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4.選ばれる者と選ばれぬ者(2)


「お前が融勒と会ったところで関係はないとわかっている。けれど焦った。お前が融勒にどんな表情を向けているのか想像するだけで苛立って、筆を折りそうになるほどだ。お前宛の文を書くのも心を鎮めるまで随分と時間を要した」


「焦り……ですか?」

「なぜ焦ったのかはわからぬ。このような話をしたところで、お前も困るのかもしれないがな」


 秀礼自身も答えが出ていない。しかし紅妍に伝えねば気は収まらなかったのだろう。


(融勒様と親しく話していたわけではないけれど)


 ただ依頼されただけである。だというのに秀礼はひどい慌てようだ。紅妍よりも体格は大きい、だというのに怯える小さな子供のように見えてしまった。


(この人も、こんな風に慌てることがあるんだ)


 新たな一面を垣間見た気がした。それが妙にくすぐったくて、紅妍はくすりと微笑む。


「……お前、」


 その微笑みを秀礼はしっかりと眺めていた。驚きに目を見開いている。


「笑った、のか?」

「あ、すみません」

「いや、いい――違う、よくはない。お前が笑うのは好ましいが、この場面で笑われるのは違う。だが……お前、なぜいま笑った?」


 秀礼にしては珍しくまごついている。その姿も面白く、紅妍は笑みをこぼしながら答える。


「秀礼が幼子のように見えてしまって」

「な……」

「悪い意味ではなく、です。いつも凜々しい秀礼もそのような顔をすることがあるのだなと考えて、わたしは笑ってしまったようです」


 紅妍の微笑みは嬉しいのだろうが、場面を思えば複雑のようだ。秀礼は拗ねたように横を向いてしまった。


「……笑わずともよいだろう」

「すみません。でも可笑しくて」

「私は心配したのだ。融勒がお前に近づいたのは何の意味があったのか、しばらく考えていたぞ」

「それについてもお話しようと思っていました」


 秀礼が表情を変えてこちらを向く。真剣な面持ちへと切り替わっていた。


「融勒様に頼まれたのです。もう一度、宝剣に触れる機会が欲しいと、わたしから秀礼にお願いしてほしいと」


 どうやら秀礼が想像していたものとは異なっていたらしい。紅妍が微笑んでいたことで和んだ空気は一変して重たいものになる。


「融勒が宝剣を?」


 疑うように秀礼が呟いたので、紅妍は永貴妃に頼まれたことや最禮(さいらい)(きゅう)で会った鬼霊、昨日七星宮で融勒から頼まれたことを明かした。


 永貴妃に依頼された後は文を出しているが直接顔を合わせることはなかった。そのため話し終えるまでには時間がかかったが、秀礼が口を挟むことはなく、終わりまで黙々と聞いているようだった。


「……なるほど。最禮宮と春燕宮を行き来する鬼霊と、祓いを拒否する融勒か」


 すべてを聞いたところで秀礼は再び考えこんでしまった。


 丘に爽やかな風が吹いている。町の喧騒は届かない。ここは大都でもあまり人のこない場所なので、後宮とはまた違う心地よさがある。

 飛んでいく鳥を追うため空を見上げる。落葉松はのびのびと光に照らされている。そこで秀礼が口を開いた。


「少し、長い話をする。宝剣が何であるのか、お前には聞いてもらった方がよいと思うからな」


 鳥はどこかへ飛んでいった。紅妍はもう目で追うことをせず、秀礼の方を向く。


「いまの姿からは想像つかないかもしれないが、私は冷宮で育った子だ」

「冷宮……とは」

「震礼宮とはかけ離れた場所で、冷宮は狭く汚い。北庭園の外れ、誰も立ち寄らないようなところにある。風通しは悪く陽も当たらないので陰の気に満ちている。黴と埃だらけで、特に冬は隙間風で寒くてかなわん」


 内廷の華やかな一面にしか触れていないので、そのような場所があることを知らなかった。北庭園の外れも行ったことがない。北庭園の奥はあまりよくないのです、と藍玉が言っていたのを覚えている。


「幼い頃からそこに閉じ込められていた。清益らはその頃から一緒だったが、他の者らはあの場所に気が触れ、病んでしまって、いまはいない。言いがかりをつけられて処された者もいる」

「秀礼は帝の子なのに、どうして閉じ込められるなんて……」

「いや、帝の子だからだ」


 秀礼は虚しく一笑してうつむく。組んだ手には力がこめられていた。


「後にわかったが私を冷宮に送ったのは辛皇后だった。辛皇后にも子はいたが、その皇子は亡くなってしまってな。辛皇后は帝の身に万一が起きた時を考えたようだ。子は亡くなったため太后になれずとも、ある程度の地位を得たかったのだろう――当時妃であった永貴妃の子、融勒に目をつけ、その側に立つことを示すように私を冷宮に閉じ込めた」

「……ひどいですね」

「仕方のないことだ。誰も生まれる場所は選べないからな。皇子として生まれたことを、何度恨んだことかわからない。母は私を助けようと手を尽くしたようだが辛皇后には逆らえなかった。あの頃は、清益と共に冷宮を抜け出しては大都に行っていったりもしたな」


 抜け出して大都に出ることを秀礼は慣れているようだったが、それはこの頃からだったのかと腑に落ちる。冷宮は食糧もままならぬ場所である。環境のひどさはもちろん、飢えて死ぬ者もいる。いまの秀礼からは考えられない姿だった。

 想像し、うつむく紅妍を覗きこんだ秀礼が小さく笑う。


「お前も、似たようなものではなかったのか?」


 問われて、考える。華仙の里での生活は、冷宮での生活と似ていたのかもしれない。


「……そう、かもしれません。わたしも、何度この花痣を呪ったかわかりません」

「その痣が花痣か?」

「この花痣を持つ者は華仙術に秀でます。わたしは生まれつき花痣があり、そのため一族の者たちから疎んじれてきました」

「なぜだ。華仙術が使える者の方がよいであろう」

「仙術師迫害の過去があったからです。一族は仙術を捨て『普通』として生きることを望みました。隠れ住むようなことになった華仙術を恨んだのです。その力が突出していたわたしは華仙一族にとって忌み嫌われても仕方ありません」


 長や婆、血をわけた姉の白嬢(はくじょう)からも奴婢(ぬひ)のように扱われてきた。みなが温かな(あつもの)を食べている時も同席は許されず、薄暗い倉の奥で冷えて水のようになった羹の残りを食べる。羹に入った羊肉は骨しか残っていなかった。

 長から良き教育を受ける白嬢とは異なり、それも紅妍は許されなかった。山で会った自我を保った鬼霊や花が詠みあげる先祖の記憶から、様々なことを教わってきたのである。白嬢ほどではないが識字も、花詠みで先祖から学んだ。


 秀礼にとっての良き支えが清益であるのなら、紅妍にとってのそれは鬼霊や花が詠みあげた先祖たちである。どちらもひどい環境にいたことは変わらない。

 であるから、秀礼が語る『生まれは選べない』という意味が紅妍にもよくわかる。何度、天命を呪ったことだろう。


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