裏切り
第二章 嫉妬
前半 仕返し
快晴の日にはブルーの空が透き通って見える。毎日必ずと言っていいほど急に雲が流れてしとしとと雨が降り出す。しばらくすると雲が去って青空が顔を出す。この繰り返しだから傘を持って歩いている人をよく見かける。
ピカデリースクエアーにあるアイリッシュパブは金曜日の夕方にぎわっている。カウンターで立って飲んでいる人たちは多分ここで長居をする気はないのだろう。楽しそうに会話をしながらタップビールのおかわりを何杯もする人がいる。テーブルに座っている人たちはグループでテーブルの上のおつまみを前に談笑している。
「ここは雰囲気がいいから好きですよ。圧倒的に男が多いけどね。」
「女の子が目当てなら六本木のバーに行くんだね。」
「仕事はうまく行ってるのかね。」
「そうですね。ヨーロッパの市場は複雑ですね。東京オフィスでやっていた時には日本が中心で株式市場がもっと単純に感じましたよ。」
「ヨーロッパは言葉が色々だし、小さな国がたくさんあるので株の取引きをするには厄介ですね。」
「ロンドンオフィスは忙しい割に業績がもう一つだからな。がんばってくれよ。」
「はい。できるだけの努力は致します。」
中井次郎は大手銀行の東京本社からロンドン支店へ派遣されてきたばかりだ。外国為替の部門から海外投資部門へ移り、ヨーロッパの株式市場を学ぶためにロンドンに派遣された。
独身で背が高く顔立ちが良いのでもてるタイプだった。東大で経済学を学んだ後でオックスフォード大学に一年留学した。結婚が頭に浮かぶことが多くなった。銀行の同期の男たちからは出世競争の強敵と見られていた。女子社員の間であこがれの独身社員のひとりだ。
「うちの会社の女の子はみんなセンスがないよな。」
「まあ会社がでかいから知ってるのはほんの何人かだし。同じ課の子に手を出すと後が怖いからな。」
「ロンドンはどうだった?」
「まあまあだね。俺は東京の方が合ってるね。食べ物はあそこはひどいから。」
「わかるよ、それは。日本ほど美味しいものがたくさんあるところは他にはないよ。」
「今晩は恵比寿のアイリッシュパブに行かないか?」
次郎と同期の友達の中村は違う課で働いているが新入社員の時からの友達だ。二人とも独身だ。これから結婚を意識した付き合いをする相手を探しているのも共通している。社内結婚はできるだけ避けて、偶然の出会いを期待している。
「ここにいるとロンドンを思い出すよ。内装がロンドンのアイリッシュパブとよく似てるから。」
「東京にもいいとこが増えたよ。外国で生活した経験がある人が増えて、すべての面でセンスが良くなったのは嬉しいね。」
「ここに来る子は飲める子が多いだろうな。一緒に楽しく飲めて朗らかな子が良いな、俺は。」
「そう考えるとかわいい子がいれば声をかけるくらいはするべきだよ。」
「よし。俺が先にやってやるよ。あそこに一人で座っている子に声をかけてみる。」
「すみません。その席空いてますか?」
「ええ、どうぞ・」
「今日はおひとりなんですか?」
「ええそうよ。友達から携帯に電話があって、急用ができたって言うのよ。」
「僕はただの銀行マンですが海外投資の部門なのでロンドンへ行くことが多いんですよ。」
「あら、私もヨーロッパにはよく行くのよ。ファッションの仕事でパリだけど。」
会ってすぐに気が合った二人は毎週月曜日にこのパブでデートをした。良子は原宿にブティークのお店を持つファッションデザイナーだ。茶色に染めた髪を肩のところでばっさりと切っている。目と口が特に魅力的なのは化粧が上手なのかも知れない。
一年間も同じ人と付き合ったのは二人ともはじめてだった。次郎と良子はロンドンのトラファルガー広場のライオンの像の前で待ち合わせた。鳩の群れが飛び交う中、次郎がパンくずを手に持つと10羽以上の鳩が次郎の頭の上、肩の上、手のひらに飛びついた。良子は通りの反対側から駆け足で次郎のいるトラファルガー広場へ向かっていた。
「すごいわよね。この鳩の群れ。」
「元気?この間あってからもう2週間になるね。」
「そうねえ。時間が経つのは早いわね。パリで仕事をする時はスケジュールがいっぱいなのよ。パリから高速電車ユーロスターでここまで2時間ちょっとで来れるのは本当に便利ね。」
「今晩はロンドンで一番人気があるレストランに案内するよ。」
「ほんと?嬉しいわ。」
夕焼けは空を焼き尽くすかのように真っ赤だった。ロンドンの町を見下ろす高台まで車で1時間近くかかった。次郎はこの瞬間を一年以上待った。
良子と素晴らしい夕焼けを前にしてキスをした。急に次郎が膝まずき、ポケットから小さな黒い箱を取り出した。片手で持った箱を開けて指輪を取り出し、決まり文句の結婚をプロポーズする一文をゆっくりと口に出した。
「結婚してくれますか?」
良子は不意の出来事で驚いた顔をした。目を大きくして答え、次郎に抱きついた。
「もちろんイエス。」
