第八話 意外な質問
倒れた衛兵から鍵を探している間に、アリシアは大勢の兵士たちに囲まれてしまった。
「こやつらはマグドリアの間者だ! 捕らえろ!」
「自分で出しておいて、良く言うわね」
「やかましい! すぐにそんな口を聞けなくしてやるぞ!」
未だに顎を痛そうに擦っているゴードンが、顔を歪めながら喚く。
そんなゴードンに白い目を向けながらも、アリシアは俺の牢屋のほうに追い詰められていた。
半円状にアリシアを取り囲んだ兵士たちは、剣をアリシアに向けている。
「ふっふっふ、堪忍しろ。次は拘束と口枷が必要だな」
あれだけ痛い思いをしても、まだアリシアを諦める気にはならないらしい。
いや、自分に歯向かった女だからこそ、執着心が芽生えたのか。
どちらにしろ、状況は悪化した。
力ずくで突破できなくもないが、牢屋を破るまでには流石に時間が掛かる。
その間、アリシアは兵士を相手にしなければいけない。
どうにかなる可能性もあるが、どうにかならない可能性もある。
流石に人質を取られれば、俺も身動きが取れない。
それをわかっているから、アリシアも迂闊には動かない。
緊迫した空気が地下牢に流れる。
それを破ったのはゴードンの言葉だった。
「何をしている! 囲んで取り押さえろ! 全員、厳罰に処すぞ!」
兵士たちの何人かが苦々しい表情を浮かべている。
どうやら好き好んでゴードンの下にいるわけではないらしい。
いや、そりゃあ当然か。
軍だろうと会社だろうと、好きに上司が選べるなんて、まずありえない。
例外があるとすれば、使徒に付き従う騎士たちだ。
彼らは使徒の騎士を募集したときに、我こそはと使徒の下に向かった者たちだ。
難関な選抜試験を潜りぬけた彼らは、使徒のことを尊敬し、使徒のことを崇拝している。
彼らだけは自らが選んだ上司の下にいると言えるだろう。
無論、直属の上司が気に入らないという事態ならあり得るだろうが。
さて、問題なのは目の前にいるのが騎士ではなく、兵士だという点だ。
好き好んで従っているわけではないとはいえ、上官の命令は絶対。
騎士たちのように鉄の意志でも持ってれば、反抗するかもしれないが、それは期待できない。
向こうの反乱は期待できず、こちらの力押しも成功の確率が低い。
ならば言葉しかないか。
「さぁ、捕らえろ!」
「レグルスの兵士たち、よく聞け。俺の名はユウヤ・クロスフォード。知っていると思うが、エルトリーシャ・ロードハイムとは親しい。そこにいるのはアリシア・ブライトフェルン。レグルスの同盟国であるアルシオンの重鎮の娘だ。そこのゴードンは偽物だというが、これは事実だ。よく考えて行動しろ。もしも、本当だった場合、どうなるのか」
「相手の口車に乗るな! 所詮はたわごとだ!」
「いいのか? ゴードン男爵。同盟国の貴族、しかも重鎮の娘を監禁、あまつさえ手を出そうとした。貴族ならこの重大さがわかるだろ? 今なら黙っておいてやる。ただ、これ以上、こちらを侮辱するなら相応の処置を取るぞ?」
「外交問題とでも言うつもりか? たとえ、貴様らが本物だとしても、ここから出られなければ意味はない!」
その言葉を待っていた。
ゴードンの言葉に兵士たちが一瞬で青い表情を浮かべてる。
何人かは手が震えている。
そりゃあそうだ。
今の言葉で、本物の可能性が高まってしまった。
それを承知で捕らえろと言われても、兵士たちには酷だろう。
そして、戸惑っているときこそチャンスだ。
「まぁ、どうしてもと言うなら止めはしないが……俺がアルシオンの銀十字、ヘムズ平原の悪魔と言われている理由を知る羽目になるぞ? アリシアに傷一つ負わせてみろ? 必ず殺す」
目に明確な殺意を込めて、アリシアを囲む兵士たちを見つめる。
声はそこまで大きくしていないが、しっかりと意思を込めた。
戦場を経験した者にしかわからないだろう、ある種の威圧感。
それを感じ取ったのか、兵士たちが全員、後ずさる。
「ええい! 何をしている! 牢の中にいる男一人を恐れるなど! それでも誇り高きレグルスの兵士か!」
よくまぁ、この状況で誇りなんて言葉を出せたもんだと思ったが、俺がそれに突っ込む前に、突っ込む者が現れた。
「誇り高きレグルス軍の指揮官ならば、自ら剣を取って、兵を鼓舞してほしいところですね」
「なんだと!?」
階段を下りる足音は一つ。
この状況で慌てる様子もなく、足音は一定だ。
「まだ無礼者がおったか!」
「ほう? 無礼者とは不思議なことを言いますね。いつからあなたが私よりも上に?」
そう言いながら姿を現したのは二十代中盤くらいの男だった。長い茶色の髪が特徴的で、顔も女かと思うくらい整っている。
簡素な軽鎧を身にまとい、腰には長剣。そして背中には弓がある。
その姿を見せた瞬間、レグルス兵たちが一斉に膝をついた。
「あ、あなたは……セドリック副官!?」
「いかにも。使徒レイナの命により、この部隊の監査に来たのですが……これはどういう状況ですか? ゴードン三千騎将」
「こ、これは……こやつらはマグドリアの間者で、それが牢から出たので……」
「冗談言わないで! 自分で出した癖に!」
ゴードンの言葉にアリシアが異を唱える。
