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第十七話 深淵

 暗く、昏い闇の中。

 それでも莉緒の両目は、そこにある景色を輪郭を持って映し出した。


「人がたくさん……」


 先程まで視えなかったものの形が浮き上がり、視えていたはずのものが闇の彼方(かなた)に沈んでいる。

 反転した景色の中にいるのは、砦鵠学園の生徒たちだ。場所柄か、そのほとんどが白い制服を着た大学部の生徒だった。

 しかし、果たして彼らが本物の生徒なのかどうか、莉緒には判断できなかった。

 と言うのも、まるで影で作られた人形のように、誰も彼も顔がぼやけているからだ。彼らはこの異常な世界で、何事もないように日常を送っていた。


「あ。あの人は顔が見える……もしかして、影に取り込まれた人? 先輩、ひとまずあの人に話を聞いてみましょう」


 莉緒はくいと律の手を引いて歩き出そうとした――ところで、逆に腕を引っ張られた。為す術なく倒れ込む莉緒を、律が強く抱きすくめる。

 今までにない距離感に、莉緒は訳もわからず顔を真っ赤にして暴れた。


「ちょ、ちょっと、いきなり何するんですか! 状況を考えて、」

「ずっと、会いたかった」


 耳元に落とされたその声があまりにも痛ましくて、莉緒は抵抗をやめた。

 律の様子がおかしい。


「……先輩?」

「君は僕を避けるし、会いに行っても邪魔な連中に邪魔されるし……ここ一週間、君の声すら聞けていない」

「ええっと……」


 確かにその話題は有耶無耶(うやむや)なまま終わっている。しかし、どう考えてもこの状況で蒸し返す話題ではない。普段の律にしても、もっと落ち着いた頃合いにするはずだ。

 莉緒は腕を解いて振り返り、律を凝視した。それが嬉しかったのか、律の目が蜂蜜をかけたように蕩ける。


「君がそうしたいのなら、そうすると良い。僕は何度でも、その手に追い縋るから」


 こんな場所だから、異形の能力に影響されてこんなことを言っているのだろう。

 じんわりと熱くなっていく脳の片隅で、莉緒はそう結論づけた。

 ――しかし、それでも、その言葉が律の心の内側から出たものだということは疑うべくもなく。莉緒の脳裏に落とされたそれは、まるで真珠のように暖かな輝きを放った。


「……なら、きっと私はとんでもない幸せ者ですね」


 律が困惑したように首を傾げる。思っていた反応と違う、とでも言いたげだ。莉緒は目を覚まさせるように、律の顔の前で手を打ち鳴らした。


「先輩。ここがどこか分かりますか?」

「大学部、だね。六号館の辺りだ。……あれ。なぜこんな場所に……?」

「はい。ここは大学部の裏道で、私たちは今異形が作り出した影の中にいます。……異形の元は淡浪先輩で、理事長の話によれば淡浪先輩の意識はまだこの中に残っているらしいです。それを掻き集めれば、異形を抑える事が出来るかもしれないと。……本当かは疑わしいですが」

「あー…………うん、いや、ぼんやりと思い出してきたよ」

「記憶に干渉されたみたいですね。もし異形の仕業なら、被害が広がる前にはやく解決しないといけません。あの人の言う通りにするのは不本意ですけど、まずは淡浪先輩を探してみましょう」

「ごめん。ちょっと待って」

「どうしましたか?」

「いや……」


 律は顔を手で覆って、(うな)った。


「その淡浪先輩って人のことだけが、どうしても思い出せなくて」

「……他のことは全部思い出したんですか?」

「君との思い出なら意地でも思い出すさ。ただその中に、どうしても思い出せない人がいるんだ。多分、その人の事じゃないかと思うのだけど」

「そう、ですか」


 莉緒は顔を顰めて、群衆に目を遣った。ちょうど通りがかった顔が見える生徒を捕まえて、幸人を知っているかと問う。


「淡浪幸人? ……いや、知らないな」


 その生徒はどこか頭が痛そうに返事をした。他にも何人かの生徒に聞いてみたが、いずれも同じ反応だ。

 淡浪幸人という人物の記憶だけが、(かたく)なに隠蔽(いんぺい)されている。

 記憶をいじる能力といえば、莉緒の頭に浮かぶのは暁彦だ。


(私が理事長のことを思い出せなかったのも、多分同じような能力によるもの。たぶん、虚目は本来、人間に取り憑くことで様々な力を解放できる――その前に異形化してしまうけど)


 暁彦はそれを“失敗”だと言っていた。

 ならば、成功している状態とはなんなのか。

 言うまでもない。

 異形化せずに虚目に適応すること。ひいては、能力を扱えるだけの理性があることだ。


(異形になっても、意識が残っていれば能力を使えるのだとしたら……)


 暁彦の言う通り、幸人の意識がまだ残っているのならば、


(――淡浪先輩の願望が、虚目の能力を引き出させているんだ)


 頭の中で、異形の悲痛な叫びが木霊する。あれは、幸人が胸の内に秘めていた絶望なのだろうか。


「……先輩、大学部で人気(ひとけ)のない場所に心当たりはありますか?」


 莉緒はひとまず「幸人は存在を認知されたくない」のだと当たりをつけて、捜索範囲を絞ることにした。


「人気のない場所か……この辺りなら、第一図書館かな。あ、五号館にも物置になっている区画があったはずだよ」

「ありがとうございます。まずは図書館の方へ向かいましょう」


 莉緒と律は、第一図書館へと並んで歩き出した。

 第一図書館は大学部の敷地の北端にあり、砦鵠学園の建物にしては地味な風貌(ふうぼう)だ。蔵書もかなりマニアックで、司書は古書に恋する人間嫌いの変人だと(うわさ)されている。それもあり、華やかな第二図書館に比べて不人気なのだと律は語った。


