Prologue《Kitty the Sanctuary》
揺れている。炎が、揺れている。少女の影が、揺れている。彼の目に映るのはその二つ。少女は彼に何かを叫んでいる。しかし、その声は少しも聞き取れない。そのうちに、炎は少女を取り囲んだ。彼は少女に向けて駆け出し、手を伸ばしたが、近付くことができない。
揺れている。炎が、少女を包んで揺れている。彼は叫んだ。無力で愚昧な自らを嘆き、やがて炎は、全てを飲み込んだ……。
冷ややかな夜風が男の頬を撫でていく。ルビーのように紅く、うなじ辺りで結った髪が風になびいた。男は高層ビルの屋上から、鋭利な眼でアメリカの街の明かりを見下ろしている。短くなった煙草を指に挟み、最後に一吸いしてから顔の前に出すと、それは次の瞬間、一気に炎上して燃え尽きた。
「さて」
ベルトに備え付けられたホルダーから、風紋のような模様の彫られたハンドガンを取り出すと、どこにも異常が無いことを確認してすぐに戻した。そして男は屋上の縁に立ち、
「行くか」
なんと屋上から飛び上がったのだ。男は隣のビルの屋上に難無く飛び移り、そのままいくつものビルを足場にしながら夜の闇に溶けていった。
同時刻、同じ街の薄暗い一画に建つバーで、とある集団が飲みながら騒いでいた。その中のボスである男はジョッキいっぱいのビールを口に流し込み、下品に笑った。
「それでなぁ、あんまり泣きわめくもんだから、つい手が滑ってバーン! ってな。ガハハハ!」
「ギャハハハ! 怖ぇなぁウチのボスは!」
などと言って手下とうるさく飲み食いを楽しんでいる。ボスが再びジョッキを手に持ったその時、突然、バーの入口の扉が豪快に砕けて吹き飛んだ。驚いた集団の面々が入口を見ると、深紅の髪の男がずかずかと入ってきた。
「なんだてめぇは!」
手下の一人が言うと、男はその手下をギロリと横目に睨み、にやりとしながら答えた。
「テメェらみてぇな輩の間じゃ少しは有名なんだがな」
すると、ボスがその男の風貌を見て思い出した。
「紅い髪、風紋模様の銃……。てめぇ、例の犯罪者殺しの魔導師だな?」
「ご名答」
その男、火と風を携えた孤高の魔導師。男の使うとある魔導の名前と、荒々しいその性格から付いた呼び名は、火砕閃風。
「俺達を殺しに来たってのか?」
ボスは余裕を持っていた。数十人はいるこの集団を相手に、たった一人で、かつ正面から乗り込んできた相手にやられるわけが無いと。すると男はボスを指差し、こう言った。
「テメェらじゃねぇ、テメェを殺しに来たんだ。魔導犯罪集団『キラービー』のボス、ジョナサン=グローブ。他の奴はとっとと失せろ、ターゲット以外に興味は無ぇ」
それを聞くや、キラービーのメンバーは大笑いし始めた。
「失せろだと? とんだバカがいたもんだぜ。ボス、どうしますか?」
「こいつにやられた奴の中には取引相手のボスもいる。その礼に、たっぷりと可愛がってやれ!」
手下の一人が男に歩み寄り、ナイフを取り出した。その刃先を男の頬の横に持ってきて嫌らしく笑む。
「さっきから口ばっかで動きやしねぇな。ビビって足がすくんじまったか、あぁ?」
「ターゲット以外には興味無ぇっつったろ」
「生意気な口利いてんじゃぬぐっ!?」
喋ることに飽きた男は、話をぶった切り手下の顔面にフットスタンプを見舞った。めり込んだ足を離すと、手下の歯が二、三本ポロポロと床に落ち、手下は仰向けに倒れた。
「て、てめぇ!」
「やっちまえ!」
驚いた手下達は一斉に殴りかかった。男はやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
「頭の悪い輩が多くて困る」
先頭の手下のストレートパンチを軽く首を曲げて躱すと、右膝蹴りをその手下の腹部に打ち込む。そのまま右足を自分の背中側に突き出すと、背後から殴りかかろうとしていた手下の胸部に命中し、手下は吹っ飛んだ。
男はさらに、腹部を押さえて崩れ落ちた手下の頭を右足で床に押し付けながら飛び上がり、その先の二人並んだ手下の顔を右足と左足でそれぞれ踏みつける。そして着地するとすぐに膝を曲げてしゃがみ、別の手下の振るったナイフを躱す。そこから一気に脚を伸ばし、手下の顎に強烈な頭突きを食らわせた。
