1.人は語る(1)
冬花宮に永貴妃がやってきたのは、先の一件からしばらく経った頃だった。
「あの時は世話になったな」
永貴妃の態度は変わらないが、以前に比べて柔らかくなったように思うのはその心の温かさを知ったからだろう。華紅妍はそこまで緊張せず接することができた。藍玉が持ってきた香花茶に舌鼓を打ちながら話す。
「あれから変わりはありませんか」
「鬼霊が出ることもなくなった。最禮宮もそうだと聞いている。華妃の手柄だ」
「いえ。この件はわたし一人では難しかったでしょう。わたしは秀礼様に助力したまでです」
そこで秀礼の名が出たことで、永貴妃はわずかに口元を強ばらせた。
「おぬしは随分と、第四皇子と親しいのだな」
そのひと言に紅妍はうつむく。第二皇子の母である永貴妃の前で、秀礼の名を出したのはまずかったのかもしれない。帝の御身は芳しくない。それを知る者たちは、水面下で次の天子は第二皇子か第四皇子かと騒いでいる。
「その第四皇子だが……気をつけた方がよい」
「それはどういう意味でしょうか」
「我が融勒の母であるから、という意味ではない。今回の一件では華妃に随分と助けられたからな、おぬしの人柄を知っての忠告だ」
ふ、と小さく笑った後、永貴妃がこちらを見る。その瞳は真剣なものだった。
「わたしが貴妃になる前の話だ。璋貴妃という者がいた。当時は辛皇后もいたからな、後宮の采配を担うのは辛皇后だったが」
璋貴妃の名は紅妍も聞いたことがある。どこで知った名かと考えていれば、いつぞや秀礼が語っていた。
(確か、秀礼様の母)
その名がどうしてここに出てくるのか。険しい顔をして構える紅妍に、永貴妃は続ける。
「璋貴妃は病で死んだ。急に倒れ、その後は起き上がることもできずに亡くなったそうだ」
「……可哀想に」
「我もそう思った。だが、そのすぐ後だ。臥せっていた辛皇后は亡くなり、後を追うように帝も病によって倒れた」
永貴妃はうつむく。その頃の宮城を思い出しているのだろう。後宮には皇后や貴妃のほか、永妃や甄妃、楊妃などが揃い、華やかだったことだろう。しばしの懐古が永貴妃の瞳を潤ませた。だがそれはすぐ、なかったことのように消える。紅妍の前で涙は見せないという彼女なりの矜持を感じた。
「帝が臥せる理由は呪いであると、話が広まっている」
「わたしも、そう思っています」
「ならば話が早い。その呪いは、璋貴妃がかけたものだと伝えられている。皇后や帝が倒れたのは璋貴妃が亡くなった後だからな」
紅妍は言葉を欠いて、唖然としていた。
帝の呪いが璋貴妃によるものならば、秀礼の母が帝を呪ったということだ。もしもそれが正しいとなれば秀礼にどうやって説明すればよいのだろう。秀礼は帝を救うべく紅妍を呼んだというのに。
「過去に璋貴妃に与えられていた宮、櫻春宮がある。ここの庭に呪詛の証拠が残っていると聞いた。どの季になっても黒百合が咲いているらしい」
「黒百合……いまなら百合が咲き頃ですが、黒は聞きませんね」
それに黒は忌み色である。元々数が少ないのもあるが凶事や災禍の報せとして伝えられている。華仙の里でも、黒い花が咲けば人死があると婆が話していた。髙にとって黒い花は忌避されるものである。
黒花でも季問わず咲き続けるのは呪詛に絡む可能性がある。自然に生じたものならば必然と枯れるが、人を呪うべく負の感情で作られたそれは理をねじ曲げて存在し続ける。
「我が知っているのはここまでだ。我が黒百合を見たところで何もわからぬからな。華仙術に秀でたおぬしならわかるのかもしれぬが」
「……櫻春宮に行ってみます」
「それがよい。場所はわかるな? 春の名を冠する宮だからな、我の春燕宮近くにある」
まずはその黒百合を確かめてみるしかないだろう。実際に春燕宮に行くしかない。
そしてもう一つ。紅妍は永貴妃に頼み事があった。話の切れ目を待って、紅妍が問う。
「永貴妃にひとつお願いがございます」
「なんだ」
「春燕宮の庭に咲く花を見せていただきたいのです。できれば瓊花の近くにある花を」
これに永貴妃はするりと瞳を細めた。
「瓊花なら季を終えただろう」
「構いません。近くにある花で良いのです」
どうして瓊花かという理由には触れずにおいた。永貴妃が瓊花の鬼霊に関与していなかったとしても、下手に明かして動揺してはならないと考えたのである。
永貴妃は紅妍をじいと睨めつけて、返答に悩んでいる様子だった。
「どうかお願いします」
「……わかった。おぬしには恩があるからな。いまは石楠花が咲いているはずだ。櫻春宮にきたついでに、我が宮に寄るといい」
永貴妃はそれ以上の理由を聞かず、了承してくれた。これならば瓊花近くで花詠みをしても大丈夫だろう。紅妍はほっと胸をなでおろした。




