閑話 愚行の代償
夜。
静寂が砦を支配していた。
そんな砦で密かに動く影があった。
ゴードンと、ゴードンの側近を務めていた三人の取り巻きだ。
セドリックにより物置小屋で謹慎を命じられていた彼らだが、上手く見張りを取り込み、酒を飲ませて、小屋から出ることに成功していたのだ。
「おのれぇ、セドリックめ。使徒の副官だからといって、儂を物置小屋に押し込めるとは! 許せん!」
「そのとおりです、ゴードン様。しかし、マグドリア侵攻軍は使徒の傘下にあり、使徒の副官は使徒の代理です。あやつの言葉はそのまま使徒の言葉になります」
「忌々しい! この怒りをどうしてくれようか!」
怒りを覚えながらも、ゴードンは冷静に状況を分析していた。
同盟国の重鎮の娘、そして英雄を牢屋に監禁し、あまつさえ娘には手を出そうとした。
こういう場合、上にいるものがどういう手段を取るか、ゴードンは痛いほどよくわかっていた。
尻尾切りである。
自身がよく使う手であり、何もかも実行したものの責任にしてしまうのだ。
実際、全ての責任はゴードンにあるわけで、言い逃れができる状況ではない。
よくて軍での地位を剥奪。
悪ければ爵位や命まで失いかねない。
貴族であることに強い拘りを持ってきたゴードンにとって、自分が平民になるということは耐えられないことだった。
だからこそ、砦を脱出して知人の下に身を寄せようと考えていたのだが、そこで破滅的な考えが頭をよぎる。
「どうせ逃げるにしても、人質がいたほうがよくはないか?」
「確かに。追手も人質がいれば手を出せません!」
妙案とばかりに取り巻きの一人が賛同する。
そこでゴードンは悪辣な笑みを浮かべて、一人の少女のことを話に出した。
「あのアリシアという娘。あやつを人質にするぞ。魔導士といえど、人の子。寝ているところを襲えば恐れるに足りん。それに人質としてもピッタリだしな」
人質として終わらせる気など、まったくと言っていいほど感じさせない下卑な笑みを浮かべて、ゴードンは取り巻きたちを率いて、砦の上階にいるアリシアの部屋へ向かった。
既に見張りの者からアリシアの部屋は聞いていた。
アルシオンの銀十字、ユウヤ・クロスフォードもゴードンには舐めた小僧に映ったが、それ以上にアリシアへの恨みと執心が勝った。
自分を叩きのめした、あの気位の高い娘をどうしてくれようか。
そんな妄想を思い浮かべて、ゴードンはほくそ笑む。
ゴードンの中には捕らえられないという発想はなかった。
そもそも魔導士は非力だ。
体を鍛えるよりも魔法を磨くことを優先するからだ。
とはいえ、アリシアはそんな魔導士としては例外的に体術も会得していた。
しかし女の柔腕。
男が四人がかりで取り押さえれば、拘束は容易いはず。
万が一、誰かに見つかっても人質としてアリシアを確保すれば、誰も迂闊には動けない。
「とにかく口を封じるのだ。魔法を使われたら厄介だ」
そう取り巻きたちに指示を出し、自身も白い布を手に持つ。
口に詰めれば口枷代わりになる。
あの生意気な娘はどんな表情をするだろうか。
こちらを睨んでくるだろうか。
それとも怯えるだろうか。
どちらにしても気分の良い光景になることは間違いない。
道中もずっと傍に置いておこう。
女であることを後悔させ、従順になるまで嬲ってやる。
今後のプランを決めたゴードンは、アリシアの部屋の前で立ち止まり、そっと音を立てないようにドアノブに手を掛ける。
音が鳴らないことを祈りながら、ゆっくりとドアノブを回したあと、慎重に扉を開ける。
小さな音すら立たないことに内心、歓喜しながら神に感謝する。
この行動が神の意に反することならば、神の邪魔が入るはず。
そうでないならば、神も許したということだろう、とゴードンは自分に都合のいいように状況を解釈して、部屋の中に入る。
そこは砦にある数少ない来賓用の客室であり、部屋の豪華さでいえば指揮官の部屋よりも豪華だ。
部屋の中央には天蓋つきのベッドがあり、そのベッドは盛り上がっている。
護身のために下げている剣が音を立てないようにしながら、ゴードンと取り巻きたちはベッドの近くまで迫る。
四人でベッドを囲むと、ゴードンは手で合図を送り、まず取り巻きの三人が襲い掛かる。
ベッドが軋み、布団が乱れる。
ゴードンは正確に頭があるだろう位置を確認し、白い手ぬぐいで口を縛りにかかった。
だが、すぐに異変に気付く。
ゴードンが触れたものは冷たかった。
人の体温ではありえない冷たさだ。
そしてゴードンは足音を耳にする。
必死になって白い布で縛りにいったものは、布団を帯で巻いた偽物だった。
ゆっくりと近づく足音にゴードンはまず恐れを抱いた。
罠であることに気付いたからだ。
一体、誰が?
