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眼鏡を拭いて、微笑みを  作者: しんた☆
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第5話 混乱

今回は、とあるカップル誕生回です。

さて、誰と誰かなぁ。。。

いや、その前に、またしても不穏な予感!

     第5章  混乱


 学校に行くと、さっそく由紀が声をかけてきた。


「おはよ。日曜日、ミクちゃんに誘ってもらったんだぁ」

「俺が当てにならないと分かって、ミクに鞍替えしたな。なあ、気になってたんだけど。お前とミクって知りあいだったのか?」

「前から知り合いってわけじゃないんだけど。彼女の方から声かけてくれたのよ。ま、いろいろあってね。あんたみたいに、いきなり抱きついてキスするような奴には理解できないでしょうね、複雑な女心は…」


 なんだよ、自分ばっかり訳知り顔で…。


「でも、意外だよな~。まさかお前がさえ……うぐ!」


 いきなり由紀にすねを蹴られて俺は悶絶した。


「葵、昨日メールしたのに届かなかったのか?」

「えっ? 昨日は早くに寝ちゃったからなぁ。 悪ぃ、帰ったら確かめるよ」


 佐伯が怪訝な顔をしていた。昨日はミクのことでばたばたしていたから、メールを確かめる余裕なんてなかったしなぁ。俺が昨日の夜のことを悟られないように飄々と席につくと、佐伯も諦めて続いた。

由紀は黙ってその姿を目で追っていたが、自分も席に戻って行った。なるほど、俺を見るときとはちょっと違う視線のようだ。いろいろとヘビーな日曜日になりそうだ。

 昼休み、ミクが声をかけてきた。教授が退院して来るので、少し遅れてバイトに入るそうだ。今日の分を終えるとバイトも一段落だ。あとは週に二度、普段通りの仕事になる。


「なんだか随分親しくなったんだな」


 ミクを見送っていると、後から佐伯がからかってきた。言ってろよ。自分だって近々ビックリするような目にあう予定なのに。知らぬが仏ってやつか。俺は意味深な笑みを浮かべて佐伯を気持ち悪るがらせてやった。


「もしかして、昨日メールを読めなかったのはそこに理由があったりしてな」


 まったく、こいつの感のよさには脱帽だ。


「なんだよ、それ。そんなんじゃないよ」

「そうかな。顔がにやけてるぜ。……そんなに楽しいモンなのかな、恋愛なんて」


 佐伯にしてはめずらしく視線を落として言った。そうか、コイツ恋愛は苦手だって言ってたけど、本当のことみたいだな。俺は佐伯に気付かれないように、そっとその横顔を見た。興味が無いと言うよりも、諦めているような切ない表情に、俺はちょっと戸惑ってしまった。


 放課後、佐伯と別れて研究所に向かった。建物の前まで来ると、さすがに昨夜の事が思い出されて立ち止まってしまう。どうしよう。どんな顔で入ればいいんだ。思い巡らせていると、井上さんが研究所から出て来るのに出くわした。


「おお、やっときたか。今日は坂本さんも私も、なんだかばたばたしてしまってるんだよ。今日一日だから頼んだよ。私はちょっと自宅にソフトを忘れてきたから、取りに行ってくるよ」

「ああ、いってらっしゃい」


 中途半端に見送る俺に軽く手を上げると、井上さんは駐車場に停めてあった濃紺に輝く車に乗り込んで出かけた。なんだか知性的でいかにも井上さんの車って感じだな。俺は、遠ざかる車を見ながらぼんやりとそんなことを考えていた。


あっ! となると、後に残ったのは坂本さんと俺だけか! うーん、なおさら入りづらいぞ。俺はため息をつきながら研究所のドアを押し開けた。


「よお、葵君。やっときたか。データシートはここにおいておくから頼んだよ」

「はい」


 坂本さんはいつもどおりの明るい笑顔で対応していた。多分、昨日俺がミクの部屋に居た事など気付かなかったんだろう。俺は一人で胸をなでおろしていた。

 黙々と仕事を進める。時計は五時を指していた。そろそろミクが教授を連れて帰るころだ。そう思った矢先に電話が掛かってきた。


「葵君? 大変なの。お父さんが、お父さんが… 今、救急車で病院に向かってるの。場所はメールで送るわ。お願い! すぐに来て!」


 俺はすぐさま奥の部屋に飛びついて坂本さんに事の次第を伝えた。


「また、倒れられたのか?」


 坂本さんも驚いて飛び出そうとしていたが、俺は必死で押さえ込んだ。


「坂本さんがここを離れたらダメですよ。僕じゃ他社への対応が出来ないですから。とりあえず行ってきます。井上さんが帰ってこられたら事情を話してください。また、病院から連絡します」


