第4話 想い
無自覚な葵君、いつになったら自分の気持ちに気が付くのかな?
第4章 想い
家に帰ると、留守電が光っていた。母さんからだった。父さんとデートする事になったから適当に食事してくれとのことだった。なんだよ。それなら先に言ってくれよ。俺はさっきおでんを食べ控えておいた事を悔やんだ。
台所に行って食べ物を物色していると、携帯がなりだした。
「もしもし」
相手はなにも言わない。なんだ? いたずら電話か? 回線を切ろうとしたとき、ミクの声がした。
「あの…。どうかしましたか?」
「いやあ、今度の日曜日の都合を聞いてなかったもんで… 」
ツ―ツ―ツ―…… 途中で電話は切れたが、明らかにあれは坂本さんの声だった。
『やばい!』
教授は今夜一晩だけ伯父さんの病院に入院するって言ってたっけ。家にはミク一人だって言うのに。
俺は急いで書き置きを残すと、すぐに上着を引っ張り出して駅に向かった。運良くやってきた電車に飛び乗ったが、たった2駅が途方もなく遠く感じられた。
さっきのミクの声、明らかに焦ってた。早く、早く行ってやらねば。隣の駅でドアが開いた。もうすぐ九時になるのに駅はまだまだにぎやかだった。思わず車内で駆け足して、塾帰りの小学生に笑われてしまった。だけど、こっちはそれどころじゃないんだ。
電車が駅に着くと、俺はドアをこじ開けるようにして飛び出した。駅からミクの家までの道のりを、あまり覚えていない。それだけ慌てていたってことか。ミクの家が見えてきた。
門の所まで来ると、息を整えながらどうしたものかと考えあぐねた。なんだか家の中が静か過ぎる。大丈夫なんだろうか。思いきってベルを鳴らした。
「はい。どちらさまでしょうか」
ミクの声は意外にも落ちついていた。俺は大きく深呼吸してから名前を名乗った。
「葵君? ちょっと待ってね」
すぐに玄関の電気がついて、パジャマにガウンを羽織ったミクが現れた。
「大丈夫なのか? その…。なにも、されなかったか?」
ミクは一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに納得したように笑い出した。
「ごめんね。さっき電話かけようとしたときに坂本さんが来ちゃって、驚いて後手に隠して切ったの。今日話してた日曜日のことだった。でも、葵君達と学校の友達の家に行くっていったら、意外にあっさりと引き上げてくれたの。そのあと、もう一度葵君に掛け直そうって思って、何度も電話してるんだけど、葵君出ないんだもん」
そう言われて初めて携帯電話を忘れて来た事に気が付いた。なんだか焦って家を飛び出してきたのがバレバレで、照れくさかった。
「ねえ、せっかくだからお茶でも飲んで行ってよ。外、寒かったでしょ?」
「ああ、ありがとう」
とりあえず返事はしたが、外が寒いかどうかなんて、気にもしていなかった。俺は、ミクに言われるままに応接室に落ち着いた。
深く沈むソファ、複雑な作りのシャンデリア。壁に掛かっている絵も、重厚な雰囲気が漂っていた。からくり時計らしい時計がこつこつと時を刻んでいる。この雰囲気は教授の好みだな。俺はぼんやりと辺りを見まわしていた。
ミクが紅茶を持って戻ってきた。それとタイミングを合わせたようにお腹がぐ~っとなりだした。わ、カッコ悪い。そうか。夕ご飯食べ損ねてたんだ。ミクはちょっと目を見開いて尋ねた。
「ご飯、食べてないの?」
「まあね。今日に限ってお袋が遅くなるって留守電入ってて、夕飯でも作ろうかと思ったらミクの電話だっただろ。食べる暇なかったんだ」
「なーんだ。冷凍食品でもよかったら、すぐ作れるよ。待ってて」
「いいよ。もう、遅いし。これ飲んだらすぐ帰るよ」
俺がそれを言い終わる前に、庭先で変な足音が聞えた。ミクはぱっと俺の顔を覗った。確かに足音だった。砂利をにじるような、足音を故意に消そうとした音だ。俺はミクにそっと頷いて、窓に影が写らない様に気を使いながら、そっと窓辺に寄った。カーテンのすきまから覗くと、やはり坂本さんが2階にあるミクの部屋を見上げていた。どんなに植木に身を隠しても、白い息は立ち上って行く。こんなに寒い夜なのに、よくやるよ。
俺のすぐ脇からそんな坂本さんを覗き見て、ミクははじかれたように窓から離れた。
「どうしよう……。葵君、お願いだからもう少しここにいてよ。こんな事はじめてなんだもん」
