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第九話 兄

「ちげーよ。そんなんじゃ……」


 硬い表情で首を横に振る啓太へ、奏が容赦のない追撃を浴びせる。


「そう? 弟に両親を取られて、悔しいのではないの? ――でも弟は弱者だから、気に掛けられるのはしょうがない。自分の優先順位が下がるのはしょうがない。そうだ。【喚び人】よりもっと特別な【狩り人】になれば、弟よりも大切にしてもらえるかもしれない。そう思ったのではないの? 弟にしたって、自分を頼らざるを得なく――」

「違うって言ってんだろ! なんなんだよ! もういいよ!」


 血反吐を吐くような勢いで叫んで、ついに啓太はどこかへと駆け出した。莉緒が追いかけようか迷っていると、それより早く乱暴な音を鳴らして奏が立ち上がる。


「奏さん……?」

「……わたし……ごめんなさい。少し、頭を冷やしてくるわね……」


 不安定な足取りで奏がガゼボを出て行く。その横顔は青褪(あおざ)めて、今にも泣きそうに歪んでいた。

 すかさず、剣士が立ち上がる。その顔はいつになく険しい。


「奏は俺が追う。二人は」

「ホテルで落ち合おう。多分、僕はいない方が良いだろうから」

「……分かった」


 再び、莉緒と律だけがガゼボに残された。涼やかな水音が、今は少しだけ冷たく感じる。


「……啓太くんは、家族の元に戻ったみたいですね」

「そうだね。奏よりよっぽど冷静だ」


 律はベンチに腰掛けてコーラを飲んだ。莉緒の言葉を聞いて、用意してくれたらしい。莉緒も向かいの席に座り、落ち着きなく周りを見渡す。律はなぜ、そうも落ち着いていられるのだろう。


「遠夜先輩、乗り物酔いはもう大丈夫ですか?」


 違う。そんなことは顔を見れば分かる。聞きたいのは、それではない。しかし、ここでいきなり奏の話題をだすのも、不躾な気がしてならなかった。


「この通りだよ。莉緒ちゃんの膝枕のおかげだね。ほら、君も何か食べなよ」

「……いただきます」


 莉緒は近くに置いてあったチュロスを手に取った。シナモンが効いていてクセになる味だ。隙あらば疑問が口をついて出てきそうで、邪念を払うようにその味に専心(せんしん)する。


「聞いてもいいよ」


 (うつむ)きがちにもそもそとチュロスを(かじ)っていると、律が苦笑した。


「君なら、何を聞いたって良い」


 莉緒はその誘惑に負けた。


「……奏さんがあんな事を言った理由を、遠夜先輩は知っているんですか?」

「僕も全ては知らないさ。ただ、あの子のあの発言は間違いなく僕が関係しているだろうね。僕は【喚び人】で、奏は【狩り人】だから。分かるだろう?」

「……はい」


 考えるまでもない。先ほどの奏は、明らかに啓太に自分を重ねていた。であれば、啓太に向けて放たれた言葉は、奏自身に対するものに他ならないのだ。

 ただ、それならば余計に、この兄妹の関係が理解できなかった。好きなのか、嫌いなのか。(うと)ましく思っているのか、愛おしく思っているのか。


「遠夜先輩と奏さんって、ひょっとして仲が悪かったりするんですか……?」

「仲は悪くないよ。ただ、そうだね……歪なんだ」


 律は古いアルバムを(めく)るように、昔を懐かしんだ。






 これは昔々のお話です。

 なんて、律はわざと(おど)けてみせる。しかし莉緒は困った子を見るように(かす)かに口元を緩めただけで、静かに続きを促した。興味を持たれていることへの嬉しさと同時に、気恥ずかしさが顔を出す。

 なにせ、過去なんて誰にも打ち明けたことがなかったから。


「僕はね、親に殺されかけたんだ」

「……え」


 莉緒の反応が遅れたのは、あまりに軽い調子で告げられたからだろうか。


「遠夜の家は資産家でね。衣食住どころか娯楽にも困ったことは無かったけれど、両親はいつも忙しそうで家には殆どいなかったな。食事時ですら、家政婦が作ってくれたものを奏と二人で食べることが多かった。ああ、愛されていなかったとは思わないよ。誕生日なんかはちゃんと覚えてくれていて、プレゼントも欠かさなかったし。

 ……ただ、遠夜の家格(かかく)は彼らの誇りで、それを守ることに人生を捧げた人たちだったから。跡取りの僕がよりによって【喚び人】になってしまって、彼らは日に日に憔悴(しょうすい)していったよ」


「……だから、殺そうとしたんですか。自分の、子を」

「正確には、【喚び人】である事を周囲に隠せなくなったからかな。まあ、こんな髪色になっちゃったらねぇ」


 律は自分の髪を(つま)んだ。相変わらず、現実ではあり得ないくらいの鮮やかな赤髪だ。

 含みのある言葉に、莉緒がまさかと表情を硬くした。


「染めているんじゃないんですか……?」

「違うよ。これは、異形化しかけた後遺症」

「後遺症……」

「僕の元々の髪と目は、奏と同じ色だったんだよ。けれどある日、異形化しかけてね。僕自身は途中から意識がないのだけど、間一髪のところで助けられたらしい。それで目覚めたらこんな色になっていたんだ」

「そうだったんですか……」


「僕が【喚び人】と判断されたのは、化け物にまだ虚目という名前すら付いていなかった最初期のこと。両親もしばらくは治療法がないかと奔走(ほんそう)していたのだけれど、成果は皆無で、しまいにはこうなってしまった。さぞかし無念だっただろうね。

