待合室のテレビ
なし
大きな待合室で
母さんがお金を払うのを待つ間
母さんは泣いていた
それがうれしいことを
言われたのか
悲しいことを
言われたのかは
わからない
しきりにハンカチで
涙をふいていた
待合室のテレビには
さっき
みかけた大きな公園がうつっていた
さわやかな音楽とともに
大きな窓からみた風景が
映し出されている
悲しいくらい
そこはひどく
さわやかだった
こんなに大勢の人が待っているのに
だれも何も話さずに
そのテレビは
天気予報を伝えていた
「身近な人にかかわれば
安心する」
とにかく
呪文のようにとなえていた
こわがっていたことば
なのかもしれない
12月がおわりそうなころ
なぜか
保健室に行くことができるようになった
最初は
ちょっとがんばってみたけど
やっぱり登校時間は
おなかが痛くなる時もあって
午後になって元気になった時
ネットでしらべたら
学校の校門をまたいだら
足が動かなくなるとか
はきけがするだとかいろいろ
書いてあった
でも、いつも
お昼ご飯を
母さんが用意してくれて
すごく心配そうで
でも言葉をかけてこなくて
だんだん
母さんにこれ以上心配かけられないな
そう思ったら
なんとか
あの学校の校門のラインはこえられた
どうしようかと
思っていながら
児童玄関に行ったら
担任じゃなくて
保健の先生がいて
わらってぼくを保健室に連れて行った
なし