良子と次郎は原宿から近いところにあるマンションを買った。恵比寿や渋谷が近い上に良子は歩いて自分のお店へ通勤できた。次郎のオフィスは新橋駅から歩いて5分のところにあった。結婚後次郎は東京本社勤務になり、二人揃ってヨーロッパへ行くときは、毎年ファッションショーの時期だった。
良子は次郎より一つ年下であったがこれ以上待つとお産が難しくなると思い、すぐにでも子供が欲しかった。次郎と良子はホテルニューオータニで盛大な結婚式をあげた。司会を務めたのは次郎の大学時代の親友卓司だった。外人の参加者が多かったので英語と日本語の二か国語を使った挙式だった。
次郎は5年後には海外投資部の部長補佐に昇進した。男の子がすぐに生まれ、翌年には女の子も生まれた。良子は原宿のお店はできるだけ従業員にまかせて、育児に専念していた。女性が子供に深い愛情を持つようになると、エネルギーがほとんどそれに向けられて夫は二の次になる。
「またロンドンへ行くの?大変ね、部長補佐は。」
「そんな言い方するなよ。仕事だからさ。」
「私のお店が今大変なのよ、この不況で。」
「でも俺にできることなんか何もないだろ。」
「家にいないと子供の世話を私一人ですることになるからそれも大変なのよ。」
「もちろんわかってるよ。でも仕事はどうしようもないんだ。」
子供の世話と仕事とのバランスを取るのが難しい。良子は仕事のプレッシャーでストレスが溜まっていた。車の渋滞さえもいらいらさせた。成田飛行場へ次郎を送って行くことすら良子を不機嫌にさせた。
次郎は部長補佐になってから、帰宅をする時間はいつも10時を回っていた。夫婦が別々の道を歩み始めているのが感じられた。
「この離婚届けに署名してくれる?もう私あなたの人生について行けないのがわかったから。」
「何を言ってるんだ。男が仕事を優先するのは仕方がないことだろ。」
「それとは違うのよ。あなたをロンドンで待ってる女性がいるのを知ってるのよ。」
「それは誤解だよ。他の女性には目をくれてないぞ。」
「うそよ。それは。知ってるんだから。」
「何でそんなこと言うんだ。」
「クレジットカードの請求書に明細が載ってるのを知ってるでしょ?私以外にビクトリアシークレットの商品を買ってあげる人がいるのよね。それ以外にも女性への贈り物がたくさんあってリストを作れるくらいだわ。」
次郎は天井を見上げ、両手を腰に置いて無言のままだった。この日以来次郎はロンドンで過ごす日が益々増えた。次郎は離婚届けに署名する気はまったくなかった。子供二人はまだ幼い。
良子は自活力があったので、別居して子供と自分だけで住むマンションを賃貸した。嫉妬心が強い女だ。事業に成功した女性は自分の価値を高く買っている。魅力があり、能力もある自分を裏切る男を耐えるだけの寛容な心はまったく持ち合わせていなかった。裏切った夫に仕返しをすることだけが頭にあった。
良子のマンションはブティークのお店から歩いて3分だった。原宿の表参道に面していた。休日の人混みで通行人や車が渋滞している騒音が聞こえた。ここは仮の宿だと感じていた。
古い建造物をマンションにしたために修理をすることが多かった。困った時にはメインテナンスの専門の男がいつでも来てくれた。背が高く白人的な顔つきだった。水道でも電気でも、どんな問題でも修理ができる頼もしい男だと良子は好意を持っていた。
「さあこれで流しの詰まりはなくなりますよ。」
「どうもありがとう。ほんとにすぐに来てくれて何でも直してくれるので助かるわ。お茶でも飲んで行かない?あと3時間くらいで子供を迎えに行くけど。」
「ありがとうございます。センスがいいマンションですね。」
「そお?モダンな家具やフランス調の内装が好きなのよ。」
「ほんとですか?僕もフランス風なものは何でも好きなんです。」
「どうして?」
「実は僕の母はフランス人で日本人と結婚したんですよ。」
「ああ、どうりで貴方はちょっと白人系なところがあるのね。」
「でもフランス語はまったくできないんですけどね。」
大輔は苦笑いをして良子の目をじっと見た。心の中を探っているような目つきだ。良子がカーデガンを脱いで部屋が暑いと言い、タンクトップ一枚とジーンズの姿になった。大輔も同調してデニムのジャケットを脱いだ。
お互いに相手の様子を窺いながら顔を近づけた。大輔の右手が良子の肩に触れると良子は口を大輔の口に近づけた。思いっきり抱擁をした。そのまま床に倒れて二人だけの世界に入った。
「ありがとう。とっても良かったわ。」
「こんなことをしてもいいのかな。ありがとう。」
大輔と良子は子供たちの夏休みにはデズニーランドへ行ったり、クルーズで3泊4日の旅行に出たりして家族のようになった。良子が費用はすべて負担した。大輔が自分の希望のとおりに何でもしてくれるので良子は本気で恋愛した。
次郎はロンドンから戻り、ひとりマンションで悩んでいた。離婚をするつもりはなかった。子供が恋しかった。良子が子供たちとどんな生活をしているのかを知りたかった。良子のマンションへ歩いて行ける距離だ。住所がわかっているから行こうと思えばいつでも行けた。何か嫌な予感がしていつも躊躇していた。
