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聖域少女  作者: もこポイ
Phase1
6/6

Phase1-X《Start-up School Days》

「学校?」


 魔導軍との戦いから二日、もうすっかり仕事に戻った焔、舞斬、オルタナのチームは、その日の仕事を終えてマサムネ本部に戻ってきていた。待っていたキティと合流後、舞斬がこう言い出したのである。


「そっ、学校。キティちゃんも、これからはちゃんとしたところで勉強しなきゃ。まだ4月後半だし、今からなら遅くないわ」


「手続きとかはどうすんだよ。俺はやらねぇぞ、めんどくせぇから」


 舞斬の顔は、そう言うだろうと分かっていたような呆れ顔だった。


「あたしがやるわよ。あんたはさっさと自分の住まいを探してきなさい」


「キティ、学校、行く?」


 キティの保護のやり方に関しては、繪能から特に指定されていない。ディミから送られてきた報告の形態も、十数個のチェック項目があるだけの簡単なものだった。住民登録などの諸々は、全て繪能が手を回している。自分の父親が一体どれほどの立場なのか、ますます分からなくなる焔であった。


 キティの年齢は、繪能の話によれば10歳4ヶ月だという。すなわち、小学五年生である。長く社会から隔離されていた子供が、いきなり高学年のクラスに入って大丈夫だろうか。そこだけは舞斬も心配だったが、


「キティはこの通りの性格だ。飲み込みも早い。案外すんなり馴染めるんじゃないか?」


 とオルタナにしては簡単にものを言う。しかしながら、それもそうだと舞斬もうなずいた。焔は自分には関係無いと言って無視していたが、この時、舞斬が彼をキティの保護者として学校に提出することには全く気付かないのだった。


 マサムネ本部から少し離れたところにある、国立聖稜(せいりょう)学園。小中高一貫の巨大な学園で、魔導に特化した日本唯一の学校である。この学校の卒業生のほとんどが、魔導軍やWSOなどに多くの人材を輩出している名門大学へ進学する。


 そんなところへキティが入学できるのかと焔は首をひねったが、舞斬がマサムネのボスのコネを使ったらしい。何やら『ワケあり』の生徒も多いらしく、キティもその例に漏れないため、特殊な事情でも分け隔て無く対応するこの学校を選んだのだ。


「学費はどうすんだ?」


「それもボスに任せたわ」


「……いいのか、そんなんで」


 かくして、キティは学校に通うこととなった。




「今日から新しくこのクラスに入ることになった、キティさんです。みんな、仲良くしましょうね!」


「はーい!」


 初登校日、担任の先生が紹介したキティには、相変わらず緊張などの様子が微塵も見て取れない。


「キティさん、私は担任の古川乎波ふるかわこなみです。分からないことがあったらいつでも言ってね」


 少し高めの身長で、若干ウェーブのかかったショートヘアに眼鏡をかけた女性だった。爽やかな笑顔でキティに挨拶すると、空いている席に座るよう促す。最後列の左端に誰も座っていない席があり、そこに着く。


 休み時間になると、クラスの子供達が一斉にキティを取り囲んで騒ぎ始めた。


「キティちゃんってハーフなんだって先生言ってたよ!」

「かわいい! お人形さんみたい!」

「僕と遊ぼうよ!」

「キティちゃんは私と遊ぶの!」


 などと一時的なお祭り騒ぎである。キティはぽかんとして何も答えられなかった。そんな様子を、席を立たずににらみつける者がいた。


「ふん、ちょっとカワイイからって、ちやほやされちゃって。ワタシのほうがずっとカワイイんだから」


 その者は、淡い緑の宝石のように輝く長いツインテール、エメラルドグリーンの煌めく瞳が特徴的な女の子だった。気が強そうではあるが美しい顔立ちと、醸し出される高貴な雰囲気は、どちらも小学生とは思えないものである。


 その日のキティは終始注目の的となり、その間ずっとツインテールの女の子は不機嫌そうな顔をしていた。授業を終えたキティは職員室に呼ばれ、担任の乎波に今日の感想を求められた。


