Phase1-2《Training Mode -HARD-》
「おお、できたじゃねぇか!」
興奮気味に言う焔が見ているのは、キティの指先に輝く小さな光球である。その二人と舞斬はマサムネ本部のトレーニングルームに来ていた。
魔導の知識がほとんど無いキティ。このままにしておくと彼女にとって不便となり、また、少しばかり危険なのである。なぜなら、魔導は今や生活の中心にも関わる重要なファクターであるからだ。魔導機械という便利なものが手頃な値段で手に入るようになり、火や電気などの危険な力が小学生でも使えてしまう。
ましてキティは魔源探知や対極属性などの稀有な能力を持ち、その扱いを知らねば自身や周囲の人間を危険に晒しかねない。幸いなことに焔や舞斬、オルタナ達マサムネメンバーは魔導のプロと言ってよい者達である。魔導の扱いを教えるために都合の良い設備もそろっているので、こうしてキティに魔導の指南をしている次第であった。
予想以上に飲み込みの早いキティは、魔源を資質属性に変える段階まで簡単にやってのけた。ハーフであることを考えると当然なのかもしれない。
「次は『影』魔導だな」
「イメージは黒。できるだけ深い、純粋な黒を思い浮かべるといいわ。『光』とは真逆ね」
むーんと難しい顔で自分の手を見つめるキティを微笑ましげに見守る二人。そこへ、オルタナもやってきた。
「遅かったわね、何してたの?」
「先日の事件をまとめていた。特殊な事例だからな」
先日の魔獣の異常行動は、過去に例を見ない。焔や舞斬の証言から、魔獣がキティを狙っていたことは間違いなく、オルタナはキティを調べる必要があると思ってここに来た。
「推測だが、キティが監獄にいたこととも関係するかもしれない」
「おいおい、どうしてそうなる」
「その首輪だ」
オルタナが指差したのは、焔がキティを監獄で見つけた時からずっと着けられている首輪である。魔獣事件の夜、舞斬がキティを風呂に入れた時に外そうと試みたが、繋ぎ目や鍵穴などはどこにも無く、結局外せなかった。
「その首輪からは何か不思議な力を感じる。恐らく、魔人にしか感じ取れないものだろう」
「そういやテメェは魔人だったな。たまに忘れるぜ」
「魔獣はその首輪に寄ってきた可能性もある。今までに感じたことのない力だ」
「まああんたが言うんだから首輪は特別な代物なんだろうけど、それと監獄に何の関係があるの?」
「確か焔の話では、キティは普通じゃない牢屋に入れられていた」
「ああ、強化ガラス張りで、牢屋っつうより小動物のケージみてぇな……、まさか!?」
「ああ、もしかしたらキティは、罪を犯して投獄されていたんじゃなく、観察・研究・実験等の目的で捕まっていたんじゃないかと思ってな」
不思議な首輪に加え、稀少な才能を持つキティなら、そういうことも有り得ないことは無い。焔が捕まったのはアメリカ最大の監獄。そこにはWSOの魔導研究機関も隣接しているのだ。
「はっ、もしそうなら良かったぜ」
「何が?」
急に上機嫌な声を出す焔に舞斬が片方の眉を上げて尋ねると、彼はまだ集中しているキティの頭に手を置きながら答えた。
「こいつには何も罪が無ぇってことだろ? 研究対象として捕まってたなら、脱獄犯でもねぇ。連れてきて正解だったってことだ」
「もう、都合が良いんだから。ま、あたしは最初から犯罪者だなんて思ってなかったけど」
「……お前達、全て推測だからな」
とにかくキティとその首輪を調べたいオルタナだったが、首輪は普通の方法では外れないようだった。部位が部位なだけに、一部を壊して外すのも危ない。などとオルタナが悩んでいたその時、彼ら三人の携帯電話が震えた。
「ん……、仕事だな。魔導師の立て篭もりか」
「あたし達と、もう2チーム呼ばれてるみたい。随分たくさん集めるわね」
「ならば焔、お前はキティの面倒を見ていろ。俺達だけで充分だ」
「仕事が入るたびに俺だけ残す気じゃねぇだろうな」
「まさか。ローテーションするさ、キティがここに馴染むまではな」
言ってオルタナと舞斬はトレーニングルームを出ていってしまった。渋々キティと魔導の勉強を再開する焔。キティはうまく『影』魔導の暗闇空間を指先に作り出していた。
「光を吸い込む空間、それが『影』魔導の基本だ。光を逃がさないって点でブラックホールと似てるが、原理は全く違う。『影』は科学的な分析が最も困難な属性でな。まだ未知の部分も多い」
しばらくキティと二人の時間を過ごした焔だったが、どうにも違和感を覚えていた。
「……今日はやけに人が少ねぇな。トレーニングルームも使用中なのはこの部屋だけみてぇだし。みんな仕事か? 確かボスも出張か何かでいねぇよな」
ぶつぶつ独り言を漏らす焔の顔をキティが覗き込む。
「……ふぅ、休憩するか」
舞斬もオルタナも、立て篭もり事件の仕事となると遅くなるだろう。少し早いが、焔は昼食を取ることにした。キティを連れて食堂に向かう。
その途中であった。焔が声をかけられたのは。
「よう、お前サンが火砕閃風か?」
聞き覚えの無い声だが確かに呼ばれた。焔が呼ばれた方向を見ると、オールバックの金髪で今にも喧嘩を吹っかけそうな眼差しを向ける男が立っていた。その男は、魔導軍の軍服を着ていた。
「テメェ、魔導軍の――」
「金条桜路!」
「……あっ?」
いきなり意味不明のワードを叫ばれ、焔もキティも呆気に取られる。反応が無いところを見るや、その男は舌打ちして再び叫んだ。
「名前だよ! 金条桜路だ!」
二人はその名前を聞き、もはやある一つの単語しか頭に浮かばなかった。
「……王子?」
「あっ、お前サンら今、違う文字想像したろ! オレの名はもっと華やかだぜ!」
どこに仕舞っていたのか、桜路は紙と筆を取り出して自らの名前を描いて見せた。二人はなるほどと頷く。
「そうそう、分かりゃいいんだ。……って違ぇ! 誰が名前を名乗りに来たってんだ!」
「うるせぇ奴だな。テメェが勝手に名乗ったんだろうが」
喋っていると疲れるタイプだと焔が断ずるのに時間はかからなかった。が、無視するわけにもいかない。目の前の男は、魔導軍の隊員なのだから。
「なんだ、俺の始末でもしに来たか。ニュースじゃ俺は別の顔で死んだことになってるしな」
「お前サンに用は無ぇよ。手を出すなとの命令でな。用があるのはそこのお嬢サンだ」
自分に手を出すなとはどんな意図があるのか焔には理解できなかったが、キティを狙ってくる可能性も十分に考えていた彼はさして動揺もせず尋ねる。
「どんな用だってんだ?」
「オレ達に引き渡せ。WSOの魔導研究機関、魔導科学部門からの要請だ。しかも魔導軍アメリカ本部『総帥』サンのお墨付き最重要任務だぜ」
「ガキ一人に、魔導軍の大ボス、総帥の命令かよ。どういうワケだ?」
「さあな。お偉いサンの考えることは理解できねぇよ。オレはただ任務を遂行するだけだ」
魔導科学部門の要請ということは、やはりキティは研究対象として捕われていたのだ。そうと分かれば、焔にとってキティを渡す理由は何も無い。
「悪いが言うことは聞けねぇな」
「バカな考えはよせよ。これは人さらいサンじゃねぇ、正式な命令だ。魔導軍を敵に回して良いことなんざ一つも無ぇぜ? 外には隊員が50人いる。大人しく『聖域』を渡せ」
聖域、という言葉に焔は苛立ちを覚えた。まるでキティを物のように捉え、キティの意思などどこにも無いように響くその言葉に。
「断るって言ってんだよ」
それを聞くと、桜路はやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、左手の掌を天に向けて自分の顔の前に掲げた。
「そういう戯れ言は」
その途端、掌の上にどす黒い球体が現れた。それを桜路は、焔が何らかの対抗を講じる間も与えず一瞬で投げつけた。
凄まじい衝撃、同時に体中を巡る電撃。息もできず吹き飛んだ焔は、壁が砕けるほどの勢いで叩きつけられた。ドサリと床に倒れ、胸を押さえながら息を詰まらせる彼を見ながら、桜路は言葉の続きを口にした。
「相応の力を付けてから吐くんだな」
「テ……メェ!」
焔は何とか立ち上がり、SBDで突っ込んだ。しかし、彼の打ち出した拳は難無くかわされ、逆に桜路の拳が焔の腹にめり込む。
「ぐっ……」
両膝をついて崩れ落ちる。力の差は歴然だった。桜路は蔑むような目で焔を見、さらに言う。
「お前サン、アメリカ本部のビスマルク隊長サンと戦り合ったらしいじゃねぇか。どんな手を使ったか知らねぇが、『隊長補佐』のオレにすら手も足も出ねぇ奴が、『隊長』と戦って生き延びたなんて信じられねぇな」
その言葉は焔にショックを与えるものだった。彼は魔導軍の詳しい階級を知っている。隊長とその補佐官ならば上下は明らか。相打ちに近いとは言え、隊長を退けたという事実は心のどこかで彼の自信となっていたのだ。それがどうだろう、この現実は。
その時である。余裕しゃくしゃくだった桜路は、急に寒気を感じた。見ると、キティが初めて笑顔以外の表情、怒りの表情をしていたのだ。補佐官である桜路ですら驚くほどの凄まじい魔源がキティを中心に渦巻き、小さな地鳴りまで起きている。桜路は冷や汗をかきながら、にやりと笑んだ。
「マジかよ、魔源が可視化してやがる……。さすが最重要任務の標的サン、ただのガキじゃねぇってことか」
「焔、傷付ける、お前、嫌い」
「センパァイ、遅いじゃないですかぁ」
突如、桜路でない者の声が聞こえてきた。そして直後、キティの体は、彼女の足元からいきなり生えてきた植物の蔓のようなものに捕らえられてしまった。
「なんだ、来たのか」
「センパイが遅いから、来ちゃいましたぁ」
間の抜けた声を発しながら歩いてきたのは、頭に赤い薔薇のコサージュを付け、肩の辺りまでの淡い緑色の髪を揺らす笑顔満点の女性だった。ふわふわした雰囲気を醸し、およそ軍の人間には見えないが、軍服はちゃんと着ている。
ひざまずく焔には見向きもせず、女性はキティの横まで歩み寄った。蔓から抜け出そうともがくキティの腕にキャンセラーを装着し、桜路に振り返ると、
「早く連れていきましょうよぉ」
と言って蔓をさっと撫でる。すると蔓は泡となって消え去り、キティは床に落ちた。桜路は溜め息を一つつき、キティの首根っこを掴んで持ち上げた。ジタバタする彼女だがそんなことで振りほどけるはずもない。
「キティを……放せ……」
