だらだらだら
サクッと読める短編です。気軽に読んでいただけると嬉しいです。
ファンファーレの音と共に私の前に立つ国王夫妻がゆっくりと歩き出す。
彼らの背を見ながら私は王太子殿下にエスコートされ一歩を踏み出す。
そこは華やかに飾り付けられた王宮のホール。その最奥に設けられた一段高いステージのさらに奥にある大階段の上。
だらだらだら……
背中には引っ切り無しに冷や汗が流れている。それでも顔には笑みを貼り付け優雅な足取りで大階段を下りる。淑女教育ありがとう! じゃなくって……
あー! どうしてこのタイミングで前世なんて思い出すの!? 本当は蹲って頭を抱えたい! 今すぐここを逃げ出したい! 添えた手にぐっと力が入ってしまい一瞬殿下が訝し気に私を見たが、すぐに何事も無かったように殿下も余所行きの笑みを貼り付け歩を進める。
だらだらだら……
冷や汗が止まらない。なぜってここは乙女ゲームの世界。そして今は悪役令嬢である私が婚約破棄をされ断罪される夜会の始まり。ああどうしてこのタイミングで前世を思い出すの? もっと前なら、せめて今日の朝だったら体調不良で欠席も出来たのに。
国王陛下が集まった紳士淑女の前で何かお話されているけど全くと言っていいほど頭に入ってこない。
私はピンチを回避すべく必死に考えた。
待って、乙女ゲームではないかも。件の乙女ゲームはそれなりにヒットして悪役令嬢を主人公にしたネット小説が出たんじゃなかったかしら。悪役令嬢が断罪返しをして王太子と聖女をやりこめるのよ。罪状に対し全てに反論と証拠を提示して。
だらだらだら……
駄目だわ。私証拠なんて何も持っていない。だって思い出したのって今だもの。それまでの私は久しぶりに王太子殿下にお会いして浮かれてたんですもの。
そう、久しぶり。王太子殿下はずっと聖女様と行動を共にしていらしたから。
私と殿下の婚約が結ばれて五年。最初はぎこちなかったけれどそれなりに交流を深め愛情を育ててきたと確信していた。一年前までは。
一年前にこの国に聖女様が現れた。地方の農家の娘に突如聖痕が現れたのだ。中央教会に聖女と認定された彼女は浄化の力を持っていた。
そして王太子殿下は聖女様を伴い浄化の旅に出た。この大陸にはいたるところに瘴気にまみれた地というものがある。大きいものは三カ所。その地の周辺には結界が張られその地に入るのは魔物退治で素材を得たい冒険者だけ。でもそこまで大きくなくてもこの国にも大小さまざまな瘴気にまみれた地がある。そこでは通常の作物は育たず瘴気に長い間晒された動物や人間は体調を崩す。酷い時には死に至る。それに瘴気は魔物を産む。
王太子殿下はそんな土地を聖女様を伴い訪れ浄化して回っていたのだ。
当然王都には滅多に帰らなくなり、私と会う時間も無くなった。
殿下が私ではなく聖女様と一緒に居る時間が増えるにつれ人々は王太子殿下と聖女様がご結婚なさるのでは? と噂しだした。私という婚約者は忘れ去られたようだった。それでもこの一年の内三度ほどはお会いしたのだ。殿下が王都に帰ってきた折にほんの一時間ほどお茶をご一緒しただけだけど。それもここ三か月はまったくお会いしていないけれど。
だから今日お会いできて嬉しかったのだ。婚約者としてこの場に立てて嬉しかったのだ。断罪されると思い出すまでは。
えーと、断罪の理由は何だっけ? 聖女様を襲った? 確か暴漢に聖女様が襲われ殿下が危機一髪助けたのではなかったかしら。その黒幕が私。いえいえ、私はそんなことはしていないわ。あら? でもそんな騒ぎが二三日前にあったわね。お父様がお疲れになって帰ってこられたからどうしたのかお聞きしたら他言無用だよって教えてくださったわ。え? その黒幕が私?
だらだらだら……
あー私が王太子殿下の威光を笠に着て無理難題を言ったとか予算を勝手に使ったというのもあったような気がするわ。勘弁してほしい。この一年間私だって頑張って来たのに。
王太子殿下が浄化の旅に出るにあたって王太子殿下の公務を引き受けたのだ。もちろん全部じゃないわ。それでもかなりの量があったから頑張ったのよ。王太子妃教育を既に終えていたから出来たことだし国王陛下や王妃様にも褒めていただいたわ。それなのに威光を笠に着た? 書類の不備を指摘して突き返したこと? 予算を勝手に使った? 殿下の私的な予算には一切手を出していないけど公的予算は殿下に代わって私が指示を出したわ。でも代わりに陛下に許可を貰ったし予算が降りなくては滞ってしまう業務があるんだから仕方がない事よね。
あっ! 殿下が私の元を離れて聖女様を呼んだわ!
