むかご
「まだ来た……」
郵便受けにぎっしり詰まった封筒を手に、法律家である長女・奈緒子は眉をしかめた。
「また督促状?これで今月何通目よ……」
居間にいた研究者の次女・麻理は、手元のノートパソコンから目を離さずに応じた。
「もう十通は超えたと思う。昨日なんて電話までかかってきたじゃない。母さん、あのとき……」
「……私が出たわよ。『本家筋の会社に資金繰りの余裕がなくなったので早急に返済を』ですって」
母・雅代は疲れた表情でため息をついた。
「でも私たち関係ないわ。なんでウチに?」
奈緒子が声を荒げる。
「養子を迎えたからよ。本家の養子がこの家の戸籍に入ってから、全部始まったのよ」
そのとき、玄関の電話が鳴った。
「また?」麻理が立ち上がろうとすると、ちょうど階段を降りてきた男が受話器を取った。
「私が出よう。……もしもし」
それは、この家に婿入りした元最高裁判所判事・安藤恭一だった。
「……はい。ええ、ですが……。その件についてはこちらには一切関与しておりません。……いえ、そちらの義父が存命のころの話でしょう?今は……ええ。失礼します」
電話を切ると、恭一は静かに言った。
「やはりまただった。本家筋の会社『有栄興産』の資金繰りが本格的に逼迫しているようだ」
「でも私たちが口を出す義理はないわ」奈緒子が鋭く言う。
「ええ、ただ……」恭一が言いかけたとき、また電話が鳴った。
今度は麻理が取った。
「はい……えっ!? な、何ですって?お、お爺ちゃんのプライベート機が墜落したって!?」
「なに!?」
家中の空気が一瞬で凍った。
「ど、どういうこと……」母・雅代が椅子から立ち上がる。
「さっきニュース速報が入ったばかりですって。北海道から戻る途中、連絡が途絶えて……」
「……操縦してたのは、お爺ちゃん自身よね」
奈緒子の目が揺れる。
「これは……事故か?それとも……」
恭一はすでにスマートフォンでニュースを確認していた。
「機体の残骸が見つかったそうだ。黒煙と、数名の搭乗者の死亡が確認されたと」
「嘘よ……だって、昨日、電話で話したばかりなのに……」
「……あの人は最後まで自分のやり方で生きた」恭一がゆっくりと口を開いた。
「だが、我々が今後どう生きるかは、我々自身が決めなければならない」
「……どういうこと?」奈緒子が尋ねる。
「もう本家との関係は終わった。これ以上巻き込まれるべきではない。だが、彼らは……これからさらに迫ってくるだろう。義父の死を口実に、すべての責任を我々に押し付けようとする」
「そんなこと……させない」
麻理が歯を食いしばる。
「ええ、我々は家族だ。養子だろうとなんだろうと、ここで暮らしてきた者が家族よ」
母・雅代がしっかりと娘たちの肩に手を置いた。
「ありがとう」恭一は小さくつぶやくと、棚から一枚の書類を取り出した。
「これを見てくれ。義父が遺した覚書だ。そこには……『すべての負債に関しては、本家筋が単独で負うべき』と書かれている」
「そんなの……効力があるの?」
「ある。元最高裁判事の名のもとに、法的に整えてある。……ただし、これを出すことで全面対決になる。……それでもやるか?」
家族は互いに顔を見合わせた。
「やるべきよ。もう十分苦しんだわ」
奈緒子が、初めて泣きそうな目で言った。
「そうね、私は科学者として、この家の歴史を書き換えるのに協力する」
麻理も静かに頷く。
「じゃあ、これからどうするの?」
「私が全てを終わらせる」恭一の眼は、判事時代の冷徹な光を取り戻していた。
「本家との最後の会談を、明日行う」
そして翌日。
恭一は本家筋の代表者と一堂に会した。
「……我々は、もう金を出せる状況にない」
「ならば、あなた方が連帯保証人として……」
「この書面をご覧ください」
恭一が差し出したのは、義父の直筆の覚書だった。
「な、これは……」
「故・有栄総一郎は明確に『資金繰りに関し本家筋以外の者が責を負うべきではない』と記しています」
「しかし、証明が……」
「証明ならばできます。筆跡鑑定、法的整合性、すべて整えました。……そして、今後一切の接触を断ちます」
恭一は席を立った。
「あなた方は、ご自分の道をお歩きください。私たちは、私たちの家族としての未来を守る」
彼の背に、誰も言葉を返せなかった。
その夜。
家族で囲む食卓には、静かだが確かな安堵の空気が漂っていた。
「お爺ちゃん、きっと見てるよね」
夜空には、もう黒煙ではなく星が瞬いていた