遂には銃を取り出した手下だが、男は素早く近くの椅子を蹴り飛ばし、銃を持った手下に命中させた。さらに男の後ろでも別の手下が銃を構え、撃ったが、男は椅子の横のテーブルを蹴り上げて横にし、盾とした。テーブルを思い切り蹴ると、テーブルはなんと粉々になって破片を散らした。それに気を取られた手下の側頭部に、男の回し蹴りが決まり、ノックダウン。
「そ、そんな、足だけで……。なんて『SBD』だ……」
ボコボコにやられた手下達は悲鳴を上げながら店を出ていった。残ったボスに男が目をやると、ボスは手を前に突き出していた。その手の周りには、風が渦を巻いている。
「そうか、テメェも風か」
「食らえ!」
ボスが手を勢いよく振ると、一陣の風が男に向かって吹いた。男は右手をポケットから出し、同じように振った。すると二人の間でパァンと音がして、風は消え去ってしまった。
「弱ぇな。魔導ってのはな、こういうものを言うんだよ」
男は右の掌を上に向け、風をその手に集束した。小さな竜巻のような風が掌の上で踊る。そして、
「テメェはターゲットだ。特別にこれで殺してやる」
掌の竜巻に炎が現れた。炎は風に乗って激しく燃え盛る。
「『火=風』合魔!」
叫んだ瞬間、掌の竜巻は店を貫く巨大な炎の竜巻と化した。
「これが結合魔導、ヴォルテックスだ!」
「ひいぃ! よせ、殺さないでくれ!」
荒れ狂う魔導の力を目の当たりにしたボスは、必死に命乞いを始めた。が、男はそれを見た途端、急に不機嫌そうな顔になった。
「そうやって命乞いする人を、テメェは何人殺してきた。テメェみてぇな野郎が、あいつを死なせたんだ!」
憤怒の形相で炎の竜巻を振りかぶり、ボスに投げ付けようとする。しかし、その時である。男は突然、背中に強烈な痛みを感じ、続いて凄まじい電流に襲われた。意識が飛びそうになり、膝をつく男。炎の竜巻も消滅してしまった。そこへ、どこからともなく大勢の軍服姿の人間が現れ、男を取り囲んだ。
「くっ、その服は……。『魔導軍』の奴らがなんでこんなところに……」
隊員の一人が男にさっと近付き、ひし形の物体を男の右手首に取り付けた。
「キャンセラー、装着しました。これで魔導は使えません」
「よし、連行しろ」
上官とおぼしき人物が命令する。男は二人の隊員に腕を捕えられ、大破した店の外へ連れていかれた。その様子を、上官の横でじっくりと観察するように眺める白衣の男がいた。
「来栖木博士、これでよろしいですか?」
上官がその白衣の男に確認すると、来栖木と呼ばれた男は銀縁眼鏡をくいっと中指で上げ、ほくそ笑んだ。
「ええ、ご苦労様です。ククク……」
「魔導号『火砕閃風』。得意とする『火=風』の結合魔導が、自然現象『火災旋風』に似ていることから付与される。三年間で殺害した魔導犯罪者は43名、いずれも重犯罪者ばかりです。自身も大量殺人のため重犯罪者として指名手配されていますが」
軍服の男が手元の資料を読み上げる。
男は取調室に入れられていた。と言っても、正面はマジックミラー、その他の壁は全て頑丈な鋼鉄でできた部屋に、男一人立たされているだけである。取り調べ担当の軍人達は、マジックミラー越しにマイクを使って話すという仕組みだ。
「不可解なのは、どれだけ大きな集団でも、殺害されているのは必ずトップ一人だけということです」
「ふん、どうあれ極悪な殺人犯に変わりはない。死刑は確定したも同然だ」
軍人同士のやり取りを聞きながら、男は興味無さそうにあくびをした。その態度が上官の軍人の癪に障ったらしく、上官はマイクを近付けて言った。
「下衆め。このアメリカ最大の監獄で、残り少ない人生をせいぜい楽しむがいい」
「ああ、テメェらの間抜け面を拝んでりゃあ退屈はしねぇだろうな」
上官の顔には血管が浮き出てピクピクと動いていた。上官は机に両手を叩き付け、部下に怒鳴った。
「さっさと牢へ連れていけ!」
男はキャンセラーという装置と手錠を着けられ、牢への道を歩いていた。前と後ろに一人ずつ看守がついている。
「なあ、キャンセラーの欠点って知ってるか?」
男は不意に口を開き、尋ねた。が、看守はそれを無視して歩き続けた。男も気にせず話し続ける。
「腕輪タイプのキャンセラーの効果範囲は、半径約2mの球状。つまり、キャンセラーを装着した奴の近くにいる奴も、魔導が使えねぇ」
そんなことはもちろん看守も知っている。男は話しながらちらりと天井を見た。そこには一台の監視カメラが取り付けられている。そして、看守二人と男、合わせて三人全員がカメラの撮影範囲から外れた瞬間、
