1.虚ろ花が呪うもの(1)
目を覚ませばそこは冬花宮だったので華紅妍はひどく驚いたが、涙目になった藍玉の語りを聞いて納得する。
(三日も眠り続けたといえ、無事だったことに感謝した方がよさそうだ)
最後に覚えているのは坤母宮の花詠みである。花詠みがうまく行かなかったのは初めてのことだ。まさか鬼霊が介入してくるとは知らなかった。
感覚からして、紅妍が花詠みをしている中に瓊花の鬼霊が飛びこんできたのだろう。あの鬼霊は言葉を発する。自我を持っているのだ。秋芳宮宮女が鬼霊の協力を得たと話していたが、瓊花の鬼霊ならばそれも考え得る。あれほど強く自我を保っているのなら生者とのやりとりも可能かもしれない。
紅妍の身を気遣ったのだろう薬粥が運ばれる。体はまだ痛みが残っているが、のんびりと休んでいるわけにはいかない。支度が終わればすぐに動かねばと思っていた。
「華妃様、今日は冬花宮でお休みくださいませ」
先手を打ったのは藍玉である。紅妍の考えていることなどお見通しだと言わんばかりだ。
「それはできない」
「三日も寝込まれていたのです。せめて今日ぐらいはゆっくりなさってください」
「でもそろそろ秀礼様に報告をするべきだと思う。坤母宮のことも直接伝えてはいないから」
そこで秀礼の名がでてきたことで、思い出したように藍玉が言う。「秀礼様といえば」と切り出したので、匙を持つ紅妍の手が止まった。
「坤母宮で倒れた日の夜、慌てた様子でこちらにいらしてましたよ」
「……それは知らなかった」
「当然です、華妃様は臥せっていたでしょう――秀礼様はそれは見たこともない剣幕で突然冬花宮にやってきたのですよ。伯父上が慌てて追いかけてくるほどです。わたしたちも大変驚きました」
知らぬうちに秀礼が見舞いにきていたとは知らなかった。それも夜遅くにきたという。清益が慌てふためく姿が容易に想像できた。
「それほど秀礼様も心配していたのですから、今日はどうかご自愛ください」
「……わ、わかった」
紅妍が折れると藍玉はにっこりと微笑んだ。
まさか秀礼が来ていたとは知らなかった。恥ずかしいような、嬉しいような複雑な感覚である。気になって粥どころではなくなった。
「秀礼様は……何か言っていた?」
「こちらの部屋に着いた後人払いをされたので、わたしにはわかりませんが……」
そこで藍玉は言葉を止める。ちらりと几に飾った花器を見やる。そこには季の花を活けている。北庭園から摘んだという紫扇貝色の芍薬と桔梗が生けてある。これから暑くなるから涼しげな色を選んだのだと霹児が語っていたのを思い出した。
つまり藍玉は人に聞くより花に聞けと言っているのだ。この花は紅妍が坤母宮に向かう前から変わらずある。この部屋に秀礼がきたのなら花が見ているはずだ。
紅妍もしばし花器を見る。花詠みするべきかと手を伸ばし、しかしやめた。
「……よろしいんですか?」
藍玉が問う。紅妍は頷いた。
花詠みをする力はじゅうぶん戻っているし、先の花詠みがうまくいかなかったからといって恐れはない。ただ、このような形で秀礼が来ていた時の様子を覗き見るのはよくないと自制したのだ。
「これはそのままにしておく。震礼宮には見舞いの礼と、明日伺いたい旨を文で伝える」
「わかりました。用意しますね」
そうは言ったものの、紅妍はやはり花器のことが気になってしまう。見ないと言っておきながら後ろ髪を引かれるような思いだ。
(秀礼様はここにきて……どうしていたのだろう)
想像するだけで胸の奥が温かくなる。緩みそうな頬はかぶりをふって引き締め、明日のことを考えるようにした。
***




