表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/25

第七話 印付き

 四人がけのソファに律と並んで座りながら、莉緒は死んだ目で歓待を受けていた。


「莉緒さん。こちらのケーキも美味しいのよ。ぜひ召し上がって?」

「あ、じゃあ俺があーんしたげる! ほら口を開けて、あー」

「ちょっと。莉緒ちゃんに近付かないでくれるかな」

「そうですよ、鷹崎(たかさき)先輩。莉緒さんは将来、わたしの義姉(ねえ)さんになるのですから」

「え〜?」

「こらこら、みんな落ち着いて。新しい紅茶を()れたから――わー」

「うわっ、幸人(ゆきと)さんがまた紅茶ぶち撒けた!」

「あら……わたしが拭きますので、淡浪(あわなみ)先輩は着替えてきてくださいな」

「ありがとう。いやー、アイスティーにして良かったよ」

「騒がしくてすまない」

「いえ……」


 口を挟む間もない応酬の中、莉緒は自分に向けられた言葉に目を逸らしながら返事をする。

 確かに騒がしい。律が大人しく感じるほどに騒がしい。しかしそんな事を初対面の相手に言えるはずもなく、莉緒は黙々とケーキを口に運んだ。


(おいしい……)


 ここは噴水広場の庭の奥の、隠された小道を進んだ先――立ち入り禁止区域にあるログハウスの中である。

 なぜこのような場所に足を踏み入れる事になったのか。

 莉緒はため息を呑み込みながら、制服の襟で誇らしげに煌めく薔薇のブローチへと目を落とした。





「バディに? ええ、(よろ)しいですよ」

「え、あの……早くないですか」


 砦鵠学園の創立者にして理事長である白鳥(しらとり)暁彦(あきひこ)は、莉緒たちのバディ申請を頷きひとつで受理した。考える素振(そぶ)りさえない。その態度に、莉緒は思わず面食らった。

 バディの成立を急ぐ場合、このように理事長へ直談判するのが通例となっている。しかし、それでも結果が出るまでには一週間ほどの期間を(よう)するはずだ。もちろん、早い分にはありがたい。ありがたいのだが、こうもあっさり通されるとそれはそれで心配になってしまう。


「天川くんの実力は知っていますからね。それに、先ほど遠夜くんは自ら異形を喚び寄せたとか。そこまで感情を制御できるのであれば、問題ないでしょう」

「おっと。ずいぶんと情報が早いですね?」


 律は(おど)けたような仕草をしながらも、(いぶか)しげに暁彦を見据えた。

 異形を倒してから、およそ一時間が経過している。律が異形を喚び寄せたことを知っている者はごく僅か。そんな彼らも、今はまだそれぞれの役目に従事(じゅうじ)しているはずである。果たしてそれを置いて真っ先に暁彦へ報告しにいくほど、重要度の高い話題だろうか。


(遠目に見ていたとしても、遠夜先輩が異形を喚んだとは分からないはず)


 二人の不審げな様子に、暁彦は年齢不詳な顔立ちを困ったように垂れ下げて、「実は……」と前置きをした。


「この学園にはプロの【狩り人】も何人か潜ませているのですよ。いざという時のフォロー役ですね。情報は主に彼らから受け取っています」


 暁彦は「秘密ですよ」と言って人差し指を立てた。つまり、異形を回収しに来た研究部あたりに、そのフォロー役とやらが紛れていたのだろう。

 この学園には裕福層の子供も多く通っている。いくら【狩り人】が大勢いるとはいえ、所詮(しょせん)は一般人。しかも、その大多数がまだ成人もしていない子供だ。暁彦が心許(こころもと)なく思うのも道理かと、莉緒たちは納得した。


「とはいえ、時計塔ではさすがにどうしようもありませんでした。二人とも、本当にありがとう。明日からは守衛(しゅえい)に学生証を見せれば外に出られますよ。とは言っても交通手段が限られていますので、車を借りたい時などは事前に予約してくださいね」

「はい。それでは――」

「ああ、お話しがあるので、天川くんは残ってください」

「……分かりました。遠夜先輩」

「扉の前で待ってるね」

「今日はもう解散です」


 律が退出すると、暁彦は「さて」と机に(ひじ)を置いて両手を組んだ。

 その(たたず)まいは、ネクタイも締めずラフに着こなしているスーツを格式高い装いに見せるほど、堂に入っている。齢四十を越しているにしては若々しい相貌(そうぼう)。しかし、暁彦の(はしばみ)色の瞳は、荒波を掻い潜ってきた老爺(ろうや)のような力強さがあった。

 莉緒はその瞳が少しだけ苦手だ。


「貴女には印付きになるだけの実力と権利があります。これで幾度目かのお誘いとなりますが……今でも気は変わりませんか?」


 暁彦はそう言って莉緒の前に薔薇を(かたど)ったブローチを置いた。印付きの【狩り人】である証。(ほま)れの称号だ。

 莉緒はそれをじっと見つめた。

 印付きの条件は一人で異形を倒せること。自警団での経験もあり、莉緒は入学の時点で既にその条件をクリアしていた。当然印付きになることを勧められたが、ずっと断ってきたのだった。

