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プロローグ

 十年前のある日、化け物がこの地球に降り立った。

 感情を喰らう化け物。それに取り憑かれた者は、やがて異形と化して人間を襲う。

 ――それ以来、胸を焦がすような激情は、すっかり悪のものとなってしまった。






 朝を告げる無機質な電子音を手探りで止め、莉緒(りお)はのそりと身体を起こした。このまま二度寝したい欲求を抑えて、カーテンを開ける。降り注ぐ朝日が眩しくて、たっぷり三秒、ぎゅっと目を閉じた。


「朝……ふわあぁ……」


 十五畳ほどもある広々とした部屋の中、莉緒は寝ぼけ眼のままもそもそとパンを食べ、歯を磨き、身支度を整える。

 袖を通すのは今から七年ほど前に設立された中高大一貫校である砦鵠(さいこく)学園の制服だ。高等部のそれは黒を基調としており、シックでありながら程よく甘いデザインが女子生徒からの絶大な人気を博している。

 莉緒は制服が(かも)し出す気品につられるように背筋を伸ばした。学年色である赤いリボンを結び、裾をぴんと伸ばして整える。そして最後に――()を腰に()いた。姿見の前で「良し」と頷いて、棚上に立てかけられた写真を手に取る。そこに写っているのは今は亡き両親の姿だ。莉緒は指先で額縁を撫で、口付けを落とすように囁いた。


「いってきます」


 部屋を出れば長い廊下が莉緒を迎えた。隙間なく敷かれたワインレッドのカーペットが足音を吸収して、物静かな空間を保とうとしている。その分だけ普段は気にも留めない些細な音が主張してくるようだった。

 莉緒は七階からエレベーターで降り、さらに階段を下へいく。すると一転、食堂で朝食を摂っている生徒たちの賑やかな音で溢れかえった。その騒々しさに改めて朝の息吹を感じながら、仕切りの向こうに見える食堂を一瞥。莉緒は食堂を横切って外へと出た。


 砦鵠学園は全寮制である。中等部から大学部の生徒たちがいっぺんに押し込められているこの学生寮は、城と見紛うほど壮観で、内装も高級ホテルに勝るとも劣らない。数年間、毎日ここで過ごしているはずの莉緒でさえ、その威容に圧倒されるほどだ。

 莉緒は他の朝早い生徒たちと挨拶を交わしながら、既に見え始めている校舎へ向かって足を進めた。この時間はまだ閑散(かんさん)としており、爽やかな静けさがある。あと数十分もすれば、溢れかえる生徒たちの雑談に工事の音も加わり、祭りもかくやの賑わいを見せるだろう。莉緒は静かな朝を満喫したい派だ。故に、部活もないのにわざわざこの時間を選んで登校していた。


 ――そんな莉緒の視界の端を、どこからか現れた小さな影が『ふよ、ふよ』と歌うように口ずさみながら横切った。

 大きさは両手に収まるくらいか。真っ白な毛皮を(まと)っているそれは、一言でいえばデフォルメされたメンダコか、シーツのオバケのような見た目だ。今は空中をクラゲのようにゆったり漂っている。底の見えない空虚な両目を除けば、マスコットキャラクターと言っても差し支えない姿だ。


「あ」


 小さく息を漏らすと同時に、莉緒は瞬時に刀を抜いてそれを斬り裂いた。確かな手応えと共に、それは黒い粒子となって風に溶ける。


「もしかして、虚目(うろめ)がいたの?」


 刀を納めた莉緒に、見知らぬ女子生徒がそそと近付いてきた。眉毛は不安げに垂れ下がっているのに、瞳には好奇心が見え隠れしている。リボンの色からして上級生のようだ。莉緒は安心させるように努めて微笑んだ。


「はい。ですがちゃんと始末したので、大丈夫ですよ」


 とてもうら若き女子高生が使うような言葉ではないが、相手は聞き咎めることなく「いつもありがとね、騎士さん」と淡く頬を染めて頭をさげた。

 虚目は感情を喰らう化け物だと云われている。人間――とりわけ情感の豊かな人を好み、取り憑き、異形化させる。異形化した人間は理性を失い、他者に害をなす。その被害は甚大(じんだい)で、いくつもの町が異形によって壊滅させられてしまった。