そんなアリシアの言葉にゴードンは顔を真っ赤にした。
「やかましい! 事情を聞こうとした儂の好意を無視して、攻撃したのはそっちではないか!」
「好意? 好色な意思って意味かしら?」
「この! 儂を侮辱するか!」
「まぁまぁ、落ち着きましょうか。ゴードン三千騎将。お嬢さんも落ち着いてもらえますか? 使徒レイナの名にかけて、あなたに非礼はしないと約束しますので」
アリシアはセドリックの話を聞いて、警戒を解く。
ただし、ゴードンのことはまだ睨みつけているが。
「感謝します。お名前をお聞きしても?」
「……アリシア・ブライトフェルンよ」
「ブライトフェルン? アルシオン王国のブライトフェルン侯爵の孫娘?」
「ええ」
「それはそれは。ここまで大変だったのでは?」
「とっても。まさか同盟国の軍に地下牢に入れられるとは思わなかったわ」
アリシアの言葉に苦笑しつつ、セドリックはアリシアを完全には信用してはいないようだった。
傷つける意思はないが、信じる気もない。
そんな感じか。
まぁ、普通はそうか。
いきなり信じてきたらそっちのほうが怖い。
こっちは証拠を何も持っていない。
アリシアは魔法が使えるし、上流階級の立ち振る舞いをできるが、それだって努力で身につけられる物だ。
マグドリアの間者なら身に着けていても不思議じゃない。
「では、何か身分を証明する物をお持ちですか? なんでも構いません」
「残念ながらないわ」
「それでは信じられません。わかっていただけますね?」
「ええ。けど、私たちは本物よ」
「私たち?」
セドリックはそこでようやく俺に気付いた様子だった。
いや、まぁアリシアのほうが目立っていたし、しょうがないんだけどさ。
「失礼を。美しいお嬢さんしか目に入りませんでした」
「気になさらず。一緒にいる女性のほうが目立つのは、いつものことですから」
「それは良いことですね。女性のほうが目立つほうが、目に優しい」
「目に優しいねぇ」
戦場で俺より目立つエルトを思い出して、軽く首を横に振った。
あれは目に毒だ。本当の意味で。
人の首をいとも簡単に飛ばしていく姿は、気の弱い者ならトラウマものだ。
「それで、あなたのお名前は?」
「ユウヤ・クロスフォード」
「ほう。これは大物の名前が出てきましたね。しかし、ちょうどいい」
何がちょうどいいのか。
俺としてはすぐにレイナに会いたいのだけど。
いや、ある程度、俺が本物だという確証がなければ会わせてもくれないか。
「王都でフィリス王女殿下が陛下に謁見した際、我が主、レイナ・オースティンも同席したのはご存知ですか?」
「ああ。他の二人もいたな」
「ええ、三人の使徒が同席しました。そのとき、我が主が神威を使って、あることをロードハイム公爵にしたのですが、覚えていらっしゃいますか?」
もちろん覚えている。
しかし、それをここで言わせるのか。
「オースティン公爵の名誉のために言いたくないんだが?」
「構いません。どうぞ言ってください」
この顔は他の答えを予想している顔だな。
まぁ、まさかあんなことに神威を使うとは思うまい。
見ていた人間にしか信じられない出来事だ。
しかし、それが俺が本物だという証明になる。
恨むなよ、レイナ。
お前の部下が悪いんだ。
「さぁ、我が主は何をしたのでしょうか?」
「スカートめくりだ」
一瞬、その場に沈黙が走る。
多くの者がこいつは何を言っているんだ、という顔をしている。
「ユウヤ……真面目に答えなさいよ」
「嘘のような本当の話だ。俺も目を疑ったよ。神威の無駄遣いだと、な。まぁその前にエルトがオースティン公爵のスカートをめくったのが原因なんだけどな。エルトはエルトで神威でガードするし、まんま子供の喧嘩だったな、あれは」
「……それで下着は見たの?」
「見たんじゃない。見えたんだ」
「……最低ね」
「おい!? 俺のせいか!?」
蔑んだ視線がアリシアから飛んでくる。
これは冤罪だ。
俺はすぐに視線を逸らした。見えたのは不可抗力だ。
そんな俺をよそに、セドリックが大量の汗を顔から流していた。
どうやら、状況の拙さに気付いたようだ。
「……もしや、本物ですか?」
「そう言ってるだろ? さぁ、レイナに会わせてくれ。伝えたいことがある」
一度、セドリックは天井を見上げる。
多分、ちょっと気が遠くなったんだろうな。
しかし、これは現実だ。
であるならば、彼がやることは一つだけだ。
セドリックは膝をつき、深々と頭を下げる。
「……ご無礼をお許しください。クロスフォード伯爵公子。ブライトフェルン伯爵公女。すぐに部屋を用意させます」
「それより水浴びをさせて。あと着替えね」
「お前は……もうちょっと謙虚さを持てよ」
「失礼ね。私だからこんな程度で済んでるのよ? ほかの貴族なら外交問題だって喚いてるわ」
そりゃあそうなんだが、それをここで言ってやるなよ。
セドリックの顔がどんどん青くなってるじゃないか。
さて、どうやって事を収めようかなぁ。
牢から出ても俺の悩みは尽きない。
できれば、これ以上増えないでほしいもんだ。
そう思いながら、俺は開けられた牢から出ることになった。