第十七話 疲労
使徒の神威というのは、神が与えた神秘の力と言われている。
その力は魔法の数十倍になる。
たとえば風を起こす神威ならば、数十人を自在に浮かすことも可能だ。
ただ、それをコントロールできるかどうかは。
神威を持つ使徒次第だ。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
何重にも積み上げられた干し草の上に十人が落下していく。
それを見てセドリックが天を仰いだ。
なにせ、次は自分の番だからだ。
「だ、大丈夫か!?」
「あ、ああ……」
落下したのは精鋭の騎士たち。
しかし、その顔は今や青白く染まっている。
無理もない。
落下したのは十数メートル上からだ。
普通なら経験したことのない高さからノーロープバンジーをしたわけだし、誰だってビビる。
まぁ、怪我がないのは咄嗟にレイナが減速させたからだろう。
ただ、落としたのもレイナだが。
「おかしいなぁ……もうちょっとゆっくりしないと駄目か」
「大雑把にやらず、慎重にできないんですか?」
ズラリと並んだ騎士たちを次々と空へ打ち上げては急降下させているのは、レイナのストレス発散などではなく、ナルヴァ要塞を落とすための下準備だ。
ナルヴァ要塞では夜に空へ上がり、そのまま前進。
頃合いを見て、城壁に二十人を着地させる必要がある。
下に干し草が敷いてあるなんてことはないのだ。
少しの失敗で二十人は全滅。
作戦もおじゃんとなる。
「十分慎重にやってるぜ?」
「ではもっと慎重に」
レイナの横で俺は小さくため息を吐く。
レイナは十人単位で浮かすことはできても、ゆっくり降ろすことができないのだ。
神威で何かを飛ばしたりすることはあっても、ゆっくりと着地させることはあまりないらしい。
まぁ、敵に物をぶつけるだけなら必要のない技術ではある。
だが、できないでは話にならない。
こちらにはレイナの作戦以外に、これといった策はない。
何もかもレイナ次第なのだ。
「結構、難しいんだぜ?」
「そう言われても困ります。難しくてもやってもらわないと」
「偉そうに……」
「自分で言ったことでは?」
そう返すとレイナは頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
子供か、この人は。
まぁ、難しいだろうことは理解できる。
十人を浮かすのだって、大変な労力なのにゆっくり降ろすとなると神経を削る作業のはず。
だが、本番は夜な上に二十人。
ここで成功できないようじゃ失敗は目に見えている。
それがわかっているから、レイナも先ほどから何度も挑んでいる。
だが、結果は変わらない。
何かを変える必要があるだろう。
「次の十人!」
並んでいた十人がビクリと肩を震わせた。
それを見て、レイナが眉を潜ませる。
だが、それはあんまりだ。
あれだけ落下を見せられれば、誰だって恐怖が生じる。
このままだと騎士たちが使い物にならなくなるかもしれない。
「レイナ様」
「うるさい」
「聞いてください」
「……なんだよ?」
そっぽを向いたままレイナが聞いてくる。
どうやら拙いとは思っているらしい。
「俺を助けてくれたときのことを覚えていますか?」
「……口説いてるのか?」
「真面目にやらないなら俺はアルシオンへ帰ります」
笑えない冗談を言うレイナに対して、真顔でそう返すと、レイナの表情が凍り付いた。
しばらく互いの視線を交差させたあと、レイナが折れる。
「……覚えてる」
「矢を止めて、反転させましたよね?」
「ああ、それがどうした?」
「あれくらいの精度でちょうどいいくらいかと」
「はぁ!? あれを人でやるのか!?」
「嫌なら結構ですけど、何かを変えないと疲れるだけですよ。使徒の神威も無限じゃない」
体力を消費する神威の多用は禁物だ。
早々に何かを変えないとレイナのほうがまいってしまうだろう。
あと、城から見ている将軍たちもいい顔はしないはずだ。
「ライマン将軍はレイナ様よりですけど、それでもまったく成功しないところを見れば、態度を翻してもおかしくありません。いくら総司令官とはいえ、三人の将軍に反対されては作戦の強行は不可能です」
「わかってるよ……そんなこと」
「じゃあ、やりましょう。騎士たちも協力してくれてますし」
「……あんたは協力しないのか?」
「俺は安全と判断されたらやります」
「あんたのときだけ手を抜いてやる!」
しれっと告げるとレイナは歯をむき出しながら、威嚇してきた。
それを流しつつ、セドリックを含めた十人の騎士たちに注目する。
精度をあげても駄目なら、申し訳ないが今回の作戦は無理だ。
本番に強いとか、そんなことでどうにかなるほど容易くはない。
無理なら新しい策が必要だ。
だが、次善策は所詮は次善策。
ナルヴァ要塞を落とす確率は下がるだろう。
その確率次第ならアルシオンに帰ることも考えないといけない。
考えている間に十人の騎士は空の上にいた。
そこから少しずつ高度を下げてくる。
その速度はさっきよりもかなり遅い。
「どうだ……!」
「お見事」
ゆっくりと降りていくセドリックたちを見て、俺はそうつぶやく。
レイナはドヤ顔を浮かべて、こちらを向く。
その瞬間、十人分の悲鳴が聞こえてきた。
「やべっ……!」
「気を抜くから……」
「仕方ないだろ! 嬉しかったんだから……」
「騎士たちが可哀想なので集中してください。まぁ、今の感じでいきましょう」
気を取り直させるためにそう言うと、レイナは次の十人を空へと飛ばしていく。
