わがまま姫の最後のお願い
悲恋です。苦手な方はご注意下さい。
それは、おままごとみたいな恋でした。
淡く甘くキラキラと輝いて、思い出す度に胸が締め付けられるように痛むのです。
私の母は王の愛人と呼ばれておりました。
側室ではなく、ただの愛人です。
王は戯れで手を出して、すぐに興味を無くしてしまったそうです。
母は心を病んで、私が6歳の時に亡くなりました。
「オリビア…ごめんね…」
最後の言葉は何に対しての謝罪なのか、幼い私にはよく分かりませんでした。
王家の血を引いているだけの価値のないお姫様。
私は伯父に引き取られる事になりました。
「今日から私達は家族になるんだよ」
伯父は優しい声で諭すように言ったのです。
大きな屋敷には、金髪の男の子が二人と柔らかく微笑む伯母がおりました。
二人は私の従兄で、2つ年上のアルバートと1つ年上のルイスです。
「初めましてオリビア、仲良くしようね」
アルバートはエメラルド色の瞳を輝かせて言いました。
私は思わずそっぽを向いてしまったけれど、本当はとても嬉しかったのです。
伯父は一番日当たりの良い部屋を用意してくれて、伯母は可愛いドレスをたくさん買ってくれました。
新しい家族はとても優しくて、私は試すみたいに何度もわがままを言いました。
アルバートと伯母はよく似ていて、ルイスはどちらかと言うと伯父に似ています。
いつも笑顔で真面目で努力家なアルバート。
頭は良いけれど少し抜けていて、実は剣が苦手です。
勉強嫌いで家庭教師と鬼ごっこをするルイス。
時々、私のお菓子を奪ったりもします。
私達3人は少しずつ仲良くなって本当の兄妹のようになりました。
私が夜泣きをすると、必ずアルバートが来てくれて一緒に寝てくれるのです。
ルイスも気が向いた時は来てくれましたよ。
追いかけっこをしたり、隠れんぼもしました。
ルイスの真似をして木に登ると、アルバートが慌てて走ってくるので、面白くて何度も木に登りました。
アルバートは本が好きだったので、2人で物語を考えたりもしましたね。
緩やかに時が過ぎ、私達は共に成長していきました。
私の9歳の誕生日。
アルバートは私の手を取って言ったのです。
「僕は大人になったら、この土地を守る領主になるんだ。今はまだ頼りないかもしれないけど、これから先もずっと一緒にいてくれる?」
本当は飛び上がるほど嬉しかったのに、私は素っ気ない態度で「分かったわ」と言いました。
「いつかオモチャじゃなくて本物の指輪を用意するよ」
アルバートは嬉しそうに笑って、私の瞳と同じ色のガラス玉の指輪をはめてくれたのです。
家族を想うような親愛の情は、かたちを変えて熱を帯びていきました。
私達は少しずつ大人に近づいていきます。
17歳になったアルバートは、背が高くなって声も低くなって、人に弱さを見せなくなりました。
相変わらず人と争うのは苦手だけれど、剣の大会で何度も優勝するほど強くなったのです。
ルイスは、見た目は大人っぽくなりましたが中身は全く変わりませんね。
今だに、勉強をしないで逃げたり、私のお菓子を奪ったりしています。
私は、大人っぽいドレスが似合うようになりましたよ。
アルバートにもらったオモチャの指輪は、だいぶ前に指が入らなくなってしまいました。
そして、
ずっと変わらないと信じていた幸せな日々は、急に音もなく終わりを告げたのです。
アルバートの手の甲に赤い炎の模様が現れました。
それはまるで、呪われた血のように赤い炎の証。
この国には、おとぎ話のような言い伝えがあります。
『勇者に選ばれた者は右の手の甲に炎の模様が現れて、聖女に選ばれた者は左の手の甲に花の模様が現れる』
百年に一度だけ取り替えっこをするみたいに、この世界の勇者と別世界の聖女は入れ替わるのです。
人智を超えた奇跡の力を異世界転移と呼ぶそうですよ。
勇者に選ばれるのは、とても稀有で尊くて有難い事。
人々に平和と繁栄をもたらす神の使いだそうです。
領民達は皆、喜んで祭りの準備を始めました。
伯父と伯母は「光栄です」と寂しそうに笑い、ルイスは機嫌の悪い顔を隠そうとはしませんでした。
アルバートは何も言わずに証を見つめています。
私は何度もアルバートの手の甲を洗ったり擦ったりしましたが証は消えてくれません。
「こんなの認めないわ!」
私は怒って泣いて癇癪を起こしましたが、誰も咎めたりはしませんでした。