「聖女殿こちらへ」
王太子殿下の招く声に応えて一人の少女が壇上に姿を現す。
ふわふわのピンクの髪に若草色の瞳の小柄な少女。
一年前は野暮ったい田舎娘だった彼女は一年のうちに洗練された振る舞いが身に付き可憐な令嬢に変身していた。楚々とした仕草で王太子殿下の横に並び立つと二人はとてもお似合いに見えホールのそこかしこから感嘆のため息や賛辞する声が聞こえた。
「皆も知っての通り私はこの一年この国の瘴気を浄化する事に尽力してきた。それはここに居る聖女殿の力が無くては到底成し得ないことである。彼女は王国中を飛び回る過酷な旅に不平や不満を一つも漏らすことなくか弱い女性の身でよく耐えてくれた。おかげで主だった瘴気はあらかた浄化することが出来た。彼女の功績をここに讃えたいと思う」
殿下のよく通る声がホール中に響き渡り人々が一斉に拍手をする。私も顔に笑みを貼り付けて彼女に拍手を送る。笑みを貼り付けて……本当に私は笑えているかしら?
だらだらだら……
聖女様はポッと顔を赤らめた。薔薇色に色づいた頬に華奢な手を当てて潤んだ瞳で王太子殿下を見上げる様はとっても愛らしい。私が喉から手が出るほど欲しかったもの。ストレートの黒髪に目じりが上がり気味のアイスブルーの瞳を持つ私には到底できない可愛い仕草。
聖女様ははにかみながらもしっかり話す。
「私が女神さまに授かった力を振るうことが出来たのは殿下や支えてくださった皆様のおかげですわ。皆さまが私を魔物やその他の困難から守って下さったからです」
微笑み見つめあう聖女様と殿下に人々はなお一層の拍手を送る。
だらだらだら……
「そしてもう一つ。今日この場で発表することがある。めでたい話だ、皆も祝福してくれると嬉しい」
殿下のお言葉に皆が沸き立つ。ついに来てしまったこの瞬間。私はまだ有効な手立てを思いついていない。
「お待ち……下さい……待って……」
私があげたか細い声に殿下が反応した。
「ああ君も無関係な話ではないね。君も祝福してくれると嬉しい」
殿下は私に微笑んで聖女様を伴って私に近づく。
殿下の機嫌は悪くなさそうだわ。断罪は無し? でも……それでも私は安心なんかできない。
「それは……もう決定なのでしょうか? 私の父は……」
「もちろん侯爵にも既に許可をいただいているよ」
ああもう決定なのだ。お父様も了承している。
殿下は皆の方を向き聖女様をこころもち前に押し出すようにして声を上げた。
「この度ここに居る聖女殿とディートリヒ・ブラントミュラー小侯爵が婚約を結ぶこととなった。過酷な浄化の旅で二人は愛を育み――」
「いやです!! 婚約破棄なんかしないでください!! 殿下をお慕い申し上げているのです!!」
私はつい大きな声を上げ殿下のお言葉を遮ってしまっていた。
だらだらだら……
私の両の瞳からは後から後から冷や汗が流れ止まらない。
断罪なんてどうだっていいの。いえ、良くはないけれど断罪よりなにより婚約破棄されるのが辛い。それなりの関係を築いてきたなんて嘘。それなりどころか私は深く深く殿下を愛してしまっているの。聖女様とディートリヒ・ブラントミュラー小侯爵との婚約なんて――誰?
私は両の目をハンカチで拭って――あ、このハンカチは私の傍に寄って差し出してくれた殿下の物ね。
顔を上げると聖女様のお隣、殿下と反対側のお隣に立つ近衛騎士の出で立ちをした男性が私を訝しげに見ている。
「えーと?」
「酷いな姉上、一年の間に弟の顔を見忘れたか」
ああディートリヒね。もちろん知っているわ、私の一つ下の弟。殿下と聖女様の護衛としてこの一年旅を共にしていたのでしょう。もちろんよく知って……え?
殿下の朗々たる声が再び響き渡る。
「私の可愛い婚約者からの愛の告白を聞けてとても嬉しく思う。彼女もこの一年王都不在の私に代わり政務に励んでくれた。私と婚約者同様、聖女殿とディートリヒ・ブラントミュラー小侯爵も二人手を携えてこの国の安寧と発展に尽力してくれるだろう。初々しい二人の婚約を祝福してくれると嬉しい」
「え? え?」
私同様ホールに居た人たちもポカンとしている。聖女様と王太子殿下の婚約発表だと思っていた人たちも多いのではないかしら。ほら、拍手もまばらだわ。
殿下が私の腰を抱いた。私を見つめる目がとっても甘い。その目に見つめられて私の頬がどんどん熱くなる。美人だけどいつも沈着冷静で冷たいと言われている私が頬を染めても可愛くなんかない。
「照れている君も可愛いよ」
一気に頭のてっぺんまで茹で上がってしまった私は両手で顔を隠した。
ほら、拍手もまばら……え?