「もう一つの欠点は……」
男はいきなり前の看守の首に手錠された腕をかけ、首を絞めた。と同時に、脚を後ろに突き出し、背後の看守の腹に一撃。ウッと唸って堪らず膝をついた看守の脳天に男はかかと落としを打ち込み、看守はうつぶせになって気絶した。その間にも絞め上げられ続けたもう一方の看守は、がっくりとブラックアウトした。
男は意識を失った看守の懐に手を入れ、警棒のような武器を取り出した。それの電源スイッチを入れると、警棒の先が発光して電気を帯びた。床に置いた警棒の先にキャンセラーを触れさせると、かすかにバチッと音がした。
「キャンセラー自体の魔導に対する耐久力はかなり低いってことだ」
キャンセラーを装着した犯罪者などを連行する際、周囲の人間も魔導が使えなくなる。犯罪者が暴れた時などのために、連行する者はキャンセラーに影響されない魔導機械を装備しているのだ。
「アメリカ最大の監獄が聞いて呆れるぜ。こんな簡単にいくとはな」
言って男が両腕に力を入れて左右に引くと、手錠はいとも簡単に壊れた。
「脱獄する前に、銃を探さねぇと。しかし見当もつかねぇな。誰か捕まえて吐かせるか」
男は監視カメラの死角を的確に見抜きながら、どうしても映る時は風の魔導でカメラを壊し、監獄を進んだ。不思議なことに、男についていた看守以外に警備が見当たらない。脱獄するのに都合は良いが、これでは愛用の銃を見付けられない。
「どうなってやがる。そろそろ脱獄がバレてもおかしくねぇはずだが……、ん?」
男はいつの間にか広い部屋に出ていた。青白い月明かりのような光源に照らされたその部屋は薄暗く、中央に大きな円柱型のガラスがそびえている。そのガラスの内側に、どうやら囚人が入れられているようだ。他の囚人を助けようなどという考えは微塵も持ち合わせていない男だが、この特殊な部屋に一体どんな者が捕われているのか少し気になり、近付いていった。
そこに男の想像した凶悪犯の不細工な顔は無く、意外にも、碧く澄んだ美しい瞳が男を覗いていた。まだ10歳前後と思われるあどけない少女で、青空のような碧色の長く艶やかな髪は身長ほどもあり、小さな身体には一糸纏わず座り込んでいる。こんな監獄にはあまりに不似合いだったが、男はさして驚くこともなかった。
「こんなところに入れられるとは、テメェもよっぽど酷いことをしたんだろうな」
それだけ言って男は部屋を去ろうとしたが、少女の足元にある物を見つけてピタリと止まった。
「なっ、俺の銃!?」
そう、なぜか男の愛用銃がガラスの向こう側にあるのだ。そうと分かれば話は別。なぜここにあるのかは当然の疑問であったが、まずは回収が優先である。
ガラスはかなりの強度を誇っており、単に殴る蹴るではひびすら入らなかった。やむなく男は魔導を使用する。ガラスに火を当て続けると、しばらくしてガラスにひびが走った。そこを蹴破ろうとしたが、少女が近くにいる。普通ならそんなことを気にする男ではなかった。が、その少女はどことなく『あいつ』に似ていた。
「……ちっ、さっさとどけ。怪我してぇのか」
言葉が届いたかは分からないが、少女はひびから離れて再び座った。男はガラスを蹴破ると、中に入って銃を回収した。
「よし、無事だな」
というのは少女でなく銃に向けられた言葉だというのは言わずもがな。男はすぐにガラスの部屋から出、少女に振り返ってこう言った。
「出たかったら出ればいい。テメェが何をしたのかは知らねぇが、運が良かったな」
少女を置いてさっさと脱獄しようと思った、その時、
「動くな!」
四方の入口から銃を持った警備員がぞろぞろと入ってくる。どうやらようやく脱獄に気付いたらしい。
「大人しくしろ。抵抗する場合は射殺許可も出ている」
まあそんなところだろう、と男は余裕しゃくしゃくであった。魔導さえ使えれば、この程度の相手に捕まりはしないと。しかし、次の言葉に男は意表を突かれる。
「『聖域』もヴォルテックスと協同して脱獄の疑いあり。同じく抵抗するなら射殺する」
「あっ?」
警備員の言った『聖域』とは、察するに少女を指す言葉のようである。ガラスの割れたこの状況を見れば無理も無い。男が抵抗すれば、少女にも銃口の向く危険がある。男が殺すのはターゲットのみ。それ以外の者が自分のせいで死ぬことは、男の信念に反していた。
「チッ、仕方ねぇな。おいガキ、ガラスん中から出るなよ!」
