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第十八話 恐怖を供に

 第一図書館には噂の司書がいた。


「なんだお前たち。ここは脳みそお花畑の浮かれポンチがデートコースに選んで良い場所ではないぞ。去れ」


 何やら呪詛(じゅそ)を吐きながら机に突っ伏していた司書は、莉緒たちを見つけるや否や歯を剥き出しにして威嚇した。


「すみません。人を探していて……」

「人だと? 今日は誰も来ていない。去れ」

「あ、莉緒ちゃん。ここに来訪者記録の紙があるよ」

「おい勝手に書くな。去れえぇい!」


 律はウキウキで記録表に二人分の名前を書いた。莉緒との名前の間にハートマークなど付けている。反論の余地もない脳みそお花畑の浮かれポンチだ。


「えっと……本には触れないようにするので。失礼します」

「ここに赴いておいて古書に触れぬとは何事か! クッソおい、俺は今謎の解読で忙しいんだ。用が済んだら可及的速やかに去れよ。それが約束出来んのならばつまみ出すぞ!」

「は、はい」

「莉緒ちゃん。この記録表に不自然な空白部分があるんだけど、これはもしかして例の彼の記録じゃないかな」


 律は司書の言葉など何も聞こえていないかのようだ。これ以上逆撫でしないでほしいが、律が差し出してきた情報は実に有益なものだった。

 ただでさえ少ない来訪者の一覧に、いくつかの空欄がある。消した跡すらもない、まっさらな空白だ。紙面に点在するそれらは、上から黒塗りされるよりもよほど奇妙な違和感を浮き上がらせていた。


「そうかもしれません」

「おい。彼とはなんだ」


 莉緒の言葉に被せるように司書が割り込んできた。彼は憤懣(ふんまん)やるかたない様子で、机に資料を叩きつけた。


「これだけではない。貸出記録にも謎の空欄があるのだ。まったく忌々しい。俺と古書との時間を奪いおって!」

「この空欄部分には元々、淡浪幸人と書かれていたのではないかと……知りませんか?」

「知らん。知らんが、俺を無駄に悩ませて時間を奪ったことを後悔させてやる。お前たちはそいつを探しているのだろう。俺も手伝ってやる。光栄に思え」

「え。いらない」


 一瞬で気分を急降下させた律を黙殺した司書は、「こちらへ来い」と言って受付のさらに奥に鎮座する机へ向かう。そこには三台のモニターが置かれていた。


「この第一図書館には十数個もの監視カメラが設置されている。ククク、このモニターがあれば侵入者など干上がった池の鯉も同然だ」

「そんなに……」


 よくよく観察してみれば、そこかしこに監視カメラが設置されているのが見てとれた。

 この第一図書館は決して広くない。監視員が二人もいれば警戒には事足りるくらいだ。絶対に十数個もいらない。

 そんな思いが漏れ出ていたのか、司書は莉緒を睨みつけて鼻を鳴らした。


「フン。節穴には理解できんだろうが、ここの蔵書はお前たちが思っている以上に貴重なものだ。警戒などいくらしても足りん」

「それにしても、よく予算が通りましたね」

「いや。これは俺が高等部時代にバイトで貯めた金で買ったものだ」


 司書は近々玄関のセキュリティも強化するつもりなのだと語った。そこまでいくと逆に人々の興味を煽ってしまうのではないかと思ったが、莉緒はそれを口にするよりも先にモニターの隅に目的の人を見つけた。


「あ……居ました。ここ」


 人目につかない奥の席で本を読みながら、時折疲れたように虚空を眺める(たえ)なる人。

 淡浪幸人だ。

 莉緒たちはすぐにその場所へ向かう。この狭い図書館だ。団体で現れた莉緒たちに気付いていないはずもなかろうに、幸人はまるでそこに自分しかいないかのように振舞っていた。

 否、莉緒たちのことなど本当に見えていないのかもしれない。

 と言うのも、その身体が薄く透け、時折ノイズがかかったように輪郭がぶれているからだ。


「淡浪先輩……?」


 幸人の肩に触れようとした手は、何の感触も掴めずにすり抜けた。


「な、なんだ。こいつ幽霊か?」


 その様を見た司書が、目を白黒させて一歩後退る。どうやら幽霊の類は苦手なようだ。

 しかしふいに本の背を撫でた理人の表情を見て、司書はその足を止めた。


「いや。古書に対するこの繊細で丁寧な扱いは……」


 司書はずかずかと理人の前へと回り込む。莉緒はどうしようかと律を仰ぎ見て、「とりあえず見守ってみよう」と言う言葉に頷いた。


「詩集か。五十年前のものだな。あまり人の目に触れないまま絶版となったもので、今では中々お目にかかれない代物だぞ。ひたすらに陰鬱かつ厭世的(えんせいてき)で、まず万人受けはしないだろうな」