「キティ、たくさん話す、楽しい」


「そう、良かったわ。友達はできそう?」


「友達、分からない」


「まだ初日だものね。これからきっといっぱい友達ができるわ」


 そのようにしばらく話をした後、キティは帰宅の途に就こうと職員室を出た。他の生徒はほとんど帰っており、静かな学校をキティは黙々と歩いた。そうして玄関まで来た時、


「待ちなさい、転校生」


 と例の女の子がキティを呼び止めた。が、キティは自分のことだと思わなかったらしく、完全に無視して歩き続ける。


「なっ!? ちょっと、待ちなさいってば!」


 慌てて女の子がキティの正面に回り込む。キティは脚を止め、目をパチパチとさせた。


「ワタシを無視するなんて、無礼な奴だわ。聞いて驚きなさい。ワタシの名はミーティ=サザンクローザ=ラグナロク! 四大貴族の一、ラグナロク家の娘なのよ!」


「キティ」


 渾身の一言だと思って放った言葉にあっさり返事をされ、ミーティはずっこけそうになった。


「アナタの名前なんか聞いてないわよ! いい? この学校で一番カワイイのはこのワタシなの。アナタは転校生だから騒がれてるだけ。調子に乗らないことね」


「キティ、かわいい?」


「そうよ、カワイイのはキティ……って違う!」


 普通の子供ならミーティの敵対心も理解できるだろうが、キティにそれは無理だった。


「魔導だってワタシは優秀なのよ? もう結合魔導だってできるんだから」


 言ってミーティは人差し指を立て、指先の上に燃える石を作り出した。それは『火=土』の合魔である。これならばとしたり顔を向けるミーティだったが、


「ふふん、どう? 驚いた……って帰るなぁ!」


 キティはいつの間にかスタスタと先に行っていた。頭に来たミーティは猛然とダッシュし、キティに脚を引っかけた。受け身も何も知らないキティは、見事に顔面から床にこけてしまった。ミーティもさすがにやり過ぎたかとキティを覗き込む。やがてむくりと起き上がったキティは全く痛がる様子も無く、平然としている。


「ふ、ふん、これで分かったでしょ! 調子に乗るとこうなるのよ!」


 大きな怪我が無く内心ホッとしているとは言えない。そんなミーティをキティはじっと見つめた。その無垢で澄んだ碧の瞳の目とミーティの目が合うと、


「はうっ、なんて純粋な目なの!」


 ミーティにもその純粋さ(キティの場合は何も考えていないとも)が伝わったのか、彼女は後ずさりした。


「くっ、アナタとはいい『お友達』になれそうね! 覚えておきなさい!」


 下手な悪役のような捨て台詞を吐き捨て、ミーティは逃げていった。残されたキティはその姿を見届けた後、校門まで車で迎えに来た焔の元へ何事も無かったかのように歩いていった。


「ようキティ、今話してたのは誰なんだ?」


 車の助手席に乗り込んだキティに焔が尋ねると、彼女は少しばかり考えてから、閃いたようにこう言った。


「ミーティ、友達」


「そうか、もう友達ができたのか。良いことだ」


 車を発進させながら、キティがどうやらちゃんと学校生活を送れそうだと安堵する焔。だが、


「キティ、友達、分からない」


 キティには友達というものが何なのか理解できないようだった。ずっと監獄で一人だったのだから無理もない。


「友達がどんなもんか分からねぇか? んー、そうだな、……それも一つの大切なもの、ってとこだな。一緒にいて楽しい奴さ」


「焔、舞斬、オルタナ」


「いやぁ、そこは友達っつーより腐れ縁だがな。友達ってのはただ楽しいだけじゃねぇ。困ってる時は助け合うし、間違ってると思った時は怒ってやるんだ。お前にゃまだ早いかもしれねぇがな」