男は銃を正面の警備員に向けた。警備員達の間に緊張が走り、彼らの指が引き金にかかる。
「魔導弾、装填」
呟いた男は銃を警備員ではなく天井に向け、弾を放った。
「炸風弾!」
男の銃口から出たのは弾丸ではなく、凝縮された空気の塊であった。それは天井に当たって破裂し、固められた空気が一気に爆風と化して天井を破壊した。崩れ落ちてくる天井を警備員達が慌てて回避する間に、男はさらに何発か撃ち込む。
「来い、ガキ!」
少女は無表情で男の元まで歩いてきた。すると男は少女の腰を抱え、崩れた天井の合間に向かって跳躍した。足元に集めた風を天井方向に炸裂させて大ジャンプ。警備員が銃を撃とうとするも、崩れる天井に阻まれ狙えない。男と少女は上の階に侵入した。
そこは警備員の部屋だったが、その部屋の者は出払っていて人はいなかった。これはしめたと扉を蹴破って進む男。
「出口を探すのも面倒だ、直進するぜ。ガキ、頭を押さえてな! 貫風弾!」
三発続けて弾を放つ。先の風の銃弾とは異なり、今度は螺旋を描く風が撃ち出された。それらは鉄の壁すら易々と一直線に貫いてゆき、逃走の道を作った。その道を男は一気に走り抜ける。しばらく行くと、外が見えた。今は夜中らしく、星がまたたいている。
「よし、外だ」
勢いよくそこから飛び出した男は、そこに地面が無いことに口元を引きつらせた。そこはなんと、東京タワー並の高さがあったのだ。下は石造りの広場である。
「おい嘘だろ!? どんだけ高い場所に部屋作りやがった!」
男一人ならば、なんとか着地する方法もある。が、少女を抱えたまま傷付けずに着地するには厳しい高さであった。
「くそっ、どうすりゃ……」
男が眉間にしわを寄せたその時、腕の中の少女が突如として光り輝き始めた。驚いた男が見ると、明らかに魔導を発動している。
「おいガキ、それは――うおっ!?」
次の瞬間、男と少女は急激に広がった光の中に没し、流れ星の如く高速で夜空を駆けていった。
気が付くと、男はどこかも分からぬ林の中に倒れていた。少女がじっと男の顔を覗き込んでいる。起き上がろうとして、背中に痛みがあることに気付く。どうやら着地には成功したらしいが、背を強く打ち付けたようだった。ゆっくりと起き上がり辺りを見回すと、木々の間に明かりが見える。民家のようだ。
「ガキ、さっきのは『光』の魔導だな?」
尋ねるも、少女は答えない。出会った時から表情一つ変えず、言葉も無いこの少女。男は少し不気味に感じた。
「まあいい、素っ裸のガキをこんなところに捨ててくワケにもいかねぇ」
男はとりあえず上の囚人服を脱ぎ、少女に渡した。
「ブカブカだろうが文句言うなよ、……って、どうせ喋らねぇか」
しかし、せっかく服を渡されたというのに、少女はそれをどうしていいか分からない様子だった。
「まさかテメェ、服の着方を知らねぇんじゃねぇだろうな。っつうか、そもそも服が何だか分かってねぇのか?」
囚人服を手に持ち、ただじっと見つめるだけの少女。そこで男はもしやと思った。
「テメェ、何も知らねぇのか。服も、言葉も、表情も。あの監獄にずっと……?」
仕方がないので、男は囚人服を少女に着せてやった。身に纏った布を少女は引っ張ったり噛み付いてみたりしていた。振る舞いは幼児そのものである。
「事情を聞ける相手でもねぇし、聞いたところで俺には関係無ぇか。適当に民家の前に捨てりゃあ、誰か拾ってくれるだろ。悪いな」
男は再び少女を腕に抱え、先程見えた民家の明かりのほうへ歩いていった。林を出ると、そこは数軒の民家がぽつぽつと建つ小さな村であった。そのうちの適当な一軒のドアの前に少女を降ろし、強く三回ノックする。そしてすぐに男は、家の屋根に飛び乗って様子を見た。しばらくして、家の住人がドアを開ける音がした。
「誰なの、こんな夜中に……、まあっ!?」
出てきたのは少しばかり老けた女性で、眠い目をこすりながらドアを開けたが、そこにいた少女を見て眠気など吹っ飛んだ。
「その格好、一体どうしたの? さ、入りなさい。あなたー、ちょっと来てー!」
少女は婦人に背中を押されて中に入っていった。得体の知れない少女でも構わず家の中に入れてくれたのを見、男はホッとした様子でため息をついた。
「まあ、脱獄犯だとは誰も思わない……、あっ!」