大きなダメージを負った身で、焔は銃口を桜路に向けた。しかし桜路はもはや相手にもせず歩き去る。代わりに目の前にかがみ込んだのは、女性だった。紫色をした一輪の花を取り出し、満面の笑みを絶やさず言う。
「おやすみなさぁい」
その花の香りを嗅いだ途端、焔は猛烈な眠気に襲われた。朦朧とする意識、霞む視界の中、焔はキティに手を伸ばす。
「キティ……」
その手が届くことは無く、キティの叫ぶ焔の名だけが最後に彼の耳に届く。そして彼は、終に目を閉じてしまった。
目覚めると、そこはメディカルルームであった。ベッドの横には、椅子に座りながら心配そうな顔をする舞斬と、腕組みをしながら立っているオルタナが焔を見守っていた。
一時間近く眠っていたらしい。焔は先程起きたことを二人に話した。全て聞くと、オルタナが首を横に振った。
「相手が悪すぎる。任務妨害で捕まらなかっただけマシだ」
「キティは絶対助け出す。アメリカ本部に渡ったら終わりだ。日本にいる間になんとか……」
「バカ言わないで! 相手は魔導軍よ? 次は捕まるだけじゃ済まないかもしれないわ!」
桜路は正式な命令と言った。しかも魔導軍の最高権力、総帥の命令なのだ。もしキティが望まないことだとしても、焔が助けに行ったところで魔導軍から見ればただの侵入者である。
「なぜそこまでキティを救いたがる」
見兼ねたオルタナは、恐らく舞斬も聞きたかった上に聞けなくもあっただろうことを尋ねた。出会って間も無く、成り行きで連れていくことになっただけの少女を、なぜ焔は助けるのか。その理由を、舞斬もオルタナもなんとなく分かってはいたのだが。
焔は口を開かなかった。するとオルタナは、少し躊躇ったが、言った。
「お前はただ、キティと『かすか』を重ねているだけだ」
かすか、という名が出た時、焔の表情が強張るのに二人は気付いた。
「キティを取り戻しても、かすかは戻ってこない。充分に、分かってるだろう?」
「……うるせぇ」
「キティのことはもうどうしようもない。別にキティは殺されるわけじゃないんだ。魔導軍に突っ込んで、お前こそ殺されるかもしれない。そんなこと、かすかが望むと思って――」
「うるせぇって言ってんだ! テメェに何が分かる!」
激情してベッドから身を乗り出そうとする焔を舞斬が慌てて抑える。なおもオルタナは続けた。
「俺に分かるのは、お前が魔導軍に喧嘩を売ったところで何一つ成せはしないということだ」
これ以上は無駄な問答だと、オルタナはその場から立ち去った。ぐっと拳を固め、うつむく焔に舞斬は何も言葉をかけることができなかった。
その日の夜、焔はメディカルルームに泊まることになった。桜路の一撃目の魔導によるダメージはかなり深かったらしく、全身を回復させるには時間がかかるようだった。
ベッドの上で、焔は考えていた。キティを助けたいと思う気持ちは本物だ。しかしそれは確かに、かつて犯した過ちを償いたいという思いから来る歪んだ気持ち。キティのためではない、自分のため。そうだと自分で分かっているから、彼はオルタナに何も言い返せなかった。
意識を失う前の光景を思い出す。ぼやけた視界の中でキティは、彼に助けを求めていた。
「……そうか」
それを思い出した時、彼は決意した。キティは彼と離れることを望んでいない。ならば、何を迷う必要があるのか。キティのためではないからと言い訳し、己の無力から目を逸らしてどうする。一緒に過ごした時間も、どう出会ったのかも関係無い。友情でも愛情でもないけれど、確かな繋がりが今はある。
「罪滅ぼしだなんて思わねぇ。俺はもう、大切な奴を失いたくねぇんだ」
体はまだ痛むが、焔はベッドから降りた。机の上の銃を取り、マサムネの制服を脱いで畳む。魔導軍に戦いを挑むなら、マサムネに迷惑はかけられない。全て、焔という個人がすること。そう思って外に出ようと扉に近付くと、
「どこ行くつもり?」
後ろからの声は、舞斬だった。
「あんたって本当にバカ。勝てるわけ無いじゃない」
「……行かなきゃ俺は、自分を許せなくなる」
言って自動ドアを開き出ていこうとした焔の腕を、舞斬は掴んだ。振り返ると、なぜか彼女は微笑んでいた。
「あたしも行く」
「なっ、テメェこそバカ言うんじゃねぇ!」
「バカでいいわよ! キティちゃんは嫌がってたんでしょ? だったらあたしだって、あの子を助けたい!」
何を言っても聞かないだろうということは、幼馴染みの焔ならすぐに分かった。かと言って、無謀な突撃に連れていくわけにもいかないのだが、そこに、
「アメリカに護送されるのは五日後の深夜だ」
自動ドアの横の壁にもたれかかるオルタナだった。
「魔導軍の友人に聞いた。キティの研究の第一人者が、日本でやりたいことがあるらしい。それが終わるまで、キティは日本にいる」
「オルタナ、お前……」
「それから、必要ならここを訪ねるといい」
壁から背を離し、オルタナは焔に一枚の紙を渡す。そこには誰かの名前と住所が書いてあった。しかしそれは人間界の住所ではなく、魔人界の住所であった。
「後は勝手にしろ」
オルタナは言うことだけを言い、二人に背を向けて去っていった。焔はしばらく紙を見つめ、そしてこう言った。
「オルタナ、ありがとな」
振り返らず、オルタナは右手を上げながら廊下を曲がっていった。
「なんなの? その紙」
「住所だ。オルタナの『師匠』のな」
一方その頃、魔導軍日本支部の一室では、
「来栖木博士、聖域はとりあえず閉じ込めときました。出発は『六日後』でいいんすね?」
「ええ、それで大丈夫です。ご苦労様です」
桜路は仕事の報告をしていた。相手は、キティ研究の第一人者、来栖木博士。痩せて細った身体の上にはいつも白衣を纏い、白髪混じりの長い髪の中に銀縁の眼鏡が鈍く光る。
「……あんなガキ一人に随分とご執心のようっすけど、何があるんすか?」
「君は自分の研究を犬や猫に説明しようと思いますか?」
「はっ?」
「理解されないと分かっていながら話す者はいませんよ、ククク」
不気味に含み笑いをこぼす博士の様子に、桜路も気味が悪くなる。
「はぁ、そうすか。じゃ、オレはこれで」
そろそろと部屋から出ていく桜路。扉が閉まる寸前、垣間見たその顔は邪悪そのものを感じさせた。部屋から少し離れたところで、桜路は溜め息をつく。
「あれが魔導科学部門の最高責任者サンかよ」
「報告ご苦労様ですセンパァイ」
「緋華、聖域の様子は?」
薔薇コサージュの女性、緋華が緩い笑顔で出迎えると、桜路は自然にその質問をしていた。
「別に変わったことは無いですよぉ。センパイが気にすることですかぁ?」
「ん、まあ、そうだな」
彼は妙にキティのことが気になっていた。驚異の魔導力を目の当たりしたこともあったが、それ以上に、焔の姿が印象に残る。魔導軍を敵に回してまで護る価値のある存在なのかと。
「……また会うかもな」
「ほぇ? なんですかぁ?」
「なんでもねぇ。それより、今日はこれで上がりだ、メシ行くぞ!」
「いいですねぇ! 今日はどこ行きますかぁ?」
他の隊員とともに、桜路と緋華は夜の東京に繰り出すのであった。
次の日の早朝、焔と舞斬はとある場所に来ていた。そこは東京都に属する火山島、八丈島である。テレポートを使ってやってきた二人は決して観光に来たわけでない。ここには、日本唯一の魔人界に繋がるゲート『聖門』があるのだ。
「魔人界に入るのって、高校の修学旅行以来ね」
「ああ、人間界と大差無くて拍子抜けした記憶がある」
「あんたねぇ……」
テレポートから出てすぐのところに聖門はある。その巨大たるや、世界一大きな門とされる凱旋門よりもさらに一回り大きい。聖なる門という名に似合わず、何の装飾も無い灰色の門である。世界八ヵ国に建てられ、WSOの許可を取れば一般人でも通ることができるのだ。
聖門の横に管理棟が建てられているので、二人はそこに入っていく。入ってすぐに受付があり、先日の魔獣事件の調査などと適当に見繕った理由で得た許可証を見せると、受付の者は内容を簡単に見、すぐに二人を案内した。
聖門は容易に開けられないよう巨大で丈夫に造られている。管理者のパスワードが無いと開かないのだ。
「しばらくお待ちください」
重々しい音を立てながら、非常にゆっくりと開門する。薄い膜のようなものが門のこちら側と向こう側に挟まれて揺らめいている。回り込んで裏を見ても何も無かったのに、門の向こうには別の景色が広がっていた。
完全に門が開き切ったところで、管理者は進入を許可した。二人は修学旅行で通って以来の聖門をくぐり、魔人界に足を踏み入れた。
人間界とさして変わらぬ風景。動植物は人間界に存在しないものも数多く見られるが、見た目にはあまり分からない。しかし、空気はとても澄んでいる。人間界のように発展した科学を目にできる場所はほとんど無く、自然豊かな地域が多い。携帯電話の電波はもちろん届かず、魔人界を訪れる人間は科学の力から離れてゆっくり旅行を楽しむのだ。
だが二人は旅行に来たわけでない。目指すはオルタナの師匠が住むところだ。住所を教えてもらった焔だったが、魔人界の住所など見ても探せない。ならばどうやって行くのか。その答えはすぐに現れる。
なんと、オレンジの体毛が鮮やかな、体長5メートルはあろうかという巨大な鳥が二人の前に降り立ったのだ。首にはカウボーイのような帽子を被った一人の魔人がまたがっている。
「おはよう! ご存知、ファミューガ便だよ!」
「おっ、早速来たな」
ファミューガとは魔鳥類の種の一つの名前である。ファミューガ便は人間界での飛行機に当たるが、飛行機よりずっと手軽に利用できる。聖門を通ってきた旅行者はまず最初にファミューガ便を使うことが多いのだ。
「旅行者じゃないね。どこに行きたいんだい?」
「ここに書いてある場所に行きてぇんだ」
焔に住所の紙を手渡されたファミューガの操縦士は、その住所を見て片方の眉を上げた。
「お客さん、随分と辺鄙なところに行くんだね」
「ああ、まあな」
「まあいいさ、どこへ行くにもファミューガ便ならひとっ飛び! さあ乗った乗った!」
威勢の良い声に急かされファミューガの背に乗る二人。ふさふさの手触りが実に心地好い。操縦士が手綱を操ると、ファミューガは大きくはばたき飛び上がった。
「1時間くらいで着く。それまで落っこちるなよ、ハッハッハ!」