 立ち入り禁止区域への進入権。学生たちの収入源でもある救援依頼(アルバイト)の、最高額ランクへの受諾(じゅだく)権。【狩り人】の育成を目的とした特別授業などの免除。印付きになれば、その他にもたくさんの権限が与えられる。

 正直、魅力的だとは思う。

 しかし、莉緒は今度も首を振ってブローチを押し戻した。


「……私には、過ぎた代物(しろもの)です」

「まさか。貴女ほど相応しい者もいないでしょう。そんなに賞賛を受けるのが嫌ですか?」


 莉緒は黙り込んだ。図星だ。

 異形化してしまったとはいえ、確かに人間だった生き物を殺して得る賞賛が、莉緒にはひどく(いびつ)なものに思えて仕方ないのだ。


「天川くん。貴女の【狩り人】適性は随一(ずいいち)です。そう断言できるほどに、私は貴女に期待を寄せているのですよ」


 頑なに首を横に振る莉緒へ、暁彦はことさら優しい口調で言葉を重ねた。

 今日の暁彦は、今までよりもやけに粘り腰だ。


「印付きの発言は、教師陣にとっても邪険に出来ない力を持ちます」


 その意図を理解し損ねた莉緒は、黙って続きを(うなが)す。そんな莉緒へ、暁彦は王手をかけた人のように笑みを深めた。


「現在、虚目研究部では【喚び人】が持つ力についての解析が進められています。【狩り人】が虚目を(ほふ)れる者ならば、【喚び人】にもなにか与えられた役割があるのではないかと考えたようですね。――彼を守りたいのであれば、印付きになっておいて損はありませんよ」





 薔薇のブローチと一緒に渡された紙。

 そこに記されていた簡易地図の目的地こそが、一部の印付きの溜まり場となっているこの隠れ家である。莉緒は暁彦の助言に従い、新たな印付きとして挨拶にきたのだ。


(挨拶だけのつもりだったんだけどな)


 莉緒の来訪を喜んだ先達(せんだつ)たちによって、あれよあれよという間に中へと通され、こうしている次第であった。

 このログハウスにいた印付きは四人。


(かなで)ちゃん。破片は俺が拾うな」


 高等部三年。甘い顔立ちが女子生徒に人気の鷹崎爽汰(そうた)。明るい性格で、いつも誰かしらの男女と(つる)んでいるのを莉緒もよく見かける。茶髪にヘアピンがよく似合っている青年だ。


「あら。ではお願いいたしますね」


 高等部二年。莉緒の同級生で、律の妹でもある遠夜奏。さすがは律の妹と言うべきか、とにかく美しい目鼻立ちの少女だ。金茶の髪色こそ律とは違うが、並ぶとしっかり兄妹だとわかる。一部の間では「赤薔薇の君」などと呼ばれており、なんとファンクラブまであるらしい。


「俺にも手伝えることはあるか」


 大学部一年。狩野(かの)剣士(けんし)精悍(せいかん)な顔つきとがっしりした体格は、名前の通りまさしく剣士のようだ。寡黙(かもく)な彼は、意外なことに奏と恋人関係にあるらしい。


「ごめんね天川さん。もう一度淹れるから」


 大学部四年。のんびりマイペースな年長者の淡浪幸人。強いだけでなく、その学力は歴代トップを誇る完璧な人……と聞いていたが、こういったドジな一面もあるようだ。とはいえ、学園中の憧れの人である。


「……いえ、お構いなく」


 改めてみると、錚々(そうそう)たる面々だ。

 身を硬くする莉緒とは反対に、今日も今日とて莉緒に引っ付いてきただけの律は、部外者とは思えないほど悠然(ゆうぜん)として馴染んでいる。


「莉緒ちゃん、緊張している? 表情が固いよ」

「頬を突っつかないでください」

「んー、柔らかくて癖になりそう」

「その前に先輩の指がなくなりますよ」

「ごめんごめん。冗談だよ」


 そうこうしている内にお茶会が仕切り直され、全員が思い思いの席で(くつろ)いだ。

 話題は先日の異形の件へと移り変わる。


「あの異形、やっぱり外から来たっぽいよな。飛べるとか反則じゃね?」

「わたしも飛行型の異形は初めて見ました。死者が出なかったのは、不幸中の幸いかしら」


 印付きとしての責任感か。四人はしばらく反省をし、対策を()りはじめた。印付きの発言力が強いのはこうした努力の成果なのだろう。


「にしても、せっかくのオリエンテーションだってのに台無しだよな」


 行き詰まりそうな気配を感じると、爽汰がすぐに新しい話題を提供する。紅茶を飲みながら、莉緒は静かに視線を下へやった。


「鷹崎くんは参加していたのだっけ」

「モチ、してました! 戦利品はなんとカラオケ一日無料券!」

「あら? カラオケ店なんてありました?」

「ショッピングモールの西側に出来たんだよ。歌うぞ〜! あ、そういや莉緒ちゃんたちも参加してたよな。なんか成果あった?」

「僕たちが見つけた宝箱は、からくり仕掛けになっていてね。あれは解き甲斐があったなあ。ねえ莉緒ちゃん。……莉緒ちゃん?」

「えっ、あ、そうですね。猫と兎の小さな人形が入っていました」


 莉緒はぼんやりしていたのを誤魔化すように、二口三口と紅茶を飲み進める。

 ――現在、莉緒には悩みがあった。

 実は莉緒は、宝探しの景品をもう一つ所持しているのだ。


(お礼に渡されたチケット……どうしよう……)