 虚目の最も厄介なところは、莉緒のような特定の人間以外には目に見えないところだろう。これでは警戒するにも限度があった。


 ――天川(あまかわ)莉緒(りお)はそんな化け物を退治する【狩り人】だ。

 そんな莉緒は、この学園内でそこそこの人気を博していた。小柄ながら洗練された動作は武人の如く。誰もが「愛らしい」と評する容姿はクールに引き締められ、時折見せる気怠げな憂いが色気を(はら)む。さらに、甘く儚い妖精の声は硬質な響きを伴って風に溶けるようだった。そんなアンバランスさが魅力となって人を惹きつけるのだろう。「人形騎士」などという異称もあるくらいには、この学園内で存在を示している。――のだが、当の本人は露知らず。はしゃぎ混じりに立ち去る上級生を見送りながら、人知れずため息を吐いた。


「騎士、か……」


 中高大一貫校、などと言ったらセレブが通う場所だと思われるだろうが、ここ砦鵠学園は少し違った。

 砦鵠学園に通う生徒は主に三種類に分けられる。この広大な学園の維持費を納めている良家の子女、虚目を退治することができる【狩り人】、虚目を呼び寄せてしまう体質の【喚び人】の三種類だ。高等部あたりからは、虚目研究を目的として入学してくる者もいるだろうか。いずれにせよ、どういった意図で創られたのかは明白だろう。

 ――そう、この砦鵠学園は、虚目に対抗するべく設立された養成所であった。莉緒の他にも武器を携帯している生徒はチラホラいる。彼らもみんな【狩り人】である。


(目立つのは好きじゃないけど、役目は果たさなければ)


 莉緒は念の為ぐるりと視線を巡らせて、虚目を探した。


(うん。他にはいなさそう。……見た目だけは結構可愛いんだけどね、虚目って)


 取り憑く前の虚目は、斬られる時に抵抗すらしない。羽虫の方がまだ抵抗するだろうといった有り様だ。

 そんな明らかに弱々しい存在を斬り捨てておきながら騎士だなどと呼ばれるのに、莉緒はちょっとした抵抗感を抱いていた。


(まあ、斬るけど)


 一陣の風が吹く。黒目がちな瞳に宿った冷たい光は、巻き上げられた黒髪に隠された。

 乱れた髪を整えると、手先に何やら引っかかる。摘んでみれば、無理に伸ばすのは諦めて好きに遊ばせている癖っ毛が、ひとひらの花びらを掴んでいた。


「……桜」


 今は四月。桜舞い散る出会いの季節。


「どうか、良き一年となりますように」


 そう願いをかけて、その薄紅色を空へ返した。





「……またある」


 まだ誰もいない教室で、莉緒は机の引き出しに忍ばされたそれに呆れ混じりのため息を吐いた。

 それは一通の手紙だった。さらに言えば、恋文である。


「毎週毎週、よく書くなぁ。誰だか知らないけど」


 ちょうど一年ほど前からだろうか。差出人無記名の恋文が届くようになったのは。相手は返事を求めていないようで、最初はただただ一方的にもたらされるだけのそれに戸惑い、薄気味悪く感じていた。しかし、一年も経てばさすがに慣れるというものだ。「害は無いし、まあいいか」と、莉緒はその正体を確かめることもしなかった。

 今日の封筒は桜の透かし模様が入っていて可愛らしい。毎回柄が違うので、不本意ながらも密かな楽しみとなっているのは否定できない。

 もはや莉緒の中にはなんの警戒心もなく、いつも通りに封を切る。


「あれ。今日は一枚なん、だ……」


 中身を見た瞬間、莉緒は己のものぐさを後悔した。


『今日、君に会いにいきます』


 たった一文。それだけが便箋(びんせん)の真ん中で存在を主張している。いつもは三枚ほどの便箋にびっしりと(つづ)られているというのに。

 ああ、最初は確かにこんな気持ちで手紙を手に取っていたのに、なぜ忘れてしまっていたのか。まったく慣れとは恐ろしいものである。

 莉緒は真顔で呟いた。


「なんだこれ、怖すぎる」






「おまえら席に着けー。ホームルームやんぞ」


 ガラガラと引き戸を開けて入ってきたクラス担任の進藤の声に、「はあい」と気の抜けた返事をした生徒たちが(まば)らに着席する。いつになく険しい表情で本を読んでいた莉緒も、教壇へ顔を向けた。