決まっている。
セドリックか、ユウヤ・クロスフォードだ。
だが、ゴードンには確信があった。
ユウヤだという確信だ。
脳裏によみがえるのは、牢に入っていたユウヤが発した言葉。
アリシアに傷一つつけてみろ、必ず殺す。
そうユウヤは言った。
傷はつけていない。
だが、傷つけようとした。
あの時の冷たい眼を思い出し、ゴードンは体中を震わせる。
「本当にやってくるとは。驚きの愚かさだな」
軽い口調が薄暗い部屋に響く。
振り返れば、そこには剣を携えたユウヤがいた。
しかし、ユウヤ一人だった。
その瞬間、ゴードンは恐怖を怒りへと変えた。
「掛かれ! 始末しろ!」
相手が武功により、英雄とまで呼ばれる者だということを忘れて、ゴードンは剣を抜く。
取り巻きたちはゴードンの指示に従って、剣を抜いてユウヤに襲い掛かる。
だが、ゴードンに媚びることしかしてこなかった者たちでは、ユウヤの相手にはならなかった。
一人目は振りかぶった腕を斬られ、叫ぶ間もなく首を刎ねられた。
二人目は体当たりするように突きを出したが、すれ違いざまに首を刎ねられた。
三人目は恐怖に駆られて、その場を動けずにいた。
「今すぐ剣を捨てれば許してやる」
ユウヤの言葉に最後の取り巻きは、ゴードンを見た。
「何をしている! 儂のために戦え!」
「こ、降参です! 許してください! すべてゴードン男爵の指示なんです!」
両膝をつき、取り巻きはユウヤに許しを請う。
そんな取り巻きを一瞥したあと、ユウヤはゴードンへと視線を向けた。
「お前はどうする?」
「おのれぇ……小僧が! 儂を誰だと心得る!」
「夜這いに失敗した愚か者かな」
馬鹿にしたように鼻で笑いながら、ユウヤは無造作にゴードンへと近づいていく。
ゴードンはいったんは身構えるも、すぐに自分の力量ではどうにもならないと思い直し、ユウヤから距離を取る。
「く、来るな! 来るな!」
剣を振り回し、後ずさっていくがすぐに背中が壁に当たる。
そのままゴードンはずるずると腰を下ろし、地面に尻餅をついた。
ユウヤを見上げる形になったゴードンは、ユウヤが冷たい眼を自分に向けていることに気付く。
何の価値も見出していない眼だった。
その眼を見て、ゴードンは命乞いをすることを決意した。
「ゆ、許してくれ……儂が悪かった。つ、ついお前の連れの美しさにやられてしまったのだ……お前もわかるだろ?」
「ああ、アリシアは魅力的だな。だが、あいつは俺にとっては時には姉であり、時には妹のような存在だ。そんなあいつに邪な思いを抱く奴を……俺が許すと思うか?」
「ま、待ってくれ! すまん! この通りだ!」
ゴードンはプライドをかなぐり捨てて、地に這いつくばって頭を下げた。
これは一刻の屈辱だと、自分に言い聞かせながら。
「謝って済む問題か?」
「か、金なら用意しよう! 望むならいくらでも! それとも宝石がいいか? それとも美女か? なんでも言ってくれ! なんでも用意しよう!」
「本当か?」
「本当だ! 嘘は言わん!」
ゴードンはユウヤが食いついたことに驚きつつも、顔をあげる。
そこには何やら思案しているユウヤがいた。
考えているならば、交渉の余地はある。
微かな期待に縋るようにゴードンは訊ねる。
「なにが欲しいんだ?」
