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#記念日にショートショートをNo.16『紫陽花の咲く季節』(Rainy-Flowers blooming in the Rain)

作者: しおね ゆこ

2019/6/16/(日)父の日 公開

【URL】

▶︎(https://ncode.syosetu.com/n9898ic/)

▶︎(https://note.com/amioritumugi/n/n9f5b2a3d1e42)

【関連作品】

なし

 「行って来ます。」

ローファーを履きながら、奥に声を掛ける。今日は日曜日だが、ここの地区一帯にある高校の、美術部の展覧会があるのだ。表彰もあるため、制服での集合となっている。私の高校からは、唯一私の描いた水彩画が入賞した。布巾で濡れた手を拭きながら、お母さんが台所から顔を出した。

繍花(しゅうか)。今日は夕方から大雨になるから、寄り道しないで早めに帰ってくるのよ。お母さんもお昼頃に見に行くから。」

「分かってるよ。」

母親に答える。

「じゃあ、行って来ます。」

長傘を手に取り、ドアを開ける。

「行ってらっしゃい。」

母親の声は、温かかった。


 物心ついた時から、父は滅多に家にいなかった。たまの夜遅くに帰って来て、お日様が顔を出すよりも早くに家を出て行く。警察官らしいが、組織のどこの部署にいるのか、階級は何なのか、何も知らない。「お父さん、忙しいのよ。」少し皺の寄った母の目は、寂しそうだった。


 展覧会では、私の作品と同じように、他の学校から入賞した高校生による絵画が、四方の壁に展示されていた。私の作品は有り難いことに銀賞で、金賞、銅賞の作品と同じ壁に、他の入賞作よりも目立つように並べられている。少し恥ずかしいが、自分の作品が評価されることは素直に嬉しい。金賞、銅賞はもちろん、他の入賞作もどれも素晴らしいものばかりで、色遣いも鮮やかで美しく、なぜ私の作品が銀賞に選ばれたのか、分からなかった。けれどもお母さんだけでなく、私の絵を鑑賞してくれた人はほとんどが、「色合いがとても綺麗」と、褒めてくれ、中には涙ぐむ人までいて、身に余る光栄だった。


 展覧会と表彰式を終え、会場の外に出ると、梅雨の雨が地面を叩きつけていた。空は雲で覆われていて暗く、雨と風で視界も悪い。右腕にした腕時計の針は、夕方の6時を示している。歩いて帰る途中にも、雨の激しさはどんどん増していった。

 交差点に差し掛かり、信号が青に変わるのを待つ。傘を流れ落ちた水滴が、地面の水溜まりに吸い込まれるように落ちていく。道路と歩道の間に仕切りのように並ぶ花壇には、紫陽花が雨に咲いていた。

 「危ない!」

誰かの声が、雨の中を一直線に切り裂いた。聞き覚えがあるように感じるのと、体が突き飛ばされるのが同時だった。直後に、車がものすごい勢いで歩道に突っ込んで来た。私がさっきまで立っていた場所を、車が紫陽花を薙ぎ倒しながら突き進む。車は電柱に衝突すると、漸く止まった。

 「繍花(しゅうか)、大丈夫か。」

久しぶりに見た父親の顔は、焦りと強張りが絡み合っていた。

「お父…さん…。」

衝撃で地面と私の体がぶつからないように、父親の腕が背中と後頭部にまわされていた。

「よかった…間に合って…」

父親の表情に、微かに安堵の色が増した。

繍花(しゅうか)、怪我は無いよな。運転手の様子を見てくるから、ちょっと待っててくれないか。」

父親はそう言って直ぐに立ち上がると、携帯で電話を掛けながら運転手の元に駆け寄った。駆けていく父親の背中を見ながら、薙ぎ倒された紫陽花を一本ずつ拾っていく。青のような紫のような花々は、冷えた空気に身を任せるかのように、淡くその色を滲ませながら、黙って雨に濡れていた。

 少しして、父親が戻って来た。運転手の初老の男性も一緒だった。

繍花(しゅうか)、いま警察を呼んだよ。本部と近くて良かった。すぐに来られるって。運転手さんも、幸い怪我は無いらしい。」

父親の隣で、運転手の男性が頭を下げた。

「怪我は無いですか。巻き込んでしまって申し訳ない。制服も汚れさせてしまって。雨で車が滑って、ブレーキを掛けようと思ったらアクセルと踏み間違えてしまって。」

「大丈夫ですよ。父が守ってくれたので。」

私の言葉に、男性はほっとしたように息を吐いた。

「大事なお嬢さんと刑事さんが無事でよかった。本当に迷惑を掛けてしまい申し訳ない。」

もう一度頭を下げる男性に、父が話しかける。

「運転手さん、すみませんが、先程同僚を呼んだので、もう少し待っていて頂けますか。もう来ると思う……あ、来ましたね。」

父親の視線の先を追って道路に目をやると、ちょうどパトカーが路肩に停車するところだった。中から数人の刑事が駆け下りてくる。

 「潔志、無事か!」

「ああ、全員無事だ。虎太郎(とらたろう)、悪いな。それと…。」

父親が、虎太郎(とらたろう)と呼ばれた刑事さんに耳打ちをする。少しして、その刑事さんは頷くと、他の刑事さんに話しかける。やがて虎太郎(とらたろう)さんは父親に頷き、そっと肩を叩いた。