 気分的にはもう早退したいくらいだったが、莉緒は人の目がある教室にいた方が安全だと考えた。この一年の間に送られてきた手紙の内容を思い返してみれば、どうも相手は他学年の生徒であると推測できたからである。ならば容易にこの二年の教室に踏み込んでは来られないはずだ。


(接触があるとすれば昼休憩か放課後。落ち着いて、平常心で対処すればいい)


 警戒すべき時間帯さえ分かれば、莉緒の胸中は幾分(いくぶん)か和らいだ。そもそも、得体が知れないから気味悪く感じるのだ。相手も人間。話し合えば分かり合える。分かり合えなくともこれを機にスッパリ縁を切れば良いだけのこと。例え実力行使に出られたところで、莉緒には自分が常人より身体能力が高いのだという自負があった。


(何があっても、私なら、勝てる)


 つい思考が物騒な方向へ傾いてしまうのは【狩り人】の性か。

 まさか生徒がこんなことに頭を悩ませているとは夢にも思っていないであろう進藤が、「最後に」と言ってプリントを配る。何十通りものシミュレーションを頭の中で繰り広げつつ、莉緒はそのプリントに目を通した。


「おまえらも二年になったからな。これからはバディ制度を使えるようになるぞ。バディ制度っつーのは――」


 しかし、そもそも莉緒は相手が差出人無記名の恋文を一年間も送り続けてきた非常識な人間であることを考慮していなかった。


「バディ制度とは」


 無気力に進められる進藤の説明を、明朗な声が遮る。教室がにわかに騒がしくなった。なにやら何者かが侵入したようだ。シミュレーションに多くの意識を()いていた莉緒は、なかば惰性のようにそちらへ顔を向ける。

 そこにいたのは、鮮やかな真紅の髪が目を引く青年だった。高等部とは違う白い制服は大学部のものだ。より上品さが際立ったデザインで、その青年が着ると貴族服のようにさえ見えた。

 などと、呑気に眺めている場合ではない。


「……え、近」


 その青年はあろうことか莉緒のすぐ隣にいた。なぜわざわざ窓際にあるこの席の隣になど立つのか。夢から覚めたように、莉緒の意識は急速に現実へと引き戻された。なんだか、とても嫌な予感がする。

 莉緒の声に反応してか、赤髪の青年はおそろしいほど端正な美貌を甘く歪め、(とろ)けるように莉緒へと微笑んでみせた。硬直する莉緒を置き去りに、生徒たちへ向けて得意げに片手を広げる。


「バディ制度とは、【狩り人】を含む二人以上でバディを組み、学園へ申請できる制度のことさ。受理された後は、バディで揃うことを条件に今まで煩雑(はんざつ)な手続きが必要だった学園外への外出が、手帳一つで済むようになるよ。割が良い学園外の救援依頼(アルバイト)を受ける事もできるから、それで小遣い稼ぎをする者も多いね。なんとそれで一軒家を建てた生徒もいるらしい」


 つらつらと(よど)みなく述べられる説明に、クラス中の生徒がポカンと口を開けていた。役目を奪われた進藤などは死んだ目で「ああ、そうそう、その通りー」などと相槌(あいづち)を打っている。やる気がないにも程がある。


「と、いうことで」


 教室に混沌をもたらした元凶が、くるりと莉緒を振り返った。当たり前のように手を取られて、莉緒は人形騎士らしからぬ短い悲鳴をあげた。


「莉緒ちゃん。――僕のバディになってください」


 何がということでだ。どういうことだ。

 何ひとつ状況に付いていけていない莉緒だが、ただ一つ、朝から悶々(もんもん)と悩んでいたことが解決しそうな予感がした。


「あの……手紙って、もしかして…………」


 言い淀む莉緒に、先の言葉を察した青年は「ああ」とにっこり笑った。


「僕だよ」


 願いをかけた薄紅の花弁は何処に。

 突如として訪れた波乱の出会いに、莉緒はこの一年の苦難を悟った。

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