 それから病院のベッドで過ごしている内に、僕は段々と虚弱になっていった。最初はこれも後遺症なのだと思っていたよ。でも、違った。――少しずつ、毒を盛られていたんだ」


 そう言うと、莉緒が痛ましそうに顔を歪めた。


「そんな……あんまりです。自分の、子供なのに」

「一度化け物になりかけた子供を、我が子だとは思えなくなったのだろうね」

「だとしても、先輩は何も悪くないじゃないですか。そもそもは虚目のせいで……やっぱり、早く根絶やしにしないと」

「でも僕は、感謝もしているよ」


 昏い瞳で憎悪を(みなぎ)らせた莉緒が、(きょ)をつかれたように顔をあげた。


「そのおかげで、君に会えたんだから」

「……結局それですか。先輩なら、私じゃなくてもそのうち良い人に巡り会えたんじゃないですか」

「そうは思えないな。僕がこんなに心動かされるのは、君に対してだけだから。両親に毒殺されかけたと知った時ですら、一日経てばどうでもよくなっていたんだ。自分でも驚くくらい、彼らに何の感情も抱けなかった。――君だけ、なんだよ」


 困ったように莉緒が俯く。その頬に朱が差しているのは、見間違いではないと思いたい。性急に確かめたがる手を抑えて、律は(つと)めて明るい声を出した。


「そのあとは理事長の勧誘もあって砦鵠学園に来たんだ。家との縁を切ってね」

「じゃあ、奏さんとは……」

「それっきり、になるはずだったんだけどね。あの子は、僕が家を出た原因が自分だと思っているようで……親にも引き止められただろうに、学園までついてきちゃったんだ。理由はまあ、さっきの言葉を聞いたらなんとなく分かるだろう? 奏には、むしろ感謝しているのだけどね。あの子がいなければ、僕はとっくに死んでいただろうし」


「毒を、盛られたこと……奏さんは知らないんですか?」

「うん。その事は内々に処理されたから、奏も知らない」

「そうですか。……その、話してくれて、ありがとうございます」

「うん」


 その返事を合図に、沈黙が落ちる。流れ落ちる水音だけが、ガゼボ内に木霊(こだま)した。

 読了後に本の裏表紙を眺める書評家のように、莉緒が長い睫毛(まつげ)を伏せる。律はその様子をじっと見つめて感想を待った。今さらながら、心臓が早鐘(はやがね)を打つ。

 この物語に、莉緒はどのような想いを抱くのだろうか。「私は」ぽつりと落とされた甘やかな声に、律の心臓が一際(ひときわ)大きく跳ねた。


「私はその髪色、嫌いじゃないですよ」


 放たれたのは想像よりずっと突拍子がなくて、笑ってしまうくらい優しい言葉だった。


「――ふ」

「遠夜先輩?」

「ふふっ、あはははッ――ごめ、ちょっとタンマ、ふふふっあははははは――ッ!」


 呆然と見つめてくる莉緒に構う余裕もなく、律は腹を抱えてひとしきり笑った。

 必死で呼吸を整えて顔を上げる。莉緒が分かりやすく顔を真っ赤に染めて、半目で律を睨みながら最後のポテトを齧っていた。


「…………落ち着きましたか」

「うん。あー、こんなに笑ったのは初めてだなぁ。あ、ごめんって。そんなむくれないで」

「むくれてなどいません」


 律は揶揄(からか)うように莉緒の頬をちょんと突いた。本気で(わずら)わしそうに振り払う仕草すら愛おしくて、だらしなく緩む頬を抑えられない。

 こんな過去、大抵の人は可哀想だと同情する。

 しかしそれはあくまで本心の半分でしかなく、もう半分には「異形化しかけた【喚び人】なんだから、殺そうとするのも妥当だろう」という想いが隠れている。今この時代では、どちらも正当な評価だ。

 それに対して、律がどうこう思うことは無かった。悲しみも怒りも、微塵(みじん)も湧き上がってこないのだ。この過去が律の心に(さざなみ)を立てることはない。その程度の出来事として処理されていた。


 ただ、莉緒に対してだけは違う。

 同情をかけられたら、その悲しみに寄り添えない事を悲しく思うだろう。

 もし「しょうがない」と割り切られたら、その薄情に不満を抱くだろう。

 しかし、莉緒が口にしたのはそのどれでもなく、今ここにいる律の心に添わんとしたものだった。


「ありがとう。嬉しいよ。本当に、嬉しい」

「……それなら、まあ、良かったです」


 莉緒は甘くなり始めた空気を振り払うように咳払いをひとつして、きりりと真剣な表情を作った。


「それにしても、毒を盛られたこと、奏さんには話さないんですか?」

「そうだね。あの子はきっとすごくショックを受けるだろうから……ああ、でも今は大丈夫かもしれないな」


 律は食べ終わった残骸(ざんがい)の包み紙を、小さく折り畳んだ。ある程度は剣士が持っていってくれたとはいえ、二人で食べるにはやはり多くて、お腹が満腹を(うった)えている。しかし今はそんな事も気にならないくらい、胸がいっぱいだ。


「今は、ですか?」


 (うかが)うように聞いてくる愛しき人へ、律はとびっきりの笑顔を浮かべた。

 どんな絆も、一度切れてしまえば呆気なく捨てられた。家族関係でさえそうだった。

 しかし今は、そんな関係しか築いてこなかった事を、ほんの少し惜しいと思うのだ。


「そう。だって――」

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