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第十二話 予感

 もし、どんな願いでも一つだけ叶うとしたら、何を願う?

 それは誰もが一度は夢想する、荒唐無稽(こうとうむけい)なもしも話。

 莉緒はその実現を心の底から望んでいた。もし、どんな願いでも一つだけ叶うのならば――幸せだったあの頃に戻って、一生そこに閉じ込めてほしい。


『あら、このアルバムももう埋まっちゃいそうね』

『ははは、この調子だと莉緒が小学生を卒業する頃には、アルバムで棚が埋まるかもなあ』

『良いわねそれ! いっそ目標にしちゃいましょうよ!』

『なら目標達成したら記念旅行だな。いやあ楽しみだ』


 優しい父がいた。お茶目な母がいた。日々、愛と恋を繰り返すような、情熱的な人たちだった。そんな人たちが、宝物だと言って自分を抱きしめてくれる。莉緒は燦々(さんさん)と降り注ぐ愛の中で育った。

 もし、楽園というものがこの世にあるのなら、この家こそがそうに違いない。そう、本気で思っていた。

 ――しかしてその楽園は、他ならぬ莉緒の手によって終焉を迎えた。


『おとうさん? おかあさん……?』


 幼き莉緒は、ただ茫然と両親を呼んだ。その目の前に転がるのは、(つい)の異形。

 (これ)は両親じゃない。異形(これ)が両親なはずがない。

 はやく探しにいきたいのに、脚が(すく)んでまるで動いてくれない。どうかいつものように抱き上げて、頭を撫でてほしい。

 迷子のように名を呼び続ける莉緒の両手に、何かが触れた。異形の手だ。硬くて、冷たくて、恐ろしくて――優しい手。


『あ、あああ』


 その優しさがあまりに面影を残していたものだから、理解せざるを得なかった。今しがた葬ったこの異形こそ、愛する両親なのだと。


『まって……おいていかないで……』


 その(ぬくもり)が消えてしまわぬ内に、同じ場所へいかなければ。三人そろえば、そこが楽園に違いないのだから。

 そして莉緒は、小さな手を伸ばして(ソレ)を掴んだ。

 ――だから、今なお生き永らえているのは、きっと何かの間違いなのだろう。





 六月は雨の季節。

 紫陽花が霧雨に煙る日曜日。莉緒は幸人に連れられて、砦鵠学園の北側を練り歩いていた。


「見廻り、ですか」

「そう。月に一度、区画ごとに分かれて学園を見廻るんだ。今回、天川さんは僕と一緒に見廻ることになるんだけど、大丈夫かな?」

「はい。分かりました」


 権力を手に入れれば何かしらの責務が(しょう)じる。虚目の駆除活動は、印付きの責務の一つなのだと幸人は語った。印付きになると決めた以上、莉緒としても異存はない。幸人の言葉に耳を傾けつつ、周囲を哨戒(しょうかい)した。


「それにしても、今日は遠夜くんと一緒じゃないんだね」

「……いつも一緒にいるわけじゃないですよ」


 そう言いつつも、少しばつが悪い。

 律は「秘密を暴く」などと言っていたものの、無理に聞き出す気はないようで、意外にも時間は平和に過ぎていった。しかし、全く変わらないかと言えばそれも違う。なぜか莉緒の行動パターンを把握している律は、それはもう今まで以上に遠慮なく付き纏うようになったのだ。

 だから、撒いてきた。

 律は今頃、どのような心境でいるのか。考えると空恐ろしく、莉緒は頭を振って話題を逸らした。


「淡浪先輩は今忙しい時期ですよね。それなのに私の教育に付き合わせてしまって、すみません」

「ううん、気にしないで。僕はもう残りの学生生活を楽しむだけだから。今日のこれだって趣味みたいなものだよ」

「そう言ってもらえると、助かります」


 羽毛に包まれるような暖かな笑顔に、莉緒もつられて笑みをこぼした。彼が生徒たちの憧れである一番の理由は、秀でた学力や強さをひけらかさないこの人当たりの快さにあるのだろう。


『わあー』


 ふと、莉緒の耳に甲高い声が届く。鋭く視線を巡らせると、電柱の影に虚目が隠れていた。


「ちょっと失礼します」


 莉緒は幸人に断って、足早に虚目へ近付いた。虚目の動きは緩慢(かんまん)だが、この辺はショッピングモールがある区画で人通りが多い。素早く刀を刺して、その消滅を見届ける。