そう、男は忘れていた。少女は脱獄犯である。この家族のところに住まわせてもし軍隊が逮捕しに来れば、何の関係も無い家族が巻き込まれてしまう。そもそも少女自身が(冤罪でなければ)犯罪者であるから投獄されていたわけで、家族に危険が無いとは言い切れない。
「……それこそ俺には関係無ぇ」
男は静かに屋根から飛び降り、民家から離れていった。元々連れてくるはずのなかった少女のことなど、男にとってどうでもいいこと。元々関わるはずのなかった家族のことなど、男にとってどうでもいいこと。
「どうなろうが知ったことか。俺は寝床を探さなきゃならねぇ。あばよ」
吐き捨て、男は再び林の中に消えていった。
次の日の早朝。日の光が男の寝不足な顔を照らすと、男は手で光を遮った。
「結局気になって眠れねぇし、そもそも寝床は見付からねぇし、散々だ」
ほとんど自分のまいた種であろうこともまた男を苛立たせる。男は来た道を戻り、三度林の中を歩いていた。
「少し様子を見るだけだ。少しだけだ」
などとぶつぶつ自分に言い聞かせながら、昨日の民家を目指す。とその時、林の奥から誰かの声が飛んできた。
「光はこの辺りに落ちたはずだ。くまなく探せ!」
「軍!? もう来やがったのか!」
声の言う光とは、十中八九少女の放った光であろう。懸念したことがこうも早く起こるとは予想外だった男は、飛ぶようにして民家に向かった。
民家の近くまで来ると、軍の隊員数人が聞き込みをしていた。一人が少女のいる家のドアをノックする。間もなく婦人がドアを開けると、隊員は少女の写真を取り出して尋ねた。
「この辺りでこのような娘を見なかったか?」
そのうちに男は家の裏まで忍び寄り、こっそりと玄関のほうへ近付いて会話を聞いた。婦人は写真をしばらく眺め、こう返した。
「いいえ、見てませんよ。こんな青い髪、一度でも見ていたら覚えてるはずだわ」
隊員達のただならぬ様子を察知した婦人は、何となく少女のことを教えてはならないと思ったのだ。しかし、隊員は念のためだと言って中に押し入ろうとする。
「ちょっと! 何の権限があって家に入る気なの!?」
「邪魔をするなら逮捕するぞ」
婦人を押し退け、無理矢理にでも中に入ろうとする隊員。こうなると婦人の腕力ではどうすることもできない。が、その時、隊員の肩をトントンと叩く者がおり、隊員は振り返った。その瞬間、
「ぶほっ!?」
隊員の顔面にどこかで見たようなフットスタンプを男が食らわせた。唖然とする婦人の足元に、隊員がバタリと倒れる。まだ意識があるようだったので、男はさらに一発、手刀を見舞い気絶させた。男はずるずると隊員を家から引きずり出し、とりあえず放置。そして婦人に向き直り、
「この隊員が探してるガキは俺の連れだ。ワケありでな、服を恵んでもらおうと、あんたの家の前に置いてった。俺は用があったから、たった今迎えに来た」
強引な嘘を一気に並べ立てる男に、婦人は最初ぽかんとしていた。すると、奥の部屋にいた少女がてくてくと歩いてきて、男に渡された囚人服を持ってきた。しわ一つ無い綺麗な白いワンピースを着ている。
そこで婦人はなんとか理解した。男は上半身が裸の状態であり、少女の持ってきた服と男の穿いているズボンの模様が一致していることから、確かに男と少女につながりはあるらしいと。だが、いきなり現れて軍人を蹴るような者に、少女を渡していいものかと婦人は迷った。
「そのガキをここに置いておけば、今みてぇに軍が探しにくる。外にはまだ大勢いる。外で気絶してる仲間を見たら、すぐやってくるぜ?」
「あ、あなた、何者なの? この子とどういう関係があるのよ」
勇気を出した婦人に詰め寄られると、男は返答に困った。まさか一緒に脱獄したなどと言っても信じるわけがない。
「それは……」
しかしその時、外から隊員達の騒ぐ声が聞こえてきた。気付かれたらしい。このままではこの家の家族に飛び火する危険性がある。
「ちっ、どうしてこう面倒ばかり続くかねぇ。おい女、ガキを見てろ。んで、家の外に出るんじゃねぇぞ!」
男はきびすを返し、外へ出ていった。男が出ると同時に、既に家を取り囲んでいた隊員達が銃を構えた。
「ヴォルテックス確認。見つけ次第、射殺せよとの命令だ。撃て!」
一斉射撃を始める隊員達。それに対して男が左腕をぶんと振り上げると、男を中心にした旋風が巻き起こり、銃弾を一つ残らず上空へ舞い上げた。風が治まると、男は隊員達を睨みつけた。