 俺はそれだけ言うと返事も待たずに飛び出して行った。外は夕焼けすら残りわずかな濃紺の空が広がっていた。


 病院に到着すると、半泣きのミクが飛びついてきた。教授は幸いにも軽い怪我で済んだようだった。教授は倒れたのではなく、病院からバス停に向かうほんのわずかの間に車にはねられたのだった。加害者の車は逃走してしまったらしい。教授の怪我は軽い打撲と擦り傷ぐらいのようだったが、落ち着きを取り戻していた教授の精神には大きな亀裂が入ってしまったようだった。

ミクから事情を聴いていると、警察官がやってきて、ミクに現場検証をしたいと声を掛けてきた。俺が教授に付き添うというと、ミクはなおも心配そうにしながら警察官と出かけて行った。


 俺は、すぐさま研究所に連絡を入れた。電話に出たのは井上さんだった。


「井上さん、教授が……」

「ああ、今坂本さんから聞いたよ。で、教授の怪我はどうだ」

「幸い、転んだ時に出来た擦り傷と軽い打撲があるだけでした」


 電話で話しながら教授をちらっと見た。教授は相当ショックを受けたようで、患者であふれそうな受付前の長いすに座ったまま、じっと一点を見つめて思いつめている様子だった。


「そうか。それなら、教授が落ちついたら帰って来てくれ。こんな時になんだが、今日の仕事は私達だけでは出来そうに無いんだ」

「分かりました」


 俺は何かしらこの一連の会話に違和感を覚えながらも、そのまま回線を切って教授のそばに戻った。


「電話、坂本君か?」


 教授が意外なほど落ち着いた口調で開いた。


「いえ、井上さんでした」


 俺の返事に教授はわずかに眉をよせたが、再び押し黙ってしまった。今の教授の精神状態は、俺には到底推し量ることはできない。教授の肩越しに、病院の玄関口の外がすでに真っ暗になっていた。その暗さが教授の心の中を表しているような気がして、足元から寒気が這い上がってきた。


 随分時間が経って、ミクが戻ってきた。


「さっきそこで伯父さんにあったわ。今夜は念のための入院なんだって。お父さん、もう一晩だけがまんしてね」

「狙われているんだ、ここに居た方が安全かもしれんな。ミク、お前は大丈夫なのか? 一人で家に居て、もしも奴に狙われたらまずいぞ。しばらく健二君の家にでも身を寄せたらどうだ」


 教授もやっぱり父親なんだな。俺はこっそりそう思っていた。


「大丈夫。でも、もしも怖くなったら葵君に電話するわ。それより、今日中に遣っておかないといけない仕事があるんだって、早く帰らないとダメみたい。お父さん、明日迎えに来るからゆっくり休んでね」


 教授はミクに頷いて見せると、俺の方に向き直った。


「ミクを守ってくれ。頼んだぞ」

「わかりました」



 教授の言葉は、まるでとんでもないモンスターに狙われているお姫様の父親のようだった。こっちまでつられて改まってしまった。


 病院を出て駅に向かう途中、ミクが耳打ちしてきた。


「伯父さんから覗ったんだけど、お父さんの病気ってよほど思い詰めないとおかしくならないんだって。だから、できるだけ普段から感情を高ぶらせないようにすれば、普通の生活が送れるって。でも…なんだか今の様子見てると、とてもまともとは思えなくて…」

「大丈夫だよ。伯父さんがついてくれてるんだから。それより、今夜家に来るか? 母さんに連絡入れてみるよ」


 俺はミクの返事を待たずに携帯を取り出した。母さんに今日の事故の事を話すと、2つ返事でOKが出た。ミクも躊躇ってはいたが納得したようだ。今夜、うまく母さんから話を聞ければいいのだけれど。


