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夜火の魔物と呼ばれた彼女は、お飾りの皇后になることを承諾した  作者: 山法師


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3/3

3 あの時の自分を

 力を受け継いだ彼は、力を受け継いだことを忘れ、自分が誰かも忘れ、己の中に存在する忌神が求めるまま、闇を貪り食っていた。

 彼が自我を取り戻せたのは、彼女の言葉で忌神が大人しくなったからだった。


 ──ありがとうございます。神様。

 ──お母さんの魂、食べてくれて、ありがとうございます。

 ──お母さん、生きてた時も、ずっと苦しそうだった。苦しそうなの、隠してた。

 ──神様が、お母さんを助けてくれた。ありがとうございます。


 滅びの闇に呑まれた土地の闇を食い尽くし、闇に呑まれた死人の魂を食い尽くし、死人だと思い込んで食べようとした人間の言葉で、忌神は大人しくなった。


 あの時に流した涙は、自分のものか忌神のものか、彼は未だにわからない。


 月の明かりがない夜だった。星明かりだけが、自分と彼女を照らしていた。


 灰色の髪が虹色に淡く輝く様を、濡れたような黒い瞳を。

 美しいと思ったのは、忌神ではなく自分だ。

 母を救ってくれたと、心から安堵して微笑む彼女の。

 明るい笑顔が見たいと願ったのも忌神ではなく自分だと、彼はあれから毎日のように、自分と自分の中に存在する『神の欠片たち』へ言い聞かせている。


 ただ、あの時の彼はひどく混乱し、動揺していた。

 忌神として闇を貪り食っていた間の記憶が、彼の脳内へ一気に押し寄せていた。

 涙を流して狼狽える『神様』を、幼い彼女は気にかけた。


 ──神様、どこか痛い? 怪我してますか? いっぱい食べたから、神様の魂も滅んじゃったりしますか?


 自分を食べる前に少しでもと、彼女は『闇をまとう黒く巨大な化け物』の胸元へ埋まるように、折れそうな体で彼を抱きしめた。

 淡い蒼炎が彼女を包み、巨大な彼さえ包み込んだ。

 痛みや怪我など、なかった。そもそもが闇を喰らう化け物だ、闇に呑まれて滅ぶこともない。

 温度などないはずの、彼女の力による幻の炎だと、頭では理解していた。

 なのに、暖かかった。炎も彼女も温かく思えた。


 常に闇を纏う彼の魂が癒やされていたのだと気付いたのは、あの時からずいぶん経ってからだった。


 あの時に流した涙は自分の涙だと、彼は「美しいと思い、笑顔が見たいと願った」ことと同じように、自分と『欠片たち』へ言い聞かせている。


 癒やされる心地よさに微睡みかけて、忌神としての姿を保てなくなると察した彼は慌てた。

 忌神の正体を見せてはならない。

 周囲に厳しく言われていたからというより、自分を本当に神様だと思っている彼女を失望させたくなかった。その思いが強かった。

 慌てながら落ち着きを装い、簡素に説明して「生きているから食わない」と伝えた。少しだけ残念そうに抱きしめてくる彼女に心が揺らぎ、連れて帰ってしまえと囁いたのは他でもない自分だと彼はわかっている。

 一気に押し寄せてきた記憶を整理できていない今、迂闊に動けない。記憶を辿っている最中に、姿が戻ってしまうかもしれない。

 己を律して彼女を離し、落ち着き払って逃げるようにその場をあとにした。

 力を受け継いでからそれほど経たずに戻り、忌神を自分の手足のように扱えるようになった彼を、周囲は手のひらを返すように賛美した。


 あの土地が自国や周辺国ではないらしいと、記憶をある程度まで整理できた彼は把握したが、どの国のどの地域なのかまではわからなかった。

 彼より何歳も下、いっても3歳程度に見えた幼い彼女は浮浪児のような姿だった。闇に呑まれて死人となり、彼が魂を食らった彼女の母親らしき存在も、浮浪者のような姿だった。