「後ろに民間人の家があるってのに、お構い無しで撃ちやがって。正気かテメェら」
「ほう、正気かと問うか?」
その声を聞き、正面の隊員達が道を開ける。堂々と歩いてきたのは、軍の帽子をきっちりと被り、白い髭を蓄えた老人だった。しかし、身長は男と同程度あり、がっしりとした体躯はおよそ老体と思えない。その厳格な顔付きからも、軍で長年鍛練されてきたことを容易に想像できる。
「大量殺人犯の貴様に、正気かと問われる筋合い無し。最優先するべきは、一刻も早く殺人犯を抹殺することだ」
「なるほど、流れ弾が民間人に当たろうと、俺さえ殺せりゃそれでいいってか」
「いかにも。それで大勢の命が救われるならば、いくばくかの犠牲は止む無し」
二人は睨み合った。重い空気が漂うも、老人は思い出したように口を開いた。
「名乗っていなかったな。私は魔導軍アメリカ本部機動大隊『デュランダル』隊長、グランド=ビスマルク」
「隊長だと!? マジかよ、なんであんなガキの捜索に、隊長なんかが駆り出されてんだ」
男は思わず身構えた。今まで相手にしてきた犯罪者や下っ端隊員とは格が違う。魔導軍の隊長ともなれば、間違いなく世界有数の実力を持った魔導士である。そんな人物を相手にするとなると、男も余裕で構えてはいられない。
「他の隊員は下がっておれ、こやつは私が始末する。コロナ、鎗を」
「うぃッス、たいちょー!」
大柄なグランドに隠れて見えていなかったが、彼の後ろにもう一人、コロナという隊員がいたようだ。グランドとは対照的に小柄で、男の髪より鮮やかな朱色の短髪、中性的で凛々しい顔立ちである。その隊員に持っていた鎗を渡されると、グランドは切っ先を男に向けた。
男はゆっくりと家から離れ、自分とグランドを結ぶ直線の延長上に民家が無いような位置で止まった。グランド相手では、先のように攻撃を防ぐことが難しいからだ。
「ゆくぞ! 『傷』魔導、飛燕鎗!」
鎗の届く間合いではなかったが、グランドは鎗を鋭く突き出した。すると、切っ先から針の形をしたエネルギーが飛んだ。男が横飛びでそれを躱すと、針は木々のうちの一本を穿った。
「まだまだ! 飛燕鎗・群弾!」
素早く連続で突きを繰り出すグランド。飛行するたくさんの針を、男は巧みなステップで躱していく。避けながら、男は銃をグランドに向ける。
「魔導弾、装填! 龍火弾!」
撃ち出されたのは燃え盛る火炎の龍。その大口を開け、グランドに食いかかる。
「『土』魔導!」
グランドが片足を踏み鳴らすと、彼の目の前に長方形の地面が壁のようにそびえ立ち、火炎の龍を防いだ。男は次に風の魔導弾を装填しようとしたが、まだ『土』の魔導は終わっていなかった。男の足元から土の柱が伸び、腹部を強打する。
「ぐっ!?」
男がひるんだ隙に、グランドは飛燕鎗を放つ。心臓目掛けて飛んでくる針。男は辛うじて体をずらしたが、左肩を針に貫かれた。
「ちぃっ! 『火=風』合魔、ヴォルテックス!」
痛む左肩をかばいながら右の掌に火災旋風を作り出し、投げ付ける。巨大な炎の竜巻が荒れ狂いながらグランドに襲いかかる。
「それが貴様の十八番というわけか。ならば!」
グランドは鎗を地面に突き刺し、拳を地面に叩き付けた。
「『土=傷』合魔、大山峰戟!」
途端、炎の竜巻の中心を貫くように、鎗の如く尖った大山がそびえ立った。旋風で山は体積を削がれるが、炎もまた打ち砕かれた。あまりの迫力に隊員達も息を呑む。
「ヴォルテックスを砕きやがった。魔導が効かねぇなら、SBDでやるしかねぇか」
SBDとは、魔導による身体機能の増大及びそれを用いた身体駆動のことである。筋力や速力の強化、動体視力の向上など、その用途は様々だが、継続するには高い魔導力と技術が必要になる。
男は地面を蹴った。脚部のSBDにより驚異の走力となった男は一気に間合いを詰める。その勢いで、蹴りをグランドの胸部に打ち込む。が、グランドは僅かにのけ反っただけで、すぐに鎗を振るって反撃してきた。慌ててしゃがんで回避し、飛びのいて間合いを取る男。その顔は険しい。
「普通なら吹っ飛んでもおかしくねぇ力で蹴ったのに……」
「SBDを使えるのが貴様だけでないことくらい、知っておろう」
「ちっ、テメェこそ、身体硬化のSBDはクソ難しくて、使える奴がほとんどいねぇのも知ってんだろ」