「ありがとう、虎太郎(とらたろう)。じゃあ、後は頼んだぞ。」

父親はそう言うと、運転手さんに軽く頭を下げ、それから私に顔を向けた。

「後は虎太郎(とらたろう)たちに任せたから大丈夫だ。繍花(しゅうか)、帰ろう。渥美が待ってる。」


 降り続く雨の中を父親と並んで歩く。同じ傘の下、無言で、ただ歩く。やがて父親が口を開いた。

 「繍花(しゅうか)、今までごめんな。仕事ばっかりで、あまり家に居られなくて。お父さん、出来るだけ多くの人を守りたくて、目の前の一番大切なことが疎かになっていた。漸く、わかったよ。自分にとっては、渥美と繍花(しゅうか)が一番大切だって。だからこれからは、家に居られる時間を増やすよ。その分、守れない命もあるかもしれないけど。残酷だって、最低だって、わかってるけど。だけど、一番守らなきゃいけないのは、家族だって。今までより少しでも多く家に居なきゃ、もう次はもしかしたら駄目かもしれない、さっきのが、神様がくれた最後のチャンスだったんだって。」

父親の声は、力強かった。そっと、雨が降る。

 「…私も、正直、今までお父さんのこと、嫌いだった。仕事仕事で全然家にいないし、お母さんのことも寂しそうにさせていたし。でも、さっき、助けてくれて、だから…………ありがとう。」

もしかしたら、さっきの事故は、私にとってもチャンスだったのかもしれない。父親を、お父さんを、ちゃんとわかることができたから。雨が、心に長い間積もっていた誤解を、ほどいていく。

 「繍花(しゅうか)の紫陽花と雨の絵、綺麗だったぞ。」

ボソっと、お父さんが零した。少し下から、お父さんの横顔を見上げる。お父さんが私を見て微笑んだ。

「早く帰って渥美にも謝らないとな。」

 気がつくと、いつの間にか雨が上がっていた。傘を閉じる。少し先の空に、七色の虹が見えた。

もしかしたら、紫陽花と雨は、私とお父さんの架け橋だったのかもしれない、そう思った。

【登場人物】

○繍花(しゅうか/Shuuka):高校生/美術部に所属

●潔志(きよし/Kiyoshi):繍花の父/警察官


○渥美(あつみ/Atsumi):繍花の母


●虎太郎(とらたろう/Toratarou):刑事/潔志の同僚

【バックグラウンドイメージ】

【補足】

①登場人物の名前について

繍花(しゅうか):名前の由来は、紫陽花から(「()」+「(よう)」+花)。

[父]潔志(きよし)/○[母]渥美(あつみ)/○[刑事]虎太郎(とらたろう)

繍花の両親・刑事の名前の由来は、著者しおね ゆこの父親が『男はつらいよ』シリーズ並びに主人公の車寅次郎を演じた渥美清さんのファンであったことから、『男はつらいよ』シリーズの主人公の車寅次郎と車寅次郎を演じた渥美清さんから。繍花の両親の名前の由来は渥美清さんから,刑事の虎太郎の名前の由来は主人公の車寅次郎から。

②紫陽花の花言葉について

紫陽花には花の色が時期によって変化するため、「移り気」,「浮気」などの花言葉があります。代表的な青色・紫色には「冷淡」,「無情」などマイナスイメージの花言葉がありますが、「辛抱強い愛情」,「仲良し」,「家族団欒・家族の結びつき」などプラスイメージの花言葉も持ち合わせています。この紫陽花の花言葉のうち、マイナスイメージのものが登場人物間の感情・関係性の表面的な部分を表し、プラスイメージのものが登場人物間の感情・関係性の深層的な部分を表しています。物語を読み進めていくにつれて、マイナスイメージの花言葉は登場人物間の表面的な感情・関係性を表しているだけに過ぎず、プラスイメージの花言葉が実は登場人物間の本当の感情・関係性を表しているということに気付いていただけたら幸いです。

③繍花の絵画作品の入賞結果について

繍花の父親・潔志は、真面目で正義感の強い、とても仕事熱心な警察官です。そのため、潔志は家に居ることが少なく、繍花や渥美は潔志にもっと家に居て欲しいと思っていました。その寂しさが繍花の絵画作品に迷いとなって表れ、それが審査員にも伝わったことから、繍花の絵画作品は金賞ではなく銀賞という結果になりました。

【原案誕生時期】

公開時

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