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打ち寄せる白波が目の前で砕け、剥き出しの素足を洗って行った。波が遠ざかり、足裏には砂浜の感覚が蘇る。くすぐったさに、啓介は僅かに身じろいだ。
真珠を砕いたような砂の中には、波に現れた小さな貝殻が幾つも転がっていた。光の魔術師の気まぐれで、波の中にさらした素足の上を幾何学な模様がうねっている。時間が経てば経つほどに心の中が澄んだ何かに満たされていく。
啓介は上半身を思い切り空に向けた。
見上げた空には雲ひとつ見当たらず、今静かに赤く染まろうとしていた。海の碧と空の蒼。その狭間に描かれた白い砂浜に、彼はひとり佇んでいた。
無音の波が押し寄せ、そしてまた引いていく。西の空を染める黄金に、まるで魅入られたように立ち竦んでいた啓介だったが、ふと落とした視線の先に白い紐のようなものを見つけた。
長さは約三十センチと言ったところだろうか。海水の中で気持ちよさそうに身を躍らせているのは、間違いなく回虫だった。
回虫はそれぞれの宿主の体内でしか生息できない。ましてや、海水の中で長く生息できる回虫など聞いたことがなかった。啓介は訝しげな表情を浮かべ、波を掻き分けるようにして回虫の方へと近寄っていった。
どこか遠くで、この景色に似つかわしくない電子音が響いている気がした。一瞬、意識には触れたのだが、それでも目の前の回虫と浜辺に心を惹かれ、彼は意図的にその音を意識の外に閉め出そうとした。
しかし、電子音は途切れるどころか次第に大きさを増していく。深層意識の底から、不快感がじわりと滲み出てくる。
やがて嫌悪感に我慢できなくなった啓介は、言葉にならない言葉を口にしながら乱暴に腕を振りあげた。
「あたっ!!」
唐突に腕を襲った鋭い痛みに、啓介は勢いよく身を起こす。真っ先に視界に映ったのは見慣れた自分の部屋。そして赤くなった右手の甲だった。
どうやら壁に腕をぶつけたらしい。夢のような景色の中を漂っていたと思ったら、本当に夢だったようだ。
啓介は軽く息をつき、先ほどから神経細胞を苛立たせている電子音の発信源を手に取った。
「直人?」
着信は連続で三件あった。昨日のことを思い出し、一気に目が覚め始めた啓介のところへ、再びディスプレイが着信を告げる。
「直人!? どうした!?」
電波に乗って告げられた言葉に、啓介の顔から血の気が引いた。
「わ、分かった! とりあえず、すぐ行くから! すぐ行くから待っててくれ! 五分以内! いいな!?」
相手の返事も待たず、啓介は強制的に通話を終わらせた。ベッドから跳ね起き、パジャマ代わりに着ているシャツの上から手近にあった服を羽織ってジーンズのベルトを閉める。
慌ててはいたが、社会の窓を閉め忘れることだけはしなかった。寝癖もそのままに、彼は携帯電話と財布を手に部屋を飛び出した。自宅の螺旋階段を飛ぶように駆け下り、玄関に向かう途中でリビングの棚から家庭用の救急キットを取り出した。
家政婦が訝しげに声をかけてきたが無視し、啓介は靴を履く間も惜しんで玄関の扉を開けた。直人のアパートまで、本気で走れば三分もかからない。