第九話 狂戦士
戦闘開始から僅か三十分。
一万の騎士団と五千の兵士。
計一万五千で固めていた右の丘が陥落した。
丘を守っていた騎士や兵士たちは、散り散りとなって、左の丘やこちらを目指して撤退してきている。
「あれは……なんだ?」
俺の呟き答える者はいない。
だれしも初めて見る光景だった。
戦闘前。
マグドリア軍は先鋒の五千の歩兵だけがなぜか猛然と突撃を敢行した。
多くの者がその異常さに気付いてはいたが、鼻で笑っていた。
異常さを履き違えていたからだ。
三倍の兵力が守る砦化された丘に、五千の歩兵で突撃する。
どう見ても自殺行為であり、マグドリアの指揮官がやけくそ気味になったのだと、アルシオン側は判断した。
けれど、異常だったのは指揮官ではなかった。
突撃をした五千の兵士たちこそが異常だったのだ。
右の丘の守備は確かに薄かった。ギルアムの指示で、多くの騎士が馬に乗って突撃の準備をしていたからだ。
それでも五千の兵に突破されるような雑な守備ではなかった。五千で突撃するなどありえない。
まず、アルシオン側は大量の矢を敵に浴びせかけた。
そしてそれを掻い潜った者には魔法を食らわせていった。
射程は弓矢のほうが長いが、威力は魔法のほうが高い。併用するとなると、こういう運用法にならざるをえない。
しかし、マグドリアの兵士たちは弓矢では倒れなかった。
まるで恐怖心がないかのように、五千人は盾を構えて直進し、腕や足に刺さろうが立ち止まらない。
続いて放たれた魔法も、盾ごと腕を吹き飛ばしているというのに、誰も止まらない。
足がなくなれば這ってでも彼らは進んだ。
そこでようやく、外から見ている俺たちに薄ら寒いものが走った。
おそらく、守備についていた騎士や兵士たちは、魔法が放たれる前の段階、矢の雨をモノともしない時点で薄ら寒いものを感じていただろう。
そして近接戦闘に入って、皆が敵の異常さに気付いた。
彼らは痛みを感じないようで、攻撃を受けても気にも留めない。
加えて異常すぎる身体能力を誇っており、数人がかりでも抑えがきかない怪力に加え、人を軽々超える跳躍力、馬並みの速度を出す脚力など、五千人が全員、人間離れしていた。
そんな敵の突撃に対して、騎士や兵士は果敢に戦いを挑んだが、攻撃を受けても止まらず、猛然と丘の上を目指す敵を止めることはできず、戦闘開始から三十分ほどで右の丘の司令部は落ちた。
「ま、まるでお伽話の狂戦士じゃないか……」
誰かが呟く。
それはみんなの意見を代弁したものだった。
まさしく狂戦士。バーサーカーだ。
恐怖を感じず、痛みも感じない。加えて圧倒的な戦闘力。
こんなの一人いただけでも厄介なのに、向こうはこんなのを五千人も揃えてきている。
「いや……揃えたんじゃなくて作ったのか?」
俺の強化に似た神威を持つ使徒ならば、狂戦士を作り出すことは可能かもしれない。
使徒の神威は他者に影響を与える神威が多い。ゆえに軍団に使用すると、常勝不敗の軍と化す。
だから使徒には使徒を当てることが常識とされるのだ。
「わ、若! あんなのと戦うんですか!?」
「無理だ……!!」
「殺されちまう!!」
兵士たちがざわつき、混乱が広がる。
無理もない。あんなのを見せつけられたら、だれだって腰が引ける。
「全員聞け! 皆の気持ちはわかる! だが、見ろ! 敵は右の丘で止まっている! 奴らは確かに恐ろしい兵士だ。恐怖を感じず、おそらく痛みも感じない。加えて強い! だが、恐怖を感じなかろうが、痛みを感じなかろうが、強かろうが、所詮は人間だ。足がなければ走れず、血を失えば死に至る! 見てみろ! 最初は五千だったのが、丘上にいるのは二千弱だ! 相手も人間! こちらにはまだまだ友軍もいる。慌てる必要はない!」
鼓舞し、相手も同じ人間だとわからせる。
同時に自分にも言い聞かせる。
奴らは超常の戦士ではあるが、それはおそらく神威の効果。
神威も万能ではない。
俺の強化に反動があるように、彼らにも反動があるはず。
右の丘を攻め取った五千はもう戦えないだろう。
「エドガー! ここは任せる! 俺は上にいく!」