「それにしても、莉緒ちゃんはその淡浪先輩とやらの事を憶えているんだよね」

「はい」

「そんなに親しい人だったのかな」


 嫉妬心を隠そうともしない言葉に、莉緒は一拍の沈黙の後、つい吹き出した。

 もう自分の望みが叶う事は無いのだと悟ったからか、それともこの深淵から感じる哀しみに感覚が麻痺しているのか。莉緒の心はひどく凪いでいた。


「印付きになってからは色々とお世話になっていますけど、特別親しいわけではありません。私が淡浪先輩のことを憶えているのは、ただ単に、私に耐性があるからですよ」

「耐性?」

「私が一年前に聞いた理事長の声を思い出せなかったのは、理事長に記憶を改竄されていたからです。それを無理やり思い出した事で、似た能力に耐性がついたんだと思います。私の中にいる、虚目によって」


 不自然なほど自然に吐き出された秘密。律は最初こそ面食らった様子だったが、すぐに気を取り直した。一文字も聞き逃さないように耳をそばだて、莉緒の声だけに集中する。


「君のこと、聞かせてほしいな」

「……前にも少し話しましたが、私は異形化した両親をこの手で葬りました。世界の全てだと言えるくらい、大好きな人たちでした。離れるなんて、とても考えられませんでした。だから私、同じものになれば、同じ所に逝けるんじゃないかと、思って」


 莉緒の声は尻すぼみ(かす)れていった。それは何を捨てても忘れられないような、後悔と執着に塗れた願いだった。


「――両親を異形にした虚目を、喰べたんです」


 通常、人を異形化させた虚目は、異形が倒されて数分後には力尽きたように消える。両親の異形の影から這い出たその虚目も例に漏れず、幼い莉緒の目の前で儚く散ろうとしていた。

 それを目にした莉緒が感じたのは、怒りと憎しみ、悲しみと――嫉妬。

 なぜ実の娘である自分は取り残されて、この虚目が両親と死を共にするのか。


『そんなのずるい』『待って』『置いていかないで』『私も連れて行って』


 そんな事を口走りながら莉緒は虚目を鷲掴んで、そのまま一息に呑み込んだのだった。そうすれば自分も、すぐに両親と同じ場所へゆけるのだと信じて。

 それを受け入れたと称して良いのならば、暁彦の言う通り、莉緒は確かに虚目を受け入れたのだろう。


「気付けば病院のベッドの上で、見ての通り結局死ねなかったんですけどね。それどころか、その日から身体能力や治癒能力が飛躍的に向上してしまいました。一番変わったのは、虚目の声が聞こえるようになったことでしょうか」


 人間のまま化け物になってしまったようで、気が狂いそうだった。周囲の人間は親を亡くした莉緒に優しく接してくれた。しかし誰にどれだけ優しくされても、いつか自分の異常性に気付いてしまうのではないかと、気が気ではなかった。

 実際、莉緒を引き取った祖母は確かに勘付いていたのだ。


『……あんた、本当に莉緒ちゃんかね……?』


 小さな違和感に遭遇する度に、祖母の瞳に疑念が混じっていく。

 人狼にでもなったような気分だった。帰る場所も分からず、必死で人間のフリをしている一人ぼっちの人狼。バレたら殺されるか、良くて追放だ。

 莉緒は死に物狂いでか弱い子供を演じた。それは自警団に入ってからも変わらなかった。自分と同じはずの【狩り人】たちはあまりにも鈍く、儚く見えたのだ。


「理事長の話で確信しました。私はやっぱり化け物なんです。私は誰かに化け物だって知られるのも、自分が化け物だって確信してしまうのもずっと怖かったけど……でも、もう大丈夫です。新しい願いが、できたので」


 莉緒は闇に呑まれた世界を眺めた。ここに来てから常に染み出すような苦しみを感じる。これは幸人が抱えている絶望なのだと、化け物の自分が理解した。これだけの苦しみを抱えてなお、幸人は人々に優しく誠実であった。それはもう皆が皆、異形への忌々しさや恐怖よりも先に、ただひとえに幸人を喪ったことへの悲しみに暮れていたほどに。

 莉緒はそこに憧れを見出した。

 そんな風になれたらと、想像してしまったのだ。

 ――しかし、このままでは学園中が激情に呑み込まれてしまう。美しい思い出すらも悲しみで塗り潰して、虚目がそれを喰らうのだ。


「何を失っても私、誰かを守る【狩り人】でいたいです」


 皮肉なことに、生徒たちを見つめるその眼差しは少しだけ暁彦のそれに似ていた。地を這う者には決して届かない、高みにいる者の目だ。

 律はそんな莉緒の横に並び立った。


「僕は薄情だからね。正直、君が本当に化け物で世間から恐れられたとしても、ライバルが減って良いかなと思っているよ」


 あんまりな言いようだ。もう少し本音を秘めてほしいところだが、これも律の誠実さなのだと思えば莉緒の心は不思議と安らいだ。

 けれどやっぱりあんまりなので、努めて口を尖らせる。


「ひどいですね」

「そうだとも。君を手に入れる為なら僕はどんな事だって出来るからね。――だから、君が一人ぼっちで寂しいなら、僕も同じ化け物になったって良い」


 虚勢はすぐに崩れ、莉緒はただの少女のように笑った。


「ありがとうございます。……でも私、今の先輩が好きですよ」


 コツン、と靴が石畳を踏む。第一図書館へ到着したのだ。

 莉緒は驚き固まっている律を引っ張って、その中へと踏み出した。

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