10月7日午後8時に次郎は思い立って良子のマンションへ行くことにした。何も知らさずに行ってドアベルを押した。
「はい、どなた様ですか?」
「俺だけど、入れてくれる?」
「いいわよ。ひさしぶりね。」
「ありがとう。」
「散らかってるわよ。今晩は子供たちが私の親のところに遊びに行ってるのよ。残念ね。あなたが来るのを知ってたら一緒にいたのに。この方は大輔さん。」
「はじめまして。」
「ああ、どうも。」
次郎は大輔を見て怒りが込み上げてきた。良子が離婚をせまっていた理由は次郎がロンドンで彼女を持っているからだ。良子に男がいるとはまったく知らなかった。
良子は次郎に見せびらかすような仕草で大輔の背中をさすっている。これが大輔に対する愛情の現れでもあるかのように。次郎の目がきつくなっていた。
大輔が次郎にひとこと言った途端に次郎はキッチンに行き、ナイフを手に取った。「良子はセックスがうまいね」と言ったこの一言が原因となり、もみあいの喧嘩となった。体力がある大輔は次郎から簡単にナイフを取って、勢いよく次郎の胸に刺した。
良子の顔から血が引いた。一瞬のできごとで大輔はナイフを床に落として立ちすくんだ。
次郎は5分後には息を引き取っていた。大量の血が床いっぱいに広がった。大輔は良子の言うとおりにベッドのカバーで死体をくるんだ。丸めた重いベッドカバーの両端を二人で持ち、裏戸から表に出した。ベッドのシーツとタオルでウッドフロアーに広がった血の池をきれいにふき取った。
夜中の2時に次郎と良子は家の前に車を停めてトランクを開けた。中にビニールの大きなゴミ袋をたくさん敷いて、死体を入れたベッドカバーをトランクに入れた。大輔が運転して、建設中の団地の前で停めた。
トランクを開けてベッドカバーでまるめた死体を取り出し、建設中の敷地に縦2メートル、横1メートル、深さ1メートルの穴を掘って埋めた。造成地で土はやわらかかった。真夜中の4時を過ぎていた。
その後まもなくこの敷地にコンクリートが流され、その上に家が建った。
1年経った。大輔と良子は同居生活をしていたが結婚はしていなかった。子供たちは大輔を父親のように慕っていた。良子は買い物から帰って来て、郵便箱から郵便物を取りだした。白い封筒には差出人の名前がなかった。一枚の手紙が入っていた。それにはワープロで一文が書いてあった。
「私はあなたが犯した犯罪の動機も方法も知っている。」
***
薄暗い細い路地を速足で歩いて家に帰る。冬の黄昏は5時から始まる。ようやく大きな道に出た。車が走っている。歩行者も結構いる。ラーメン屋の看板が見えてきた。木造の古いアパートの二階へ上る階段の足元に来た。自転車が階段の下に置いてある。定子は自分の自転車がまだあるのを確かめた。
駆け足で階段をのぼり、鍵でドアを開けた。靴を脱ぎ、駆け足でトイレに入る。携帯でジムにまだいるはずの哲也に電話した。
「へい、哲也?」
「ああ、お前か。もう家に着いたの?」
「そう、今ね。あのさ、今晩帰りにちょっとスーパーに寄ってくれる?」
「いいよ。今晩何作るの?」
「から揚げなんかどう?」
「いいよ、それで。じゃあ鶏肉買って帰るよ。」
哲也と定子は同じジムでトレーナーをしていて知り合った。同棲してから半年以上経つ。どっちかと言うと、定子が最初に哲也のカリスマ的な性格を気に入っていた。トレーナーとして雇われてから一週間も経たなかった頃に、定子に色々な器具の使い方を指導してくれた。
背が高く肩幅が広い。胸が厚い。両腕はハルクを思い起こさせるほど太い、腰からおしりにかけて筋肉がはみ出ている。丸坊主の坊ちゃん顔は体に不似合だった。
黒髪の定子は丸顔で長髪。目が大きく、口が小さい。筋肉質でやせ形なのは生まれ持った体型だ。子供の時から体育が得意で、駆け足はリレーの選手の中でも早いほうだった。
哲也も定子も貧しい家庭に育った。二人に共通していたことは父親に恵まれなかったことだ。無職の父親が家庭を支える事ができなかった。別にアル中とか、病気とかではなかった。ただ怠け癖が抜けなかっただけだ。妻がバイトで稼いだ収入をあてにしていた。パチンコや賭け麻雀で生計を立てるつもりでいた。
家庭内暴力は当たり前の毎日だった。パチンコで負けた時や、麻雀でお金をまきあげられた時には、八つ当たりするだけだった。
定子は哲也の優しさに惚れていた。自分を好きになってくれるのを願った。ジムには女性のトレーナーが3人いた。お客さんの取り合いがあった。定子は中でもかわいいタイプで、年も一番若かったから、お客さんがついた。哲也が定子は特別だと思っていた。
「うん、このから揚げはうまい。」
「そう、嬉しいわ。」
「料理がうまいし、セックスは最高だし、お前いい女だね。」
「嬉しいわよ、そういう風に言ってくれると。」
「本心、本心。」
「この間入った静子はどう?少しはお客がついたか知ってる?」
「ええ、まあまあじゃない?あの子は私より年下よ。でも、しっかりしてるわね。」