 研究所に帰ると、坂本さんと井上さんが心配そうに詰め寄ってきた。大した事はないからとミクがなんとか対応していたが、教授が帰ってこなかったことやミクの動転振りを見れば、それが気休めだと言う事は誰にでも簡単にわかることだった。救いだったのは、二人が俺達よりオトナだったって事だろうか。それ以上、ミクに詰め寄る事はなかった。


 状況はともかく、仕事はこなしていくしかなかった。積み上げられたデータを入力しながら、俺はミクに上手く言葉をかけてやれない自分をなじった。

 8時を回った頃、奥の部屋でなにやら言い争いが聞えてきた。どうやら坂本さんと井上さんが仕事の事でもめているらしい。この二人は決して勝気な方ではないので、こんな争いはとても珍しい。気がつくと、ミクがどうしようかという視線を送っていた。俺はちょっと頷いて見せてからじっと耳を澄ませていた。もちろん、その間も、指先だけは忙しく動かしている。揉め事の原因には契約書が関係している事らしい。


「だけど、教授のサインがいつ貰えるか分からないじゃないですか! 契約不履行になってしまったら、次の仕事にも差し支えてしまうでしょう」


 突然、坂本さんの大きな怒鳴り声が聞えて振りかえった。


「だけど、ここの責任者は教授なんですよ。その人を無視する形を取るのはおかしいんじゃないですか?」


 井上さんはドアを開きかけた状態で振り向きながら言い返している。すっかり興奮していてこちらに筒抜けに成っている事すら気付いていないようだ。しかし、そんな事をミクの耳に入れるのは忍びない。俺はとっさに声をかけた。


「あの。どうかしたんですか?」


 奥の部屋は水を打ったように静かになった。開きかけたドアをそのまま押し開けて、井上さんが顔を出した。


「ああ、すまないね。ちょっと契約書の事でもめてただけなんだ。大丈夫。お茶を頂いて頭を冷やしたらもう一度話し合うよ。坂本さーん、お茶でも飲みますか」


 奥からため息混じりの返事が聞えた。


「心配しなくても大丈夫だよ」


 井上さんは、苦笑いを浮かべてお茶を湯のみに入れると奥の部屋に運んで行った。なんとなく落ち着かないまま、データ入力は終わった。


「坂本さん、井上さん。終わりましたので、お先に失礼します」


 俺はちょっと声を掛けてみたが、ご苦労様と声がかかっただけで、結局その日は二人とも顔を出さないままになった。まあ、ミクが家に来る事を隠すのには好都合だったが。


 駅に向かう途中、ミクが何やら考え込んでいる。


「私、お父さんの病状について、坂本さんや井上さんに何処まで話していいんだろうってずっと考えていたの。結局、研究所につくまでに決められなくて、あんな風にお茶を濁してしまったけど、今日の二人のもめ事を見てるとやっぱり話さなくて良かったって思うの。ねえ、葵君はどう思う?」

「ん~。今、その質問に答えてしまうと考えが一方に傾いてしまいそうな気がするんだ。日曜日に佐伯たちと合流してから考えよう」


 ミクは、不安げに眉をひそめていたが、今はそれ以上かけて遣れる言葉を見つけられなかった。

駅につくと、早々に電車がきた。ミクが家に来るんだ、浮かれてもよさそうな事態だったが、とてもそんな気分にはなれなかった。なんだかとてつもない何かが、隠されているような気がしてならない。ドア際にもたれて、窓の外の景色が遠くなって行くのを見つめていると、なにか大切な事実が遠のいていくような感覚が俺を焦らせた。


 家に帰ると、母さんがご馳走を作って待っていてくれた。ミクがうれしそうに夕食を摂ってくれたので、ちょっと安心した。さーて、そろそろ本題にはいろうか。

 今日はいろいろと聞かせてもらおうと意気込んでいた俺だったが、母さんが何を勘違いしたのか、俺からミクと守ろうとして俺を部屋に追い払ってばかりでチャンスを得られない。まったく、ちょっとは自分の息子を信じろってんだ。

 一人で部屋に入ると、段々気持ちが落ち込んで来る。教授の精神状態といい、今日の坂本さんと井上さんの言い争いといい、このまま研究所がどうにかなってしまわなければいいが。教授を無視して契約書を勧めようとする坂本さんと、教授を尊重するように主張する井上さん。どうしても考えが一方に傾いてしまう。