「使徒エルトリーシャが欲しい」
「……な、なに……?」
「どんなものでも用意するんだろ? 使徒エルトリーシャを用意してくれ。なんなら金を払ってもいいぞ?」
無理難題というレベルの話ではなかった。
到底実現不可能な要求。
ユウヤは薄い笑みを浮かべながら、それなら許してやる、と告げる。
ゴードンはそこで察する。
ユウヤが自分を許す気も、見逃す気もないことを。
ゴードンは一瞬項垂れる。
そんなゴードンを見て、ユウヤはやる気を無くしたように背を向けた。
「ふん、斬る価値もない。一生、牢屋で過ごしてろ」
「み、見逃してくれるのか?」
「殺さないだけだ」
背を向けながらユウヤが答える。
そんなユウヤを見ながら、ゴードンはゆっくりと手放した剣に手を伸ばす。
「そうか、ありがとう! ありがとう!」
「礼を言うな。気色悪い」
「そうか……それはすまなかったな!」
謝罪と共にゴードンは剣を突き出す。
その剣はユウヤを背中から突き殺すはずだった。
だが、剣は半ばで折れた。
ユウヤが振り返り様に斬ったのだ。
「なっ……!?」
「どうして俺が無理難題を吹っ掛けたり、背を向けたかわかるか?」
「……ま、待って」
「お前から仕掛けさせるためさ。無抵抗の奴を殺すのはさすがに気が引けるからな」
そう言って、ユウヤはゴードンの腹部を突き刺す。
ゴードンはあまりの痛みに涙を流し、苦悶の声を漏らす。
「うわぁぁ! 儂が、儂が刺されてる!?」
「そうだ。俺は自分がいくら馬鹿にされようが、狙われようが一向にかまわないが、俺の周りに害を与える奴だけは許さないし、見逃さない。残念だったな」
薄れゆく意識の中で、ゴードンはユウヤの表情を見た。
無表情ではあるが、その奥には深い怒りがあった。
しかし、自分のことが一番大切であったゴードンには理解できない感情であった。
ゆえに、ゴードンはユウヤに恐怖した。
「……あ、悪……魔……め」
「俺からすれば、あんたのほうがよっぽど悪魔だよ。ゴードン男爵」
そう言うと、ユウヤは剣を引き抜き、倒れるゴードンの首を斬り飛ばす。
血が飛び散り、ベッドとユウヤのズボンを汚す。
その頃になって、ようやく部屋の外から足音が聞こえてきた。
部屋を移動させたアリシアか、護衛を頼んでいたセドリックだろうとあたりをつけながあ、ユウヤはこの事態の収拾について考えていた。
いくらアリシアが狙われたとはいえ、殺したのはやりすぎだった。
どのような人物であれ、レグルス軍の指揮官である。
それを同盟国の貴族が殺したというのは問題だ。
「まいったなぁ……やっぱり生かして捕らえるべきだったかなぁ」
一人呟きながら、ユウヤは深く反省する。
だが、生かしておけば後々の憂いになることは間違いない。
多少問題になっても、殺すのがベターだった。
「まぁ、これで互いに弱みを握ったわけだし、良しとするか」
痛み分けということで、今回の一件を解決できるだろうと思い直し、ユウヤは最後の生き残りである取り巻きに近づく。
「ゴードンのしたことをしっかりと証言しろ。そのために生かしたんだからな」
「な、なんでも話します! ですから命だけは!」
何度も頭を下げる取り巻きを見て、ユウヤはため息を吐きつつ、剣についた血を拭い始めるのだった。