「そうだな、年の割には。」
「慣れてきたら、一緒にどこかへ連れてってあげましょうよ。」
「そうだな、夏になったら海にでも行こうか。」
ジムのオーナーは13年以上前にサラリーマンを辞めて、このジムを買った。前のオーナーは年がいって引退したと言っていた。内装をモダンにしただけで、お客もそのまま引き継いだ。哲也は5年前からここでトレーナーをした。オーナー裕司から気に入られていた。二人が一緒にいると、そっくり同じ体格の水着のモデルが二人立っているようだった。
「さあそろそろ伊豆が近いな。高速だと速いな。」
「今晩泊まるホテルはどのあたりなの?」
「熱海の温泉を取ったんだ。泳ぐより温泉だよ。楽しみなのは。」
「ええ?温泉に泊まるの?最高じゃない。」
「まあ海は体を焼くのが目的だから、そう長くはいないよ。じっくりと時間をかけてブロンズカラーになるのを待てばきれいに焼けるから。」
「哲也さんは美人二人を連れてプレーボーイに見えるわね。」
「俺はまじめだよ。」
静子は子供っぽい顔で16歳くらいにしか見えなかった。髪型だけは大人っぽい結い髪だった。子供っぽい大人はセクシーに見えた。体型は大人だった。胸が大きくウエストが不釣り合いに細い。甘い声で、話し方はわざと大人っぽくしていた。目が大きいのが日本人ばなれしていた。
熱海の旅行は三人が急に親しくなるきっかけとなった。定子も静子も哲也のカリスマ的なところが気に入っていた。29歳の哲也にとって十代の二人は部下と話しているように気が楽だった。
静子が住んでいたアパートはジムから40分かかった。一人で家出をするような状況でアパートを探した。高校を中退して、親と大ゲンカした。不良ではなかったが、学校は嫌いだった。高校に入って間もなく、仲間が皆不登校になっていた。学校へ行くふりをして友達と遊んでいた。学校から親へ通報があって、バレタ。ジムに就職が決まってすぐに家を出た。安いアパートはそこしかなかった。
「静子もここに入れてあげようか。あそこは遠すぎるだろ。」
「ええ?三人で住むの?」
「4畳半の部屋でも布団は敷けるさ。」
「そうね。いくらぐらい払わせる?」
「月に2万くらいでいいだろ。給料がたいしたことないからさ。」
「少しでも払ってくれればうちらも助かるわね」。
定子は一瞬不安がよぎった。哲也の気が静子に移ったら嫌だった。カリスマの哲也の言うことには何も反対する気にならなかった。反対しても無駄なのがわかっていたからだ。
「静子さあ、ちょっと話があるよ。」
「なに?」
「哲也と話したんだけどさ。今のアパート遠過ぎない?」
「うん、だけど結構安いし、この近くじゃあいいとこ見つからなかったのよ。」
「哲也がね、静子が小さい部屋でも良ければうちに住んでもいいって。」
「ええ?ほんと?」
「ほんとよ。部屋代は月2万でどうって。」
「今のところが4万だから半額だよ、それは。」
「そうなの。じゃあ少しはお金が浮くのね。」
「わあ、嬉しい。いつから入れるの?」
「きりがいいとこで来月1日はどう?」
「今のアパートの大家さんと話していつか決めるわ。それでいい?」
「ええ、いつでも大丈夫よ。」
哲也は静子がおとなしくて、子供っぽいところが気に入った。セクシーな高校生だった。定子と静子は仲が良かった。三人で住むことに何も問題がなかったと思えた。たったひとつ気になったのは、静子が定子と哲也の仲を嫉妬しているのが哲也にわかったことだ。
哲也は静子と二人だけで話す場を作った。
「静子、どうだ、今の住み心地は?」
「いいわよ。でも夜にセックスの音が聞こえるのは嫌よ。」
「わかるよ。その気持ち。定子と話して3人で一緒に寝るのはどうか聞いてみるよ。」
「ほんと?それなら楽しいかな。」
「今は結構そんなことが流行ってるって聞いたし。」
「そうよね。結婚する気はないんだし。3人揃ってハッピーならいいわよね。」
定子は静子の子供っぽいところが好きだった。哲也の気持ちを静子と定子が分けるのは親友がおいしいお菓子を分けるように感じた。
「楽しいなこの頃。親があれこれ言わないし。おとなの世界は最高ね。」
「あたしも同感。」
「ジムのお客さんは結構満足してくれてる?」
「そうねえ、おじいちゃんやおばあちゃんが相手だから、あんまり面白い仕事ではないけどね。」
「お金のためだからしょうがないわよ。」
「そうね。自分の健康のためにもいい仕事だからね。」
哲也は自分の心が少しずつ傾いている気がしていた。静子はベッドでは特別に哲也を満足させようとした。子供のくせに恥ずかしい気持ちはまったくなかった。大胆だった。男を満足させる方法を知っていた。定子の性格は違っていた。3人でベッドに入るのは嫌だった。
「定子は何時までジムで働くの、今日は?」
「月曜日は遅番だから10時に閉めるまで帰らないよ。」
「そうか。うちら二人だけで夕食だね。」
「たまにはいいや、これの方が。」
「定子が聞いたら怒るよ、絶対。」
「はは、それはそうだ。でも静子とベッドに入るのが好きなんだぜ。」