 翌朝、階下に下りると母さんが出かける準備をしていた。


「おはよー」

「ああ、やっと起きてきたのね。早く支度しなさい。立川教授の退院のお手伝いをしようと思うのよ。大体の事情は、昨日ミクちゃんから聞いたわ。どこまでが想像通りなのか確かめておく必要があるでしょ。立川教授のお兄さんにもお目に掛かりたいし、教授自身にもね」

「葵君、トースト焼けたよ」


 台所からミクが声をかけてきた。振り向いたらミクのエプロン姿があって思わずどきっとしてしまう。

「母さん! ミクにそんな事やらせて、自分だけのんびり座ってるってどういうことだよ!」

「あら、ミクちゃんから言ってくれたのよ。やっぱり普段からやってるだけあって手際がいいわ。あんたもオトナになったらミクちゃんみたいな女の子と結婚しなさいよ。ほーら、早く食べないと遅くなるわよ」


 まったく、いけしゃーしゃーと言ってくれるよ。だけど、母さんがある程度の事情を知ってくれてるなら心強い。俺は急いでテーブルについた。いつも空席になっている兄貴の席にミクが座る。んー。なんだかこういうのもいいかも…。つい、ばら色の将来を想像してしまう。さっきから父さんまでにやにやしている。


「なんだか久し振りで楽しいです。こういう食事」


 食事を終えて食器を片付けながら、ミクがぽつりともらした。


「さぁ。教授を迎えに行きましょう。あなた、後よろしくおねがいしますね」

「ええっ!」

 早々に食事を終えた母さんが、ミクの気持ちを察してか声をかけた。後には久し振りに休みを取った父さんだけが、ぽつりと残った。


 病院に着くと、母さんは俺達をロビーに待たせて教授の病室に入っていった。どうしても確かめたいことがあると言うのだ。これは後でしっかり聞き込みをしないといけないな。


「貴方達、入りなさい。私はちょっと教授のお兄さんと話して来るわ」


 母さんが病室から顔を出して俺達を呼んだのは、それから二十分近く経ってからだった。俺達が病室に入ると、教授は昨日のままの思い詰めたような表情でベッドに座っていた。


「お父さん、具合はどう?」


 教授は、ミクの声にちょっとかすれた声で大丈夫だと告げたきり、その表情を変えることはなかった。すでに外出用の服に着替えていたので、これといって片付ける荷物もなく、待ちきれなくなったミクが会計を済ませてくると出かけて行った。俺は再び教授と二人きりになった。


「健二君、ミクが随分世話になっているようだな。ありがとう。しかし私は見ての通りの状態だ。もうしばらく、ミクを守ってやってくれないか。頼む」


 教授はゆっくりと俺の方に向き直るとシッカリした口調で言った。俺は呆然と教授を見つめていた。この人は、本当に精神を病んでいるのだろうか。真っ直ぐな瞳は俺の心の底まで見透かしているように見える。そしてその表情には多くの偉業を成し遂げてきた「立川教授」の風格と品位、それからミクの父親としての慈愛に満ちた優しさがあった。たとえこれが教授の病気から出たモノでもいい。俺は、教授の言葉に従ってみよう。俺はただ黙したまま頷いた。


 教授はそれ以上何も語らなかった。しかし、俺の方から何かを聞き出せる雰囲気でもなかった。そのまま沈黙が続く。外は北風が吹き出し、寒さが一段と厳しくなってきている。それなのに、この部屋の中だけはぼんやりと入る日差しが部屋全体をほのかに暖めていた。

 しばらくすると、母さんとミクが一緒に部屋に戻ってきた。母さんは口数も少なく、タクシーを待たせてあるからと荷物を運び出した。自然と教授をミクと俺が庇うように歩く。教授は、さっきの優しい表情がうそのようなうつろな眼差しで一点をみつめていた。