それほど高いところは飛んでいないものの、高速道路を走る車より確実にファミューガは速かった。シートベルトなどあるわけもなく、それゆえに落下の危険も大いにある。そのはずだが、ファミューガの背の上は驚くほど安定していた。二人とも修学旅行で乗ったことがあり、快適な空の旅である。ちなみに、ファミューガ便が事故を起こしたことは過去に一度も無い。
「ファミューガほど人間に懐きやすくて、飛行がしっかりしてる魔鳥はいないよ。そう思わないかいお客さん?」
「いや知らねぇけどよ……」
「ホントに魔人界っていいトコよね。東京とは大違い」
ファミューガの背から望むのどかな魔人界の自然や町並みは、都会で暮らす舞斬に心の安らぎを与える。が、焔はと言えば、退屈にやられて寝転んでしまっていた。
「ねぇ、オルタナのお師匠様ってどんな人か聞いたことある?」
「いや、師匠がいたって話しか知らねぇ。あー、でも確か、300歳越えてるとか言ってたっけか」
「えぇっ!? 魔人の寿命は人間より少し長いくらいなのよ? 大丈夫なの?」
「さあな、頼るところは他に無ぇ。ところで舞斬、お前、なんでついてきた?」
焔は寝転びながら舞斬に顔を向け尋ねた。
「なによ今更。キティちゃんを助けるために力を付ける。それ以外に何かある?」
「……いや、別に」
舞斬は既にリーンフォースを使える。三年の間にできた魔導力の差。オルタナの師匠の下で訓練することになれば、嫌でもそれを実感しながら訓練しなければならない。焔としては複雑な気持ちなのであった。
次第に険しい山々が眼前に迫り始めた。およそ人の住むような場所でないことは、魔人でない二人でも分かる。
「もうすぐ着くよ。それにしても、こんなところに何の用か知らないが、変わった人間だね」
「客に向かって変わってるとは随分な運転手だぜ」
「ハッハッハ、いや悪い悪い。そら、着陸だよ」
操縦士のとても気さくで快活な喋りは、景色を見る以外にすることの無いフライトで大いに客を楽しませる。この二人も少しばかりそれに助けられた。
山の中腹辺り、一軒の木造の家が立っており、その前にファミューガは着陸した。ファミューガから降りた二人は操縦士に礼を言い、事前に交換しておいた魔人界の通貨で代金を支払った。
「ご利用ありがとう! 今後ともファミューガ便をよろしく!」
砂埃を巻き上げながら、ファミューガと操縦士は一気に離れていった。二人はぐっと伸びをし、その家に向く。焔が呼び鈴を鳴らすと、家の中からドタドタという足音が駆けてきた。
「は、はい! すぐ開けます!」
子供のような高い声が飛んできた直後、ドアが勢い良く開いた。勢いが良すぎて、焔の顔面にドアの強烈な一撃が入ったことは補足しておく必要がある。
出てきたのはやはり少年で、キティより少し歳は上だと思われる。短くボサボサの黒髪で、幼いながら整った顔立ちが印象的だった。
「な、何か御用ですか?」
「私達は、ティルナ=ティル=フォクセスタスさんを訪ねてきた者です。いらっしゃいますか?」
「おい、俺を放置して話を進めるなよ……」
打った鼻を押さえながら焔が目を細めるが、構わず話は進む。
「は、はい、先生ならいらっしゃいます! すぐお呼びします!」
やたらと慌てて家の中に戻っていく少年を、焔はじっとりとした目で見送った。しばらくして、少年だけが戻ってきて、
「ど、どうぞ中へ」
と二人を招き入れた。魔人の家には人間の家ほど機械の類が置かれていない。ただ最近は、テレビを持つ魔人も増えてきているというニュースを見たと舞斬が言う。地上デジタル放送がどうやって魔人界の茶の間に流れるのか焔にはさっぱり分からなかった。どうやらWSOの魔導機械部門が開発したらしい。
などということをリビングのテレビを横目にしながら話し、さらに二人は少年についていく。外から見た感じより広い家だった。二階に上がり、寝室の扉の前で少年は止まった。
「先生、入ります」
「おいおい、寝室で客人を待つのかよ」
小さな呆れ声を出す焔の脇を舞斬が肘でつつく。少年は扉を開け、二人に入るよう促した。
寝室に入ると、開け放った窓の側に腰掛け、キセルをくわえながら外の景色をぼんやり眺める者の後ろ姿が目に入った。腰より下まで伸びた長い金髪は僅かに白を含みながら微塵のくすみも無く、吹き込む風にさらさらと美しく揺れる。
「悪いね、ここまで上がってもらっちまって。良い天気だと眺めてたら、動くのが勿体なくなってねェ」
ゆっくりと二人に振り向いたその人物、ティルナ=ティル=フォクセスタスは、狐のような細い目に真珠の如く煌めく瞳、白く潤いを湛える肌を持ち、世の誰もが見蕩れるであろう美しさだった。絶世の美女とはまさに彼女のことを言うのだろう。
「あたいがティルナだ。客人とは珍しいね」
「う、う、嘘だ! これが300歳のババアか!?」
「ちょ、ちょっと焔、何言ってるの! すみません、失礼なことを!」
焔は衝撃のあまり驚きが口を突いて飛び出てしまった。彼の脳天に手刀を打ち込み、深々と頭を下げる舞斬。二人の様子を見たティルナは、からからと声を出して笑った。
「ハッハッハ、言うね小僧。構わないさ、無理も無い。それで、一体何の用なんだい?」
「あなたはオルタナという人を覚えてますか?」
「ああ、オルタナの坊やかい。もちろん覚えてるよ。元気にしてるかねェ」
「俺達はそのオルタナの同僚で、あいつにあんたを紹介してもらった。ワケあって、あんたに訓練してもらいてぇ」
唐突な申し出だったが、ティルナは特に驚く様子も見せず、キセルを一吸いして微笑んだ。煙草が嫌いな舞斬は微妙に顔を歪める。
「坊やの紹介なら、何かそうと分かる物を持ってるんじゃないかい?」
焔はオルタナにもらった紙をティルナに手渡した。彼女はそれを手にしてすぐ、納得したように頷いた。
「確かに坊やの導いた魔源が感じられるね。それに、何か強い感情も一緒だ。坊やの同僚ってのは嘘じゃないみたいだねェ」
紙を手に取っただけでそこまで分かるのかと少し驚く二人だった。ティルナはその紙にぐっと親指を押し当てた後、懐にしまい込んだ。
「訳あってと言ったね。単に強くなりたい訳じゃないんだろう?」
「……助けたい奴がいる。そのために、魔導軍と戦えるだけの力が必要なんだ。四日後の夜までに」
それを聞いた途端にティルナは、また大笑いをし始めた。
「とんだ夢物語だ。小僧、魔導軍の隊員がどれだけ強いか分かってるのかい?」
魔導軍は世界各国に存在し、アメリカを本部とする。しかし、本部と支部などという関係は表面的なものに過ぎず、実際は国家軍事力そのものである。一度戦争でも起きれば、魔導軍同士が戦い合うのは必至。他国に引けを取るまいと、魔導軍には全国屈指の実力者ばかりが集められるのだ。
「そんなことは分かってる。俺は負けた。……だが、俺は行かなきゃいけねぇ! 大切な奴を、助け出すために!」
焔も舞斬も、冗談や遊びでそんなことを言いに来たわけではない。本気で強くなろうとしている。本気で魔導軍を相手に戦おうとしているのだ。ティルナはその気持ちを二人の目からひしひしと感じた。
「良い目をする若者だねェ。たった四日で魔導軍を相手にできるまで修行するとなると、並大抵のことじゃないよ? 覚悟は……、聞くまでもないかね」
そこまで言うとティルナは吸い殻を容器にとんとんと捨て、立ち上がった。
「じゃあ早速始めようかねェ。ウィンディ、あんたもついておいで」
「は、はい、分かりました!」
最初に二人を出迎えた少年、ウィンディはビシッと背筋を伸ばし、答えた。
「さァ、外に出るよ」
ひたひたと歩き出すティルナについていく二人とウィンディ。階段を下りながら焔はウィンディに尋ねた。
「お前も訓練してもらってんのか?」
「は、はい、そうです。もう一年半ほど修行していただいています」
「あんたら、ファミューガ便を使って来たんだろ? 窓から見てたんだ。あれの操縦士もあたいの弟子さ」
「あいつ、んなこと一言も話さなかったぞ」
ティルナにはオルタナの他にも何人かの弟子がいるようだ。そのような話をするうちに外に出、家の裏に回る。そこにはまるで山の一部を削り取ったような平たい場所があった。広さはテニスコート2面分ほどもある。
「あんたらなら、身体の鍛練はそれほど必要無いだろうね。魔導中心で鍛えるとするよ。まず、これを着けな」
ティルナは二人に何かの指輪を渡した。それを言われた通り中指に装着すると、二人は気付いた。
「これ、キャンセラーね?」
「魔導の訓練をするってのに、キャンセラー着けてどうするんだ?」
「言った通りさ、魔導の訓練をするんだよ。それを着けたままでね」
ティルナの言っていることの意味をいまいち理解できない二人に、彼女は自分の左手を見せキャンセラーを着けた。そしてなんと、その左手の上に炎の球を作り出したのだ。
「キャンセラーを着けながら魔導を……。一体どうやって?」
「簡単な話さ。キャンセラーの仕組みは知ってるかい? キャンセラーを中心にして『魔源を反発する空間』を展開するのさ。だから、その反発力より強い魔導力で魔源を引っ張れば、キャンセラーを着けながらでも魔導が使えるってわけだよ」
「つまり、キャンセラー装着状態で魔導を使えるようになるのが最初の目標か」
「そういうことだよ。魔導軍を相手にするなら、最低限これはクリアしないとねェ。ちなみに、あたいが修行してた頃のオルタナには無理だった。ウィンディも丸々一年かかったよ」
「えぇっ!?」
驚愕する。オルタナは通いながら修行していたらしく、その期間は約二年間と二人は聞いていた。それは中学生時代の話であり、ウィンディも見た目からしてそれくらいの年齢だと思われ、焔や舞斬のほうが年上ではあるが、数日でどうにかなることでないのは明白である。
「言ったろう? 並大抵のことじゃないんだ。あんたらはどれだけかかるかねェ」
「冗談じゃねぇ、そんな時間は無ぇんだ。さっさと始めるぜ」
「何でもいいから、普通に魔導を発動しようとすればいい。これはただ純粋に魔導力を鍛える修行だからねェ」
二人はすぐに取りかかった。いつものように魔導を使おうとするが、もちろんキャンセラーにより魔源が跳ね返され、発動しない。焔は掌を凝視しながらありったけの力を込めたが、それも虚しく何も変わらない。
対して舞斬はじっと考え込んでいるようだった。時折、指先に集中しては難しい顔をしている。そんな二人を見ながら、ウィンディはティルナにおずおずと話しかけた。