ミクは俺のトレーナーの袖にしがみついている。もちろん今の坂本さんの行為はやりすぎだ。思い詰め過ぎてどうかしてるんだ。坂本さんが諦めて帰るまで、ここにいるしかなさそうだ。
ミクは怖さを紛らわすためか、せっせと料理や飲み物を運んで来た。お陰で空腹は免れたが、坂本さんはなかなかしつこかった。食事を終えて庭を覗くとさっきとは少しずれた位置に、まだ人の気配があった。
「ねえ、このままここにいたら凄く不自然だと思うの。2階に行きましょう」
ミクは応接室の電気を消して、飲み物を2階に運んだ。さすがに一人っ子だけあってミクの部屋は広々していた。隅にベッドと勉強机があるだけで、あとは小振りのソファや小物入れが並んでいた。その小さ目のソファに腰を下ろして、なにを話したものかと考える。
「なあ、お袋さんが亡くなった時の事、覚えてるのか?」
「もちろん、覚えてる。忘れたくても忘れられないもの。あの日、担任の先生が風邪でお休みだったから、私達のクラスは早くに帰ったの。いつもよりホンの30分ぐらいの事だと思うんだけど。家に帰るとお母さんの姿が見えなくて、台所まで探しに行ったのね。そうしたら、お勝手口からお母さんが台所に入ってきて、貴方は誰?って驚いたように尋ねられて……。私、必死でお母さんに取りすがったわ。私よ、ミクよ。ってね。お母さんは、貴方はだれなの? 分からない。って言って頭を抱えるようにして倒れてしまったわ。そして、そのまま意識が戻らないまま死んでしまったの―」
俺は、坂本さんの件で感じている恐怖を取り除くために他の事に気を反らそうと思っていたのだが、どうやら逆に落ち込ませてしまったようだった。まずいなっと思ったとき、隣の部屋でガラスまどにカツンっと小石が当たる音がした。
ミクはとっさに俺にしがみついた。
「しっかりしろよ。大丈夫だって」
「だけど……。お父さんも留守だし。私、怖い」
「何のために俺がここにいるんだよ」
俺はミクの肩をゆすってはげました。ミクは無理に笑顔を作って頷いている。
「そうだね。ごめん。大丈夫、大丈夫だから」
ミクは大きく深呼吸して、再び当時の話に戻ろうとしていた。
「あ! そう言えば、あの時も庭で足音がしていたわ」
「あの時って、お袋さんが亡くなった時か?」
「ううん。その前よ。私、あまり寝つきが良い方じゃなくて、電気を消してもしばらく色々考え事をする子供だったの。庭の灯りがカーテンに微かな光りを映していて、それを見ながら勝手なお話を作ったりしてた。そんな時、ジャリってさっきみたいな音がして。しばらくはベッドの中でがまんするんだけど、段々怖くなって慌てて下に降りていったわ。でも、そう言う日は決まって父さんも母さんもいなくて、パジャマのまま研究所まで走って行って、お父さんを困らせていたわ」
「ええ? じゃあ、その時お袋さんはどこに行ってたんだ?」
ミクはちょっと首を傾げてため息を付いた。
「わらかない。でも、すぐに帰って来てくれてたから、あの時はそんなに気にならなかったのかも」
ミクはそれだけ言うと、俺の方をのぞき込んだ。でも、俺の中に去来するモノを今ミクに聞かせるのは難しい事だった。やっぱりミクからじゃなくて、母さんから聞くべきだったな。しかし、母さんが息子である俺に、ミクのお袋さんの詳しい事情まで話してくれるかどうか、そこのところは疑問だった。
「日曜までにうちの母さんからも話を聞いておくよ。佐伯の家でゆっくり考えよう」
「うん」
ミクは大分落ちついた様子になってきた。
外が随分静かだ。俺はそっとカーテンのすきまから下を覗いて見た。すでに人の気配はなくなっていた。俺はミクに窓から確かめるように勧めた。
そっとカーテンを開いて怯えながらのぞき込んだミクだったが、誰も居ないのが分かると、ほっとしたようにいつもの笑顔になった。
「よかったぁ。ありがとう。葵君がいなかったらどうなってたんだろうって思うと、ぞっとするわ」
「いいさ。ところで、俺に電話って何の用だったの?」
「ええ?……い、いえ。別に」
ミクはなんだか戸惑った様子で下を向くと、眼鏡を外してレンズを拭きだした。ミクの部屋の掛け時計が十一時を指してる。
「うわ。やべぇ。もうこんな時間になってたのか。もう、大丈夫だよな。俺、そろそろ帰るわ」
俺はミクの部屋を出て急いで階段をおりた。
