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第七章 大騒動 (2)

 ディワンは、ファンと共にアイオスの後に続いて哨所へと向かった。哨所の周囲は、人だかりで埋め尽くされている。村人と部隊員の間で、ドフヤとファンの一件は注目の的であり、その結末を見届けようとする者が集まっている。空いている農業村の村人は総出で、勤務中でない遺跡都市部隊の隊員も皆駆けつけていた。二つの人の波が哨所を両側から包囲している。


 指揮官までもが騒ぎを察し、警備員の隣で立ち、苦々しい表情を浮かべている。


 部隊の隊員たちはディワンとファンを目にすると、自然と道を開けて二人を通した。


 人垣の中央には一つの空間が残されており、ディワンの目に、一人の女性が立っているのが映った。間違いなく、それがドフヤだった。


 彼女を見た瞬間、ディワンは心の中でひそかに 驚嘆した。女性としては高身長であり、彼が知る多くの男性よりも逞しく見えた。ファンなら、一対一で組めば勝てるかもしれない。しかし自分となれば、即座に逃げ出す他ない。そして、その逃走すら成功する保証はなかった。


 その大柄な女性は、水色のロングドレスを着ている。身体のラインが強調されたそのデザインは、おそらく舞踏会用の衣装だろう。髪はまとめられており、化粧もしているようだが、スカートの裾には作業用の重たいブーツが隠されていて、風が吹けば覗いてしまう。


 この組み合わせはあまりに奇妙だった。どう見ても踊りに来た者には見えない。彼女は胸元に腕を組み、足を開いて立っている。ファンを目にすると、はじめて腕を下ろした。その闘気を漲らせた立ち姿は、まるで殺しに来たみたいだ。その衣装も、彼女が身に着けることで本来持っているはずの優雅さが消え、むしろ鎧のように見えてしまう。


 もしファンに同行していなければ、自分は今すぐにでも逃げ出していただろう。ディワンはそう感じた。






 ドフヤは、人垣をかき分けて現れたファンともう一人の男を見つけた。


 ファンの体つきは、鶴のような大型の鳥を思わせる。彼はいつでも人ごみの中で目立つ存在で、ドフヤの目にはすぐに入ってくる。今日も例外ではない。


 そして、その隣を歩く男は、もし何かにたとえるなら、凶暴なプレーリードッグのようだ。


 ドフヤは二人の顔をじっと見比べてみた。目元が似ていることに気づく。なるほど、あのプレーリードッグがディワンなのか。ファンから聞いたことがある。自分とはまるで似ていない伴生者がいると。その人物は《災厄研究会》に所属し、遺跡を巡って災厄の真実を探っているという。


「ドフヤは完璧だ」と母は言ったし、ニーシャとその友人たちもそう言ってくれた。「すごく綺麗」とまで。でも、ドフヤの心は不安でいっぱいだ。髪飾りの色味はどこかちぐはぐ で、化粧も子どもっぽすぎる。何より、スカートの裾からちらりと見えてしまう作業用のブーツ、こういう場面にふさわしい装いとは言えない。


 でも、そもそも「こういう場面で着るべき服」なんて、本当に正解があるのだろうか。


 ドフヤはわかった。うまくいく保証のある“正解”なんて存在しないことがある。たとえば、今の自分がしようとしていること。そんなことは、ただ「できるかぎり のことを尽くす」しかないのだと。


 自分が何をしても、どれだけ頑張っても、選択権はファンの手の中にある。


 ドフヤが唯一、ファンに求められるのは、今日こそ、自分をどう見ているか、必ず答えてもらうことだ。


 そして、彼がどんな答えを返したとしても、ドフヤはそれを受け入れるしかないのだった。






 ファンは、礼服姿のドフヤを見つめた。こんな服を着た彼女を見るのは初めてだ。


 鎖骨が見える。その周辺の柔らかな肌も。


 ──もし首元から中を覗けるなら。


 柔らかい布地は彼女の体に沿っていて、胸元から下へと流れる曲線を描き出している。その穏やかな起伏が、一つ残らずファンの魂をつかんで離さない。


 目に映るもの全てが、心を掴んでくる。毛先が少し跳ねた髪も。そこに留められた蝶や花のヘアピンも。はっきりしていない腰のラインさえも。それらがドフヤの一部であるというだけで、ファンは抗いようもなく惹かれてしまう。ドフヤだからこそ、それらすべてが、美しい。