 病院のタクシーのりばにはすでに予約のタクシーがドアを開けて待っていた。俺たちがだまったまま乗り込むと、そのままドアが閉まり、タクシーは動き出した。

 教授の家に到着すると、教授は疲れたと一言つぶやいて、自分の部屋に入ってしまった。母さんは、ミクに困った事があったら連絡するように念を押して、玄関を出た。


「じゃ、明日な。どうせ由紀も一緒だから、ここまで迎えに来るよ」

「わかった。おばさま、葵君。ありがとう」


 ミクは父親が家に戻ってきていくらかでもほっとしたのか、やっと笑顔を見せて言った。

 帰りの電車の中で、俺は母さんに教授と話した内容を聞いてみた。しかし、母さんは大人の話に口を出さない方がいいと言うだけで、その日はなにも教えては貰えなかった。


 翌日、玄関のベルを鳴らした人物は、今までに見たことも無いような幼馴染だった。


「なあ、悪い事言わないからいつもみたいな服に着替えてきたら?」

「なによ! 別にあんたに気に入られようと思って着てるんじゃないわよ!」


 由紀はぷーっと頬を膨らませてにらみつけている。ああ、そうだった。こいつのあだ名、豆タンクだったっけ。そんな事を思い出して、今更ながら納得した。


「豆タンクだな。 うぐっ!」


 言い終わる前に蹴りが飛んできた。


「向こうでそんなこと言ったら承知しないわよ!」

「は、はい」


 ものすごい気迫に、おもわず返事してしまった。


 ミクの家に着くとミクはすでに準備が整っている様子で、いきなり豆タンク、もとい、由紀と盛りあがっていた。ふと視線を感じて顔を向けると、教授が玄関までミクを見送りに来ていた。


「お父さん、一人で大丈夫?」


 ミクは最後まで心配そうだったが、教授は今朝、随分と気分が良いらしく、静かに頷いて見送った。

 そのまま二人を連れてバスに乗り込み、佐伯と約束していた駅へと向かった。


佐伯のお兄さんの会社はそこから20分ばかり電車に乗った大きな駅の駅ビル内にあった。しゃれたブティックなんかが並んでいる中を通り抜け、エレベータで18階まであがると、静かなオフィスの受付に出た。

 佐伯が名乗ると、すぐに佐伯のお兄さんがやってきて、俺たちを奥の部屋へと案内してくれた。ゲームの中に入っていた画像はやっぱり明らかに誰かに影響を与えようとしたものだと、佐伯のお兄さんとその同僚の岡田さんは話していた。又、社外への持ち出し禁止画像が使われたとあっては会社のセキュリティーの問題もあるので画像を使用した奴の身元がわかったら教えてほしいとも。


二人は専門的な言葉をちりばめて、詳しい説明をしてくれたが、それを十分に理解しえたのは多分佐伯一人だろう。忙しい時間を割いてもらった礼を述べて、俺たちはとりあえず佐伯の家でゆっくり話し合うことにした。


 佐伯の家に到着した。電車の中ではうるさかった由紀が、急にこわばった顔で静かになった。コイツにもこんな可愛い所があったのか。佐伯は慣れた様子でドアを開けると、さっさと自分の部屋に案内してくれた。ある程度は想像していたが、相当の金持ちだ。家の構えはそんなに派手がましくはないが、玄関からしてゆったりと広く、さりげなく置かれた調度品も高価そうなものばかりだった。


「ここだよ。気にしないで好きな所に座ってくれよ」


 通されたのはうちの居間を二つ繋げたような広さの洋間だった。すっきり整った勉強机横にはパソコン関連の専門書や楽譜のぎっしりつまった本棚、デスクトップパソコン、反対側にはベッドが設置されていた。 飾り棚にはアルトサックス、そうか、佐伯は吹奏楽部だったんだ。


「コーヒーでも飲む? 今日は皆出かけてて留守なんだ」

「じゃあ、私、手伝おうかな」


 由紀が、ちょっとためらいがちに名乗りをあげた。


「わ、悪いね。そうしてもらえると、助かるよ。台所は一階なんだ」


 佐伯と由紀が出て行った。ミクと二人になると、なんとなく照れくさい。


「なあ。教授、昨日はどうだった?」

「ん、突然へんな声をあげたりうろうろしたりってことはなかったわ。葵君達が帰った時のまま、部屋に閉じこもってた。おば様はなんて?」

「うーん、それが…。やっぱり母さんは教えてくれなかったんだ。大人の話に口を出さない方がいいって言うんだ。過去に何かあったんだと思うんだけどな。母さんも知ってる何かが……」


