降臨
狩人はゴブリンが出ると言われる森の中に入っていた。
とはいえ、ここ数か月、ゴブリンを見た者はいない。どこかに消えてしまったのではないかという噂もある。
噂と言えば、7魔将が人間側についたという噂もある。にわかには信じられないような話で、この狩人もそんな話は一から信じていない。
まず、7魔将という存在からだ。
そんな伝説だか、おとぎ話で出てくるような魔族の存在を信じるほど子供でもない。仮にそんな化け物がいたとして人間の手助けをする意味がわからない。
何の利益があって、人間の味方をするというのだろうか?
そんなことより、わかっていることは、ここ数ヶ月でこの森は狩りのしやすい安全な場所になったということだ。
森の奥深くまで入っても、ゴブリンの『ゴ』の字も見かけない。動物を狩り放題だ。
それでも、ゴブリンの巣といわれている洞窟付近まで来るのは、これが初めてである。
いくら、いないだろうと思われてもそう易々とは近づきたくは無かったが、徐々に狩りの行動範囲を広げているうちにココまできてしまった。
「ココまできてもいないなら……」
好奇心が鎌首をもたげる。
『好奇心は猫をも殺す』
そんな諺を狩人は知らない。知っていたとしても歩みを止めなかっただろう。
ゴブリンの巣に近づいていく。ゴブリンがいないなら動物たちがいくらでもいるかもしれない。ひょっとしたら、ゴブリン達が財宝を置いていっているかもしれない。
もしも、俺が一番初めにゴブリン達の財宝を見つけたなら……目つきがギラついてくる。初めは想像だったのに、理由もなく確信へと変わっていく。
「誰かにとられる前に、俺が見つけてやる。こんな狩人生活とおさらばして、王都で遊んで暮らしてやる」
彼自身なにに駆り立てられているか気づいていない。
開けた場所……ゴブリンの巣穴の前までくる。
何か黒く大きな楕円形の球がある。それが何なのか、狩人は理解できない。できないが、コレで金持ちになれるような気がして手を伸ばす。
その黒い物体に触れた瞬間、ズルりっと腕が楕円の中に引きずり込まれる。
「うわっぁあ!!」
何が起きたのか、わからず楕円から手を引き抜こうとしたが、むしろ身体全体が引きづり込まれていく。
もう一方の手で、楕円を抑え引き抜こうとしてしまった。
当然、両腕が飲み込まれる。
「ぐぎゃっぁあああ!!」
両腕が楕円の中で噛み砕かれていく激痛に襲われる。どんなにもがいても引き抜けない。ズルズルと楕円に体が引き寄せられていく。
恐怖が全身を襲う。黒い楕円に喰われてしまう。
楕円の中は見えないが、まるでその中には数百匹のピラニアでも放してあるかの如く、そしてゾウにでも身体を引っ張らせているかの如く……狩人を絶望へと引きずり込んでいった。
断末魔を叫ぶ前に、黒い楕円の中に体は全て『喰われて』しまった。
しかし、これが初めてではない。この一ヶ月で黒い楕円は数十人を食い殺していた。村人が森の中へは近づかないように警戒しているたはずなのに、気が付くとフラフラと森の中へと……。
時には呼ばれるように、時には財宝があるかのように、それぞれ思いは違えど、この黒い楕円の前へと姿を現してはエサと変わっていた。
そのエサは肉体だけではない。魔力を人間たちから奪い返すようにし食する。
そして時は満ちたようだった。
黒い楕円は、卵とも繭とも似た感じで亀裂が入っていく。
その亀裂から悪意に満ちた黒い魔力が漏れ出てくる。割れれば割れるほど、森の動物たちは……いや、森全体が恐怖に震えだす。
割れた楕円から白い美しい手が出る。
肉体を持った者がゆっくりと地上に足を付く。