勇者の証が現れると、選ばれた者は100日後に異世界転移するそうです。
神様、これは何かの間違いなのです。
アルバートは確かに強いですが、少し抜けているところがあるし、争う事が嫌いなのです。
勇者になんてなれません。
屋敷には何人もの人が祝いの言葉を言いに来ました。
ルイスは毎日遊び歩くようになって、あまり屋敷には帰って来ません。
証が現れて30日が過ぎました。
アルバートは、ぼんやりする事が増えました。
勇者に選ばれた人の中には、記憶が少し消えてしまう人がいるそうです。
彼は時々、私の事が分からなくなりました。
神様、アルバートは私の夫になる人です。
オモチャだけれど指輪だってもらいました。
どうか、お願いします。彼を連れて行かないで。
証が現れて60日が過ぎました。
アルバートは、あまり喋らなくなってしまいました。
領民達は連日お祭り騒ぎを続けています。
神様、私は良い子になります。
二度とわがままは言いませんから。証を消して下さい。
証が現れて90日が過ぎました。
アルバートは、聞いた事もない言葉を口走るようになりました。
「やめて!そんな言葉を喋らないで!」
泣いて取り乱す私に、アルバートはかすれた声で小さく「ごめん…」と謝りました。
今日は、とうとう100日目です。
私はアルバートの隣に座って、両手でしっかり彼の腕を掴みます。
しっかりと掴んで離さなければ、どこにも行けないはずですから。
アルバートは勇者なんかじゃありません。
ここで一緒に領地を守っていくのです。
ぼんやりと私を見つめる瞳は、もう私の事が分かっていないのかもしれません。
「あぁ…始まった…」
アルバートの口から言葉が漏れると同時に、少しずつ彼の体が消えていきました。
「ダメ!行かないで!」
私は両手で強く腕を掴みます。絶対に離さないように。
アルバートは悲しそうに顔を歪めました。
震える指先が私の頬を優しく撫でます。
「オリビア…どうか、幸せに…生きて…」
「愛している…」
最後にそうつぶやくと、アルバートは霧のように消えてしまいました。
強く掴んでいたはずの私の両手は、するりと椅子の上に落ちて、わずかに残った温もりだけを感じました。
彼はもう、ここにはいません。
私を残して消えてしまったのです。
あれから一年が過ぎました。
領地は、すっかり平凡な日常に戻っています。
時折り勇者や聖女の話を耳にしますが、お祭り騒ぎをするような事はもうありません。
ルイスは屋敷に帰ってくるようになりました。
最近は、伯父と領地の仕事をしているそうです。
少し痩せてしまった私を心配して、お菓子を買ってきてくれたりします。
以前は私と奪い合いをしていたのに、一人だけ先に大人になってしまいましたね。
私は机の奥にしまっておいた宝箱を取り出しました。
これには、アルバートとの思い出がつまり過ぎていて、今まで触る事が出来なかったのです。
宝箱のふたをそっと開けました。
他の人から見たら、ガラクタみたいな物がたくさん入っています。
浜辺で拾った貝殻。キレイな色の石。大きなどんぐり。少し破れたしおり。オモチャの指輪…。
この指輪は、指が入らなくなってからネックレスにしていましたがヒビが入ってしまったのです。
これ以上壊れないように宝箱にしまっていました。
「君の瞳の色だよ」
幼いアルバートは嬉しそうに笑って少し得意げに、そう言っていましたね。
チェーンをつまみ上げると、カチャッと小さく金属がぶつかる音がしました。
オモチャの指輪の隣に、もう一つ別の指輪が並んでいたのです。
少し青みがかったエメラルドの指輪。
まるでアルバートの瞳のような宝石が付いています。
オモチャの指輪は嬉しそうに、エメラルドの指輪に寄り添っていました。
貴方は酷い人ですね。
私を忘れてしまうのに、こんな物を残していくなんて。
おかげで私は一生忘れられそうにありません。
神様、どうか私の願いを叶えて下さい。
これが最後のお願いです。他には何も望みません。
『アルバートが幸せに生きていけますように…』
ポタリと落ちた涙の雫は、チェーンを伝ってエメラルドを濡らしました。
静かに優しく潤んだ宝石は、まるでアルバートが泣いているみたいに見えました。
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