 この場にとどまり、ずっとそれらすべてを見ていたい。


 人垣を通り抜けようとした時、男の声が耳に飛び込んできた。「化けるタイプなんだな。あんなに綺麗になるなんて。ファンがいらないなら、俺が行こうかな」


 ファンは、今この場でドフヤを見ている全ての男を追い払いたくなった。けれど彼はわかっている。自分には、もうそんな資格などないのだ。






 元々ざわざわしていた人々は、主役二人が揃った瞬間、ぱたっと 静まり返った。


 ドフヤとファンは互いに見つめ合った。ディワンは、決闘が始まりそうな空気だと感じた。立ち上がって何かを言おうかと考えているうちに、ファンが口を開いた。


「ドフヤ。おれは結婚できない」ファンは冷たく、淡々とした口調でそう言った。


「どうして?」ドフヤが訊いた。


 ファンは言えなかった。日光幕に少しずつ照らされていく、梁にぶら下がった肉体の光景を。


「明日、おれはもう死んでるかもしれない。そんな可能性、考えたことあるか?」ファンは、辛うじてその問いを口にした。


 ドフヤは、ためらいもなく首を横に振った。


「災厄──最近は戦争の兆しがある。遏令(アツレイ)に殺される可能性もある。もしそうなれば、君とおれが命を結び合わせたところで、ほとんど時間なんて残されていない。それでも、君はそれに価値があると思うか?」


 ドフヤは、ファンが何を言いたいのか理解できない。


「君の村には、そういう人、いなかったか? 災厄が過ぎ去った後、死んだ人の後を追ってこの世を離れた人は。おれには、それが、恐ろしい」


 ドフヤは懸命に耳を傾けた。懸命に、ファンの言葉を理解しようとした。けれど、要点が掴めなかった。ただ、何か見えない壁が、自分とファンの間にそびえ立っているように感じた。


 彼女は思った。あれを、突き破らなければならない。


「じゃあ、結婚しないってことは、私のこと愛してないから?」ドフヤが言った。ファンの顔をまっすぐに見つめながら。


 ママが言っていた。この世には、女だけに与えられた魔力があると。その魔力を、今こそ使う。


 ファンは、驚愕してドフヤを見つめた。ドフヤは、彼の言葉を気にもせず、核心の問いを投げかけた。


「そんなに私のことを愛してないから、世界が変わるってだけで、命を結び合わせようとは思えなくなる。そういうこと?」ドフヤはファンをまっすぐ見て、言った。「君の私への愛が、世界の変化に抵抗できるほど強くないってこと?」


「ちがう、死には抵抗できない──」ファンは口ごもり ながら、どうにか説明しようとした。


「君の命が、あと一分しか残ってなくても。それでも、私と一緒に分かち合おうとは思えないの?」ドフヤは泣きそうになりながらも、必死にこらえ、ファンに舌を突き出した。「けち!」


 ファンは、もう何も言えなかった。


 ドフヤは、ファンの顔を見つめた。そして、気づいた。男の表情の読み方なんて、誰かに教わったことはない。けれど、彼の気持ちはちゃんと見える。


 まるで、この世には本当に、女だけに代々受け継がれてきた魔力が存在しているかのようだった。それは、女たちに自分の男を見つけ出す術を授けてきたのだ。


 ファンは、自分を愛しているのだ。


 この世界がどんなふうに変わろうとも、自身とファンがどんなふうに変わろうとも。


 たとえ子どもを何人産もうが、物語の中の怪しい病にかかって髪が真っ白になり、歯が抜け、肌がしわだらけになっても、それでもファンは、自分をずっと愛していくに違いない。


 ファンにとって、ドフヤはいつだって、世界で一番美しい存在なのだ。彼の瞳に宿る光が、そのことを物語っていた。


 ドフヤは背筋を伸ばし、声を張り上げる。その声は、天地を震わせる雷鳴のようだ。この世界で最も厚い壁すら貫き、ファンの心をも揺さぶるような響きだ。「言ってみなよ。私のこと、好みじゃないって。性格が合わないって。見た目が嫌いって。言ってよ! 言ってくれれば、私も諦めるから。言ってみなってば!」


「違う、そんなことは、おれは──」ファンは、どうにか説明しようとした。ドフヤに諦めてほしい。でも、「ドフヤは醜い」そんな言葉だけは、たとえ口を裂かれても、彼の口からは決して出てこなかった。


 情勢が硬直し始めた頃、ディワンが手を挙げて口を開いた。「すまん、ちょっと中断させて。兄弟間の相談タイムだ」


 彼はまずファンをくるりと振り向かせ、ドフヤに背を向ける形に立たせる。そして、ファンの襟元をつかんでグッと 下へ引き、顔を下げさせる。こうしたら、腕を回してファンの首裏を引き寄せ、顔を近づけて囁ける距離になった。


「もう、あきらめろよ。お前の負けだ」ディワンは言った。


「え?」


 もしあの頃の、ドゥドス・ウェリス・アンボルに空き教室へ連れ込まれて叱られた、あの愚かだったディワンだったなら、きっと、ドフヤが他の多くの人とは違う存在だということには気づけなかっただろう。だが、あれ以来、彼は本を読み、出来事を経験し、人に会い、以前よりずっと成長した。そのため、彼には見分ける目が備わっている。ドフヤはユーロと同じだ。彼女たちはやりたいことをやる。必ずやり遂げる。しかも、彼女たちの判断はいつも正しいのだ。


「よく考えろ。今、彼女は選択する機会をお前に与えている。もしお前がそれを断るなら、そのチャンスは別の男に回るだけだ。そんなの、耐えられるか?