出てきたのは銀髪の筋肉質な男……顔立ちは整い美男子なのは間違いない。黒い……物凄く黒い魔力を纏っている。
雲が立ち込める。
「さて、何から始めるか?」
表情から考えが読み取れない。全くの無表情で目的もわからない。ただ彼がこの大地に悪意を持っている者なのだけは、全ての動植物は理解した。
それは、突然の出来事だった。
グレン王国女王陛下リンが叫んでいる。
「どうなっているのですか!?」
いや、多少は理解しているつもりだ。おそらくゼディスの配下シンシスという者が言っていた『魔王』が降臨したのだろう。
空の雲が黒く日の光が一切差さない。黒すぎて夜なのかと思ってしまう。だが、彼女が言っている『どうなっている』はそれではない。
「墓場、共同墓地に埋葬してある死体が蘇りました! 正確にはわかりませんが、あるだけ全部動き出し国民を襲っているものだと思われます。ただ今、兵団を派遣し、鎮静を試みています!」
なんの儀式もなくゾンビの大量発生だ。町がパニックに陥っているであろうことは想像に難くない。一個大隊を町に送り出している。これ以上の兵団を出したいところだが、将軍がそれを止める。
「魔王、または魔王軍の進軍があるかもしれません。他国に連絡を取り状況次第では援軍を頼みます。現状では一個大隊だけで対応します」
「ゼディス殿たちへの連絡はどうなっていますか!?」
「もちろん真っ先に!」
現状、ゼディス達がどう動いているのか連絡は入っていないが、こちらから連絡は届いているらしい。ひょっとしたらすでに動いているのかもしれないが、わからないということはもどかしい。
そこに、違う将軍が大急ぎで連絡にくる。あまり、良い事態を期待できない。
「大変です!」
「大変なのはわかっています」
「空に人の巨大な幻影が! いや魔王か!? とにかく早く外をご覧ください!!」
どうやら、空に映像を投影して魔王が何か語りかけようとしているのだろう。交渉の余地があるかもしれない。もっとも、全面降伏を進めてみるべきだと思っているが……。
城の塔の屋上に将軍二人と一緒に上がって空を見上げる。
そこに投影されていたのは美しい成年に見える魔王の姿であった。黒い鎧に赤いマントを着用し、玉座に寄りかかっている。ただ、背景はないく場所は特定できない。
どうやら、この城だけに投影されているのではない。視線がどこを見ているのかわからない。大陸全土を見下しているような、そんな雰囲気だ。
みんなが魔王を確認するのを待っていたのだろうか? しばらくしてから口を開いた。
「地上に生きる紳士、淑女の諸君。初めまして、私が魔王だ」
重々しい声だ。まるで、上空から重りが降ってきたかのようにその声だけで跪きそうになる。
「私は寛大だ。ゆえに先に人間たち……いや、魔族も含め地上に生ける者全てに知らせておこう。君たちの命は十二日で全て刈り取らせてもらう。初日はゾンビやグールたちとのダンスを楽しんでくれたまえ。明日以降からは地上には雷を年中無休で振らせ続けよう。それ以降は何がいいかね? 火の海か……氷の大地か……。残り二日まで生き残った精鋭たちを私自ら出向いて殺してやろう。心配はいらない。地上に生きるモノに例外は無い。勇者も7魔将も全て等しく命を刈り取ることを約束しよう」
交渉の余地は無かった。
魔族すらも……7魔将すらも殺すと言い放っている。
全てを殺す……何が目的なのかわからない。地上に君臨し、地上を我がモノにしようという考えには程遠い。ただの暇つぶしなのだろうか……殺した後のことを考えていないのであろうか?
