第三話 お弁当は毎日四つ。プリンは週に四回。
それから一年。
エリカは王宮で、すっかりなくてはならない存在になっていた。
朝は子供たちのお弁当を作り、昼は国王の分を詰め、夜は晩餐会の献立にも意見を出す。
いつの間にか、ただの厨房女ではなく、陛下の専属料理人と呼ばれるようになっていた。
「えりかー!きょうのおやつはなに?」
「焦らなくても出てきますよ。シャルロット様」
「プリンかな?プリンだよね?」
「……プリンです」
「やったー!」
弾むように走っていくシャルロットを見送り、振り返ると国王が立っていた。
「……私の分は?」
「陛下のお分も、もちろんございます」
「そうか」
口数は少ないくせに、こういうことだけは欠かさない。
この一年で、エリカはその不器用さが嫌いではないと知っていた。
国王は弁当箱を見つめたまま、ぽつりと言う。
「……やはりお前の作るものは、食べると温かくなる」
「毎回同じことを言いますね、陛下」
「毎回、本当のことを言っている」
前の夫には、弁当の匂いがすると言われた。
けれど今、同じように料理をしているこの手を、温かくなると言ってくれる人がいる。
お弁当屋のおばさんとしては、それ以上の褒め言葉はなかった。
それからさらに数日後、秋の夕暮れ。
子供たちが眠り、王宮が静まり返ったころ。
エリカは厨房で翌日の仕込みをしていた。
明日はアンドルーとシャルロットが楽しみにしている小さなピクニックの日だ。
から揚げ、だし巻き卵、たこさんウインナー、具だくさんのおにぎり。
シャルロットのために、うさぎりんごも忘れない。
国王の分も、もちろん入れる。
「……こんな時間まで、何をしている」
振り返ると、厨房の入口に国王が立っていた。
「陛下。こんな時間にどうされたんですか」
「執務が終わった。明かりが見えたから来た」
そう言って中へ入り、並んだ四つの弁当箱を見下ろす。
アンドルー用、シャルロット用、エリカ用、そして国王用。
「……私の分まで」
「いらっしゃるかと思ったので。余計でしたか」
「いや。必要だ」
国王は椅子を引き、エリカの向かいに腰を下ろした。
こうして深夜の厨房で二人きりになることが、この頃はたまにあった。
最初は緊張したが、今はもう知っている。この人は、言葉は少なくても、黙ってそばにいる人なのだ。
「エリカ」
「はい」
「ひとつ、聞いてもいいか」
「どうぞ」
炉の火がぱちりと鳴る。
国王はしばらく黙ってから、低く言った。
「お前は……ここを出ていくつもりはあるか」
「それは、どういう意味でしょうか」
「言葉通りだ。王宮を離れる気があるのかと聞いている」
額面通りに取れば、解雇の前触れにも聞こえる。
だが、この人はそんな回りくどいことをする人ではない。
エリカは正直に答えた。
「今のところは考えていません。アンドルー様もシャルロット様も、まだまだ成長期ですし」
「子供たちのためだけか」
「……と言いますと?」
「お前のために聞いている。お前は、ここにいたいか」
まっすぐな視線がぶつかる。
いつも静かな目だった。けれど今夜は、その奥に覚悟のようなものがあった。
「……はい。許されるなら、いたいです。ここが好きです」
「そうか」
国王はひとつ息をつき、それから言った。
「では、頼みがある」
「なんでしょう」
「これから先、生涯にわたって、私と子供たちのために料理を作ってほしい」
エリカは手を止めた。
「それから——できるなら、一緒に食べてほしい。食卓を、共にしてほしい」
しんとした厨房に、その言葉だけが落ちた。
意味がわからないほど鈍くはない。
むしろ、わかりすぎるくらいわかった。
この世界に味噌汁は無いけれど、『生涯味噌汁を作ってほしい』という言葉と同義に聞こえた。
前世では「弁当の匂いがする」と言って去っていく男がいた。
今世では「妻として並べるなら妹の方が都合がいい」と言った男がいた。
どちらも、美緒の作るものを重荷か当たり前としか思っていなかった。