ここで男は悟る。勝てない、と。短い攻防で明らかに実力が違うと男は知り、逃げるしかないと分かった。逃走だけに注力すれば、グランド相手でも何とか逃げ切れるだろう。が、どうにも脚が動かない。敵わないと頭で理解していても、逃げてはならないと本能が体に命令している。
「俺が逃げたら、こいつらはあのガキを捕らえる。ガキがどうなろうと俺の知ったこっちゃねぇ、はずなのに……」
どうしても捨てていくことができなかった。少女の顔を思い浮かべるたび、男は忌まわしい過去を思い出す。
「また俺は、無力だと嘆くのか」
「何をぶつぶつ言っておるのか知らぬが、そろそろとどめを刺させてもらおう」
グランドは鎗をぐっと引いた。が、その時、彼の視線は男から外れた。男もその視線を追って見ると、少女と婦人が裏口から出て林のほうへ走っていくのが見えた。
「あいつら、出てくるなっつったのに!」
「むっ、逃走したか。コロナ、隊員を連れて追え。同伴している女性も捕らえよ」
「うぃッス! やろーども、行くッスよ!」
コロナを先頭に、隊員達は少女と婦人を追いかけようとした。すると男は、左肩の痛みもいとわず両腕を振り上げ、魔導を発動した。
「行かせねぇ! 『火』魔導!」
両手に宿した炎を隊員達の行く手に撃ち出す。火球は地に着いた途端に大きく燃え上がり、隊員達の目前に炎の壁を作り出した。それを見たグランドは片方の眉を上げた。
「『聖域』を守るつもりか? 貴様には関係の無いことだろう」
「関係は無ぇし、あのガキが何をしたのかも知らねぇ。だが、今は俺が巻き込んじまった。……俺はただ、自分の無力で他人が傷付くのを見たくねぇだけだ!」
叫んだ瞬間、男の周囲に凄まじい旋風が生じ始めた。明らかに先までのものより激しい風である。さらに、轟々と音を立てる旋風に、真っ赤な火炎が混ざる。
「むっ、これは、魔導昇華か!」
「食らいやがれ! ヴォルテックス!!」
倍以上の巨大さを持つ火炎の竜巻がグランドに迫る。彼は臆さず魔導で迎え撃とうと、再び大山峰戟を放った。しかし今度は、ヴォルテックスがそれを打ち砕き、止まることなく唸りを上げた。
「くっ、おのれぇ!」
グランドは両腕を交差させ、防御姿勢を取った。竜巻は彼を飲み込み、そして次の瞬間、激しい炸裂を引き起こした。
「た、たいちょー!?」
炎が消えると、大の字に倒れたグランドにコロナが慌てて駆け寄る。あれだけの炎に焼かれたにもかかわらずグランドに息はあったが、どうやらもう動けないようだった。
「退却ッス! たいちょーを運ぶッスよ!」
コロナはすぐさま指揮を執り、隊員達に命令した。すると隊員達はいつの間にか用意していた担架にグランドを乗せ、迅速に退却を始めた。
「ざまぁ見やがれ……」
そう呟いた男は、出血多量と疲労によりふらつき、遂には倒れてしまった。意識が薄れ、視界は次第に暗闇に覆われていき……。
目覚めた時、男の眼前にはまたしても少女の顔があった。自分の状況を整理しようと、首を回して横を見る。ベッドに寝ていることに気付き、そこが少女を捨てた婦人の家であると気付くのには数十秒かかった。
「気が付いたのね、良かったわ」
部屋に婦人が入ってきて、ベッド横のテーブルにハーブティーを置いた。男が起き上がろうとするのを見、婦人が穏やかに言う。
「まだ無理しちゃ駄目よ。肩の傷が完治してないもの」
「……傷が塞がってる。あんた、『治』属性の使い手か」
左肩には包帯を巻かれていたが、出血は止まっていた。どうやら婦人が魔導で治療したようである。男はゆっくり起き上がると、婦人を睨みつけた。
「なんで俺を助けた」
「死にそうだったから。おかしいかしら?」
気後れもせずに答えた婦人に男は少し面食らったが、すぐに視線を落としてフッと笑った。そんな男の顔を少女がずっと見つめている。
「その子、あなたの横から離れようとしないの。あなたの連れっていうのは嘘じゃないみたいね」
男は少女を見つめ返しながら考えた。そして、正直に話すことを決心する。
「……俺は犯罪者で脱獄犯だ。しかも、大量殺人のな」
ここに長くはいられない。全て話して、追い出してもらったほうが楽だと男は思ったのだ。が、返ってきたのはまたしても予想外の言葉である。
「知ってるわ」
「あっ?」
聞き間違えたのかと思い目をしばたたく男。婦人は何やら紙を取り出し、男に見せた。それは、指名手配書であった。
「どこかで見た顔だと思って、さっき見つけたの。ヴォルテックスさんでしょ?」