「ふ、二人には時間が無いのに、なぜ『コツ』のことを教えてあげないのですか?」
「それを見つけるのが、この修行の一番大事なところだよ。自分で見つけなきゃ意味が無いんだ。さ、あんたも修行を再開するよ」
修行を開始したのが午前10時前後。二人はそこから昼まで休憩を一切取らなかったが、成果は散々たるもので、砂粒ほどの魔源も導くことはできない。昼食にするとティルナが二人を呼ぶと、舞斬はそれに応じたが、焔は続けると言って聞かなかった。
ティルナの家のリビングで昼食を取りながら、舞斬は感激していた。
「お、美味しい……! これ、ティルナさんが作ったんですか?」
「いや、ウィンディだよ」
一流のシェフが作ったのかと思えるほどの絶品であったが、まさかウィンディ作とは舞斬も驚く。
「凄く美味しいわ! ウィンディ君って料理が上手なのね」
「い、いえ、大したことでは……」
「この子を弟子にして良かったことの一つだねェ、ハッハッハ」
尊敬するティルナにも褒められ、照れ臭そうに頬をかくウィンディであった。
「焔も来ればいいのに。あんなことずっと続けてたら四日も持たないわ」
「この段階さえクリアできないなら、悪いことは言わない、魔導軍と戦うのは諦めたほうがいい。無駄に命を落とすことになるだろうねェ」
現実を突き付けるティルナに、舞斬は何も言い返せなかった。きっと焔なら言い返していただろう、それでも諦めないと。だからこそ、舞斬は心の中で誓った。この修行をクリアできなければ、力ずくでも焔を止める。どれだけ彼に抵抗されようと、必ず止めると。
先に食事を終えた舞斬はすぐに立ち上がり、焔のいる広場へつかつかと歩いていった。そんな彼女を見、ティルナは微笑まずにいられなかった。
「今時珍しいねェ。二人とも、芯の通った若者だ」
二人の午後の修行は、日が落ちても僅かの進展も無かった。オルタナやウィンディのことを考えれば当然なのだが、二人にはやはり焦りが生じていた。とにかく力任せに魔源を引っ張ろうとしている焔の体力は限界に近い。舞斬も疲れをあらわにしている。
夕食すら抜いた焔をウィンディも心配し始めるが、ティルナは何も言わない。彼女はウィンディに、二人の修行に干渉するなと言い付けていた。
夜中になり、変化が現れる。焔がまた魔導に失敗した瞬間、舞斬の表情が変わったのだ。彼女はキャンセラーを外し、少し離れて『光』魔導を発動した。当然、キャンセラーを着けていないのだから光の球が手元に作り出される。
「なるほど、この修行の意味が分かった。でも……」
舞斬は気付いてしまった。この修行、焔が突破するのは極めて困難だということに。しかし、彼を今止めても無駄であろう。
「あたし、先に寝てるわね。焔、徹夜なんて禁止だからね」
「徹夜するなんて言ってねぇだろ」
「顔に書いてあるわよ」
渋い顔をする焔を置いて、舞斬はティルナの家に戻っていった。こう言うしか、今はできなかった。
次の日、朝日が窓から差し込む頃、舞斬は眠りから覚めた。借りた部屋から出、持参した洗面用具で身支度をする。相変わらず美味の朝食を取って外の広場に行くと、焔はその場で寝ていた。
「確かに徹夜はしなかったみたいね……。やっぱりバカだ」
呆れてため息をついた舞斬は、一旦家に戻った。そして再び広場に来た時、その手にはコップと朝食のトーストが一枚あった。コップの中にはただの水が入っており、彼女はそれを焔の顔にぶちまけた。そして驚き飛び起きた焔に、ずいとトーストを差し出す。
「キティちゃんを助ける前に倒れちゃうでしょ」
正論をぶつけられては言い返そうにも言い返せない。焔は黙ってトーストを受け取ると、大口で食らい始めた。
「小僧に小娘、成果はどうだい?」
そんな様子を見ていたのか、クスクスと笑いながらティルナがやってくる。ウィンディもついてきた。
「と言っても一日で何か変わる訳も無いけどねェ」
「いいえ、ティルナさん」
自信ありげに言ったのは舞斬。ティルナは笑みを崩さず尋ねる。
「へェ、少しは進歩したのかい?」
舞斬はキャンセラーが装着されていることをティルナに確認させ、手を掲げた。そしてなんと、
「『光』魔導!」
掲げた手から、まばゆい閃光が走ったのだ。これを見たティルナはまぶたをパチパチとさせ、驚きを隠せなかった。
「発動し続けるのはまだできませんが、今のように発動自体はできましたよ」
「こいつはたまげたねェ。小娘、先天性魔源探知の才を持ってるのかい?」
「いいえ、コツを掴んだだけですよ。実は昨日、ティルナさんとウィンディ君が話してるのを聞いたんです。コツがあるんだと」
「ぼ、僕は、コツの内容までは喋ってませんよ?」
「ただ魔導を発動しようとするだけじゃないんだと分かっただけで色々と考えられたわ」
この修行は、単純に強い魔導力を発揮して突破するものではない。ウィンディの言ったコツとは、『魔源の濃度』を知ることである。
魔人界に空気と等しく存在する魔源は、空気中に一定濃度で漂っているわけではない。その濃度にはムラがあり、濃い部分も薄い部分もある。
ここで、魔源探知の話が出てくる。魔源探知はキティのような先天的なものと、訓練によって身につけるものがあり、この修行では、後者を使えるようになるのが大きな目的であった。キャンセラーを装着した状態で魔導を発動しようとすれば、身体が魔源を求めて反応するようになるからだ。
魔源の濃い部分を探知し、そこから集中的に魔導で引っ張ることで、キャンセラーでも反発しきれない量の魔源を導く。結果として、小さい魔導力で多くの魔源を扱えるようになる。理屈は単純だが、魔源探知を体得するのはとんでもなく難しい。しかも、先天的な魔源探知は触覚の如く自然に感じ取るのに対し、訓練で得た魔源探知は高い集中力が必要である。
舞斬は昨夜、寝室に入ってからずっと、魔源の濃度を探り続けていた。そして、常人離れしたスピードでコツを掴むことに成功したのだ。
「まさかこの短い時間で会得するとはねェ。この小娘、大した才能を持ってるけど、それだけじゃないね。魔源探知があったとして、少なくともリーンフォース程度の魔導力は必要だ。努力もちゃんとしてる」
独り言のように漏らした後、ティルナは舞斬だけに次の修行の話をし出した。
「あんたなら次の修行に進める。けど、一気に難しくなるよ。こっちに来な」
広場の、焔から離れた場所まで移動する。舞斬は振り返って焔を見たが、彼は舞斬の成功にも反応せず、ひたすら修行に打ち込んでいた。
「次は、魔源探知を使うことは前提として、さらに魔導力を鍛えるよ。今あんたらがいるこの魔人界は周りに魔源が満ちてるけど、人間界には無い」
「つまり、人間界じゃさっきみたいにはできないと」
「ああ、基本的に魔人界より人間界のほうが魔導力は落ちる。人間界でも魔人界と同じように魔導を使えるようにするのが次の修行だ」
言い終えるとティルナは大きく深呼吸をし、カッと目を見開いた。舞斬は魔源探知を駆使し、感じ取った。ティルナを中心にして、魔源が遠ざかっていくのを。
「周囲から魔源を取っ払った。あたいの周りだけ、人間界と同じ状態になったのさ」
魔導では魔源を引っ張るだけでなく、逆に退けることもできる。『反魔導』と言い、やり方さえ知っていれば難しいことではない。もちろん漂っている魔源だからできることであり、誰かの放った魔導を退けることは不可能に近いのだが。
「あんたにはここで、もう一度キャンセラーを着けた状態で魔導を発動してもらうよ」
「はい!」
舞斬は早速やってみた。が、すぐにこの修行の難易度を理解する。
「魔源が遠くて探知しづらい……。それに、周りに魔源が無い分、単純にもっと強い魔導力が必要だわ」
「そう、魔導力に限って言えば、この段階までクリアした時点で補佐官クラスは超えてる。隊長となるとまだ厳しいけどねェ」
これから舞斬は、このキャンセラーの修行と、魔導力アップの修行を並行するという。
「魔導力を鍛えるのはどんな修行ですか?」
「あたいの魔導と勝負するのさ」
ティルナが炎に変換した魔源をボール状に固め、彼女と舞斬の間に浮かべる。それを魔導で引っ張り合うのだ。
「今、あたいは魔導でこのボールを固定してる。少しでも動かせれば、魔導力の強さは合格点だ」
舞斬はひとまずキャンセラーを外し、それを引っ張ってみた。少しくらいならと思っていたが、ボールはびくともしない。力の限り魔導力を発揮する彼女だが、ティルナは涼しい顔をしていた。
その頃、ウィンディは焔の修行を見守っていた。一向に進展の気配が見えない焔に、関係無いはずのウィンディが不安を覚える。なぜなら、大切な人を助けようと必死になる焔の姿に感動していたからだった。
「あの、え、焔さん……」
昨日の内に舞斬から名前を聞いたウィンディが恐る恐る話しかける。
「なんだ、お前も修行しなくていいのか」
「あっ、いえ、その、焔さんの助けたい人って、どんな人なのかなと……」
焔は集中を解き、ウィンディに向いた。
「お前よりももっと小せぇガキだ」
集中を切らした途端に疲れが押し寄せたのか、彼は地面に腰を下ろした。
「別に家族でも何でもねぇし、会って時間も経っちゃいねぇ。だが、あいつはもう他人じゃねぇ。いつの間にか、あいつの表情や感情が戻るたび、嬉しく感じる俺がいた。あいつは俺の大切な奴になってたんだ。……そんなあいつが、俺に助けを求めてた。だから俺は、絶対にあいつを助け出す」
それはまるで自分に言い聞かせるような口ぶり。それだけ喋ると、彼は立ち上がり修行に戻った。するとウィンディは急に大きな声で、
「が、頑張ってください!」
とまっすぐ焔の顔を見ながら言った。一瞬あっけに取られた焔だったが、フッと鼻で笑い、答えた。
「言われるまでもねぇ」
そこから進展は再び止まり、それぞれの修行は2日目の夜を迎える。深夜が近づき、舞斬は焔の様子を見に行った。相変わらず無理矢理に魔導を発動しようとしている。見るに堪えなくなった舞斬は、少しでも進展してほしい思いから、コツのことを話した。
「ねぇ焔、この修行は力任せじゃダメなの、魔源を――」
「知ってる」
「えっ?」
意外な言葉が返ってきた。てっきり何も考えずに焔が修行していたのだと舞斬は思っていた。
「その方法は、俺じゃ無理だ。昔、クソ親父に、お前には魔源探知の才が全く無ぇと言われた。気に入らねぇが、魔導に関して奴の言うことに間違いは無ぇ」
「そんな、じゃああんたにこの修行は……」