 沈黙が続くと重苦しい雰囲気になる。


「そういえば…。私、一度だけお父さんとお母さんが言い争っているのを見てしまったことがあったわ。小学4年生位だったかしら。それが今回の事となにか関係あるのかしら」


 ミクは不安げに俺を見ていた。


「わからない。とりあえず、佐伯は今回の教授にもらったゲームに混ざり込んでいたサブリミナル効果を狙った画像の事をつきとめようとしている。俺は…、これは単なる勘だけど、そこからミクのお袋さんの亡くなり方に関するヒントが出てくるような気がするんだ。 

 確かに教授は凄い発明をいろいろしてきたから、先を越されて悔しがっている連中だっていないとは言えないだろう。だけど、ここ何年、そんなに大きな発明もしていない教授に、こんなに変な事が次々起こるなんておかしいじゃないか。この前のひき逃げだって、まだ犯人が見つかってないんだろ」


 ミクは俺に向けていた不安げな視線を下に落した。俺はなんともいえない気分になってくる。ドアの外で気配がした。


「おまたせ」


 佐伯と由紀だった。ドアが開いたとたん、コクのある香りが部屋の中に広がった。なんとなく立ち尽くしていた俺達は佐伯たちに続いて中央においてあったガラスのテーブルを挟んだ。佐伯が座ると由紀がすんなりと隣に座った。良く見ると心なしか二人の顔が赤い。ん? こいつら、早速何かあったか?


「ふふ。こうして並んでる所を見たら、なんだかお似合いね」


 ミクが無邪気にいうと、二人は一気に真っ赤になってしまった。しかし意外だね。佐伯がこんなに真っ赤になるなんて。ほんとに恋愛が苦手だったんだ。俺は思わず苦笑してしまった。


「ところで、例のサブリミナル効果の件なんだけど、昨日の内に全部兄貴にプリントアウトしてもらったから見てくれよ」


 佐伯はちょっと咳払いしてから、机に置いてあった用紙を取り出した。確かに見覚えが有るような気がする。物陰からこちらを凝視する瞳、オレンジ色の夕陽のような背景…。ショックだった。言葉で聞くより実際に目の当たりにした事で、逃げられなくなったような気がした。


「こっちは岡田さんが作って、社内で使用を検討していたモノなんだ。似てるだろう」

「たしかに…。でも、誰がどう言う目的でやったっていうんだろう。俺達がこのゲームを遣る事を知っていてやったのか、それとも教授に影響が出ることを望んでいたのか? どうも腑に落ちないなぁ」


 俺の質問に、佐伯が待ってましたとばかりに答えてきた。


「もし僕達がおかしくなったら、どうなる。あのゲーム遣ったからだと言う事になるだろう。そうしたら、それを作った教授への世間の風当たりが強くなるのは当然。そのへんが狙いだったりして」

「なるほど、佐伯らしい考えだな」

「どう言う意味だ。しかし僕達二人をこんなに手の込んだことで落し入れて、他にどんな事が目的だって言うんだよ。もし、金目当ての犯行なら手っ取り早く誘拐したらいいんじゃないのか?」

「はぁ。まあ、お前の場合は、だけどな」


 俺は自分の部屋を思い出して、思わず立場の差を感じてしまった。


「あの…。腑に落ちないと言えば、私のお母さん、4年前にちょっと不自然な死に方したんだけど、それも関係あるのかな。お母さんもその、事故だったのか誰かに故意に命を奪われたのか、そのあたりが分からないままなのよね」


 確かにミクの周りでは腑に落ちないことが続いている。最近の教授の様子といい、当て逃げ事件といい。ミクはここ最近の教授の様子や今までの経緯、それに坂本さんのストーカー行為、教授の当て逃げ事件なども一気に話した。


「へえ、アオケンがミクを心配してねえ。あんたにもそんな男らしい所あったんだ。知らなかったなぁ」

 今まで大人しくしていた由紀がぼちぼち場になじんでからかってきた。


「うるせぇ。大きなお世話だ。悔しかったらもっと女らしくなってみろ」

「なんですってぇー!」


 俺達がヒートアップする横で、ドンっと机を叩く者が居た。


佐伯だった。


佐伯はやってしまってから皆の視線を一身に浴びて、ちょっとバツ悪そうに言った。


「いいじゃないか。彼女はこのままでも充分魅力的だし…」


 由紀の顔は茹ダコ状態だった。俺とミクは目が点になったまま固まってしまった。

 誰も動けない。誰もしゃべらない。時計の音だけが、響いていた。気まずい沈黙、佐伯も下を向いてしまった。しょうがねえなあ。おれがひとつ道化になってやるか。そう、思ったとき、由紀が取り繕うように口火を切った。