「それを分かってて、あんた、怖くねぇのか」
「手配書を見つけた時はね。でも、あなたからは本当の悪って感じがしないの。もちろん、殺人は悪いことだけれど」
「……すぐにガキを連れて出ていく。そのガキも脱獄犯だ。俺達がここにいると、あんたも巻き込まれる」
そう言って男はベッドから降りた。机の上に置いてあった銃を手に取り、少女の腕を掴む。婦人はそれを見つめ、少し強い声でこう言った。
「罪は償いなさい。どんな人でも、命を奪うことは許されないわ」
少女を連れて玄関まで行き、婦人がそれを見送りに来たところで、男は返した。
「今は、無理だ。だがいつか、償いはするつもりだ。……あんたには感謝してる。じゃあな」
「待って、そんな格好で外を歩くつもり?」
婦人が持ってきたのは、上下そろった衣服であった。
「息子の物よ。働きに出てから一度も連絡が無くて、その服も捨てようかと思ってたところなの」
言って微笑む婦人。男はどうするか迷ったが、断っても聞かなそうな顔をしている。僅かに肩をすくめた男は服を受け取り、そして尋ねた。
「名前を教えてくれるか?」
「ハンナよ。ハンナ・マールクレア」
「そうか。世話んなったな、ハンナさんよ」
もらった服を肩にかけ、もう片方の手で少女の腕を引き、男は婦人の家を去ったのだった。
服を着替え、銃は懐に仕舞い込む。村からある程度離れた道の上で男は立ち止まり、少女の目を見た。相変わらず無表情の瞳は、じっと男を見つめ返している。男はその時、あることに気付いた。
「お前、首輪なんてしてたのか」
少女の首には、碧く美しい五つの宝石が埋め込まれた首輪がつけられていた。それは裸であった時から装着されていたと、男は思い出す。
「ったく、クソ看守どもが、何の趣味だか。これから行くところで、取ってやらぁ」
男の目的地は既に決まっていた。少女の世話のできる場所は、男の知る中ではそこしかない。
「俺が昔、所属していたところだ。ワケあって抜けたがな」
理解しているのか分からない少女に、とりあえず解説する。そして男は、ビシッと少女を指差した。
「お前、名前は?」
少女はさしたる反応を見せず、例によって男の目をじっと見ているだけである。魔導軍の兵士は『聖域』と呼んでいたが、まさかそれが名前ということはあるまい。名前はあるのか、あっても話せないのか分からないが、いつまでもガキと呼ぶのもどうかと思った男は、
「喋らねぇなら勝手に決めるぜ。いいか、お前は今から『キティ』だ」
そこで初めて、少女はリアクションを取った。目をぱちぱちとさせたのだ。そして今度は、男は自分を親指で差し、
「一度しか言わねぇから良く聞け。俺の名は、『焔』」
ようやく名乗った男に、少女は初めてその口を開く。
「キティ……、焔……」
「なんだ、喋れるじゃねぇか」
火砕閃風を冠する男、焔。聖域を冠する少女、キティ。こうして、二人は出会ったのである。
担架を運ぶ隊員達を先導するコロナ。スキップなどしながら意気揚々である。そんなコロナを隊員達は呆れ半分の眼差しで見ている。村から大分離れたところで、コロナは止まった。
「たいちょー、もうそろそろイイんじゃないスか?」
「うむ」
するといきなり、グランドは起き上がった。他の隊員達はギョッとして目を見開いた。
「聖域とヴォルテックスを追い、負けたフリをしろだなんて、変な任務ッスね。犯罪者をわざわざ逃がしたのは初めてッスよ」
頭の上にクエスチョンマークを浮かべるコロナをよそに、グランドは平然として担架から降りた。焼けた軍服を脱ぎ捨て、新たなそれを着込む。
「『総帥』の命令だ、従うしかあるまい。次に会った時には、私も本気を出そうぞ」
この任務は、他の隊員達に知らされていなかったようだ。しかし、隊長とその補佐をも使ったことから、かなり重要な任務であることは誰もが理解した。
「聖域とヴォルテックスの捜索をこれにて打ち切れとの命も出ている。帰還するぞ」
「うぃッス、たいちょー! さあ飲みに行きましょー!」
「コロナ隊長補佐、まだ未成年ですよ」
「バレたッスか!?」
「前から知ってます」
「ところでたいちょー、相変わらずカンジってやつにハマってるんスね。技の名前とか、自分には意味が分からないッス」
「ふっ、漢字の良さが分からぬとは、まだまだ青いなコロナよ」
そんな軍人とは思えない会話を展開しながら彼らは帰還するのだった。