どんどん拍手の音が大きくなる。
「キャー素敵!」「お似合いだわ!」なんて声も聞こえる。
ついにはホールを揺るがすほどの大きな拍手となって私は顔を上げた。
私と殿下の右側に立っていた聖女様と弟は手を繋いで拍手と歓声に応えている。
そして殿下が……殿下が私の腰を抱きながら頭のてっぺんにキスを落とすと今日一番の歓声が聞こえた。
だらだらだら……
国王陛下と王妃様の生暖かい視線が居た堪れない。
だらだらだら……
冷や汗が止まらない。殿下そんなにぎゅっと私を抱きしめないで。皆のほほえましい視線が……令嬢たちの歓声が……
だらだらだら……
だらだらだら……
「ふうん、それで私が婚約破棄をすると」
数日後の殿下とのお茶会。私は全て白状させられた。ええ、前世の記憶の事も全て。
「お疑いにならないのですか? こんな荒唐無稽な話」
「そうだな、君の前世とやらにはとても興味がある。もちろん君が嘘をついたとか気が触れたなんて思わないよ。ただ、そうだな、君が言う『おとめげえむ』という創作物の作者には疑いの目を向けている」
「疑いの目ですか?」
「ちょっと違うな。そうだな、想像力が無いのか私を馬鹿にしているのか」
私には殿下の言っている意味がわからない。首を傾げた私を見て殿下は微笑んだ。
「そんな仕草も可愛いな。うん、君がこことは別の世界で生きていた記憶があるのならこの世界の記憶を持った者が君の前世の世界に生まれ変わることもあるだろう」
殿下の言葉に私は頷いた。そうだ私の身に起こったことが他者に起こらないとは言えない。逆パターンも含めて。
「時間が前後するとかその辺の矛盾はさておき君の前世の世界に転生した彼もしくは彼女は私や君の名前、聖女殿の存在などを知っていた。でもそこからは彼もしくは彼女の創作だろう」
「創作ですか?」
私は時間が前後することについてはあまり疑問を感じない。前世のネット小説にはループや死に戻りものも多かったから。でも創作にしては聖女様が襲われたことなんか現実と似通っているし。
「まず聖女殿が襲われた事件だけど」
私の心を読み取ったかのように殿下が話を進めた。
「犯人は黒幕の伯爵家を含めすべて捕縛済みだよ。聖女殿は価値があるからね、誘拐して他国へ売り飛ばそうとしたらしい」
それって聖女様を便利な物扱いしているわ。
許すまじ! と両の拳を握った私を見て殿下が微笑む。
「『おとめげえむ』とやらでは君を黒幕だと言って私が断罪するんだっけ? その作者は私が十分な調査もせずに君を犯人だと決めつける無能者か君に冤罪を被せる卑怯者に仕立て上げているんだろう?」
だらだらだら……
殿下の微笑みが怖い。
「それに君が私の仕事を肩代わりしてくれたことはとても感謝しているし報告も受けている。そのことまで冤罪に仕立て上げるなんて物語として破綻しているし現実的ではないよ」
だらだらだら……
「私が君を婚約破棄する? こんなに愛している君を? そのこと一つをとっても『おとめげえむ』とやらの作者は無能だね」
「そ、そうですわね」
私はコクコクと頷くことしかできない。そうよ、前世を思い出した衝撃で忘れていたけど、思い出す前は私は殿下に婚約破棄されるなんて微塵も思ったことは無かった。会えない一年間は寂しかったけど、周りが殿下と聖女様が婚約なさるんじゃないかと噂して辛かったけど。
「とはいえ私にも反省点がある」
「殿下の反省点ですか?」
私が夜会でやらかしてしまった事の反省点なら大いにあるけれど。
「一つはほぼ王都に居なかったとはいえ聖女殿と私の噂を知らずに放置してしまった事だな。もう一つは私が君の事をどれだけ愛しているかということを君に十分伝えられていなかったことだ」
「あ、あの……それは十分――」
夜会でわかりましたという前に殿下は席を立って私のところにやって来た。
そうして私を抱き上げるとそのまま席に戻り……
つまり私は今殿下の膝の上だ。
「殿下! 私は重いので降ろしてください!」
「重くなんかないよ。君は羽根のように軽いとは言わないけれど、この重さが私の幸せだ。それからそろそろ殿下は止めてもらいたい。君には名前で呼んでもらいたいんだ。私も君を愛称で呼びたい。私だけの愛称で」
だらだらだら……
殿下はこんな性格だったかしら。遠巻きに控えているメイドや護衛騎士が明後日の方向を向いているわ。
「さあ、私の名を呼ぶ練習をしよう。さん、はい」
私のお腹に手を回し髪にスリスリする上機嫌な殿下に私は口をパクパクさせるだけだ。
とっても恥ずかしい。
だらだらだら……
一年分とも思える冷や汗を流した彼女。王太子殿下の変なスイッチを押してしまったようでこれからも濃ゆ~くてこっぱずかしい殿下の愛情表現に冷や汗を流したとか、身悶えしたとか。
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