「そう?」
静子は上着を脱いでジーパンのチャックも開いて、裸になった。
「さあじゃあ、やろうよ。」
哲也は静子のこういう大胆なところが好きだった。
「ただいま。」
「お帰り。疲れたでしょう?」
「一日が長かったよ。」
「ちゃんとタイムカードは押して来たろうね。あれを忘れるとただ働きと同じだぜ。」
「もちろんよ。」
「哲也は何食べたの?夕食。」
「餃子にしたよ。冷蔵庫に定子の分入ってるよ」
「ありがとう。」
哲也は定子が何も気が付いていないことを知っていた。特に優しい態度になっていた。きっと悪いことをしたと言う気持ちがあるからだろう。
定子は冷蔵庫から餃子を出し、テレビを点けた。冷凍にしては結構おいしかった。食べ終わって紙皿をごみに捨てた。ゴミ箱の蓋を開けてはっと思った。使い終わったコンドームが入っていた。何も言わなかった。まったく知らんふりをした。
定子は心の中で一気にむかついた。裏切られたと思う心と、嫉妬の心が交じっていた。静子が悪いのではなくて、哲也が定子を裏切ったことが許せなかった。哲也のいいなりになっていることは、忠誠心があることを見せていたからだ。哲也も同じ気持ちがあって当たり前だった。
「今日哲也は遅番だったわよね。」
「そうよ。」
「私ちょっとスーパーへ買い物に行ってくるわね。」
「はい、いってらっしゃい。」
定子は白い4輪駆動に乗ってアパートを出た。後部座席には黒いスキーマスク、黒の上下、黒の靴、黒の手袋、ビニールの黒いごみ袋、15センチの長さのナイフが置いてあった。
時計を見ると9時半を回っていた。ジムまでは10分で着く。ヘッドライトがまぶしいほど辺りには街頭がなかった。ジムの駐車場には車が一台停まっていた。そこから遠くに定子は車を停めて、黒一色になってナイフを手にしていた。
ジムの裏の出口にある大木の後ろに立った。10時を少し回った頃にジムの裏口が開いた。体格の良い男がドアの鍵をかけていた。定子は大木から飛び出て男の背中の真ん中あたりをめがけてナイフを刺した。
「お帰りなさい。大分時間がかかったわね。」
「そう、あそこの近いスーパーにはなかったからちょっと遠くまでいっちゃった。」
「もう哲也は家にいるわよ。」
「ええ?うそでしょ?」
「ほんとよ。裕司さんと今日だけ入れ替わって、早く帰れたんだって。」
翌日の新聞に殺人事件の記事が載った。ジムのオーナー裕司がナイフで刺されて死亡した。鍵をかけている最中に何者かが後ろからナイフを刺した。心臓に深く刺さり、即死だった。
一か月経ち、静子は突然の事件でまだショックから覚めなかった。土曜日の朝、定子は郵便箱に手を入れた。3通の手紙が入っていた。請求書だった。一通だけは宛名も何も封筒に書いてなかった。中には一枚の紙があった。ワープロで打った文字だった。
「私はあなたが犯した犯罪の動機も方法も知っている。」
***
群馬県にある桐生女子学院は裕福な家庭の子女が通う私立の名門校。入学試験の競争率が例年高いことで知れている。一流大学への進学率が高い。東京の聖心女子大学やお茶の水大学へ進学する生徒数は他の私立高校と比べるとずっと多い。
カトリック系の高校は制服を着用させる学校が多い。桐生女子学院も例外ではない。生徒数は950名。職員の数は24名。少子化の波が襲い、過去5年間受験生の数が下降ぎみ。競争が緩和されて、これまでになく質の良くない生徒が増えた。
羽生藍子が受け持つクラスでは、42名の生徒のうち半数が問題児。
家庭環境は良いのだが、早く大人になりたいタイプの生徒が多い。たばこを吸う生徒がクラスの半数いる。お化粧は薄化粧だけが許可されている。スカートの丈の長さは膝上3センチと決まっている。2回校則に違反すると、停学処分になる。生徒数の減少で停学処分にすることが減り、ルールは以前よりも甘くなった。
ひろみと佐智子は4歳の時から友達だ。保育園から高校まで同じ学校へ通い、家も近所だから、何をするにも一緒だった。親同士も仲が良かった。ほぼ同じ中流の上くらいの経済事情だった。
ひろみの父は開業医。医者の家系で、祖父が医者で、父が医者で、叔母も医者であった。ひろみは一人っ子に生まれ、家族から医者になるようにプレッシャーがかかっていた。小学生の頃は母親が一緒に勉強をしてくれて、成績がトップだった。中学生になって友達と遊ぶことが一番楽しかった。高校に入ると、ネットでのチャットにはまった。東京の男の子と仲良しになった。いつか何かの理由をつけてその子と会いたいと思っていた。
佐智子は兄と弟がいた。男っぽい遊びが好きだった。兄と年が近かったのでいつも兄の友達と一緒に遊んだ。弟は3歳年下で、遊び相手にならなかった。父親は建設会社の社長。母親は子供全員が一流大学へ進学することを期待していた。
ひろみと佐智子は高校に入って羽生先生のクラスだった。同じクラスになったのは偶然だった。クラスで必ず隣の席に座り、お昼ご飯は食堂で座るテーブルが決まっていた。どの生徒も大体が、同じ席に座り、同じ仲間と一緒に行動した。お昼休みはひろみと佐智子は学校の裏門を出て近くの林に行き、二人だけでタバコを吸った。