「関係無ぇ。魔源探知が無理なら、んなもん使わなくてもいいくれぇ強くなればいいだけの話だ!」
その直後、焔の周りに青白い靄のようなものが現れ、渦を巻き始めた。舞斬も見たことの無い現象だったが、焔は一度だけある。焔が桜路にやられ窮地に陥った時、キティの周りにも同じような現象が起きた。
焔は構わず集中し続けた。青白い靄は渦巻くものの、彼に近づきはしない。どうやらキャンセラーに弾かれているようだ。そこへティルナとウィンディがやってくる。二人とも、驚き目を見開いていた。
「まさか……」
「おおおおぉぉ!!」
叫びながら最大限の力を込める焔。ピリピリと空気が張り詰めるのを舞斬は肌で感じ取る。
その時、焔のキャンセラーにひびが走った。瞬間、渦は形を崩し、彼を包んで青色の爆発を引き起こした。
「焔っ!?」
粉塵が風に流され、彼の姿が見える。青白い靄はすっかり消えており、そこには燃え盛る炎を腕に宿す彼が立っていた。
「これで俺もクリアだろ?」
「……ああ、文句無しだ」
微笑むティルナからそれを聞いた途端、焔はバタリと倒れてしまった。一気に押し寄せた疲れに耐えられず、深い眠りに落ちたようだ。舞斬が彼に駆け寄るのを見ながら、ティルナは感嘆の言葉を呟いた。
「力ずくでこの修行をクリアした奴は初めて見た。一瞬の魔導力の強さなら隊長クラスか……。こりゃあ小僧には次の修行は要らないねェ。小僧も小娘もまだまだ未熟だけど、若者の成長を見るってのはいつの時代も良いもんだ、ハッハッハ」
ティルナは楽しげに笑うと、焔を家に運ぶようウィンディに言った。
夢を見た。
また、炎が揺れている。少女の姿が炎に包まれ、揺れている。焔は手を伸ばした。すると再び少女の姿が揺れ、一瞬それはキティに変わり、すぐに元の少女に戻った。そして少女はゆっくりと首を振り、口を動かした。しかしやはり声は何も聞き取れず、炎が全てを焼き尽くすまで、彼は何もできなかった……。
飛び起きる焔。横に座って見ていたウィンディも驚き飛びのく。
「寝てたのか……。ウィンディ、俺はどのくらい寝てたんだ?」
「え、ええと、ほぼ丸一日……」
寝起きでろくに働かない脳を頑張って使い時間の計算をすること数秒、焔は愕然とした。
「ってことは、あと一日しか無ぇじゃねぇか!」
「おっ、起きたねェ」
焦る焔に対し、部屋に入ってきたティルナがのんびりとした声を出す。舞斬も続いて入室する。
「さァて、まずは小僧の腹ごしらえだ。その後、最後の修行と行こうかねェ」
「最後の修行? 俺はまだ次の修行をしてねぇぞ?」
「最後の修行は必ずやってもらわなきゃいけないのさ。もう時間も無いからねェ」
「だったら飯なんか要らねぇ、さっさと修行を始めようぜ」
それを聞くとティルナは含み笑いをし、意地悪な声色で喋った。
「これから水もろくに飲めなくなるけど、それでもいいなら始めるよ。あの時食べておけば良かったと嘆く頃にはもう遅いだろうねェ、ハッハッハ」
ティルナのあまりの不気味な雰囲気に、焔も不安を煽られる。今まで焔の無茶には何も言わなかった彼女がそう言うのだから、従ったほうが良さそうである。
二階の寝室を出、リビングへ行く。するとそこには、今までで一番豪華な品の数々がずらりと並べられていた。これをウィンディは全て一人で用意したというのだから感服する。
「最期の晩餐なんて言わねぇだろうな……」
「そうならないためにも、食って体力つけときな」
「どんだけ危険な修行だよ!」
「そうだねェ、魔導軍にケンカ吹っかけるよりは安全かねェ」
魔導軍と戦うつもりなのだからどんな修行でもこなせなければ、と暗に言われていることは二人とも察するに容易だった。せっかくの料理なのだ、堪能するに越したことはない。二人は遠慮無く食卓についた。
「修行は日付が変わる頃に始める。その場所へはファミューガ便が連れてってくれるよ」
とても美味だがとても食べ切れない量の料理に圧倒されている二人に、ティルナが告げる。最後の修行場所は広場ではないらしい。
食事を終え、少しの休憩を挟んだ後、二人は広場に出た。修行の前に、これまでやったことを思い出す。それぞれキャンセラーを着け、魔導を発動してみる。
舞斬は焔が寝ている間も修行を続け、もはやキャンセラーを着けても普段と同じ程度に魔導を発動できるようになっていた。焔もまた、力づくでの瞬間的な発動なら可能だった。調子は上々。
バサバサと翼のはためく音が聞こえてくる。ファミューガの到着のようだ。操縦士は最初に二人をここまで乗せてきた者と同一人物だった。
「やぁ、お久しぶりってほどでもないね!」
「あんた、ババアの弟子だったんだな」
「ハッハッハ、お師匠様から聞いたか。いやぁ、色々と聞かれたら面倒だと思って黙ってたのさ」
「アーラシアス、師の家に来たってのに挨拶も無いのかい?」
家から出てきたティルナがやんわりと言うと、彼は陽気に笑いながら頭をかいた。
「やだなぁお師匠様、アルと呼んでくださいって何度も言ってるじゃないですか」
「そうだったねェ。早速だけど、この二人を例の場所まで連れてってくれるかい、アーラシアス」
「んー、まあ坊やだの小僧だの呼ばれるよりはマシか、ハッハッハ」
二人やウィンディの兄弟子にあたるアーラシアス、愛称アルは、たまにこうしてティルナの修行を手伝わされている。彼はファミューガの背を優しく撫でると、二人に向け快活な声で言った。
「さあ乗った乗った! 特別便だ、料金は要らないよ!」
二人は見合って頷き、ファミューガの大きな背に乗った。が、ティルナとウィンディはその場で手を振っている。
「ティルナさんは来ないんですか?」
「あたいはここで待ってるだけさ。詳しいことは向こうに着いてからアーラシアスに聞くんだね。あと、これを持っていきな」
ティルナが渡したのは、カンテラのような容器。中には『光』魔導によって作られた光源が煌めいている。彼女のいない修行とは一体何なのか、二人は首をかしげながらも、飛び立つファミューガに修行の地へと連れていかれたのだった。
薄暗い通路の先、最高級のキャンセラーが壁にも鉄格子にも埋め込まれた、特別な牢がある。魔導軍日本支部の地下に、キティは閉じ込められていた。そこへ一人の男が歩いてきて、鉄格子の向こうからキティに話しかけた。
「よぉ、聖域サンよ。気分は?」
隊長補佐、金条桜路だった。キティはうなだれたまま、桜路の声に全く反応しない。
「お前サン、一体何者なんだ? 俺に見せたあの魔導力、ただのガキにゃあ有り得ねぇ」
言葉を続けるが、やはりキティは反応しない。すると桜路はがしがしと頭をかき、肩をすくめた。
「……あー、違うな。俺が気になってんのはそんなことじゃねぇ」
思い出されるのは、桜路をにらむ焔の姿。
「あの目……、奴は助けに来るのか? 会って間も無いガキ一人のために、魔導軍を敵に回すとでも?」
「焔、負けない」
キティはゆっくりと顔を上げ、はっきりとした口調でそう言った。桜路は黙ってキティの目を見据えていたが、ややあって口を開いた時、その声色にはほんの僅かに怒りや悲しみの感情が混ざっていた。
「大切に思えば思うほど、護ることはできねぇ。それを教えてやる」
言い放った後、彼は踵を返しその場を立ち去った。キティはただ、その背中をじっと見つめるしかなかった。
ファミューガに乗って20分ほど経った頃、アルがそろそろだと言って着陸をファミューガに指示した。降り立つ地はティルナの家から山を一つ越えた先の森の中。木と木の隙間にファミューガは着陸し、二人はサッと飛び降りた。
「こんなところで何しようってんだ?」
「ティルナさんの家から大分離れたわね」
「ハッハッハ、最後の修行の説明は簡単だ。ここからお師匠様の家まで、このカンテラを持ち帰ること! それだけさ」
「えっ?」
口をそろえる二人にアルはにこやかな顔で答える。たったそれだけかと焔は呆れた様子を表情に出したが、アルはそれ以上の説明をしなかった。
「カンテラは持ったね? 早く戻らないと、君達の目的の時間に間に合わないよ。あっ、キャンセラーは着けなくて構わないとさ。それじゃ、俺は戻るよ」
アルは手綱を取り、ファミューガと共に来た方向へ飛び去っていった。残された二人は修行の意図を理解できないまま、とぼとぼと家の方向へ歩き出した。
「ここまでファミューガで20分くらいだったわよね。徒歩でなら確かに時間はかかるけど、SBDを使って走れば、休みながらでも3時間で着ける距離よ」
「まさか今更SBDの修行じゃあるまいし」
などと言いながらも、戻る他にやることは無いのだから仕方ない。焔がカンテラを持ち、二人はSBDを発動して駆け出した。するとどうだろうか、実に足が軽い。魔導力アップはSBDの向上にも繋がっていた。気を良くした二人は一気にスピードを上げようとしたが、その時、
「……!? 焔、前から何か来るわ!」
「何かって――うおっ!?」
突然、目の前の茂みから黒い塊が飛び出し、それを焔はとっさにかわした。振り返って見ると、その塊は低くうなる魔獣であった。先日の事件のものより少し小型の魔犬類のようである。そこでようやく二人は理解した、この修行の意図を。
「なるほど、ティルナの家まで『生きて』戻るってことか」
「そういえば、ここは魔人界だったわね。魔源探知の訓練のおかげで接近に気付けたわ」
魔獣は体内に高濃度の魔源を持つため、魔源探知で感じ取ることが可能なのだ。
「なるほどな。んじゃ、訓練の成果ってやつを試してみるか!」
焔はむしろ楽しむように手を前に出した。久々にキャンセラーの無い状態で発動した魔導は、呼吸するかのように自然で楽だった。十分な魔源を集めた彼は、魔獣に向けて投げつけた。
「『火』魔導!」
魔源の変換された火球が見事魔獣に命中した途端、焔本人も驚くほどの大爆発が起きた。魔獣は一瞬にして燃え上がり、周囲の木々も薙ぎ倒された。
「ちょっ、焔、やり過ぎ禁止!」
「い、いや、軽く撃っただけなんだが……」
「あんた、もしかして今、『オーバーフロー』なんじゃない?」
オーバーフローとは、以前に焔がキティに話した、リーンフォースを使いこなせていない不安定な状態のことである。実は、焔はグランドと戦った時点でリーンフォースしていたのだが、ここ数日の修行で魔導力が一気に増加したことにより、魔導のコントロールがさらに難しくなったのだ。