でもこの人は違う。
「それは……料理人への依頼ですか」
「違う」
「では」
「妻としての、求婚だ」
王らしい大仰さはなかった。
ただ、ひどく誠実な声だった。
エリカは四つの弁当箱を見た。
ずっと四つ作ってきた。
気づかないふりをしていただけで、いつからかこの四人で食卓を囲む未来を、自分は当たり前のように想像していたのかもしれない。
「……陛下」
「なんだ」
「私、離婚してます」
「知っている」
「前の夫、顔がよかったです。陛下も、とてもお顔がいいです」
「……それは断りの言葉か」
「いいえ」
エリカはまっすぐに国王を見た。
「陛下の目は、ちゃんと違います。最初に会ったとき、確認しました」
「……目を確認したのか」
「はい。前の夫たちは、自分しか映っていませんでした。でも陛下の目には、ちゃんとアンドルー様とシャルロット様が映っていた。そういう人は信用できます」
数秒の沈黙のあと、国王が低く笑った。
厨房に響くその笑い声は、初めて聞くものだった。
「……一年越しで見極められていたとは知らなかった」
「料理人の目利きです」
「私は食材か」
「素材は申し分ないです」
今度はもう少し長く笑う。
その笑い方まで、やっぱりちゃんと違った。
「では、答えを聞かせてくれ」
「生涯にわたって料理を作ることは、喜んでお受けします」
「それだけか」
「……一緒に食べることも、喜んで」
国王が静かに立ち上がり、テーブルを回ってエリカの隣に立つ。
「それは、求婚を受けてくれるということか」
「……はい。ただし」
「なんだ」
「お弁当箱は毎日四つ作ります。子供たちの分を減らしたり、手を抜いたりは一切しません」
「当然だ」
「中身に文句は言わないでください」
「言わない」
「プリンは私が食べたいときにしか作りません」
「……それだけは交渉させてくれ」
「無理です」
「週に四回」
「多いです」
「三回では少ない」
「……では、四回で」
「決まりだな」
国王がエリカの手を取り、そっと唇を寄せた。
炉の火が二人を同じ色に照らしている。
「エリカ」
「はい」
「……ありがとう。子供たちに、食事を作ってくれて」
その声は国王のものではなく、二人の子供の父親の声だった。
喉の奥が熱くなり、エリカは弁当箱の蓋をそっと閉める。
「こちらこそ。食べてくれて、ありがとうございます」
翌朝。
青く晴れた空の下、小高い丘に四人で敷物を広げた。
護衛は少し離れた場所に控えている。
「えりかー!みて、よつば!」
アンドルーが駆けてくる。
「シャルロットもみつけたい!」
「じゃあ一緒に探しましょうか」
二人を抱き寄せたエリカの後ろから、国王がゆっくり歩いてきた。
「腹が減ったな」
「はい、どうぞ」
差し出した弁当箱を受け取り、国王はその隣に腰を下ろす。
アンドルーが我先にとから揚げをつまみ、シャルロットがうさぎりんごを得意げに掲げる。
青空の下、四人でひとつの敷物に並んで座り、お弁当を広げる。
当たり前みたいで、奇跡みたいな景色だった。
「……美味い」
国王がぽつりと言った。
「毎回同じことを言いますね」
「毎回、本当のことを言っている」
「……おかわりはありませんよ」
「そうか」
「——嘘です。ちゃんとあります」
国王が珍しく目を丸くし、それから少しだけ笑った。
やっぱりちゃんと違う。この人の笑い方は。
「エリカ」
「はい」
「生涯、よろしく頼む」
ただそれだけ言って、から揚げをひとつ口に入れる。
美緒改めエリカは、青空を見上げて小さく笑った。
二度あることは三度ない。
三度目の正直、ということにしておこう。
王宮の台所から生まれたお弁当が、今日も四人の胃袋を満たしていく。
そしてきっと、これからもずっと。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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