エドガーに兵士を任せ、俺は馬に飛び乗る。
あの王子の性格からして、あっさり右の丘が陥落したのを見れば、どんな行動にでるか予想できる。
止められないまでも、被害を広がらないようにしないと。
ここを抜かれ、この軍が壊滅に近い損害を受ければ、国内に敵がなだれ込む。そうすれば王都はもちろん、クロスフォード子爵領も危ない。
戦の勝敗や武功なんてどうでもいいが、自分の帰る場所が脅かされるのだけは黙っていられない。
「頼むぞ、馬鹿王子。即断だけはするなよ!」
●●●
丘の上に置かれた本陣では、怒号が飛び交っていた。
その中には若い男の声も混じっている。
「撤退だ! 今すぐ!」
「お待ちください! 左の丘や逃げてくる騎士や兵士をお見捨てになるのですか!?」
「殿を務めさせろ! 私が撤退するまで時間を稼がせるのだ!」
「殿下!?」
今すぐ馬に乗って丘を駆け下りそうな醜態を晒しているのは、アルシオン王国の第二王子。通称、馬鹿王子。
もうほんと、予想通りすぎて涙が出そうだ。
撤退するにしても、全軍に号令を出してから撤退すればいいものを、自分の安全だけを考えて、他を見捨てる発言をするとは。
指揮官失格だな。
周りに控える貴族や、補佐役の将軍たちが必死にギルアムを制止している。
総大将が真っ先に逃げたとなれば、軍は崩壊する。
そのまま俺たちは全滅の憂き目に遭うだろう。
「あんな化け物どもがいるなんて聞いていない! 楽勝ではなかったのか!? 話が違うぞ! 私はここに死にに来たのではない!」
「ブライトフェルン侯爵が仰っていたではありませんかっ! 敵に策があるやもと! それがあやつらなのでしょう。まずは落ち着いてください。総大将が取り乱しては、軍が崩れてしまいます」
「ええい! うるさいぞ! 策があるとわかっていて、なぜ対処できない!? だいたい、備えたとしてあんな奴らを止められるものか!」
対策を提案したら、聞く耳を持たなかったのはあんただろうに。
まぁ、備えたところで奴らを止められたかというと、そうでもないから、後半は正しい。
「私に逃げるなというなら、なにか策を出せ! 策を!」
「それを話し合うために、皆集まっているのです! ですからお戻りください!」
「今、策を出せ! 今、出ぬものが、話し合って出るものか!!」
まるで駄々っ子のように首を激しく振って、ギルアムは取り乱す。
俺と同じように本陣に集まってきた貴族たちが、露骨に顔をしかめる。
当たり前か。子供のように取り乱すのは誰だってできるのだから。
「殿下! お願いですから冷静に!」
「私は冷静だ! 冷静に検討した結果、逃げることにしたのだ!!」
まったく、普段は恰好をつけるくせに、こういうときは恥も外聞もないとは。
緊急時というのは、本当に人の本性が垣間見れる。
さて、時間もないことだし、説得するとするか。
俺は馬から降りると、ギルアムの近くに膝をつく。
「真、ご英断でございます。殿下」
「なっ!? 貴様!? 何者だ!?」
ギルアムを制止していた初老の将軍が、鬼の形相で俺に迫ってくる。
この状況で、追従しようとする人間が許せないのだろう。
「クロスフォード子爵が一子、ユウヤ・クロスフォード。父の名代として参っております」
「ほぉ……その若さで名代とは。ユウヤ・クロスフォード。私の何が英断なのだ?」
よし。
追従に気をよくしたギルアムが俺に興味を持った。
あとは上手く誘導できるかどうか。
「撤退をお決めになったことでございます。撤退時期を見誤らぬのは良将の証。右の丘が落ち、あの兵士たちが健在な以上、我が方が不利なのは明白。瞬時の決断。真に感服いたしました」
「おお、わかってくれるか! 見たことか! 撤退は正しいのだ!」
「殿下!? その者は臆病風に吹かれただけにございます! 真に受けますな!」
初老の将軍が声を大にして、ギルアムを止める。
周りの将軍や貴族たちも必死にギルアムを説得しようとするが、自分に追い風が来たことを感じたギルアムは止まらない。
「何といわれようと撤退だ! 今、撤退せねば軍が崩壊してしまう!」