「友達、大切……。キティ、分かった」


 恐らく初めてできた友達なのだろう。にっこり笑うキティは、今までに無く嬉しそうだった。


 マサムネ本部に戻ると、舞斬が出迎えた。キティは助手席から飛び降り、舞斬に抱き着いた。


「お帰りキティちゃん。学校は楽しかった?」


「キティ、友達、できた」


「わぁ、良かったじゃない!」


「上手くやっていけそうだな」


 焔も車を降りて言う。二人とも、実際のところは心配で堪らなかったのだが、少しは解消された。


「あっ、そうだ焔。これ、良さそうなところ探しといたわ」


 言って舞斬が手渡したのは、一人暮らしのための資料である。聖稜学園近くのアパートがいくつかピックアップされていた。


「おう、悪いな」


「早くしてよね。二人もあたしんトコに泊めてられるのも限界があるんだから。まあ、キティちゃん一人ならいいけどねー。……あら?」


 舞斬がキティを見た時、あることに気が付いた。キティの首輪に埋め込まれた宝石の一つが、ひび割れているのだ。


「焔、これ」


「ん? なんだ、割れてるじゃねぇか。いつの間に? 確か、ディミから送られてきた観察報告のチェック項目に、首輪のことも書かれてたな。もしかして、キティに封印されてるとかいう魔導に関係が?」


 二人は首をかしげたが、分かるはずもなかった。特に気にすることも無く、二人はキティをマサムネに預けて仕事に向かうのだった。




 次の日、クラス内のキティの転校騒ぎはある程度治まっていたが、今度は休み時間になるたび、他のクラスの子供達が興味津々でキティを見に来ていた。当然、ミーティはますます不機嫌になる。


 国語、算数、理科、社会などの授業はどれもキティにとって新鮮で、飽きずに聞くことができた。キティは理解も早く、知らないことを教えてもらうということが面白いと感じていた。


 そしてその日の最後の授業、『魔学』の時間がやってくる。魔学は十数年前から全国の学校に取り入れられ、魔導の歴史、原理、実践など、魔導に関する様々な事柄を学ぶ教科である。今日はその中の、魔導の実践であった。


「チャンス! ワタシの凄さを見せてやるわ!」


 クラスメートの前で優劣をはっきり見せつけてやろうと、ミーティは燃える闘志を瞳に宿す。体育館のような、魔学専用の広い教室に移動する乎波と生徒達。


 小学五年生の段階では、まだ魔源を資質属性に変えることができる者はほとんどいない。魔学で実践が始まるのが五年生からだからである。ただし実際に魔導が使えるとしても、18歳未満の者の魔導の使用は授業の時間を除いて法律で禁止されている。


 まずは基本的な魔導のやり方を教わる。感覚的な部分の多い技術なので、体感することが修得への近道である。教室内にいくつか置いてあるリストバンドのようなものを、乎波が持ってきて説明する。


「これは魔導発動機スターターと言います。みんなが前に使った属性試験紙と同じで、着けるだけで魔導が発動します。それほど大きな効果は無いですが、魔源が導かれている感覚を体験できます」


 乎波は生徒達を六つのグループに分け、一グループに一つのスターターを配り、一人ずつ試してみるよう言った。魔導の実践の際は、担任以外にも二人の先生が生徒を見守る。そんな中、


「ミーティちゃんすげぇ!」


 あるグループの少年が驚嘆の声を上げ、全員の視線がその方向に向く。ミーティが火の玉を掌の上に浮かべていたのだ。


「ふふん、ワタシはもうとっくに魔導が使えるのよ」


「すごーい!」


 ざわつく生徒達。先生達も驚いているようだった。が、キティは周りのざわつきなど意にも介さず、自分も掌の上に光の球を作り出した。これにはミーティもぎょっとして目を向ける。


「わぁ、キティちゃんもできるんだぁ!」


 キティはさらに、『影』魔導の空間をも生み出す。もちろん自慢したいなどの感情は一切無く、ただ焔達に教わったことをここでもやってみただけであるが、生徒は驚愕以外にできることが無かった。