 断言する。お前が断ったら、一生後悔することになるぞ」


 ディワンは、まだためらうファンに最後の一撃を与える。「アイオスがドフヤとキスしてる場面、ちょっと想像してみろ」


 その瞬間、ファンの心に、火山が爆発したような衝撃が走った。


「よし。ようやく目が覚めたみたいだな。行け。彼女に答えろ」ディワンはファンの首から腕を外し、彼の肩を押して再びドフヤの方へ向き直らせた。


 その場にいる全員が沈黙した。張りつめた 空気の中、誰もが彼らを見守っている。


 ドフヤは心臓が爆発しそうなほど緊張している。


「結婚しよう」ファンは、そう叫んだ。


 その瞬間、彼らを囲む人垣から歓声が爆発する。指揮官までもが手を叩いていた。


 ドフヤは笑みを浮かべ、目尻の涙をぬぐう 。ファンは彼女の前に進み、その手を取った。


 アイオスは感激のあまり、何度も涙をぬぐいながら言った。「カイバル隊長が見ていたら、きっと喜んだはずだ!」


 ファンはアイオスに向かって笑みを浮かべ、こう言った。「殺さないように気をつけるよ」


 もちろん冗談なのだろうが、アイオスにはほんの一瞬、本物の殺気を感じたような気がした。


 ディワンは少し離れた場所に立ち、人々がファンとドフヤを祝福する様子を静かに見つめていた。そして心の中で、アイオスに高価な贈り物を送ることを決めた。ただし、アイオスにその理由を明かすつもりはなかった。






 人波が去ったあと、ファンとドフヤは隅のほうに並んで座り、しばらく二人きりで語り合った。ファンは母親のことを話した。自分の抱えていた恐れも、全部。


 彼は今でも、あのようなことが怖いと感じる。それでも、それを理由にドフヤを失うわけにはいかないと、そう思ったのだ。


 ドフヤはファンの上着を肩に掛けたまま、ファンの手をずっと握っていて、彼に言葉を届けた。「私は生きてる。君も、生きてる」


 ファンは笑みを浮かべた。今のままでいいと思う。


 彼はようやく、前へと歩き出した。今を生きることができる。






 新しい村に移り住んだ後、ファンとドフヤは結婚式を挙げた。


 この時期、皆がちょっと困窮していたが、ディワンの支援もあって、式は立派に執り行われ、皆が満足した。


 村の広場は人々で溢れかえっていた。皆が食べ、酒を飲み、踊り、歌った。かつての村で知り合った人々だけでなく、新しい村の住民たちも多く祝福に駆けつけた。新居に到着するや否や、ドフヤはすぐに友達を作り、その新しい友人たちも皆集まってくれた。ドフヤの両親は、結び目の紋様が刻まれているパンを皆に配った。


 ドフヤはディワンの妻・ユーロと出会った。彼女はまるで可愛いプレーリードッグのようだった。


「天が晴れようと雨が降ろうと、大地が寒かろうと暖かかろうと、世がいかに移ろおうとも、愛は我らをひとつに結ぶ。我は汝と命を分かち合い、災厄が我らを分かつまで共にあろう」


 ファンとドフヤは杯を取り、腕を交わし、互いの酒を飲み交わす。


 酒の味は相変わらず苦かった。けれども、ドフヤは飲みながら笑った。それがこの場で飲む酒だったから、彼女は笑ったのだった。


 証人が紅い紐を結び合わせ、二人の命を結び合わせた。


 死が二人を分かつまで。






 その夜、新婚初夜、ドフヤは緊張でいっぱいだった。


 事前に母に特別に教えてもらい、村の多産神廟にも復習しに行った。初めての夜に血が出ても出なくても普通のこと、まごついてしまうのもまた、自然なことだと知っていた。誰も傷つかず、二人とも次を楽しみにできれば、それが成功。


 そして人によって好みは異なり、相手を知るには時間がかかる。何度か重ねるうちに、もっと深い感覚が味わえるようになるのも、ごく普通のことだ。


 本番が始まると、ファンは長い時間をかけてキスしたり触れたりして、ドフヤをリラックスさせた。ドフヤが準備できたとき、ことは自然に進んだ。


 ファンは彼女をじっくりと味わい、秘宝を求めるように深く探求した。最初、彼女は自分が実り豊かな果樹のように、摘まれるのを待っているだけだと思っていた。だがその夜、ファンは彼女を女王にした。


 朝が明けたあと、世界は変わらなかった。ドフヤはドフヤのまま、ファンもファンのままだった。それは特別なことではない。そもそも生命の一部なのだから。でも、それは特別なことでもある。ドフヤにとって、ファンは特別な人だから。


 自分の命の半分はファンのものであり、ファンの命の半分は自分のものである。そのことが、世界を美しいものに変えた。

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