 生徒たちの間で噂になっていたらしい目玉の景品、ペア旅行券。その正体はテーマパークのペアチケットだった。それを手に入れたみのり達は、人数も合わないからと莉緒にくれたのだ。

 しかし、何事もなく異形を倒せたのは律の功績(こうせき)による所が大きい。となると、これの使い道は律と相談して決めるべきだろう。


(でもこんなの見せたら誘っているみたいで、なんか、嫌)


 しかもホテル宿泊券付きである。付き合ってもいない男女二人でこれは厳しい。

 もう無い紅茶を飲みながら思わず渋い顔をした莉緒へ、見かねた奏が立ち上がった。


「莉緒さん。何やら悩み事があるようね? ささ、こちらへおいでなさいな」

「え、待っ」


 莉緒は困惑のまま奏に手を引かれ、別の小部屋へと移された。兄妹の血か、奏も律に負けず劣らず強引だ。後ろ手に鍵をかけるのはやめてほしい。


「さあ、この未来の義妹(いもうと)であるわたしに話してみてくださいな」

「あの、遠夜さん」

「か・な・で」

「……奏さん。その、義妹だか義姉だかって、本気で言ってるの」


 同級生だよ。と言外に意味を込める。伝わったのかどうか、奏は大きく頷いて大輪の花のように笑った。


「もちろんよ。わたし、一目であなたを気に入ったもの。それに莉緒さんだって、兄さんを嫌いなわけではないのでしょう?」

「それは……まあ……」

「今の時点で嫌いになってないという事は、今後かなり好きになる可能性があるという事よ」

「暴論では」

「だって今の兄さんったら、正直うざいでしょう」

「…………」


 あまりに直球すぎる言葉に、莉緒は否定も肯定もできず口を閉ざした。兄妹とは、ここまで明け透けに物を言える存在なのだろうか。一人っ子の莉緒には分からない。


「そんなうざい状態の兄さんを嫌いになれない。あら? これはもう……好きなのでは?」

「いや、それはない」


 即座に否定すると、奏が意味ありげに笑みを深めた。ある意味、律より手強いかもしれない。


「と、まあそれは置いておいて。同じ印付きの仲間として、悩みがあるのなら聞かせてほしいの。もちろん無理に聞き出す気はないけれど」

「奏さん……」


 奏のその言葉は真っ直ぐに莉緒へ届いた。

 このままひとり悩み続けた所で、時間をいたずらに消費するだけだ。奏経由で渡されれば、律も妙な誤解をすることは無いだろう。……無いだろうか。無いと思いたい。

 覚悟を決めて、莉緒は(ふところ)から旅行券を取り出した。


「実は――」


 ペアチケットを貰ったことから順に、奏へと話した。


「――だから、奏さんから遠夜先輩に渡してくれたら……奏さん?」


 莉緒の相談を聞く最中、奏は徐々に金茶色の瞳を輝かせていった。


「莉緒さん」


 嫌な予感に身を引いた莉緒の肩を、奏はがっしりと掴む。


「行きましょう。テーマパーク」

「え」

「大丈夫よ。わたしも行くから。そう、これは決してデートではなく――慰安旅行(いあんりょこう)!」


 奏は莉緒の肩に置いていた手を滑らせ、両手を取ってブンブンと振った。謎にハイテンションだ。


「これなら剣士も来てくれるはず!」


 それが本音か。意気揚々と部屋を出て行く奏を、莉緒は呆然としながら見送った。


「慰安旅行って……」


 なんか違うような気がすると思いながら、莉緒も部屋を出る。扉を開くと、「わっ」と驚いた声が聞こえた。律が莉緒の様子を見に扉の前まで来ていたようだ。


「莉緒ちゃん、何もされなかった? あの子、一人で突っ走るところがあるから」

「何もないです。大丈夫です」

「テーマパーク、楽しみだね。普通に言ってくれたら良かったのに」

「……そうしたら遠夜先輩がうるさくなりそうなので、黙っていたんです」

「あはは、否定できないなあ」


 向こうでは奏たちが和気藹々(わきあいあい)と旅行について話している。律がそんな妹の姿を微笑ましそうに見ていた。


「莉緒ちゃん」

「なんですか」

「ありがとう」


 真意が分からず首を傾げる莉緒を、律が眩しそうに見つめる。その顔があまりに優しげだったからだろうか。莉緒は自分の心臓が跳ねる音を聞いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