「ええ! もう帰るの?」
ミクも慌てて俺についてくる。振り向くと、ミクは眼鏡を外したままだった。そんな顔で見るなよー。ピンチだー。
「な、なんだよ。このまま俺が狼になったらどうするんだ?」
完全に狼狽している。くそーっ、どうしてなんだ。焦って口調がきつくなった。ミクはちょっと怯んだような瞳になって下を向きかけたが、意を決したようにきっと俺を睨むとがばっと抱きついてきた。
「いいもん! とにかく、今日はありがとう…」
さらさらの髪が耳をくすぐって、俺は頬にやわらかなくちびるの感触を受け取った。頭に血が上る。意識が薄れそうだ。
「ばっ! な、なに遣ってんだ! とにかくしっかり戸締りしろよ。またなにかあったら電話すればいいから。じゃあな!」
俺は上着を引っつかんだまま表に飛び出していた。何てことするんだ、あいつは。冷たい夜風に吹かれても、ちっとも気持ちが落ち着かない。俺はどうしていいかわからず、駅までの道のりを走りぬけた。
さすがに11時を過ぎると、駅も閑散としていた。乱れた息を整えていると、酔っ払いが胡乱気にこちらを見ていた。俺はプラットフォームの端まで行って、電車を待つことにした。
ずっと先まで続く線路をぼんやりと眺めた。深夜の住宅街がその線路の回りに広がっている。ミクは今頃どうしているだろう。さっきは焦って顔もちゃんと見ないで飛び出したけど……。ふっと頬にやわらかな感覚が蘇って、身体中が熱くなった。
一体俺はどうなっちまったっていうんだ。お腹の底から沸きあがって来る感情に、俺は思いっきり叫びだしたい気分だった。
ようやく家に辿りついた。時計は12時近い時間を指していた。怒ってるだろうな。父さん達…。うれしいことの後には辛い事が待っている。人生なんてそんなもんだよな。
深呼吸をしてベルを鳴らした。すぐに玄関の灯りが点って、母さんが出迎えてくれた。
「健二。どこに行ってたの? 心配したのよ」
そうか、ちょっと出掛けて来るってメモしか残していなかったんだ。
「うん、ちょっとね。友達が相談に乗って欲しいって言うもんだから……」
母さんはそれ以上俺を責めたりはしなかった。家に入ると、父さんがテレビを見ながら晩酌を楽しんでいる所だった。
「ごめん、遅くなって」
俺は、ちょっと遠慮がちに声をかけた。父さんはちょっと苦笑いをして頷いた。
「子供の癖に変な気を使いやがって、まったく。お前が心配しなくても、父さん達は上手く遣って行ける。心配するな」
台所から母さんが声をかけてきた。
「ご飯は? ちゃんと食べたの? 先にお風呂に入っちゃいなさい」
いつも通りの会話が飛び交っている。俺は父さんの意外な勘違いに助けられて、無罪釈放となったようだ。
風呂から上がって自分の部屋に戻ると、ふいにミクの話を思い出した。お袋さんがなくなる前に聞こえていた足音……。一体誰のものなんだろう。考えながらベッドに潜り込むと、あっという間に眠ってしまった。
「大丈夫? なんだかまたうなされてたわよ。熱でもあるのかと思って心配したわ」
「え? あ、夢か……」
昨夜の影響だろう。誰かが庭からずっとこちらを監視しているような夢を見ていた。
「早く起きなさい。遅刻するわよ」
母さんに言われて時計を見ると、俺は急いでベッドから飛び起きた。
ばたばたと身支度をして、階下に駆け下りると、母さんが靴をはいているところだった。そうか、今日は会議があるって言ってたっけ。
「あったかくして行きなさいよ」
「うん、わかった。あ、母さん!」
母さんはカバンを手元に引き寄せながら振り向いた。
「俺って小さい時、観覧車によく乗ってた?」
「なによ、急に。そうねぇ。あなたより、ミクちゃんが好きだったのよ、観覧車。そういえば、健二はどちらかっていうと好きじゃない方だと思うけど。一度観覧車に乗って気持ち悪くなった事があったから。それがどうかした? あら! もうこんな時間! 戸締り頼んだわよ」
母さんはそれだけ言うと、俺の返事も聞かずに大急ぎで駅に向かって走り出した。やっぱりそうか。母さんが言ってた気持ち悪くなった事って、夢に出てきたあの時の事じゃないだろうか。俺は先日の夢を思い出して、確信をついているような感覚を覚えていた。
やっとやぁ~っと自分の気持ちに気が付いた葵君。
でも、ミクちゃんのピンチには抜群の行動力を発揮!
なんか、かっこいいかも♪