 幸人は幻聴でも聞いたように、視線を虚空へ彷徨わせた。暫くしてその焦点がようやく司書へと線を結んだ。


「…………?」

「“終わりを夢見てる ひとりじゃゆけない 誰かの夢に残るから どうかパチリと命を落として 世界中を暗闇に誘って 夢のない世界 ほら安寧がそこにある”……うむ。要約すると「一人で死にたくないから世界滅びろ」という事だ。身勝手極まりないな。人間は碌なものではないと再認識させてくれる良い古書だ」


 あれは引き摺り戻した方が良いのではないか。莉緒が真顔になったところで、反対に幸人は可笑しそうに身体を折り曲げて笑った。


「ふふ。本当に勝手だよね。……よっぽど嫌なことでもあったのかな」

「いやこの詩集は最初から最後までこの調子だぞ。元々の性格だろう」

「性格だけでこんなに世界を呪えるものかな」

「フン。世界にどれだけの人間がいると思っているんだ。ただ好きだから殺したいとか言う狂人だっているんだぞ。それを思えば、この著者は真っ当に世界を呪っていると言えよう。なにせ、ただ嫌いなものを呪っているだけなのだからな」


 言いながら司書は「嫌な奴のことを思い出した」と舌打ちした。


「とはいえこの著者は周りの声を聞きすぎだな。だから比較などして落ち込むのだ。やはり愛でるは古書に限る。打ち捨てられた言葉は現在の何をも侵さないからな」

「君は人間が嫌いなんだよね? なのに人が綴ったものを愛するの?」

「ああ。俺は人間が嫌いだ。だから世界の片隅で綴られた言葉(たましい)の結晶が、世界に溶け込めずに消えていく様が愛おしくてたまらない」


 傍らで律が「碌でもないね」と呟く。莉緒は思わず頷いた。これでは『ただ好きだから殺したい』とどっこいどっこいではないか。


「失礼だな。俺は俺を殺そうとしてくる女の一方的かつ(おぞ)ましい手紙も後生大事に保管にできる男だぞ。俺ほどの人格者はそういないだろう」


 耳聡くも莉緒たちのやりとりを聞きつけた司書が、どこか誇らしげに腕を組んだ。知れば知るほどよく分からなくなる人だ。


「人格者の化身のような人の前でそれを言いますか……」

「手紙といえば、莉緒ちゃんは僕の手紙をどうしているのかな」

「棚に封い……じゃなくてしまってあります」

「ん? 封印?」

「しまってあります」

「なんだ、持て余しているのか。ならば俺が引き取ってやるぞ」

「そうなったらこの建物は灰になるだろうね」

「……別に、私が持っているのでいいです」

「もう君のものだし、いらないのなら燃やしてしまっても良いんだよ?」

「私が、持っています」


 莉緒はぶっきらぼうにそっぽを向いた。遠夜律という人間を知った今、あの手紙もなんだかんだで大切な思い出なのだが、そんなことはとても言えそうにない。

 その様子を微笑ましそうに眺めていた幸人が、ふいに睫毛を伏せて視線を手の中に戻した。


「僕は、言葉には相手の心を侵すだけの力があると思うよ。古いも新しいも関係なく、一度届いた言葉は少なからず相手に影響を与えてしまう」

「それは怠惰というものだ。自分の中に確固たる意思があれば、ただの文字の羅列でしかない」

「怠惰かあ。うーん……うん、そうかも。僕は怠惰で我儘だ」


 幸人は納得したように何度も頷いた。物憂げな表情はなりを潜め、代わりに諦観を滲ませた笑みを零す。


「ありがとう。なんだかスッキリしたよ」


 幸人の輪郭が一際大きくブレた次の瞬間、その姿は跡形もなく消え失せていた。


「消えた……?」


 莉緒が呆然として呟く。

 同じく狐に摘まれたような顔をしていた司書が、ハッとして手元の書類を掲げた。


「……おい。どこにいった! クソッタレ、消えるならばコレに名を書いてから消えろ――!」


 どれだけ叫んでも答える声はない。司書は自分の労力が徒労に終わった事を察して、こめかみに青筋を立てた。そして、こっそり抜け出そうとしていた莉緒たちへと、ぐりんと首を向ける。

 射殺すような眼光をしていた。


「…………おい。これはどう言う事だ」

「えっと、今は異常事態で、実は私たちはそれを解決する為に行動しているんです。その紙の空欄も解決さえ出来れば埋まると思うので、もう少しお待ちください。ほら先輩行きますよっ」

「はいはい」


 慌てて図書館を後にする莉緒と嬉しそうに引き摺られていく律を見送って、司書は静けさを取り戻した空間でひとり乱暴に頭を掻いた。


「……チッ。これだから人間は嫌いなんだ。人の領域をズカズカと土足で踏み荒らしおって」


 幸人が確かにここに居た証――机に置かれたままの詩集を手に取り、適当な(ページ)を開く。


「“差異が人を個と成し 知恵が育まれる しかし人は差違を恐れ 同調を求める 故に生きることは挑戦で 死ぬことは安息である”……お前は他人と違うことが、死に安息を求めるほどに恐ろしいか。フン、哀れなものだ」


 司書は悪態を吐きながらも、壊れ物を扱うように本棚へ戻した。

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