 滅びの闇で朽ちかけていた建物を、忌神姿の彼が倒壊させるように闇を貪り食って辿り着いた地下深くに、彼女と彼女の母親が居た。

 閉じ込められていたらしいことは引っかかっていたが、身なりからして奴隷だと判断すると辻褄が合うように思えた。

 調べさせればどこの誰だかすぐに判明すると、わかってはいた。

 深追いは危険だと、それもよくわかっていた。

 皇帝として選ばれた彼は、皇帝として生きていく道しかない。

 先代の皇帝と同じようにはなりたくなかった。


 それがどうしてこうなったと、ホィエンシュエは頭を抱えたくなる。


 太陽の国、ニシャーウ。滅びの闇を恐れ、闇を遠ざける『太陽』の名を冠する国々は多い。

 タイヤンジーグァも『太陽の国』を意味する。

 距離がある、関わりの薄い小規模国家、後回しにしていた理由にそれらもあるが。

 闇を遠ざけるか消滅させる力──それも強大な力を有しているらしく、闇に呑まれる様子が見られないからという理由が一番強かった。

 どのような力をと、不用意に詮索するものではない。自国の盾であり剣であり、血なまぐさい歴史が背後にある。下手に突くと、その国を崩壊させてしまう。

 いっそのこと崩壊させればよかったと、妃候補の『フォロリタ』が彼女だと知った時、愚王になりかけた。

 そしてフォロリタが『あの時の存在』を探すためだけに、死を覚悟してここまで来たと分かってしまって、愚王から愚者にまで堕ちそうになった。


 陽炎のような忌神の思念が、ホィエンシュエへ囁く。


 面倒で意味不明な『規則と伝統』で形式上の皇后になったのだから、あとは周囲へ根回しをすれば、彼女を『正式な皇后』にできる。


 普段は大人しい神獣の思念まで、忌神の思念に同調する。

 彼の魂と馴染んだ『欠片たち』は、もはや彼と同一の存在と言えた。

 思念が伝えてくる言葉は、ホィエンシュエの本心と変わりない。


 言いなりになってやるものか。先代のようにならないために、ここまで努力してきたのだから。


 何もかもが、遅すぎる。今さらすぎる。

 詫びることさえできない。

 格好がつかない、聞かせるべきでない。

 今だけにするから、弱音を吐かせてくれ。


 かしこまりましたと低頭に近い礼をする彼女に、聞こえるかどうかの消え入りそうな声で。


「……あの時、掻っ攫ってしまえばよかった」


 礼を解く様子もなく、聞こえた素振りも見せない。

 好きに動いていいと伝えて、一日で皇帝に──あの時の存在に辿り着いた彼女だ。

 始祖王の墓は距離は近いが、立ち入りに許可が必要な場所。

 流石、周囲が妃にと選んだ……と皮肉を言いたいが、皇后にするつもりはなかったはず。

 妃候補たちを品定めしていた奴らは、彼女は妃で充分だと判断した。

 彼女の動きが奴らにとって予想外の事態なら、奴らの狼狽ぶりが見れるだろう。


 思考を巡らせながら、そちらをあまり気にしていない自分にホィエンシュエは気づいている。


 君の隣に、僅かの間でも居られる。

 君を束縛する全てから、君を解放できるなら。

 あの時に願った、明るい笑顔を。

 君は自分に見せてくれるだろうか。


 何を馬鹿げたことをと、彼は内心で一蹴し、立ってもらうよう促した。

 顔をこちらに向けた『フォロリタ』が、楽しそうな笑顔を見せる。


「あなたのお役に立てるよう、精いっぱい努力しますね」


 応じようとした彼は、ふと気づく。

 彼女は彼を「あなた」と呼んだ。

 忌神でも神獣でもなく、皇帝陛下である彼を「あなた」と呼んでいる。

 陛下とも呼ばず、名前で呼んでもいない。

 彼女はずっと「あなた」と呼んでいた。

 気安く呼んだつもりはないだろう、敬意が込められているのがわかる。


 彼は再び、強く願った。固く決意した。


 君のために力を尽くそう。


 君が振り向いてくれるまで。


「……ああ、こちらも努力しよう」


 なぜ努力すると言われたのか分からないといった様子の彼女に、内心で苦笑する。

 忌神、神獣、皇帝。

 どれでもない自分を──俺を。

 見てくれている君が、振り向いてくれるように。


 努力すると伝えたかったのだと、伝えるためにも努力しよう。


 お飾りの『皇帝陛下』にならない努力を続けていた。


 今の彼女は『お飾りの皇后』だ。今の自分と同じような存在に、自分がさせてしまった。


 それでも彼女は「あなた」と呼んでくれた。


 そのことにどれだけ救われたかを伝えるために。

 努力しよう。力を尽くそう。


 不思議そうに自分を見上げる彼女に彼が苦笑を見せると、彼女はさらに不思議そうに首を傾げた。


 



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