「これ、授業で習ったわ。対極魔導ですよね先生!」


 また別の生徒が興奮した様子で言うと、もはやミーティなど誰の眼中にも無く、キティばかりがまた注目された。するとミーティは怒りをあらわにし、大声で喚いた。


「な、なによ、そんなのたまたま対極属性を持ってるだけじゃない! ワタシはいっぱい勉強して、もう合魔だって使えるのよ!」


「合魔は大人になったら使えるじゃん。対極属性はすごく珍しいって父ちゃんも言ってたぞ」


 ミーティをうっとうしがるように一人の男子が言う。途端、ミーティは急に表情を強張らせ、なんとその手の火の玉を投げつけようとした。


「ミーティさん、駄目!」


 あわや火の玉が手から放たれようという瞬間、乎波が素早く手を振るい、火の玉をかき消した。ミーティはいつの間にか涙ぐんでおり、キティをにらみつけながら叫んだ。


「どうして才能ばっかりすぐに認められるのよ! 努力もしないで、ただ生まれつき持ってただけの才能がそんなに偉いの!? アナタなんか嫌いよ!」


 生徒達は硬直し、教室が一気に静まり返る。ミーティはポロポロと涙をこぼしながら、先生の制止も聞かずに教室を出ていってしまった。


 放課後、再び職員室に呼ばれたキティ。今日のことでキティがショックを受けているのではないかと乎波が心配していたのだ。


「ごめんなさい。ミーティさん、ちょっときついところはあるけど、いつもはとっても真面目な良い子なの」


「ミーティ、怒る、分からない」


「あの子も実は転校生で、私もまだよく分からないところが多くて……。キティさん、転校してきてすぐのあなたに頼むのは悪いけど、あの子と仲良くしてあげて。他の子と壁を作ってるの。同じ転校生のあなたなら、少しでも心を開いてくれるかもしれない」


 ついさっき大嫌いだと言い放たれたキティに、この頼み事は厳しいものがある。しかし、乎波もどうにかしたいと様々な考えを巡らせているのだ。キティにもその一助となってほしいということだろう。するとキティはニコッと笑顔を見せ、うなずいた。


「ミーティ、友達。友達、大切なもの」


「ありがとう、キティさん」


 その日は舞斬に迎えに来てもらったキティ。焔が住まいを決めればそこから通えるが、それまでは焔達が交代で送り迎えをすることになっている。


 マサムネ本部に到着するやすぐに、舞斬は仕事の準備を始めた。昨日の仕事がまだ片付いていないらしく、今日も同じ仕事に出るという。


「また魔獣が人間界に迷い込んだみたいなんだけど、まだ見つかってなくて。今回はキティちゃんを狙ってきたわけじゃないから大丈夫。ただの迷い魔獣よ」


 そんなわけで、キティにいつもの焔達のチーム部屋で待っているよう言い、舞斬はそそくさと出かけていった。




 転校してきて三日目、キティは今までに無い行動を取り始めた。自分から他人に話しかけるようになったのだ。


「おはよう、ミーティ」


「はっ? なによ、気安く話しかけないで」


 ミーティの威嚇にも動じず、キティはじっと彼女の目を見た。そしてそれ以上は何も言わず自分の席に戻るキティを、ミーティはしばらくにらんでからぷいと目を逸らすのだった。


 その後もキティは事あるごとにミーティに話しかけ、そのたびに追い払われていた。昼休みにも動くキティだが、また絡まれるといち早く察知したミーティは弁当箱を手にすぐに教室を出ていった。それをキティが追っていくと、ミーティはいきなり走り出した。キティも走り、追いかける。生徒の喋り声でわいわい賑わう学校の廊下を疾走する二人。最終的に、二人は屋上に行き着いた。ミーティが急停止して振り返る。


「もう、何なのよ! そんなにワタシをバカにしたいワケ?」


「ご飯、一緒に、食べる」


「はぁ……。アナタってホントに意味分かんないヤツね」


 観念したのか、ミーティはその場に座り込み、弁当箱を脚の上に置いた。キティも近寄り、舞斬お手製の弁当を取り出す。


「言っとくけど、ワタシはアナタが嫌いなんだからね」


「キティ、ミーティ、嫌いじゃない」


「……」


 お互いに弁当の箱を開けると、キティのほうは綺麗に盛りつけられた中身が姿を現したが、ミーティのほうは野菜などの切り方も雑なまさしく手作りという感じが出ていた。ミーティは弁当をキティに見せまいと隠しながら食べ始める。


 沈黙の時間が続いた。キティには、話しかける言葉はいくつかあっても、会話を続ける言葉の持ち合わせはまだ無い。かと言って気まずさを覚えるキティでもなく、じれったくなったミーティのほうが先に声を出した。