「かもな。つまり、ババアの家に戻るまでに使いこなせりゃいいんだろ」
「……オルタナでさえ使いこなすまで半年かかったわよ」
そんなことはまるで耳に入っていないかのように焔は走るのを再開した。舞斬はため息を落とし、同じく走り出した。
森の中なのにもかかわらず、焔は『火』魔導を控えはしなかった。放たれた魔源はしばらく属性に変換されたままだが、時間が経つと魔源に戻る。いつまでも燃えたまま森を焼き尽くす心配は無いのだ。
二人が降ろされた場所はどうにも魔獣達の縄張りの密集地帯であるらしく、少し走っては魔獣と出会うのを繰り返す。連れてこられたとは言え縄張りに勝手に入ったのは二人なのだから、なるべくむやみな殺生はしないように追い払っていった。ただ、相手は縄張りを持つ魔獣だけではなかった。
「舞斬、ちょっと止まれ」
手を出して舞斬を止める焔。かすかに聞こえた、何かの羽音のようなものが。それは近付いてくる。舞斬の魔源探知はまだ大きな魔源の動きしか探知できない。それらから導き出された答えは、
「魔虫類だ! しかもこの羽音、多いぞ!」
焔の言う通り、木々の間を無数の虫が飛んできた。魔犬類や魔鳥類などとは違い、どれも人間界では見られない姿形をしている。大きさも基本的に人間の顔ほどはある。
「カンテラの光に集まってきたんだわ」
魔虫類は魔導の光に寄りつく習性がある。ティルナはそれも考慮してカンテラを渡したようだ。カンテラを家まで届けることが修行なのだから。
「ちっ、厄介だな。奴ら、神経性の毒を持ってる種類も珍しくねぇ」
「とにかく、迎え撃つ! 幻光・閃箭!」
光の矢を撃ち出す舞斬。魔虫類はいくら追い払っても寄ってくるので、仕方なく撃ち落とす。月の光も届かない夜の森を進む二人にカンテラは欠かせない。代わりの光源となり得る焔の『火』魔導も、長くは持続できないからだ。
「『火=風』合魔、火砕衝風!」
焔が腕を振るうと、火を乗せた強烈な突風が走り、魔虫類を焼きながら吹き飛ばした。
とその時、その火の風をなんと突き抜けてきた魔獣がいた。驚いた二人が左右にかわすと、その魔獣は焔に向き直り、けたたましい鳴き声を上げた。
「こ、こいつは!」
それは体長4メートル近くある巨大な馬だった。真っ赤なたてがみを有し、額には長く鋭い角。体は鋼のような皮膚に覆われている。鼻息が荒く、完全に二人を狙っているようだ。
「イラプトボラシル。確か、魔馬類の中ではかなり攻撃的で力も強い奴だ。気をつけろ、舞斬」
「あんた、随分詳しくなったのね」
「魔導に関する勉強は今でもそれなりにやってる。んなことより、来るぞ!」
イラプトボラシルは角の先に魔源を集め、大きく首を振って撃ち出した。それは燃え盛る火炎となり、焔目掛けて飛ぶ。
「よし、やってみるか。リーンフォース、『炎』魔導!」
「えっ!? ちょっと待っ――」
舞斬が止めるも少し遅く、焔はリーンフォースを発動する。が、使える魔源の量が急増し、制御できるレベルを超えたそれは放たれる前に彼の手元で弾けて飛散した。当然、イラプトボラシルの火炎に対抗できず、彼はまともに食らってしまった。
「くっ、失敗か」
さらにイラプトボラシルは舞斬に向かって突進を仕掛けてきた。SBDで横ステップしてかわすと、すぐに閃箭を放つ。しかし、それはイラプトボラシルの皮膚に刺さらず、鈍い音を立てて弾かれた。
「固いわね。閃輝は持ってきてないし……」
「魔導でなんとかするしかねぇ。『風』魔導!」
鋭利に研がれた一陣の風を飛ばす焔。しかしそれもイラプトボラシルの皮膚を薄く斬る程度である。それに怒ったイラプトボラシルは前脚を踏み鳴らし、再びいなないた。
すると今度は、イラプトボラシルの足元から岩のトゲが連続して突き出てきた。焔は手を掲げ、再び合魔を使う。
「『火=風』合魔、火砕弾風!」
固めた魔源を剣山の如き岩のトゲに投げつける。魔源が触れた瞬間、炸裂する風に火が乗って大爆発を巻き起こし、岩を吹き飛ばした。すかさず舞斬も片手を向け、
「リーンフォース、『輝』魔導!」
『光』属性は、光だけでなく魔源をエネルギー体に変えることもできる。舞斬の指先にエネルギーが集束、次の瞬間、それはレーザーのように走った。エネルギーはイラプトボラシルに着弾し、爆発した。
「魔導力が上がったおかげね」
『光』魔導でエネルギーまで扱うにはかなりの魔導力が必要だが、魔源探知を習得した舞斬ならば可能であった。さすがのイラプトボラシルも、リーンフォースした魔導を受けてはダメージを負うようである。
その隙に焔は舞斬に目で合図を送る。了解した舞斬は『幻光・天駆』を発動し、焔の側に設置した。彼はそれに乗り、一気にイラプトボラシルに迫る。そして右足のみにSBDを集中し、イラプトボラシルの顔に高速の蹴りを見舞った。
スピードを乗せた強烈な一撃により、イラプトボラシルは三度いなないて退散した。これだけ激しく動いても焔の持つカンテラに傷一つ無いのは、ティルナの技であろう。
「確かに、もたもたしてたら間に合わなくなるわね」
「魔獣をいちいち相手にしてらんねぇな。戦うのは最低限にして、走るぜ!」
その後も様々な魔獣に襲われながら、二人は暗い森の中を疾走した。いくら縄張りに入るとは言え、あまりに襲われる頻度が高い。どうやらティルナの仕業で、カンテラの光は魔虫類だけでなく他の魔獣をも引き寄せるように細工してあるらしい。
「ったく、やってくれるぜ」
「もうどのくらい走ったかしら。見て、森を抜けるわ」
森から出ると、木の枝で見えていなかった山が視界に入った。かなり大きく、草木はほとんど生えていない岩山である。
「こんなにはっきり植物の棲息の境目が……」
背後の森の木は、山の勾配が現れ始めるところから一本も生えていない。
「魔人界の植物は魔源に敏感だからな。少しでも濃度の変わる場所には生えねぇ」
「なんか、あんたに解説されると悔しいわね」
「お前が無知だからだろ」
「……魔導以外の全教科で赤点経験のあるあんたに言われるとは思ってなかったわ」
というやりとりの後、二人は再び走り出した。ファミューガから見た景色を思い出すと、アルは二人を山一つ越えた森へ連れてきた。つまり、この山を越えればティルナの家は目の前である。
「森で手間取ったせいで、もうすぐ夜明けだ」
「朝になれば進むのも楽になるわ。焦らず行きましょ」
山は険しく、平らな道は全く無い。急に足場が無くなっている場所も少なくなく、夜の暗闇の中、カンテラの灯だけではスピードを出すと危険であった。
しかし、魔獣は森の中ほど多くない。主に魔鳥類などが棲息しているが、数は森に住む魔獣の十分の一程度で、その多くが夜行性ではない。まれに夜行性の魔鳥類が襲ってくるが、魔源探知があれば危険は少なかった。
そのようにして山をまっすぐ進む二人だったが、真夜中に数時間も動き続けた疲労が遂に表れ始めた。脚にじわじわと痛みを覚える。が、焔がその時懸念していたのは、別のことであった。
「……おい舞斬、魔源探知で周りに気を払っとけ」
「魔鳥類でしょ? それならさっきからやってるわ。今も一匹、こっちに向かってきてる」
「いや、もっとデケェのがいるはずだ。こういう岩山の中腹にはな」
とその時、カンテラの光に引き寄せられた魔鳥類一匹が前方から飛んできた。二人が迎え撃とうと身構えた、その瞬間、ドンッと下から突くような大きな揺れが起こったかと思うと、魔鳥類が突然出現した巨大な口のようなものに食われてしまった。衝撃的な光景に絶句する二人に、『それ』はぎょろりと目を向けた。
「くそっ、マジで出やがったな」
「こ、これってまさか……」
「ああ、魔巨獣だ。俺も大型ファミューガ以外、資料でしか見たことが無ぇ」
魔巨獣とは、種族に関係無く一定の大きさ以上の体長を持つ魔獣のことである。団体を乗せる大型ファミューガなどが当てはまるが、そうそうお目にかかれるものではなく、人里離れた天険の地にしか棲息しない。
この魔巨獣は全身が岩石に覆われ、姿は亀のような甲羅を持った四足歩行。この岩山を住家とし、岩に擬態しながら魔鳥類を餌にしているようだ。そして、恐ろしくでかい。人間界最大の生物、体長30メートル級のシロナガスクジラすらその大きさには敵わないほどの巨躯である。大き過ぎたため、舞斬の拙い魔源探知ではうまく感じられなかったらしい。
「こんなもん相手にしてられるか。マサムネの幹部が苦戦するような化け物だぜ?」
「ああ、なんか聞いたことあるわその話。そうね、刺激しないように通り過ぎましょ」
二人はゆっくりとその場を離れようとした。が、カンテラの光は魔巨獣であろうと例外無く働き、二人を攻撃対象にさせる。魔巨獣は地が震えるほどの鳴き声を発し、その前足を振り上げた。
「ちっ、面倒くせぇな!」
二人は別々の方向へ飛び、振り下ろされた足をかわす。焔は右手に合魔エクスプロードを作り、魔巨獣の顔面に投げつけた。魔巨獣はまともに火炎の炸裂を食らったが、まるで効いていない。そして驚くべきことに、魔巨獣は跳躍した。
「うおっ!? 亀のくせに跳ぶのかよ!」
その巨体を活かしたボディプレス。落下点から退避した焔だが、着地の衝撃は凄まじく、吹き飛ばされそうになった。さらに魔巨獣はその鈍重そうな見た目と裏腹に、かなりのスピードで突進した。衝撃でよろける焔に突撃が見舞われ、彼は岩肌に叩きつけられた。
「がはっ!」
「焔! くそ、やっぱり手強いわね!」
舞斬はイラプトボラシルに使った、『輝』魔導のレーザーを放った。しかしそれも、クリーンヒットするものの大きな効果は認められない。
魔巨獣は舞斬のほうを向き、頭を低くした。何をする気かと彼女が身構えると、魔巨獣の背中の岩石が針のように変形し、彼女目掛けて射出された。彼女は天駆で避けたが、着地した場所の石ころに足を取られ転んでしまい、そこへ再び岩石が射出される。仕方なく幻光・儚盾を作り出すも、岩石はそれを易々と貫き、舞斬の左肩を切り裂いた。
「くっ!」
魔巨獣がここまで強いとは二人とも思っていなかった。すると焔は、一か八かの一撃を構えた。
「こんなところで止まってる場合じゃねぇんだよ!」
高く飛び上がる焔。魔巨獣の頭上を取り、固く拳を握り締める。
「リーンフォース、『炎』魔導!」
「焔、まだそれは――」
「弾ける前に、ゼロ距離でぶっ放す! 食らいやがれ!」
大量の魔源を炎に変換しながら、拳を突き下ろす。魔巨獣の脳天に突きが当たった瞬間、それは凄まじい爆裂の打撃となった。