ただ茫然と空に映る魔王を見上げる。地上には死人達と闘う兵士の声や逃げまどう市民の声が聞こえる。将軍の話では、ゾンビやグールに殺されたものも、また生きる屍となり人々を襲うそうだ。
そんな中、王宮兵から連絡を受けて、シンシスは生きる屍を片っ端から片付けていた。市民は城の中へと誘導する。
ドンドランドはすぐにラー王国へ転移魔法陣を使い救援へと向かう。
二人とも、焼け石に水だと思いながら、作業的にこなしていく。街中のゾンビもそうだが、平原や山、森などにも屍が蠢きだしていた。それは人間、魔族の死体を問わず湧き出てくる。
それは、この大陸全てでおきている現象だった。どこの国も関係ない。ユニクス王国でもエルフの王国でも……どこでも起きている。
勇者と7魔将は、各自いる場所から魔王がいるであろう場所に向かっていた。このとき、ルリアスもスアックも監視を部下に任せていたため、グレン王国にいた。
勇者はもとより、7魔将も自分たちの命を狙われている。
魔王を裏切ったことがバレているのか、それとももともと、殺すつもりだったのか……魔族も殺すつもりだったと考えれば、後者の可能性は低くない。
ブラックがゼディスから内緒に奪ってきた『呪壁の指輪』を使い魔王の居城へと出口を繋げる。7魔将たち全員、グレン王国から直行。
勇者たちは、それぞれの修行場から、魔王の居場所を目指している。
ゼディスは7魔将たちに拘束され、テレサの館に置いていかれていた。
ベットに鎖でつながれ、睡眠魔法や麻痺魔法、薬などが用いられ動けないようにされていた。一歩間違えば死にかねないほどの拘束方法。そこまでしなければ、ゼディスは戦闘に参加すると考えたからだ。
初めから7魔将、勇者たちはゼディスを魔王戦に連れて行く事に反対だったのだ。彼を危険な目に……いや、死地に行かせる気などサラサラなかった。
それに彼には生きてもらうことにもう一つ意味があった。
彼の使える能力・リキュアやセインヒローナなどは魅力的だ。だが、それらを駆使したところで魔王に勝つことなどありえない。自分たちは彼の延命措置でしかないと心得ていた。ただ、彼に長く生きてもらいたい。
『呪壁の指輪』を使えば元・ゴブリンの洞窟……現・魔王の居城にすぐに着く。
すでに洞窟ではなくなっていた。
小高い丘のように盛り上がり、いくつもの岩の柱が出来上がり、簡易的な城が出来上がっている。昔の遺跡も流用しているのだろう。通路などはしっかりしているが、装飾品などは無い。
洞窟の前に立つ7魔将……それより遅れてやってくる勇者たち。
口を開きテトはシルバ達に確認を取る。
「そっちは終わったのか?」
「だいぶひどい目に遭いました。黒の塔というだけあって、悪意に満ちた世界が多かったですね。おかげで、光も闇も手に入れてこられましたが……」
バベルの塔で『覚醒』したあとも、悪意ある世界を巡らされていた。
人が簡単に死ぬ世界、人を騙す世界。あらゆるものが売買される世界。何もない世界。
黒い力を手に入れることは簡単だったが、そこから制御することは難しかった。ゼディスに『ブラットラクト』を撃ち込まれていなければ、簡単に闇だけに染まっていただろう。ゼディスの為に……ということで正常でいられた。
逆にエイスがグファートに尋ねる。
「お前たちが人間の信頼を勝ち取れるとは思えないが?」
「そぉでもないわよ~。人間て意外と単純で面白いわよ~。もし、生き残ったら私が、いかに兵士たちにモテモテだったか見せてあげるわ。それは、もう毎日、百万通のラブレターを貰っていたほど!」
「グファート、それ言い過ぎ」
ルリアスがグファートのホラを途中で止める。
「一体、どうやって魔王が降臨したか不明だけど、その辺はいいかしら?」
「なんとなく、予感はしていましたから黒の塔で『覚醒』しようとしていたわけですし……それから、さきに言っておこうと思います。バベルの図書館で調べていた結果から言えば……全滅です」
ブロッサムの言葉を聞くまでもなかった。
光と闇の力を得た彼女たちが城の前にいるだけで、その魔力の差の大きさを思い知っていた。
「ただし、私たちには切り札があります」
「ゼディスの復活の呪文……か?」
ゼディスを置いてきた意味をゼロフォーが確認する。
彼が7魔将・勇者を復活させられる呪文を使える。全員、生き返らせることが可能かは不明だが、ここで魔王と闘い、死ぬまでに魔王の闘い方や弱点を探り、もう一度、蘇ったときその戦いを生かす。
相手の手口を全部、曝け出させることが死ぬ前までするべきことだ。それができれば、わずかな勝機の糸口が見える。
「ただ、全員、復活~! なーんて、出来ないでしょうけどね~。魔力的にも精神的にも肉体的にも無理、無理、無理じゃな~い」
ベグイアスの言う通り、一人あたりに大量の魔力を使用する。それから物凄い激痛が一人復活でも伴う。そして、肉体の部位を剥ぎ取られていく。
普通に考えれば二人、多くて三人蘇らせるのがやっとだと思える。
が、ゼディスなら……という気持ちが彼女たちにはある。
「まぁ、誰が蘇っても恨みっこなし、ってことでいいんじゃない?」
「そうですね。こちらで選べるわけでもなし……」
ドキサの言葉にスアックが頷く……。
魔王城の門をくぐる。
すでに、魔族を殺しているのか、敵兵の一人も見当たらない無防備な城だった。