高校一年の夏には、受験勉強はあまり気にしないでも良かった。二人とも成績は中の上くらいだから、親はそれほど心配をしていなかった。親が誇りに思うぐらいのできのいい娘の体裁を保っていた。
佐智子がバスケット部の部員で、ひろみは合唱団に入っていた。下校する時間はふたりまちまちだった。部活が忙しかった。二人とも本当は公立の男女共学の高校へ進学したかったが、親が無理やりに女子高へ進学させた。
羽生先生はひろみと佐智子は成績が良く、性格も良いので、模範生だと思っていた。宿題をきちんとこなし、テストの成績も中の上だ。課外活動にもきちんと出ている。先生にも親にも何も迷惑をかけることがなかった。タバコを二人で吸うことだけが二人の秘密だった。
夏が終わり、新学期が始まり、新入生がいた。編入試験に受かって他の高校から入って来た。編入生はたいてい頭が良かった。特に玲子はずば抜けて頭が良いのが目立った。ほとんどのテストで90点以上を取った。髪の毛を長くして、まつ毛が長く、えくぼが可愛かった。
玲子は新入生でもすぐに友達を作った。誰でも玲子の友達になりたかった。図書委員に選ばれた。お昼の時間は皆が自分のテーブルに玲子を誘った。自分たちと一緒にお昼を食べないと言って悪口をする子たちもいた。
ひろみと佐智子も玲子をお昼に誘った。三人が一緒にいることが多くなった。買い物に行ってプリクラの写真を撮った。三人が顔を並べるとモーニング娘が三人で写真を撮ったように美人だった。学校の後で玲子の家へ行き、三人そろってチャットルームに入って、知り合いの他の町の高校生と話をした。誰でもこの三人が一組になったと思っていた。
ひろみは一人っ子のために佐智子を大事にしていた。一緒に遊べるのは佐智子だけだった。佐智子はどっちかと言えばひろみに合わせていた。ひとりでいても何も問題がなかった。兄弟と遊ぶ時間も楽しかった。
佐智子がひろみに対してそっけない態度を取ると、すぐにひろみは傷ついた。それを佐智子は面倒くさいと思っていた。べたべたした関係が嫌いだった。親離れをして、親とはほとんど口をきかなくなっていた。自分の部屋に一人でいるか、ひろみが来ていて、二人だけでチャットルームで話すのが好きだった。
ひろみの家は開業医でいつでも誰かが家にいた。佐智子の母は出かけることが多く、兄弟がまだ学校にいる時には佐智子とひろみは二人だけで部屋にいた。玲子がそれに加わった。
ひろみは玲子が一緒になってからは寂しかった。佐智子が玲子とばかり話す。三人一緒にいると、なぜかひろみだけがはみ出ているように感じた。多分玲子は佐智子と同じバスケット部なので気が合うのかも知れなかった。
後10分くらいで玲子が佐智子の家に来ることになっていた。佐智子とひろみはパソコンで映画を見ていた。映画は同性愛の女子高生の物語だった。ひろみは主人公に同情した。自分が主人公と同じような気持ちになった。急に佐智子とキスがしたくなった。
パソコンの画面から目をはずして、佐智子の横顔を見ていて、自分の顔が佐智子の顔に近づくのを感じた。意識はしていなかった。誰かが自分の頭の後ろを軽く押してひろみの顔を佐智子の唇に向けているようだった。いつの間にか佐智子の口にキスをしていた。
一瞬の事だったが、玲子が部屋のドアを開けた瞬間はひろみと佐智子がキスをした瞬間だった。玲子はドア開けて立ち止まった。大きな目が更に大きくなっていた。ひろみはとっさに唇を放した。
「あ、もう着いたの?」
玲子は無言だった。佐智子の顔が赤くなった。
「玲子、ちゃんとノックしてよ。」
「ごめん、ごめん。」
三人は何事もなかったように振る舞った。
女子高の雰囲気はいつもと同じく数人のグループに分かれて、一か所に集まっていたから、仲間が誰かすぐにわかった。玲子はこれまでのようにひろみと佐智子だけと付き合うことに抵抗があった。あの二人があれほどの仲だとは思ってもいなかった。玲子がひとりでいる時が多くなった。グループに入る必要はなかった。進学のことが頭にあった。それ以外のことはどうでも良かった。
玲子に見られた瞬間佐智子はとても嫌だった。誤解されたくなかった。親が二人の関係を同性愛だと知ったらきっと心配するだろう。ひろみは自分のせいだと佐智子に謝った。しかし玲子が見た瞬間は、隠していたものを見られたような気がした。秘密を洩らされたくなかった。
学校の放課後ひろみは玲子を誘って林の奥まで散歩した。少し遠いいけれど、秘密の小屋があると言って散歩に誘った。玲子と二人だけだった。ひろみは玲子の後ろについて歩いた。細い一本道をたんたんと歩いた。
一時間くらいのところでひろみは玲子の背中をナイフで刺した。玲子は痛いと叫んだ。前の方へつんのめりに転んだ。血が体の周囲を囲んだ。ひろみは駆け足で来た道を戻った。