「そうか、『魔導撃』ね!」
体術と魔導を組み合わせた攻撃を魔導撃と呼ぶ。例えば、殴打と同時に魔導を発動し、属性を付加した打撃にするのが代表的なものである。以前、焔とオルタナが戦った時、オルタナが焔の脚に打ち込んだ『雷』魔導も軽い魔導撃である。学校などで習うものではなく、戦闘を仕事の一つとする職種に就いて初めて習得の機会がある。
焔のリーンフォースによる魔導撃はなかなか重い一撃だったらしく、魔巨獣は初めてひるんだ様子を見せた。しかしその時、
「おぉっ!?」
魔導撃の衝撃で足場が崩れたのだ。魔巨獣もろとも焔は山を転げ落ちてしまい、しかも運の悪いことに、その先は切り立った崖になっていた。
「まずい! 幻光!」
ロープ状の光を焔に飛ばす舞斬。彼はそれを辛うじて掴んだが、引っ張る側の舞斬は傷の痛みで腕に力が入らない。引き上げることはできず、焔は真っ逆さまに崖下へと落ちていった。
彼は気を失っていた。そこに差し込む日の光。そして、彼の側には舞斬でない者がしゃがみ込んで顔を覗いていた。日光が目覚ましとなり、彼はうっすらと目を開ける。
「起きた!」
気が付いた焔に、その者は嬉しそうに声をかける。興味津々な様子で、金色の瞳をした大きな目をぱちぱちとさせるその者の顔は、まだ年端もいかない少女に見える。瞳と同じく黄金に輝く、獅子のたてがみのような髪の毛が印象的である。ティルナの金髪が月光の美しさならば、少女の髪は太陽の如く煌めいていた。
「ここは……」
少女に危険は感じられず、焔は体を起こして辺りを見渡した。崖から落ち、森の中に戻ったようである。見上げると、折れた枝の間から太陽が覗いている。
「けっこうな高さから落ちたな。木の枝がクッションになったか」
「なぁなぁ、おまえ、人間だよな!」
冷静に状況を理解しようとする焔に、少女はお構い無しで話しかける。
「ああ、人間だ。お前は誰なんだよ。俺を助けてくれたのか?」
「いいや、倒れてたおまえを見てただけだ!」
「……ああそうかい。で、誰だって聞いてる」
「あたし、シャロン!」
眩しい笑顔で少女は名乗る。
「人間って初めて見た! 見た目はあたし達と変わらないんだな!」
「お前、魔人か。……そりゃそうだ、こんなところに人間なんていねぇ……、あっ」
などと言っている場合でないことに、焔はその時気付き、もう一度空を見上げた。
「あの太陽の高さだと、もう昼か。急がねぇと」
しかし困ったことに、向かうべき方向が焔にはさっぱり分からなかった。方向は舞斬がちゃんとファミューガの上から見ていてくれたために分かっていたが、彼女がいなければ焔にはどうしようもない。
「おい、シャロンだっけか? ティルナってババアの家を知らねぇか?」
「誰だそれ? おまえの友達か?」
「いや、知らねぇならいい。参ったな」
腕を組んで難しい顔をすると、シャロンはじっとそのポーズを見つめた後、何を思ったか焔の真似をし始めた。
「……何してる」
「おまえのマネだ」
「だから、なんでマネしてる」
「なんとなくだ! にゃはは!」
実に楽しそうである。相手にしても仕方ないので、焔は再び思案する。が、その時だった。一瞬、地面が揺れた。木々の倒れる音も聞こえる。そこで彼は思い出した。彼と一緒に魔巨獣も落ちたのだ。
「ちっ、まだこの辺りにいやがったか。早いとこ動くしかねぇな」
焔はキョロキョロと周りを見回し、草むらに引っかかっているカンテラを発見した。それはまだ光っており、魔獣を引き付け続けているようだった。
「あのババア……」
渋顔をする彼だが、文句は言えない。カンテラを持って帰ることが修行で、カンテラを持っていなければ修行にならないのだから。
カンテラを拾い上げ、魔巨獣が来ないうちにその場を去ろうとする彼だった。が、
「おい人間、もう行くのか? どこに行くんだ?」
「俺は暇じゃねぇんだ。急いでティルナの家に行かねぇと」
「その場所が分からないからあたしに聞いたのか? 急ぐのか?」
「うるせぇな、お前もさっさとここから離れろ。魔獣に襲われるぞ」
だんだんと鬱陶しくなってきた焔は、それだけ言い残して走り出そうとした。しかし、次のシャロンの言葉を彼は無視できなかった。
「分かった! 魔獣達に場所を聞いてやる!」
「はっ?」
「待ってろ!」
言うやいなや、シャロンはあろうことか魔巨獣がいると思われる音のするほうへ走っていった。
「なっ、あのバカ! 待て!」
焔は急いで追いかけたが、追いついた時には遅く、シャロンと魔巨獣が向かい合っていた。
「おい、逃げろ!」
と叫んだものの、どうにも様子がおかしい。魔巨獣が襲いかかる様子は無く、それどころか、魔巨獣は大人しくシャロンに頭を下げたのだ。
「よしよし、いい子だな!」
シャロンは魔巨獣の頭を撫で、ティルナの家の場所を尋ねた。まさか言葉が通じるわけも無いと思った焔はまたしても驚かされる。
「人間、この子が案内してくれるらしいぞ!」
と言われても、焔は反応に困った。魔巨獣の通った跡には倒れた木々が見え、先まで暴れていた様子が見て取れる。そんな魔巨獣をなだめ、あまつさえ道案内まで。
「お前、一体どうやって……」
「魔獣はみんな友達だ! 言葉は分からないけど、なんて言ってるかはなんとなく分かるぞ!」
信じがたいことだった。魔獣をペットにしている魔人はたまに見かけるが、人間界と同じく、比較的大人しく飼いやすい魔獣しかペットにはできない。それがこの少女は、魔巨獣をも従えるのだ。
「ほら、なんでボーッとしてるんだ? 背中に乗れ!」
シャロンはひょいと飛び上がり、魔巨獣の背に乗った。野生の魔巨獣に乗れるなどと、誰も夢にも思わないことであろう。焔は少しばかり興奮しつつ、続いて飛び乗った。
しばらく森の中を進み、やがて再び山に出る。すると、赤と緑の色鮮やかな羽を持つ鳩サイズの魔鳥類が数羽飛んできて、シャロンの肩や腕に止まった。
「おまえ達、また遊びに来たぞ! 元気だったか?」
「この魔鳥類、チルフェアリーじゃねぇか。こんな間近で見られるとは……」
どうやらシャロンは時折この辺りに遊びに来ているらしく、本当に魔獣達と友達であるようだった。とても警戒心の強いチルフェアリーがこうして寄ってくるのが何よりの証拠である。
そして不思議なことに、そうしてシャロンに近づいてくる魔獣は、焔に襲いかかったり警戒したりする様子が微塵も見られないのだ。シャロンと共にいる状態がよほど安心するらしい。
そこで焔は気付く。
「俺が気絶してた時、カンテラの効果が切れてねぇのに襲われなかったのは、シャロンが側にいたからか。……ってことはお前、夜明け頃から昼までずっと俺を見てたのか?」
「そうだぞ、ずっと見てた。おまえが起きるまで見てた」
「……お前、いろいろとすげぇ奴なんだな」
「なんですごいんだ? あたしは普通だぞ、にゃはは!」
毒の一切無いシャロンの喋りと笑顔は、修行中だと言うことを一瞬忘れてしまいそうになるほど心休まるものだった。そしてさらに、焔がもう一つ忘れていることがある。それは、
「せぇいやあぁぁっ!」
「どぅっ!?」
どこかで見た光景。そう、舞斬の飛び蹴りが炸裂する瞬間である。焔は舞斬のことをすっかり忘れていたのだった。
後頭部に不意打ちキックはかなり衝撃だったらしく、焔は魔巨獣から転がり落ちた。彼が起き上がって振り返ると、怒りの笑みを浮かべる舞斬が歩み寄った。
「探したのよぉ? 夜通し森の中を歩くのは大変だったんだからねぇ?」
「お、おう、悪ぃ……」
「それが見つけてみたらあーらびっくり。あたし達を襲った魔巨獣に乗って、知らない女と優雅にお散歩ですかぁこのクズヤローがぁ!!」
「おおお落ち着け舞斬! そんなワケねぇだろ、ってうおぉっ!?」
そんなことに舞斬が聞く耳を持つわけもなく、幻光・炯剣で容赦無く斬りかかる。舞斬に追われひいひい言う焔を、シャロンは大笑いしながら眺めていたのだった。
寸劇の後、最終的に顔面への鉄拳一発で済んだ焔は、舞斬も魔巨獣に乗せてもらい、崖から落ちてからの経緯を話した。
「へぇ、魔獣と友達かぁ。いいわね、そういうのって」
「にゃはは、人間って面白いんだな! こんなに笑ったのは久しぶりだぞ!」
「そりゃ良かったな……」
そう言って、打たれてジンジンする顔面をさする焔であった。そんなことは意にも介さず、シャロンは舞斬の肩を見た。
「おまえ、ケガしてるな。ちょっと待ってろ」
シャロンは立ち上がり、大きく息を吸い込んでから叫んだ。
「おーい!」
すると、先程の数羽のチルフェアリーがすぐに飛んできた。そしてチルフェアリー達は、舞斬の怪我をした左肩の周りをパタパタと飛び回った。なんだろうかと舞斬が不思議に思っていると、痛みがだんだんと消えていくのが分かる。しばらくそうしていると、傷はすっかり治った。
「そうか、チルフェアリーは『治』魔導が使えるんだな」
「わぁ、ありがとう!」
「小さい頃、よく転んでケガしては、あの子達に治してもらったんだ!」
などと穏やかに進む一行。シャロンのおかげで魔獣達の貴重な一面を見られ、焔も舞斬もしばし楽しい時間を過ごした。魔巨獣は足場の安全なルートをちゃんと知っており、難無く山道を登っていく。そうして山の頂上を越えると、ようやくティルナの家の建つもう一つの山が望めた。
「ティルナって奴の家はあの辺だって言ってるぞ」
シャロンが指差した方向をしっかり記憶した二人は、魔巨獣から降りた。
「ここからは走っていく」
「これは訓練だから、あたし達の足で進まないとね」
「お前には助けられたぜ。ありがとな」
「そうか、行くのか。もっとお喋りしたかったぞ……」
遊びの時間が終わって友達と別れなければならなくなった子供のように、シャロンはしゅんと寂しそうな顔になった。そんな彼女に焔は振り返らず言う。
「最初に言ったが、俺達は暇じゃねぇ。俺達には仕事がある。困ってる奴らを助ける仕事だ。遊んでる暇なんて無ぇんだよ」
そしてシャロンに向き、笑いかけた。
「だから、お前が困った時は俺を呼べ。すぐに助けに行ってやる」
それを聞いたシャロンはパアッと顔を輝かせ、とても嬉しそうに笑んだ。
「本当か!? またお喋りしてくれるのか!? おまえ、イイ奴だな!」
「おまえ、じゃねぇ。焔だ」
「分かった、焔! また来るんだぞ!」