「ワタシは、才能が嫌い」


 半分ほど食べた弁当の上に箸を置き、ミーティははっきりとそう言った。


「ワタシの家族は才能に恵まれた人ばかり。だから、才能の無いワタシはこの学園に預けられた。家族に見放されたワタシは、努力するしかなかった。勉強も、魔導も、このお弁当だって、全部自分の力でやったわ。……でも、いくら努力しても、才能には勝てないのよ。人の目はいつだって才能のある人に向けられる。アナタみたいにね。だからワタシは、アナタが嫌いなのよ」


 人に認めてもらいたい一心で、ミーティは努力してきた。成績が優秀なのも、魔導が人より上手く使えるのも、全てはたった一人で積み重ねてきたことである。それは並大抵のことでない。ましてやまだ小学生の彼女にとって、辛くないわけが無いだろう。


 黙ってきいていたキティが何かを喋ろうと口を開いたその時、校内放送が流れてきた。


「緊急連絡。学園内に魔獣が侵入しました。生徒の皆さんは担任の先生の指示に従い、すぐに教室に戻ってください。繰り返します……」


「魔獣……。ちょうどいいわ」


 ミーティはまだ中身の残っている弁当箱を地面に置き、脇目も振らずに駆けていった。するとなぜかキティは、目の前に置かれたミーティの弁当から料理を一つ摘み、口に運んだ。そしてすっくと立ち上がり、再びミーティの後を追うのだった。


 ただならぬ雰囲気に包まれた学園内を、ミーティは先生に見つからないようにこっそりと駆け抜けた。目指すところは、魔獣のいる場所である。


「人間界に迷い込んだ魔獣が行く場所は大体分かるわ。今日は……、六年生が魔導の実践をしてたはず!」


 魔獣はほとんどの種が魔源探知を備えており、魔源の少ない人間界では、魔源に寄り付く習性がある。そのことを勉強して知っていたミーティは、昼休みの前まで六年生の授業が魔学の教室で行われていたことを思い出し、その教室へ急いだ。大勢の生徒が魔導を発動したため、教室にはまだ魔人界に戻り切っていない魔源が漂っているからである。


「ワタシが倒す。そうすれば、きっと認めてもらえる!」


 教室の前までやってきたミーティは、いつでも魔獣を迎え撃てるよう魔導を構えた。倒す自信はある。魔獣の知識もある。負けはしないと思っていた。


 そんな甘い考えは、実際に魔獣と対峙した瞬間、ミーティの頭から跡形も無く消え去る。魔獣はミーティの予想通り、教室の近くに現れた。それは鼻息を荒げ、紅い目をギラギラとミーティに向ける巨大な猪だった。


「あっ……」


 魔獣と目が合った途端、ミーティの脚はすくみ上がった。魔人界で何度も見てきたはずの魔獣なのに、一歩外界に踏み出した自分がどれだけ小さなものか、恐怖とはこれほどまでに自分を支配するものなのかと、野性の本能を目の当たりにして初めて気付く。


「あ、か、『火』魔導!」


 精一杯の勇気を振り絞った一発の魔導だったが、小さな火の玉は魔獣の額に当たって呆気なく弾けて消えてしまう。恐怖で正確な魔導を発動できない。倒すどころか、魔獣を怒らせただけである。


 魔獣は耳を刺すようなやかましい鳴き声を発し、地面を前足で掻いた。突進する気である。逃げようにも、ミーティの脚は根を張ったように動かない。やられる、そう彼女が思ったその時、


「ミーティ!」


 魔獣がその大声に反応して振り返る。キティだった。魔源探知で魔獣を感じてやってきたのだ。彼女にはいつものように恐怖の欠片も無かったが、いつもと違うことがある。それは、ミーティを護ろうとする意思がはっきりと表れていることである。


「大切なもの、護る」


 ミーティに害を為そうとした魔獣に向かって視線を投げるキティ。焔が桜路にやられた時のように、可視化した魔源がキティを取り囲む。魔獣は肌でそれを感じ、怯えたように逃げ出した。