玲子の親が警察に失踪届を出した。失踪後24時間経たないと、正式な失踪扱いではなかった。一週間過ぎても玲子は戻らなかった。
「一体玲子どこに行ったんだろうね。私たちに何か言ってから消えればいいのに。」
佐智子の言葉にひろみはうなずくだけだった。
学校は緊急事態として本気で玲子の行方を捜した。玲子の写真と短い情報を書いたチラシを学校の近くで通行人に渡した。佐智子は捜索隊の一員として積極的にチラシを撒いた。
ひろみは放課後すぐに家に戻った。部屋へ入ってドアを閉めた。ひとりでいると少しは心が休まった。
毎朝クラスが始まる前にロッカーに入れてある教科書を取りに行った。教科書の一番上に一枚の紙があった。ワープロで文字が一行打ってある。
「私はあなたが犯した犯罪の動機も方法も知っている。」
後半 解明
良子の原宿にあるブティークは常連のお客がいたので経営が成り立っていた。次郎が行方不明になってからは、大輔が父親代わりとなって子供たちに優しく接していた。
代官山にできた団地は建築様式がアメリカ的な家の集団だった。駅から歩いて20分かかる距離は、なだらかな丘の傾斜がなければ楽だった。駅から帰る時の方向は坂の登りだ。団地のセールスの旗がまだ敷地の入口に立っていた。建築から1年経ったのだが、まだ売れていない家が2軒あった。
家の外見は人形ハウスのような雰囲気を出していた。前庭が必ず芝生で飾ってある。白いピケットフェンスで囲まれている。玄関のドアは明らかにアメリカから輸入されたものだとわかる。白い窓枠と、窓の上からひさしが出ているデザインは日本のデザインではない。
家の間取りが普通の日本の家とは違う。玄関の入ったところが一段高くなっていて、靴が脱ぎやすいように配慮されているところだけは日本の発想が交じっていた。リビングとキッチンは板の間。日本間が二階に一部屋だけあった。
裏庭に少し芝生が植えてあるが、子供が遊ぶには狭すぎた。室内犬をトイレに出すには都合が良いだろう
「うちのチビがフェンスから又出ちゃったわよ。」
「しょうがないな。せっかく綺麗なフェンスだからチビが出ないように板を貼るのはみっともないし。」
「隣のうちのポーチのところでチビがいつも何かを探してるみたいよ。」
「まだ売れてないから文句が出ないので助かるよ。」
9歳の理恵はチビが戻って来ないのでしびれを切らして、フェンスを回ってポーチまで行った。チビが鼻をつけて匂いを嗅いでいる。理恵は地面から爪がついた指みたいなものを見た。近づいてよくよく見ると、黒く腐った指だ。
「ママ、ちょっと来て。指があるよ、ここに。」
警察の鑑識課を含めてパトカー5台が団地の中に駐車した。鑑識の担当者が指を容器に入れている。1時間後にはジャックハンマーが大きな音をたてていた。ポーチのセメントを壊して土を掘り出した。男の死体が出た。
身分証明になるものは何もなかった。死体が解剖されて死因が判明した。ナイフの一刺しが心臓につきささったのが原因。体の腐敗の状態で推定され、死亡したのは約1年前だと判断された。
警察は一年前の失踪届を見た。銀行員の失踪届が出されていた。中井次郎の歯のレントゲン写真と指紋の照合で次郎だと確定された。
銀行の頭取まで話しが伝わっていた。優秀な銀行マンだった中井が失踪したことで銀行では当時大騒ぎだった。妻の良子は警察からも、次郎の銀行の上司からも意見を聞かれたが、何の情報も入らなかった。
代官山は原宿から近い、警察はすぐに良子を重要容疑者として、毎日の生活の監視を始めた。大輔と言う男と子供たちが親子のように活動しているのがすぐにわかった。
死体が発見された場所が一年前は建設現場だったことから、団地まで遺体を運んで埋めたことは間違いがなかった。もし妻が夫をキッチンナイフで刺したのであれば、一番可能性が高い殺人現場は良子の原宿のマンションのキッチン。
鑑識課がルミノールを使ってキッチンの付近全体を調査した。ルミノールは化学薬品の名前。これを暗い場所でスプレーすると、血痕が蛍光ペンのように紫色に光る。キッチンが殺人現場だと断定された。
殺人に使われたナイフがどこにも見当たらない。殺人犯人を確定するためには凶器が一番証拠として使いやすい。指紋がついていれば決定的な証拠となるからだ。
良子か大輔が殺人犯だとの推定はあったが、どちらがキッチンナイフを手にしていたかが疑問として残っているために起訴はできなかった。刑事が二人に尋問して厳しく詰め寄ったが、良子も大輔もまったく知らないという姿勢を崩さなかった。一年前のできごとだから、死亡日時が確定されなければアリバイを洗えなかった。
事件の解決は難航していた。このケースが行き止まりに来た時に、近くの池で遊んでいた子供がキッチンナイフを見つけたと親が警察へ届け出た。新聞のニュースで時間解決の鍵がキッチンナイフにあることが一般に知らされていた。
判決がおりた。大輔の指紋がキッチンナイフの取っ手についていた。大輔は一級殺人罪で終身犯とされた。