元気いっぱい手を振るシャロンに、二人も手を振り返しながら山を降りるのだった。
下山する間、舞斬がやたら焔を横目でにらむので、何事かと彼は尋ねた。
「別にぃ。随分と優しいのね。よくもまあ、あんなセリフ言えるわ」
「なんだ、妬いてんのか?」
「はぁ? バッカじゃないの? 調子に乗るの禁止」
呆れたふうに言う舞斬。どうにも機嫌が悪いらしい。焔はやれやれとため息を一つ落とした。
その後は実に順調だった。魔獣には相変わらず襲われるが、問題無く退けながら進んでいく。日が傾く頃には、ティルナの家のある山を登っていた。
そして遂に、小さく目的地が見えるところまでやってきた。後は一直線に登るだけである。と二人が思った矢先、それは一人の人物によって阻まれる。家までの道に立って二人を待っていたのは、
「あれは、ウィンディか?」
そう、二人の兄弟子、ウィンディである。温かい出迎えという雰囲気ではない。二人がウィンディの前まで来て止まると、彼はほっとしたように胸を撫で下ろした。
「よ、良かった、無事に着きましたね」
「ああ、いろいろあったが、なんとかな。お前はなんでこんな家から離れたところに?」
「そ、それはですね、まだ修行は終わっていないということです」
そう言うとウィンディは目つきを変え、戦闘体勢を取った。
「い、家に行きたいなら、僕を倒して行くことです」
「……なるほど、お前がこの訓練のラスボスってワケか」
理解した焔と舞斬も気を引き締める。ウィンディの実力は未知数だが、二人よりも遥かに長くティルナの修行をこなしてきた。手強くないわけがない。
「い、行きます!」
刹那、二人の目はウィンディを見失う。焔も舞斬も構えはしっかり取っていた。しかし、焔がウィンディの掌底打を胸に食らうまで、二人は身動き一つ取る暇が無かった。
だが、焔はすぐさまその腕を弾き上げ、反撃の正拳突きを繰り出した。ウィンディはかわして後退し、再び構えた。
修行を受ける前の焔ならば、掌底を受けた段階で吹っ飛んでいただろう。しかし、咄嗟のことでも反応する力が今の彼にはあった。先の読めない多様な魔獣との戦闘を経ることで、瞬間的な判断力と行動力が向上したのだ。
それにしてもウィンディのスピードには驚く。恐らくは舞斬の天駆のように、何らかの魔導によるスピードアップであろう。
「次はこっちから行くぜ。『火』魔導!」
右手を二度勢いよく振り下ろすと、二つの火の壁がウィンディを挟むように走った。さらに焔はその壁の間を駆け、ストレートパンチを繰り出す。それをウィンディは片腕で後方へ受け流しながら、もう片方の腕を引く。
「はっ!」
魔源を宿した掌を突き出し、『風』魔導の炸裂による魔導撃を打ち込むウィンディ。衝撃で吹っ飛ばされながらも、焔はぐっと手を握った。すると、ウィンディの左右を塞ぐ火の壁がうねり、彼を包んで爆発した。
同時、舞斬も仕掛ける。爆心に向かって手を出し、閃箭を撃ち込む。しかし、それが届く前にウィンディは一陣の風を放ち、炎もろとも閃箭を吹き飛ばした。
「『風=傷』合魔、ティールフィニカ」
ウィンディの手元に風が集束していく。そして両手を剣道の上段のよう頭上に掲げ、気合いの一声とともに振り下ろした。その途端、刃のような突風が地面を削り取りながらほとばしった。舞斬は二人分の儚盾を作り出して防御したが、全てを防ぐことはできず風刃はそれをも削り、二人の腕や頬を斬り裂いた。
「『火=風』合魔、エクスプロード!」
焔の投げつけた、火の風を凝縮した球体に、ウィンディも魔導で対抗する。
「リーンフォース、『飃』魔導!」
目一杯引いた右腕を鋭く突き出すと、それに押し出されたかのように強風が起こった。エクスプロードは目標に到達する前に吹き飛ばされ、上空で爆発。さらにはその強風が二人をも襲い、身動きを封じる。
「『瀑』魔導!」
動けない二人に凄まじい水流が押し寄せ、二人を岩肌に叩き付けた。続けざまにリーンフォースを二回。ウィンディの魔導力はかなりのものである。
が、そのまま倒れている二人でもなかった。ウィンディが動こうとすると、なぜか足が動かない。見ると、彼の足が光る接着剤のようなもので地面と引っ付いていた。
「こ、これは、いつの間に?」
「『光=変』の合魔で、光に粘着力を付加した。風で動けなかった時にこっそりと仕掛けさせてもらったわ」
幻光は放っておいても数分で魔源に戻るのだが、戦闘時に動きを止めるというのは致命的と言える。焔がSBDで素早く懐に入り、
「リーンフォース、『炎』魔導!」
魔巨獣の時と同様、リーンフォースによる魔導撃をウィンディの胸部に打ち込む。直前に氷の壁を作り出し防御するウィンディだったが、爆裂はそれを易々と破壊し、衝撃がウィンディを地面から引っぺがして吹き飛ばした。
大きなダメージだったが、まだ彼は倒れなかった。着地すると、片手に魔源を集中し、投げつける。
「『水=風』合魔、ティールストリマ!」
焔のヴォルテックスと似た、水流の旋風が巻き起こされ二人に迫る。
「受けて立つぜ! 『火=風』合魔、ヴォルテックス!」
火の竜巻と水の竜巻がぶつかるも、リーンフォースを使った直後の焔のヴォルテックスは威力が落ちており、相殺とまではいかず水流が押し寄せる。脚のSBDでなんとか踏ん張る二人だが、火と水の衝突によって生じた水蒸気が辺りを包み、視界を奪う。
それに乗じてウィンディは『風』魔導を足元で破裂させ、高速移動した。初撃はこれを使ったのだ。視界の悪い状態で彼の高速攻撃に対処することはできず、焔の胸部に飛び蹴りが決まる。
「くっ!」
さらにウィンディはすぐさま高速移動し、舞斬にも攻撃を仕掛けた。背後に回ってからの肘鉄砲を放つ。が、彼は刹那に違和感を覚えた。そしてその正体を理解する前に、舞斬の後ろ回し蹴りが彼の脇腹を捉え、彼は吹っ飛んだ。
水蒸気が晴れ、ウィンディの驚く顔が現れる。違和感の正体、それは舞斬の反魔導だった。視界が悪くなるや、舞斬は反魔導で自分の周囲から魔源を遠ざけた。そこへウィンディが飛び込んだことで、魔源の乱れを魔源探知で察知し、カウンターを食らわせたのだ。ウィンディもティルナの修行で魔源探知を体得しているため、急に魔源の無い空間に入ったことに違和感を覚えたわけである。
「え、焔さんはリーンフォース。ま、舞斬さんは反魔導。い、いつの間にかそこまでできるようになってましたか」
感心した様子で言うと、ウィンディはまた鋭く構えた。
「ぼ、僕も先生の弟子なので、負けるつもりは無いですよ!」
大量の魔源がウィンディの元に集まっていくのを舞斬が感じ取る。明らかに先までより強大な魔導を放とうとしていた。
「上等だ、真っ向勝負! 舞斬、手ぇ出すなよ!」
「ちょっと焔!」
舞斬の言葉も聞かず、焔もまた魔源を力の限り集中する。焔とウィンディ、互いに十分な量の魔源がその身に集まった瞬間、激突は起こった。
「『火=風』合魔、ヴォルテックス!」
「『水=風』合魔、ティールストリマ!」
同時に放たれた二つの激しい旋風は、山肌を削り、轟々とうなりを上げ、衝突した。魔源を溜める時間がしっかりとあったこの時、焔の魔導は驚異的な威力を誇っていた。ウィンディも、修練された魔源探知を用いて多くの魔源を導いている。
魔源のぶつかる時間が長くなると、そこにエネルギーが生じ始める。生じたエネルギーはその空間に蓄積されていき、拮抗が崩れた瞬間、爆発を伴って発散される。そして、二人が最大限の力を込めた魔導は、ウィンディのほうが僅かに勝っていた。少しずつ、焔の魔導が押され始めた、その時、
「オラァア!」
咆哮とともに、焔はなんと魔導の衝突の中心に向かって駆けた。ヴォルテックスを放った手とは逆の手にさらなる魔源を宿して。
「な、何を!?」
次の瞬間、魔源のエネルギーが遂に弾け、爆発を引き起こした。焔の姿は粉塵に消え、舞斬も息を呑む。
その粉塵を貫いて、焔は現れた。爆裂に焼かれた体で飛び出し、固めた拳をウィンディに見舞う。魔導を放った直後、まさか正面突破してくるとは思っていなかったウィンディに、焔の渾身の魔導撃はクリーンヒットした。
砂埃が治まったそこには、大の字に倒れる焔とウィンディがいた。焔も最後のダメージが大きかったようだ。二人とも動かない。気絶していた。そんな二人を見、舞斬はやれやれと言うように首を振り、そして苦笑した。
「……もう、しょうがないわね」
キセルを吸いながら、ティルナは窓から見ていた。そしてゆっくりと立ち上がり、玄関へ歩き出す。扉を開けると、焔とウィンディを両肩に負いながらずるずると歩いてくる舞斬が目に入った。彼女はティルナの前まで来ると、二人をドサリと落とし、乱れた呼吸を整えるより早くその手のカンテラをずいと差し出した。ティルナはそれを受け取り、微笑みながら言った。
「修行、終了だ」
《登場人物紹介》
1.ティルナ=ティル=フォクセスタス
2.未公開
3.推定年齢300歳以上。オルタナの師匠。
1.ウィンディ
2.風=水=傷
3.ティルナの弟子。料理が上手い。
1.アーラシアス
2.未公開
3.ティルナの元弟子。ファミューガ便の運転手。
《聖域少女辞典》
・オーバーフロー
魔導昇華した直後の、魔導が不安定な時期。導く魔源の量を上手くコントロールできないため、不用意に魔導を使おうとすると危険である。
・聖門
人間界と魔人界を繋ぐ門。世界一大きな門とされる凱旋門よりも大きい。世界八ヶ国に建てられており、日本の八丈島にも存在する。一般人が通るにはWSOの許可を取らなければならない。
・キャンセラー
魔源を遠ざける性質を持つ物質で作られた機械。主に犯罪者に装着させるもの、鉄格子に混ぜるものなどがある。効果範囲はキャンセラーの用途によって調整されている。この物質は魔源に非常に弱く、魔導などで無理矢理に魔源をぶつけるとすぐに壊れる。
・魔巨獣
魔獣の中でも特に巨大なもの。一定値以上の体長を持つ魔獣に対して言う。その一定値は種族に関係なく単一の値であるが、時代によって推移する場合もある。
・魔獣
魔人界に生息する魔人以外の動物の総称。ほとんどの種が人間界の似た種より一回りか二回りほど大きいことと、魔導を使えること以外は、人間界の動物と変わらない。
・魔導撃
体術と魔導を組み合わせて使う攻撃方法。打撃に魔導の効果を付加するのが主な使い方。魔導軍などの、戦闘を業務として行う一部の職業のみ、修得する機会を与えられる。




