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不遇の花詠み仙女は後宮の華となる  作者: 松藤かるり
閑話 月夜の誓い、紅髪は艶めく
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閑話.月夜の誓い、紅髪は艶めく(2)


 宮女らは夜半の訪問に驚いていたようだったが、藍玉は意図を汲んだようだ。紅妍の寝所へと案内してくれた。

 紅妍のそばに宮医がいる。彼は秀礼の来訪に驚きつつも膝をついて揖した。


「容態は?」


 問う。宮医がそれに答えた。


「ひどい熱が出ていて、たびたびうなされているようです。まだ一度もお目覚めになっていません」

「原因はわかるか?」

「それもまだ。外傷は見当たりませんからそういったものではないと思いますが」


 秀礼は紅妍のそばに寄る。紅妍は眠っていたが、あまりよくはないのだろう。眉間に皺を寄せ、額は汗をかいている。


 紅妍が倒れたのは坤母宮で花詠みをしていた時だと聞いている。だが鬼霊が出たという報告はない。最も、そばにいたのは藍玉ら宮女たちなので、近くに潜んでいたとしても気配を感じ取れなければわからない。


(紅妍の近くにいればよかった)


 あらためて思う。秀礼ならば鬼霊の気を感じ取れる。姿を見せなかったとしても近くに潜んでいればすぐわかっただろう。

 それを今さら悔やんだとて遅い。紅妍は倒れ、目を覚まさない。


 秀礼は宮医と、部屋の隅で控える清益や宮女らに振り返る。


「少し、席を外してくれ」


 宮医と宮女らが動く。清益は訝しんでいる様子だったが、諦めたのか頭を下げた後、部屋を出て行った。


 しんとした部屋で、紅妍の手にそっと触れた。細い手である。枯れ木のようだった痩身は大都に来て少しはよくなったものの、いまだに折れそうな細さである。触れている己の手が大きいことも、細さを痛感させる原因かもしれない。


(ひどい暮らしをしてきたというのに、ここでも辛い目に合わせているのか)


 秀礼が思うに、里での暮らしは、秀礼が冷宮で味わったものよりも凄惨だろう。里から連れ出して彼女を救えたかというと、そうも思えない。ここは陰謀や負の感情が渦巻く後宮だ。秀礼の知らぬところで紅妍を苦しめているものがあるかもしれない。


(少しは、お前が幸福を味わえればいいのだが)


 気づけば、紅妍を喜ばせたいと願うようになっている。最初は同情しているからだと思った。しかし日が経つに連れて、その感情が大きくなっていく。果物や大都の散策だって紅妍が好むものを探りたいと思う。紅妍が喜ぶのならば何だって取り寄せたい。


(この感情は、同情だけで片付けられないかもしれない)


 指に触れる。花詠みをする時も花渡しをする時も、この手は優しく花を包む。手のひらや肌は柔らかく、一度触れてしまえば離すのが惜しくなる。前もそうだった。無意識のうちに紅妍の手を握りしめ、触れてしまえばその温かさが忘れられない。女人を相手にしてそのように思うことは初めてだ。できることならば手だけではなくその髪を撫でたい。その頬に触れたい。これほど欲張りな一面があったとは、秀礼自身も知らなかった。

 紅色の髪を撫でる。汗ばんだ額に張り付いた髪を払うと、苦しさに耐えていたのだろう紅妍の表情からかすかに険が抜けた。


 簪を送ったのも初めてのことだった。母以外の女人に物を贈るなど、初めてである。

 秀礼は紅髪に触れながらそのことを思い返していた。あれは冷宮を出て、震礼宮に遷った頃だ。


 宝剣に選ばれたのが第二皇子融勒(ゆうろく)ではなく、冷宮に閉じ込められていた第四皇子秀礼だったことは、後宮を揺るがす出来事となった。(しん)皇后は融勒を厚遇し、差別をつけるために秀礼を冷宮に送っていたのでさぞや慌てただろう。てのひらを返すように秀礼にすり寄り、挙げ句の果てにと持ってきた縁談が皇后の姪である(しん)琳琳(りんりん)との婚約だった。すぐに婚礼の儀を行えと辛皇后は要求したが、どうにも気が乗らないので保留にしたままでいる。

 冷宮で受けた傷は簡単に塞がらない。皇子に生まれたことさえ呪った。それが、宝剣を手にした途端この変わりようである。秀礼が宮内のできごとをいやがった。


 それだけではない。宝剣を得たことで変わったことがもうひとつある。母である(しょう)貴妃(きひ)だ。

 花が好きで、優しい人だった。特に百合を好んでいたようで、庭に百合を植え、百合の紋様が刻まれた合子(ごうす)を気に入っていた。中にも百合の練香をつめていたので、近づけば百合の香りがしたものだ。

 璋貴妃は、秀礼が受けている扱いに胸を痛めていた。子が冷宮に隠されているのだ、どうにか救おうと手を焼いていたらしい。

 その璋貴妃が倒れた時のことが、どうにも気になっている。


(もしも辛皇后が倒れなければ、わたしの後見人となっていただろう)


 璋貴妃が亡くなった後に秀礼の後見人問題が起きている。ここで後見人となった妃は、もしも秀礼が帝に選ばれれば、太后になる。これに名乗り出たのが辛皇后だった。

 秀礼は後見人はいらないと何度も伝えたが、宮城のしきたりだと言い切られてしまった。その後はすぐに辛皇后が亡くなったので後見人は(けん)()となったが、下手すれば辛皇后だったかもしれない。


 こういった事柄によって、秀礼は後宮を快く思っていない。外面はよく見えても、中には泥のような人の怨念が詰まっている。鬼霊よりもよほど、生者の方が面倒だ。


(陰謀と謀りの園に、紅妍を置いていて良いのだろうか)


 秀礼自身でさえ疎んじているこの場所に紅妍がいる。紅妍に抱く想いが同情だけではなくなると、よりこの環境がいやになってくる。ひどい場所だとわかっておきながら華妃に仕立てたことが悔やまれる。


 紅妍の額を撫でる。目は覚めそうにない。だからこそ堂々と触れられるのだ。秘めたる想いをわずかでも紅妍が知ってしまえば、皇子と帝の妃という危うい関係は崩れるかもしれない。紅妍にも軽蔑されるかもしれない。


(私にできることは紅妍の幸福を願うことだ。この件が終わった時、紅妍を宮城から解放しよう)


 胸に灯る感情は皇子であるから伝えることができない。もしも秀礼が帝になれば一人だけを想うことは許されない。帝の責は国の繁栄と存続であり、何人もの妃を娶り、子を成さなければならない。それはまたみにくい争いを生むだろう。そこに紅妍を巻き込んで、幸福があるとは限らない。

 ならば皇子である立場を用いて、彼女が幸せに生きられるよう助力すべきだと考えたのだ。ことが終われば華妃の責から解放しよう。里でも大都でも、紅妍が自由に生きるべきだ。

 だが、それが最善の手段だとわかっているのに、いざとなった時手を離せるだろうか。それがいますこし、秀礼は自信がない。


(眠っているいまのうちは、触れても許されるだろうか)


 額から頬へと指が落ちる。滑らかな肌にひとたび触れれば、胸中に歓喜が生じる。いまはもう少し紅妍のそばにいたい。


「目を覚ましてくれ。もう一度、お前と話したい」


 小さく、呟く。誰もいない。紅妍も眠っている。だから許されるはずのひとりごとだ。


「私は、お前を好いてしまったのかもしれない」


 その声は部屋に溶けて、消えていく。手燭はぼんやりと秀礼の顔を移す。壁には几に飾られた花器の影が映っていた。

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