***
三月に入っても寒い日が続いた。雪がまだ少し積もっている。静子はスーパーへ買い物に行って卵とミルクを買った。定子はまだアパートで寝ている。裕司が死んでから二人とも落ち込んでいた。哲也がジムの運営を引き継いだが、これから先いつまで経営が成り立つのか心配だった。
家に戻ってから静子は部屋の整理をした。
「今からジムに行ってくるわ。」
「いってらっしゃい。」
定子がジムへ行く時間だ。静子はセーターを探していた。気に入っているセーターがどこにも見当たらない。もしかしたら定子が間違ってしまったのかもしれない。念のため定子の押し入れを見てみた。きれいに整頓されている。棚の上にもセーター類が畳んで置いてある。その一枚の色が静子のものと似ていた。手を伸ばしてそれを引っ張るとその横にあったセーターも一緒に落ちた。黒いセーターと一緒に黒のスキーマスクと手袋が一緒に落ちた。
静子は立ちすくんだ。どうしてスキーマスクがここにあるんだろう。新聞の記事に殺人犯が立ち去るのを遠くから見た人がいたと書いてあった。殺人犯は黒装束だった。
静子は定子に黒いスキーマスクのことを聞くべきかどうかと迷った。もしこれが事件を解決する鍵となる証拠だったら、静子は証拠隠滅の罪に問われてしまうかもしれない。
警察暑は黒いセーター、スキーマスク、手袋を鑑識課に預けた。静子は調書を求められた。
「どこでこれを見つけたのだね?」
「私のアパートです。」
「誰のものかわかるかね?」
「たぶん定子のものだと思います。彼女の部屋の押し入れに入ってました。」
「他には一緒に住んでいる人はいるの?」
「はい、哲也さんが一緒に住んでます。」
「じゃあ誰の物か断定できないね。」
「ええ、多分。」
鑑識課の情報が入った。警察は定子を逮捕した。スキーマスクから検出された毛が数本あり、口の当たりの唾もあった。DNAを定子のものと照合した結果、着用していた人物と同一のものだと断定された。
***
雨が連日降り続いた。ひろみと佐智子はもう昼休みにたばこを吸うことはしなくなった。
「ああ疲れた。勉強ばかりさせられてるから頭がおかしくなるよ。」
「受験は嫌だな。勉強しても落ちたら意味ないじゃない。」
「タバコ一服しない?」
「たばこ止めたよ。体に悪いよ。」
ひろみは林の方へ足を向けることは一度もなかった。佐智子とひろみは普段とかわりなくお昼は二人で同じテーブルで食べ、一緒にいることが多かった。佐智子がひろみを誘っても家へ遊びに来ることはなくなった。ひろみは合唱団を辞めた。自分の部屋に閉じこもった。
ひろみの母親は親友が失踪したショックで立ち直れないのだと思ってそっとしておいた。食事を取らないことだけは心配だった。病気にならなければいいのにと願っていた。佐智子の家に遊びに行くことがなくなったのも気になった。喧嘩でもしたのだろうか。
夕方のテレビのニュースで林の奥で死体が発見されたと報告があった。鑑識課の調査を待たないと確定できないが、多分玲子の死体ではないかと想像されていた。
解剖の結果歯と指紋で確認され、死体は玲子のものだと断定された。体をいたずらされた後はまったく無く、ナイフで深く刺し、心臓までナイフの先が届いていた。理由なき犯行として謎に包まれた。
近所に住む人たちは連続殺人が起こる可能性があるとして、ドアに鍵をかけ、夜の外出は避けるように気を付けた。
ひろみと佐智子は玲子と一緒の時間が長かったために、別の部屋で長時間にわたって尋問された。最後に玲子と会ったのは学校の最後の授業だと二人とも供述した。
玲子の両親は動転していた。理由もわからず娘が殺害されたことは納得できなかった。どこの誰が何の理由で殺さねばならなかったのか。玲子の部屋を整理していて日記が見つかった。失踪した日の前日まで記入してあった。ひろみと佐智子と一緒にしたことが細かく書かれていた。
警察は玲子の日記を重要な物件として扱った。刑事が念蜜に内容を読み、分析した。失踪する前日の最後に「明日ひろみと林の中の小屋を見に行く。楽しみだ。」と書いてあった。
ひろみは警察の取り調べで林の中の小屋について聞かれた。その話は単なる空想を話しただけだと言い、実在しないものであると言い張った。
刑事は最後の「楽しみだ」と言う表現はその小屋が実在すると玲子が信じていたことを示していると判断した。ひろみは何か隠している。
ひろみの証言に嘘が入っていると信じた刑事は、もう一度ひろみを警察暑で尋問した。刑事の追及は厳しかった。ひろみと玲子の関係、ひろみと佐智子の関係、ひろみの学校での態度、捜査中だった時のひろみの態度、家庭での態度などを細かく説明させられた。家に帰ったのは8時間後だった。
「ひろみ、学校よ。早くおきて。」
母親がドア叩いても何も反応がなかった。鍵が内側からかかっていた。一日が過ぎて、食事もしないひろみが心配になった。でもこういうことは前にもあった。
ひろみの父親がどなっても何も返事がないのは異常だった。父親がドアを蹴った。天井の電気器具にぐるぐる巻いた電気のコードでひろみの体が首から吊り下がっていた。