「そ、そうそう。私たちも報告しておくことがあったのよね。もう、ミクとアオケンは知ってたよね、私の気持ち。実はさっき、台所で…」


 由紀はちょっと佐伯の顔色を覗った。由紀なりに佐伯をフォローしているつもりなんだろう。佐伯は下を向いたままうなずいている。由紀は、軽く頷くと、決心したように言い放った。


「さっき台所で佐伯君に告白されたの。もちろん答えはOKよ。それは私が望んでいた事だったから。中学生になってすぐに私、塾に通い始めたの。佐伯君とはそこで知り合ったの。でも、その年の六月には、突然お父さんの海外赴任が決まったでしょ。それで、佐伯君、私に声を掛けそびれたまま中学時代を過ごしたんだって。だからほんとはもっと上のランクの高校を受験するはずだったのに、私の受験する高校がここだと分かって、悩んだ末にわざわざ進路を変えてくれたんだって。…」


 由紀は途中で言葉に詰まってしまった。横から佐伯がティッシュを差し出す。なんだか不思議な気分だった。気がつくと、隣でミクまでもらい泣きしていた。


「佐伯…。お前、結構やるじゃん」


 俺が言うと、佐伯はそうっと頭を上げて俺の表情を覗っていた。


「なんだよ。からかわないのか?」

「んなわけないじゃないか。だけど、お前、恋愛は嫌いじゃなかったのか?」


 佐伯はちょっと顔を赤らめて、すねたように口を尖らせて答えた。


「嫌いって訳じゃなくて、難しいって思ったんだ。由紀さんは僕が思ってた通りのしっかりした女性だった。だけどそれなら、僕の想いを打ち明ける事で彼女に負担が掛かるんじゃないかと思えてきたんだ。だから、今まで何も言えずにいたんだ。だけど、葵と由紀さんが親しげに話しているのをみると、辛くて……」


 俺は吹き出しそうになるのをなんとか堪えていた。


「そりゃまあ、コイツとは幼馴染だからなあ。しかしコイツ、きびしいぞぉ」

「いいさ。それくらいの方がいい。と、ところで、さっきの話だけど、坂本さんって人がなんだか気になるなぁ」


 ほんとにいいのか、佐伯。俺は佐伯の将来をほんのちょっと心配した。そんなことも知らない佐伯は、照れ隠しのつもりかさっさと話題を戻してきた。


「兄貴が帰ってきたら、岡田さんにも坂本さんの事、聞いてもらうよ。もし、写真とかあったら手に入れておいてもらえるかな」

「それなら家に何枚かあったと思うの。葵君に渡しておくわね」

「そうだね。そういうことなら早い方がいい。今日帰りにでも寄らせてもらうよ。多分、帰りは俺達だけたたき出されるんだろうしな」


 軽くからかったつもりだったが、佐伯と由紀は再び茹だこのようになった。


「でも……。もし、坂本さんが犯人だとしたら、お母さんの事は関係なさそうね。お母さんが居なくなってからだもの、坂本さんが研究所に就職してきたのは」


 ミクは残念そうにつぶやいた。そうか、じゃあ、やっぱりミクのお母さんのことと、今度のサブリミナル画像の件は別モノだったのか。俺の頭の中をあきらめ切れない想像が次々と過っては消えた。


「今は決めつけるべきではないだろうな。とりあえず岡田さんや会社の人たちに確認してからだ」


 佐伯の言う通りかもしれない。だけど、教授のあの様子、坂本さんと井上さんの言い争い、それに、母さんのあの態度。このまま大人しく待っていてはいけないような気がしてならない。どうやらミクも同じ考えのようだった。


「じゃあ。私、父が心配なのでこれで帰ります。由紀は残るんでしょ?」


 由紀が頷きながら頬を赤らめていた。その横で見たことも無いような優しげな眼差しの佐伯が居た。んー。なんか勘狂うよなぁ。


葵君、親友の本音にちょっとだけ、触れられたみたいですね。

それにしても次々といろんなことが起こっています。

そう、事件はまだ現在進行形なのです!

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