 一部始終を見ていたミーティは、出来事に理解が追いついていない。地面にへたり込むミーティのところへ、普通の状態に戻ったキティが歩み寄る。


「……別に、助けてなんて言ってないわ」


「ミーティ、友達」


「はぁ? あんなの真に受けてたの? それとも何、やっぱりワタシをバカにしたいだけなんじゃない! 今だって、結局何もできなかったワタシを笑いに来たんでしょ!」


 どうしても素直になれない。キティがそんなことを思っていないことは、ミーティとて分かっている。だが、何でも独りで努力し、ずっと友達などいなかったミーティにとって、キティの純粋な思いが痛かった。


「おいしかった」


 不意に、キティはそう言った。何の話かとミーティが怪訝そうな顔をすると、キティは微笑んで続けた。


「ミーティ、お弁当、もらった。おいしかった」


「えっ……」



 それを聞いた時、ミーティは胸の奥が熱くなるのを感じた。キティの言葉は、ミーティが最も望んでいたものだったのだ。努力を認められた瞬間。キティがお世辞や嘘など言えるはずも無く、心からの言葉であるとミーティにしっかり伝わる。


「キティ、本当の友達、なりたい」


 そしてそれは、キティの本当の願いでもあった。学校に通うようになって、多くの人と話した。しかし、はっきりと感情をぶつけられた相手は、ミーティだけである。嫌いだと言われても、そうやって確かな意思が向けられたことが、キティには嬉しかったのだ。


「だから嫌いなのよ。なんでアナタは……、うっ……」


 うるうると涙をにじませるミーティ。


「ワタシの言ってほしいこと、全部言ってくれるのよ……、うぇぇん……」


 キティの胸で泣きじゃくるミーティを、キティは優しく抱きしめる。今まで独りだった二人が、お互いに心通じた瞬間だった。


 その後、魔獣は駆け付けた焔達によって捕獲され、魔人界に帰された。キティとミーティは乎波に呼び出され、こっぴどく叱られた。魔獣を小学生が倒そうとしたとなれば怒られて当然であろう。しかし、魔獣捜索におけるミーティの推理は大したもので、そこはちゃんと褒めていた。


「でも、今後は絶対に勝手なことはしないように! 先生も二人に何かあったらすごく悲しいもの。分かった?」


「はぁい」


 声をそろえて返事をする二人。それを見た乎波は、二人の様子が変わっていることに気付いた。二人が教室に帰った後、乎波は安堵したように胸を押さえ、呟いた。


「ありがとう、キティさん」




 魔獣騒動の翌日、キティとミーティは何事も無かったように登校した。二人の行動はクラスメートに内緒である。


 朝、キティが机に座って教科書などを鞄から出していると、ミーティがつかつかとやってきた。その顔は少し赤面しており、まともにキティの顔を見ようともしないが、


「お、おはよう、キティ」


 ボソボソと極めて小さな声だったが、キティにはしっかりと届いた。キティは最初、目をしばたたきながらミーティを見つめた。


「と、友達なんだから挨拶くらい普通でしょ。じゃ!」


 恥ずかしそうに言うと、ミーティはくるりと背を向け自分の席に戻っていった。そんな彼女に向かって、キティは嬉しそうにこう返す。


「おはよう、ミーティ」


 二人はその日、友達になった。





《登場人物紹介》

1.ミーティ=サザンクローザ=ラグナロク

2.未公開

3.キティのクラスメイト。貴族の一、ラグナロク家の娘。才能しか評価されない家柄から、類稀な才能を持つ者を嫌う。


1.古川乎波ふるかわこなみ

2.未公開

3.キティのクラスの担任教師。


《聖域少女辞典》

国立聖稜学園こくりつせいりょうがくえん

 東京都にある小中高一貫の巨大な学園であり、日本で唯一、魔導に特化した学校。この学校の卒業生のほとんどは名門大学へ進学し、魔導軍やWSOに就職する。また、魔導に関して何らかの問題を抱える者など、特別な事情のある者も多く入学する。


魔導発動機スターター

 リストバンドのような形状をした、装着した者に強制的に微弱な魔導を発動させる魔導機械。主に魔学において、魔導の実践の際、魔導未習得者に魔導を体感させることを目的として使用される。


魔学まがく

 十数年前から全国の学校に取り入れられた、魔導の歴史や原理を学び、実践する教科。聖稜学園はこの教科に特化している。

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