「仰る通りでございます。左の丘の軍が健在な内に、撤退を開始するべきでしょう。なにより尊ばれるのは、王族であられる殿下の命。しかし、敵に無様に背を向けては殿下の名が傷つきます。ここは悠然と撤退するのがよろしいかと」
「悠然と撤退だと? それでは敵が来てしまうではないか!」
「ご安心を。左の丘がある以上、敵はそこを無視してこちらには来れません。ここは隊列を整え、右の丘から逃げてくる兵たちを吸収して撤退するべきでしょう。戦力を保持し、次の戦に備えるのは、逃亡ではございません。戦略的撤退でございます。殿下もそのつもりだったのでは?」
「おお! ユウヤ・クロスフォード! お前は私が考えていることをすべて察してくれている! そうだ! 初めからそのつもりだったのだ!」
「さすがでございます。では、左の丘に伝令を出し、撤退準備を整えるように告げましょう。左の丘の軍が撤退すれば、殿下の本隊が危険に晒される可能性はグッと低くなります」
「そうだな、いや、そうだ! 今、指示しようと思っていたのだ!! 左の丘に伝令を出せ! ここも撤退準備だ! ただし、慌てるな! 時間はある!」
ギルアムの周りにいた将軍や貴族たちがポカンとする。
まぁ、この変わり身の早さを見れば、当然か。
「その伝令の役目。私にお任せいただけないでしょうか? 殿下が大将となった戦で、自分も務めを果たしたいのです」
「よい心がけだ! お前は貴族の鏡だな! よい! 任せた! お前に伝令を任せる!」
「御意」
そう俺に命令すると、ギルアムは上機嫌で馬から離れ、奥にある天幕へと歩いて行った。
これで無秩序に撤退することもなくなるし、逃げてくる兵も助かるだろう。
実際、本陣が崩れながら撤退すれば、敵は左の丘を気にせず追撃をかけてくるだろう。
その最悪の展開がなくなっただけ良しとしよう。
「クロスフォードの若君……」
「殿下をお願いいたします。あの様子ならば、もう取り乱すことはないでしょうが、撤退中は何があるかわかりませんから」
「……先ほどは失言をしてしまった。許されよ。臆病風などとんでもない……若君は冷静で勇気のあるお方だ」
ギルアムを制止していた初老の将軍が頭を下げてくる。
この人も大変なものだな。
あんな王子の御守をさせられるとは。
「お気になさらず。まだ負けたわけではありませんが、指揮官があの調子ですし、狂戦士の軍団がまだいるやもしれません。このまま戦えば、勝機は薄い。ですが戦力を保持したまま撤退すれば、次があります。撤退は屈辱かと思いますが、受け入れていただきたい」
「とんでもない……。我らも撤退はやむなしと思っていた。気付かれているとは思うが、あのような常軌を逸した兵が存在するのはおかしい。おそらく敵には使徒がいる」
さすがは御守を任されるだけはある。
冷静な分析だ。
基本的にこの大陸の戦場で奇怪な現象が起きたら、まず疑うのは使徒の存在だ。その次に魔法。その次に自然現象。
ただ、五千名を狂戦士に変える魔法なんて存在しない。そんなことは魔法じゃ不可能だ。
となると、奴らが自然に生まれたか、使徒の力によるものか、という話になる。
そして自然にあんな奴らが生まれるなんて話は、馬鹿らしくて選択する気にはなれない。
だから、使徒なのだ。
「ええ。そうでしょう。しかし、使徒にも限界はある。勝てないまでも、撤退を成功させることくらいはできるはずです」
「頼もしいな……。若君の数分の一でも、殿下が冷静ならばな……」
「言っても仕方ありません。撤退の合図は狼煙でお願いします。私は左の丘に向かいます」
「心得た。若君の兵はいかほどか?」
「騎兵が二十五ほどです。歩兵は置いていきます」
「それでは少ないな。私の騎兵を百ほど貸そう。使ってくれ」
「……無事にお返しできる保証はありませんが? 今から出向くのは、間違いなく死地です」
「そこに十五の少年を僅かな兵で送り出すわけにもいかん。皆、精鋭だ。頼みにするといい」
そう言って初老の将軍は再度頭を下げた。
俺も一礼し、馬に乗る。
ギルアムには時間があると言ったが、そこまで時間はない。
そろそろ左の丘への攻撃が始まるだろう。
急がねば。