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不遇の花詠み仙女は後宮の華となる  作者: 松藤かるり
4章 呪詛、虚ろ花(前)
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2.櫻春宮の黒百合(2)



 そうして櫻春宮に着いた。璋貴妃が使っていたという宮である。現在は誰も使っていないので手入れはそこまでされていない。今回の目的は櫻春宮の庭にあった。


 見渡すと、黒百合は簡単に見つかった。庭の奥、雑草の茂みからひょこりと伸びた花がある。周りに百合は植えられていない。そこだけ不自然に黒百合が咲いていた。

 百合の季は合っている。だが黒というのがどうにもおかしい。そこは塀の近くで陽がささず湿度に満ちているというのに、黒百合は陽が当たっているかのように花を開いている。違和感があった。


(なるほど。これは、いやな花だ)


 しかし櫻春宮に、呪詛が持つ独特の気は流れていない。あれはその場所を身が重たくなるような陰鬱とした気に満たすものだが、ここはそれが感じられなかった。


 紅妍は藍玉たちに離れるよう命じた。もしも何か起きては困るからと遠ざけたのである。藍玉は華妃が見える位置の、少し離れた場所で見守ると決めたようだ。

 宮女を遠ざけたところでいよいよ黒百合に近づく。花の近くで身を屈め、まずはじいと黒百合を眺めた。


(生気がない花)


 あらためてそう感じた。花は生き物だ。同じ木から咲いたものであっても形や色など個性を持ち生きている。同じ種類の花だからといってすべて同じではない。それぞれが見る記憶は異なる。花や草に近づくとみずみずしい気を感じるのはそれらが生気を持っているからだ。

 しかしこの黒百合から生気をまったく感じない。紅妍は黒百合にそっと触れる。花詠みをする時のように意識を傾けて、花に語りかける。


 花に触れても反応はない。空っぽの場所に手を伸ばしているようだ。


(うつ)ろ花。これは空っぽで、何もない花だ)


 虚ろ花は、人の手によって作られたもの。自然の(ことわり)に背いて存在するのだから生気は持たず、人の世を見ることもない。摘んで花詠みをしたところで得られるものは何もない。花の形をして、けれど花ではないものだ。

 ではなぜ、理に背いた花がここにあるのか。それも忌み色である黒の百合が。


(……呪詛(じゅそ)


 この花は呪詛があったことを証明している。櫻春宮のあたりに呪詛の気はないことから、この黒百合は既に役目を終えているのだろう。

 虚ろ花として存在する黒百合は摘んだとしても、数刻ほど経てばここに戻り、夜も花を閉じることはない。役目を終えた虚ろ花だとしても祓わなければ残り続ける。


 こういう時にも花渡しは使える。魂を乗せずとも花を覆う負の感情ごと浄土に渡すのである。この百合にとってもそれが救いになるはずだ。

 意を決して黒百合を摘む。茎は簡単にぽきりと折れた。みずみずしさは感じられない。


(可哀想だ……こんな風に使われてしまうなんて)


 元は美しい百合を咲かせていたのだろう。それが呪詛の元として使われ、ねじ曲げられてしまった。それを思うだけで胸が痛む。

 花は多くを語る。詠みたがっているのだ。人がそれを聞く術を持たないだけである。きっとこの花も語りたいことがあっただろう。それもできず、虚ろになってしまった花。


(わたしは、この花を救いたい)


 両の手に花を乗せて、瞳を閉じる。集中する。自分自身は細い糸のようになり、花の中に溶けていく。虚ろ花に語りかけるのだ。


(これからあなたを浄土に送る。もう誰かを呪わなくてもいい)


 空っぽの花は答えない。そしていつもの花渡しよりも難しい。花はゆっくりと煙となって溶けていき、それまでに聞こえるのはこれまで花が背負ってきた苦しみだ。込められていた負の感情が紅妍の身を襲う。鋭く、針のようなものが身に刺さっていくようである。


(百合が抱えていた痛み……これほど辛い思いをしてきた)


 理を捻じまげられ存在しているうちに蓄えた負の感情。それを受け止めながら少しずつ煙に溶かしていく。


「花よ、渡れ」


 額が汗が浮かんだ。いやな汗である。べったりと張り付くようなそれは紅妍の体が痛むことを示しているようでもあった。噛みしめた奥歯が鳴る。痛くてたまらない。花を乗せた手は痛みに震えているので花が煙と溶けていくそれが揺れている。


(虚ろ花を祓うのは……こんなにも苦しいなんて……)


 この花にどれほどの恨みが込められていたのだろう。ぐ、と唇を噛んで痛みに耐える。


(この花が背負った苦しみはこれ以上だった。鬼霊が背負う紅花の苦しみだって、わたしがいま味わっているものよりつらいはず)


 だから屈してはならないと自らを奮い立たせる。


 ようやくすべてが煙になった。黒百合は白煙になり、風に流され宙にのぼっていく。

 それを見上げた後、紅妍は長く息を吐いた。額は汗ばみ、体までべったりと汗をかいている。疲れ果て、その場に座りこんでしまいたいほどだ。


 その時である。


「華妃様! 鬼霊、鬼霊です!」


 後ろの方から悲鳴が聞こえた。藍玉のものだ。

 花渡しに集中していたので気づいていなかった。意識すれば確かに、ひどく濃い血のにおいが漂っている。


 紅妍は振り返った。鬼霊は藍玉たちを無視してこちらに歩き、紅妍のすぐそばまで迫っていた。


「藍玉! 逃げて!」

「ですが華妃様が――」

「わたしは大丈夫だから」


 鬼霊は紅妍を見ている。藍玉たちには目もくれていないが、その気がいつ変わるかはわからない。逃げるならば今のうちだ。

 宮女たちの一部は櫻春宮から逃げたようだが藍玉はまだ残っていた。もう一度、紅妍は叫ぶ。


「逃げて!」


 紅妍の剣幕に気圧されたのか、ついに藍玉も足を動かした。腰を抜かして座りこんでいる宮女の手を取って離れていく。


 それが去ったのを確かめた後、紅妍は鬼霊と対峙する。まだ少しばかり距離がある。その長い爪を振り上げたところでこちらには届かない。


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