第二話 お子様ランチ
翌日から、エリカは子供たちのための小さなお弁当を作り始めた。
正式な食事とは別に、食べたくなった時にすぐ口にできるように。
形を変えたおにぎり、小さなサンドイッチ、彩りよく詰めた野菜のおかず。
この世界に弁当箱という概念はなかったので、木工職人に頼んで小さな木箱まで作ってもらった。
「きょうはなにがはいってるの?」
三日目から、シャルロットは弁当箱を見るなり駆け寄ってくるようになった。
「今日はうさぎさんりんごと、鶏のから揚げと、チーズと——」
「からあげ!」
アンドルーの目がぱっと輝いた。
ようやく年相応の子供らしい顔がのぞいた瞬間だった。
よし。
美緒の中のお弁当屋魂が、にやりと笑う。
一週間もすると、子供たちはエリカの弁当箱を見ればちゃんと食べるようになった。
顔色が戻り、夜泣きが減り、部屋に笑い声が増えていく。
誰もそれを止めなかった。
そして一週間後、その話は国王の耳に入った。
エルファーデン王国国王、ウィリアム三世。二十八歳。
王妃を亡くしたばかりの若き王だった。
「子供たちが、厨房の女が作る弁当とやらしか食べないそうだな」
呼び出されたのは拝謁の間ではなく、子供たちの食事部屋だった。
いかにも父親として確かめに来た、という空気に、エリカは少しだけ肩の力を抜く。
「顔を上げろ」
言われて顔を上げた瞬間、エリカは一瞬だけ固まった。
……顔、ええな。
彫りの深い整った顔立ち。背筋の伸びた立ち姿。
ただし、浩二ともフィリップとも決定的に違うものがあった。
この人の目は、自分だけを映していない。
疲れと悲しみを抱えたその奥に、子供たちのことだけはちゃんと映っていた。
「お前が作っているのか」
「はい」
「なぜあの子たちは、お前の飯しか食わない」
「味が好みに合ったのだと思います。あとは形とか色とか。楽しいと感じると、食欲が出ることもあります」
「子供の食欲は、楽しさで変わるのか」
「大人もそうです、陛下」
しまった、と思ったが、次の瞬間、国王はほんの少し口元を緩めた。
「生意気な厨房女だな」
「申し訳ありません」
「謝らなくていい」
国王は子供たちの方へ視線を向けた。
アンドルーが弁当箱の中のから揚げを大事そうにつまんでいる。
「本日は、昨日より食べる量が増えました。デザートも召し上がりました」
「……そうか」
短い返事だったが、声はわずかに掠れていた。
エリカは思い切って尋ねた。
「王妃様が亡くなられてから、ずっと食べなかったんですか」
「食べないし、笑わないし、夜も眠らない。私が部屋へ行くと、あの子たちは余計に気を遣って黙っていた」
国王はそこで言葉を切り、から揚げを口に放り込んだ。
「父親のくせに、何を与えればいいのかもわからなかった」
その一言に、エリカは少しだけ目を伏せた。
目の前にいるのは、王である前に、子供たちの食卓の前で途方に暮れていた父親なのだ。
「十分ですよ」
「何がだ」
「こうして気にしておられる時点で、十分です。あとは食べやすくして、楽しくして、少しずつ慣らせばいいだけです」
「……お前は、そういうことを当たり前みたいに言うな」
「当たり前です。食べることは、生きることですから」
しばらく黙っていた国王は、やがて低く言った。
「…… このから揚げとやら、美味いな。今夜の子供たちの夕食も、お前が作れ」
「承知しました」
「私の分も頼む」
「陛下の分も?」
「子供たちと同じものを作れ」
「……おこさまランチでよろしいですか」
「それでいい」
その夜、国王の前にもおこさまランチが置かれた。
猫の絵を描いたオムライス。
小さなミートボール。
星形の人参入りポテトサラダ。
そしてデザートにはゼリー。
三つ並んだ皿を見て、シャルロットが目をきらきらさせる。
「おとうさまもおなじ!」
「おとうさまも、おほしさまたべる?」
「……食べる」
ぎこちなく答えた国王を見て、アンドルーが少しだけ笑った。
その笑顔を見た瞬間、国王の目に浮かんだものを、エリカは見なかったふりをした。
それからしばらくして、夕食後の報告に呼ばれた時のことだ。
「最近、あの子たちは毎朝お前を待っている」
「ありがたいことです」
「シャルロットは、お前の足音を覚えたらしい。廊下の向こうでもわかるそうだ」
「それはすごいですね」
国王は少しだけ口元を緩めたが、すぐに真顔に戻った。
「アンドルーも変わった。前は何を聞いても、よくわからないとしか言わなかったのに、今は今日の弁当に何が入っていたかを話す」
「好きなものの話は、したくなるものです」
「……そうだな」
短い沈黙のあと、国王はぽつりと言った。
「私もだ」
「はい?」
「執務の途中で、今日は何が入っているのか考えるようになった」
エリカは思わず目を瞬いた。
国王は視線を逸らしたまま続ける。
「食事など、空腹を満たせればそれでいいと思っていた。だが今は違う。お前の弁当がある日は、少しだけ……その先を考えられる」
胸の奥がじんわりと熱くなる。
この人は子供たちだけではなく、自分自身も少しずつ救われているのだ。
その数週間後。
前夫フィリップと妹のファリスが、王宮の晩餐会に招かれた。
フィリップは社交上重要な侯爵家の当主として、ファリスはその新しい妻として。
本来なら厨房にいるエリカには関係のない話だった。
だが、その日の晩餐は厨房総出での大仕事で、エリカも当然その一員だった。
「聞いた?ランベルト侯爵夫人、前の奥方の妹なんですって」
「じゃあ前の奥方って、今ここで働いてる……」
「しっ。それ、エリカのことでしょう」
囁き声を背に受けながら、エリカは黙々とタルトを仕上げた。
もう終わった話だ。そう思っていたのだが——
「バーレット嬢」
不意に名を呼ばれ、顔を上げる。
そこにいたのは国王付きの侍従だった。
「陛下がお呼びです。お食事の件で確認事項があると」
「今ですか」
「今です」
結果として、それは最悪でもあり、最高でもあった。
国王と話しながら広間に入ったエリカに、視線が一斉に集まる。
正面の席にいたフィリップとファリスの顔色が変わった。
「え……エリカ?」
「ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
エリカは前世のお弁当屋仕込みの、愛想のいい笑顔で一礼した。
フィリップが何か言おうとした、その瞬間。
「バーレット嬢は、私の子供たちの食事を任せている。優秀な人材でね」
「は……陛下、恐れながら、彼女はそんな大層な女では——」
「彼女は、私の子供たちに笑顔を取り戻した。私がもっとも信頼する料理人だ」
広間がしんと静まった。
フィリップは口を開きかけて閉じる。
ファリスは真っ赤になって俯いた。
エリカは深く頭を下げると、そのまま静かにその場を辞した。
廊下を歩きながら、心の中でそっと呟く。
……ざまぁ、って言うんでしょうかね、こういうの。
大声で勝った負けたを叫ぶ気はない。
ただ、自分を捨てた相手の前で、自分がちゃんと必要とされている。
それだけで、十分だった。
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