間に互いに剣を繰り出す。
金属と金属がぶつかり合う嫌な音が戦場に響く。
「……見事。あの状況からこの逆襲。我らの油断があったとはいえ、敬意に値する」
「なら通してもらえるとありがたいな。こっちはお前たちの後ろにいる使徒に用があるんだ」
「そういうわけにもいかん。我らはマグドリア王室直属の黒騎士団。使徒の護衛を陛下から命じられた以上、命を賭けて守らせてもらう!」
マグドリアの黒騎士団。
少数精鋭の騎士団で、一人一人が一騎当千の猛者という噂だけど。
それでもこいつらを突破しなきゃ、使徒にはたどり着けない。
「それなら守ってみせろ!」
馬の腹を蹴って、俺は黒騎士に突進する。
ほかでも黒騎士団との交戦が開始された。
あまり時間をかけると、包囲されてしまう。
やり過ごすなり、倒すなりしないと全滅する。
「お前が団長か?」
「いかにも。黒騎士団団長のラインハルト。君の名を聞いておこう」
「ユウヤ・クロスフォード……」
「覚えておこう」
「舐める、な!!」
鍔迫り合いになって、俺は力任せにラインハルトの剣を押し返す。
しかし、少し押したと思えば、ラインハルトはそれ以上の力で押し返してきた。
仕方なく距離を取って、剣を打ち合うが、隙がなく致命打を与えられない。
時間だけが過ぎていく。
「こちらも舐めないでもらおう! 栄誉ある黒騎士団の団長を早々に討てると思ったか!?」
強力な一撃が俺を襲う。
上段からの一撃だ。
とっさにガードしたが、肩を浅く切られた。
それを見て、ラインハルトは俺に猛攻をかけてくる。
「くっ!」
「クロスフォードの若君!」
俺の劣勢を見て、ほかの兵士が割って入ってこようとするが、ほかの黒騎士に邪魔される。
「将同士の一騎打ち。無粋な邪魔は入らせん! 向かって来い! ユウヤ・クロスフォード! 勝ちたいならば私を殺してみろ!!」
殺意とそれを上回る気迫のこもった一撃が、俺の腹部を裂く。
革の鎧が破け、皮膚も斬られた。
だが、まだ浅い。
今の一撃でラインハルトにも隙ができた。
「うおぉぉぉ!!」
渾身の力を振り絞って、ラインハルトの左肩を貫く。
胸を狙ったが、腹部に痛みが走って逸れてしまったのだ。
どちらも傷を負い、馬を離す。
「はぁ、はぁ……君も私もまだまだ戦える……終わってはいないぞ?」
「しつこい奴だ……」
俺の強化はもう切れる。
強化状態でも互角で精いっぱいなのに、強化が切れればどうなるかなんて想像したくもない。
勢いは止められた。
もはや使徒を討つのは不可能か。
仕方ない。
「全兵、左に流れろ! この戦場を離脱するぞ!」
「離脱!? 退くのですか!?」
「俺たちが離脱すれば、敵は兵を分ける! 後続への最後の援護だ! 行くぞ!」
「行かせん!」
近くの兵士に理由を話し、俺は左へ馬を走らせる。
しかし、すぐにラインハルトに回り込まれる。
ま、黙って逃がしてはくれないか。
「邪魔を、するな!」
腹部の痛みに顔をしかめつつ、俺は両手で剣を振るう。
対して、ラインハルトは片手で俺の剣を受け止める。
左肩を貫かれたってのに、平然と戦いやがって。
どんだけ戦に慣れてるんだ。
声だけ聞くと若いが、実はかなりの年齢なのか?
「ここで君たちを逃がせば、我らは笑い者だ。手負いの敵に噛みつかれた挙句、逃げられたと、な!」
「笑われてろ! お前たちの事情なんて知ったことか!」
「それはこっちの台詞だ! 君たちの事情なんて知ったことか! 君たちはここで倒し、逃げた敵を追わせてもらう!」
ラインハルトは俺の剣を弾くと、勢いよく馬をぶつけてくる。
転倒こそしなかったが、馬が体勢を崩す。
動きが鈍い。
おそらく強化が切れたのだ。
そろそろ俺も切れる。
そうなる前に、せめてラインハルトだけは退けないと。
そう判断し、俺はある決断をする。
「武器強化……十倍!」
多重強化。
俺の奥の手だ。
しかし、これを使うと負担に耐えきれず武器は壊れる。
そのぶん、破格の威力を発揮するが、いつもなら絶対に使わない。
ただ、使わなければラインハルトを退けられない。
武器を失っても、こいつは必ず退ける!
剣が微かに光を発する。消滅する運命の中で、最後に輝く光だ。
散る間際の一瞬の煌き。
それを俺はラインハルトに向かって振り下ろす。
「食らえ!!」
それは一瞬だった。
光る剣と化した俺の剣は、ラインハルトの剣を切り裂き、その先のラインハルトを吹き飛ばす。
そこで剣は砕け、俺の体の強化も切れる。
体中が痛む。意識が遠のきそうになる。
けれど、そういうわけにもいかない。
「左だ! 左に向かえ!」
声をあげて、俺は馬を走らせる。
武器がないのは困るが、あってもどうせ満足に振れない。
そう思っていると、背中に熱さが走る。
「ちっ……」
何かに刺された。
そう思い、後ろを見れば、歩兵が俺に槍を突き出していた。
そのまま歩兵は槍を押し込もうとするが、歩兵は横から来た俺の味方に斬られた。
「若君を守れ! 左だ! 左に向かうぞ!」
俺の周囲を騎兵が固める。
痛みで視界が霞むが、手綱だけはなんとか握り、馬を走らせる。
「敵陣を突破したら散開だ……固まるな……」
「ですが!? その体では!?」
「俺に構うな……そのほうが生き残れるし、敵も追いにくい……逃げ続けろ……そのうちレグルスに入れる。そうなれば追ってもこれない……」
そう指示すると、俺は周りの兵士たちに予備の剣を要求する。
今は満足に振れないが、振れるようになるかもしれない。
そのときに無防備というのは困る。
少しして、やや短い剣が俺の手に渡される。
その剣を高く掲げ、俺は最後の指示を出す。
「敵兵を相手にするな! 敵陣を抜けることだけ意識せよ!」
そう言って、俺は先を見据える。
もう敵陣の端まで来ている。
抜けるのも時間の問題だろう。
ただ、俺の意識も限界だった。
もう保っていられない。
馬から落ちないように、前のめりで倒れ、俺は小さく息を吐く。
やはり背伸びをすると碌なことにならない。
霞む意識の中で思い出したのは、帰りを待つセラやリカルドでも、メリッサでもなかった。
あの日。王都で出会った薔薇色の髪の少女。
再会が叶わなかった少女。
「……エルト……」
少女の名を呟き、俺は意識を失った。




