エト先生の授業評判
◇寮の紹介
紅玉館:不屈の精神を持ち、困難に立ち向かえる者【ルビー】
蒼玉館:英知の才を持ち、真実を見極める者【サファイア】
翠玉館:世才に優れ、安らぎを与える者【エメラルド】
琥珀館:協調を重んじ、努力を怠らない者【アンバー】
黒曜館:才知に優れ、確固たる意志を持つ者【オブシディアン】
真珠館:情緒を尊び、臨機の才がある者【パール】
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「え〜??今期3人目ぇ??」
「また履修削除?」
研究室の私書箱に届けられた郵便物を仕分けしている最中、締切のある書類を手に取っていた部屋の主が気の抜けた声を上げた。
「うーん。どうりでテスト受けた子少ないと思った!」
「それ2ヶ月も前の届出だよ。いつものことでしょ」
名前が書かれた紙を睨みつけながら、ようやくスペースのとれた机に項垂れている。
教育者というものに自分は向いていないのだと、エトは常日頃思っている。どちらかというと知識は吸収したい方だし、戻ろうと思えば学生にすぐ戻れる自信がある。
実際エトは時間さえ見つければ、様々な授業を聴講しに潜り込んでいるのだ。
本業は技術研究者であるがアウトプットするだけならば前者も後者も同じ。ただ前者のアウトプット対象がヒトであり、あまりにも難解である。
「うーん……この前のワークショップは好評だったから油断してたなぁ」
「何度も言ってるけど、アイディア出しのおためし授業と技術実習は違うからね。ただでさえエトは難しいことを説明不足で簡単にやるんだから」
本来7年生以上を対象にしていた講義の履修学年基準を下げた時、リアンは反対した。
息をするように難しい技法を乱発する彼女の実習は、生徒たちの間では【国家試験対策】扱いを受けており、応用のスキルアップを目的に履修する生徒が圧倒的に多いのだ。
基礎を教えることができないエトの授業を、未熟な生徒が受けてしまうとトラウマになりかねない。
「難易度が下げられないならきちんとフォローする!当たり前でしょ。ネビュラル人の悪いクセですよ」
「……わかったよう。来期の授業は内容見直すから」
わかればいいんです、とリアンは作業を止めずに部屋の掃除を進めて行く。
エトは仏頂面のまま綺麗になった机に無造作に紙を広げ、ぶつぶつと呟きながら何かを描き始めた。
やっと静かになり、それぞれ作業の音しか聞こえなくなったところで、研究室の扉が勢いよく開いた。
「やっほ〜!エトちゃん♡僕が来たよ!!」
ドッタンバッタンと忙しない音と共に現れたのは、長めのダークブロンドを緩く束ねた長身の男子生徒。
胸にはエメラルドで飾られた校章をしており翠玉館の生徒であるヨハネス・リュバンが両手に大きなものを抱えてやってきた。
「エトちゃんが仕事してる!えらい!」
「んぁ、ヨハンだ。いらっしゃーい」
「勤務時間なんだから当たり前でしょ」
「今日もリアンくんに先越されちゃったー。まぁいいけど」
椅子の背もたれに仰け反って、ドアの方に視線を向けるエトに、ヨハネスは手に持っていたものを魔術で浮遊させる。笑顔で近づいてきたと思ったら、空いた両手で彼女の頬を上から包み込んだ。
「エトちゃん顔ちっちゃい♡ほっぺた赤ちゃん肌♡キスしていい?」
「ヨハンの手が大きいのぉ。あと、それ以上触ったら退学ぅ」
「はいはい、っと」
とんだ茶番である。
リアンはつくづくそう思った。
椅子から仰反るエトの背後から頬を包み込んでいる時点で距離感がおかしいのだ。
相変わらずこの人は距離の詰め方が狂っている。窘められたヨハネスはパッと手を頭の横に持ってきて降参のポーズを取った。
「そんなお仕事頑張るエトちゃんに、ご褒美持ってきました〜」
先ほどからふよふよと頭上で浮いていたものをようやく構い出す。ヨハネスはガサゴソと包みを開けた。
「エスプレッソマシーンです!」
「あたし淹れるのめんどくさい」
「大丈夫!叔母上の商品に僕が少ーし手を加えてあるから簡単だよ♪」
ヨハネスは美術商の息子であり、実家は王都ノートラムを拠点に世界中手広く商売をしている。
その中の1つにアンティークショップを経営する親戚がいて、彼は商売勘を身につけるためにバイヤーに似た立場で手伝っているのだ。
取り出したそれは古いタイプのようで、どことなくこじんまりとした可愛らしさの方が目立つ。
「ここ押せば、エトちゃんの好きな飲み物作れるから」
「へぇ……このタイプで圧力抽出とフォームミルク作るのを術式で自動化したの?すごいね」
手を止めてエスプレッソマシーンを覗きにきたリアンが、興味深そうに尋ねた。
ヨハネス・リュバンは魔法学部 術式科の生徒だ。魔術を同時進行で複合的に作用させるメカニズムを学んでいる。
理論を組み立てて、術式を構築し実行にうつす。思い通りに魔術が発動できることを効率化するための分野だ。
この分野は、エトが作る魔法アイテムと密接に関わることもあり、作ったものが術式で動かせるかなども重要視されるのである。
エトは術式科の実習授業に、魔法アイテムを提供しているため、彼女をお気に召したヨハネスがよく遊びに来るようになった。もともと知的好奇心の盛んなエトとリアンは、ヨハネスのまともな話はきちんと聞いてくれる。
「そう!リアンくんお目が高いね。豆とミルクだけ用意できればいいでしょ?エトちゃんはコーヒー豆だけは切らさないし、ここにはリアンくんの飲むミルクがあるし」
「ここに来てまでミルク飲まないから」
「あ、朝派だった?ごめんごめん」
リアンは褒めなきゃよかった、とヨハネスを三白眼でじとりと睨んだ。適当な謝罪をしつつ彼は頭2つ分ほど下にあるリアンの頭をぽむぽむと叩く。
彼がなんだかんだリアンを構うのは気に入っている証拠だとエトは認識している。特待生で入学したリアンにとって身近な他寮の先輩はそうそう居ない。
ヨハネスとのやりとりは、普段大人びているリアンが年相応の顔を見せてくれるのでエトは二人の様子を眺めるのが好きだった。
「愛が重たいところ悪いけど、エトは材料充填なんてしないと思うよ。あと壊しそう」
「僕もそう思うけど大丈夫♪壊れちゃっても僕が綺麗に直してあげるからね、エトちゃん♡」
「ねえ、リアン。ご褒美だって!嬉しいね!あとでお茶しようね」
「また会話が一方通行だし……あぁ、もうわかった!わかったから!エトは仕事してよ!!」