『いたー、やられた』


 息を吐くと、側までやってきた幸人が感心の拍手を送った。


「天川さんはよく気がつくね。心強い」

「ありがとうございます。でも、淡浪先輩には及びませんよ」

「そう褒められると照れるなあ」


 本当に照れた様子で、幸人はぽりぽりと頬を掻いた。


「僕、本当は駄目人間なんだけどね」


 この人もなかなか返答に困ることを言う。謙遜か、それともプライベートなどでは本当にだらしないのだろうか。

 莉緒はうーんと唸って無難に返した。


「だとしても、淡浪先輩は素敵な人だと思いますよ」


 それから一通り見廻り、莉緒たちは知る人ぞ知る寮の印付き専用ルーム――通称「薔薇の間」へと戻る。

 十人が寝泊まりしても広々と使えそうなこの部屋は、学舎も学年もバラバラな印付きたちの情報交換の場だ。会議室だと言い切れないのは、無駄な調度品で溢れているからである。壁に飾られている鹿の剥製(はくせい)など、いったい誰が持ち込んだのだろう。

 莉緒たちは剥製を横切り、片隅に備えられた棚へと向かった。その上には数冊のノートが広げて置かれている。


「最後にこの紙に記入して終わりだよ。お疲れ様、天川さん」

「お疲れ様です」

「他にも分からない事があれば聞いてね。僕、卒業ギリギリまでは学園にいるつもりだから」

「ありがとうございます。……先輩は卒業したら外に出るんですね」

「うん。一般企業にいくんだけどね、もう今から緊張と不安でいっぱいだよ。天川さんは卒業したらどうしたい? せっかく印付きになったんだし、今の内に稼いで後は遊んで暮らすのもアリだよね」

「私は、卒業しても【狩り人】として生きます。なので、なるなら公務員とかですね」

「そっかぁ、応援してるね」


 莉緒は目を瞬いた。一瞬――幸人がひどく遠い目をした気がして。






 幸人は後輩の華奢(きゃしゃ)な背を見送る。

 虚目を見つけた時、(ある)いは【狩り人】について語る時。彼女はひどく醒めた顔をしていた。


(虚目退治が生き甲斐になっている【狩り人】も多いけど……それとは少し違うかな?)


 外界の音が遮断された部屋は、広々としていればしているほど不気味だ。幸人はおもむろに窓を開けて、部屋の中に音を取り込んだ。


(でも、行くべき道は見えているみたい)


 遠くで女子生徒のきゃっきゃとはしゃぐ声がする。そのご機嫌な雰囲気に、幸人は口元を緩めた。楽しそうな人を見るのは好きだ。なんだかこちらの気分まで浮上するから。

 ――しかし、それも声が聞こえる間まで。

 幸人は窓に肘を置いて、疲れたようなため息を吐いた。


「僕はなんで、こうなんだろうなぁ」


 引き上げてくれるものが無ければ、心は再び底なしの沼へと沈んでいく。底なしとは言っても、それが本物の沼ならば底もあるだろうに。


「感情にも底があれば良いのに」


 幸人は誰にともなく呟く。当然、誰に拾われる事もなく空へと消えた。

 空は嫌いだ。底も果ても無いから。眺めていると、自分の立っているこの場所がひどく不安定に思えてゾッとするのだ。足元が崩れていくような感覚が、とても、とても嫌いだった。

 同じ理由で、「時」と言うものも嫌いだ。

 どれだけ勉強ができても、どれだけ力を磨いても、未来など見通せるはずもなく。ただ、果てなき時間だけがそこに転がっている。時間は常に流れて、今も何かを終わらせ、また何かを始めさせているのだ。

 その果てしなさが恐ろしい。


 あまりにも漠然(ばくぜん)としていて、自分がなぜこんな恐怖を抱いているのかも分からない。言うなればそれは、砂漠か大海原の只中(ただなか)に一人取り残されてしまったかのような、不安感。

 理屈では説明できない。心だけが、いつも何処かで迷子になっていた。

 ただ、生きる。

 それだけで良いのに。

 それだけの事が、幸人にはとんでもなく難しかった。


 しかし現在(いま)は、その時の流れに期待もしていた。

 未来も時間も、人が制する日が来るのではないかと。

 ――なぜなら、虚目などという非常識この上ないモノが、確かにこの世に存在しているのだから。


「できれば学園(ここ)にいる間に、叶ってほしかったけど」

「このままでは間に合いませんね」


 うん。と返事をしかけて、慌てて振り向く。誰もいない。あんなにはっきり聞こえたのに。


「外……?」


 幸人は窓から身を乗り出して左右を見回した。しかし、やはり付近には人影ひとつ見当たらない。


「ちゃーっす。あれ、ぼーっとしてどうしたんすか」

「ああ、鷹崎くん。廊下に誰かいなかった?」

「いや? 誰も見なかったですよ」

「そう……」


 果たして今のは幻聴か、現実か。

 答えの出ない疑問を抱きながら、確かに聞こえた不確かな声に、幸人は何か大きなものが動き始める予感がしていた。

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