それを繰り返す度に、レイナはどんどん慣れていく。
そうやって日が暮れた。
◇◇◇
城の最上階。
レイナの執務室ではアリシアがレイナの代わりに書類仕事をしていた。
「終わった?」
「なんとか」
アリシアの質問に俺は肩を回す。
結局、最後に飛ばされて、中々の高さから落とされた。
レイナはざまぁみろと言わんばかりの表情を浮かべていたが、あれは故意ではないだろう。
「ご苦労だったな。ブライトフェルン。もう部屋に戻っていいぞ」
「わかりました。じゃあ、レイナ様の分の書類は置いておきますね」
椅子から立ち上がると、アリシアは書類の束を置いていく。
それを見て、レイナは露骨に嫌な顔をするが、それでも執務机に座るやる気は見せた。
「ユウヤ、行きましょう」
「悪い。少しレイナ様と話があるんだ」
「あたしはないぞ」
「俺にはあるんです」
レイナは早く帰れとばかりに手を振るが、俺はそれには応じない。
アリシアは微かに目を細めると、俺に顔を近づけてくる。
「お人よし」
「なんだよ?」
アリシアは、さぁ? と言ってそのまま部屋から出て行く。
相変わらず目ざとい奴だ。
あいつも気付いてたのか。
「で? 話ってなんだよ? あたしは今から仕事するんだから、大した用じゃないなら帰れ」
「そうですね。じゃあ、すぐに済ませて帰ります」
頬杖をつきながら、レイナが俺を睨む。
しかし、その目に覇気はない。
最後、俺を落としたのはわざとじゃない。
おそらく疲れからだろう。
神威は無限じゃない。
使徒の体力を削る。
ずっと十人単位で浮かせたり、降ろしたりを続けてれば疲れもする。
だが、騎士たちの手前、レイナがそれを見せることはなかった。
だが、俺は騎士ではない。
「じゃあ、失礼して」
執務机を回って、レイナが座る机による。
そしてレイナの額に手を添える。
すると、結構な熱が手に加わる。
疲労でちょっと熱が出てるな。
「なっ!? なにすんだ!」
「疲れて熱が出てる。休まないと」
「必要ない!」
「明日、動けなくなりますよ?」
「ならない!」
意固地になって、レイナは言うことを聞かない。
手を振り回して俺を追い払おうとしてくるが、その手に力はない。
まったく。
「倒れたりしたら戦どころじゃなくなりますよ?」
「倒れない! あたしが! 使徒が疲労くらいで倒れるか!」
「倒れますよ。使徒も人ですからね」
レイナの手を押さえつけると、俺はそのままレイナを抱き上げる。
軽いな。
小柄だということを差し引いても軽い。
とても頼りなく思えるほど。
「お、降ろせ!?」
「今日は寝てください。仕事は終わりです」
「馬鹿言うな! まだ残ってるだろ!?」
「いつも熱心じゃないでしょ? 残しても平気ですよ」
「そういうことじゃない! 心配されるのが面倒なんだ!」
ああ、なるほど。
仕事が残ってると、セドリックは確かに心配するかもな。
けど、それなら猶更休むべきだ。
「面倒なら休んでください」
「ああ!? この野郎! 話聞けよ!?」
そう言って俺は執務室の隣にあるレイナの寝室まで行き、ベッドにレイナを寝かせる。
その間、レイナは散々叫んだが、抵抗は弱かった。
相当疲れてるんだろう。
「さぁ、寝てください」
「そんなこと言われて寝れるか!? アホか!?」
「そう興奮しないで。寝れなくなりますよ。寝るまでは執務室にいますから」
「ちょ、ちょっと待て!」
寝室から出て行こうとすると、服を掴まれた。
見れば、レイナが困ったような表情を浮かべていた。
「まだ文句が?」
「……どうしてあたしに優しくするんだ?」
「優しくしたつもりはないですけど……まぁ強いて言うなら」
「強いて言うなら?」
聞き返されて、俺はため息を吐く。
近くにあった椅子を引き寄せて座ると、レイナに布団をかける。
「放っておけないと思ったからですよ。使徒はみんなそうだ。どうも放っておけない」
「……あたしだけじゃないのかよ」
「今、心配なのはレイナ様ですよ。騎士たちに心配させまいと無理をするのは構いませんが、体調が崩れては本末転倒です。普通は逆ですよ」
「……仕方ないだろ。あたしにとっちゃ、騎士たちが家族だ。情けない姿は見せたくない」
「なら、尚更休まないと。少し仕事が残っていても、あなたが元気なほうが安心しますよ。騎士も俺も」
そう言って俺はレイナの髪を撫でる。
どうして放っておけないのか。
その理由は何となくわかる。
彼女たちは頼られる存在だから、中々人に頼ろうとしない。
迷惑をかけることはあるだろう。我儘も言うだろう。
けれど、頼れる存在、心を許せる存在はとても少ない。
だから、不憫でついついお節介を焼いてしまう。
「本当に……心配か?」
「ええ、とても」
「……じゃあ、少し寝るか……」
元々、疲れていたせいか、レイナはゆっくりと目を閉じる。
すると、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。
その姿はあどけない少女そのもので、とても数万の兵を率いる将には見えない。
だが、その身に宿す力は絶大だ。
今回の戦も結局はレイナ頼みだ。
神威は神が与えた神秘の力と言われている。
しかし、その神威を持つ使徒は人だ。
そういう認識を持っている人が少ないのが問題だ。
どれだけ強かろうと、使徒が人であることに変わりない。
神威を使えば疲れるし、血を流し、深手を負えば死ぬ。
ただの人なのだ。
「困ったもんだな……」
小さく呟きながら、俺は椅子から立ち上がり、寝室を後にした。