3.第二皇子の悲願(1)
見えない糸が張り詰めているかのようだった。ここ最近の内廷は静まっているものの、緊張感が漂っている。その理由が判明したのは、ある朝の藍玉との会話だった。
「第二皇子派と第四皇子派があるそうですよ」
紅妍の髪を梳きながら藍玉が話す。最近の宮城内にぴりぴりとした空気が流れているのを藍玉も感じ取っていたようだ。
「なぜ派閥が必要になるの」
「みな、二人のどちらかが次の宝座に座ると考えているからですよ。早々にどちらかの味方について良き立ち位置を得たいのでしょうね。たとえばわたしの蘇家でしたら、伯父上が秀礼様付きですので、第四皇子派になります」
さらりと藍玉は言ってのけた。彼女の伯父にあたる蘇清益は秀礼付きの宦官だ。秀礼が帝になれば安泰を約束されるが、融勒が帝になった場合は厳しい立ち位置になる。これは藍玉にも影響することだが、随分あっさりとした顔をしていた。
「蘇家は伯父上の判断に任せていますから。わたしはどちらでも構いません。このまま冬花宮にいるのが一番です」
そう言って藍玉はくすくすと笑った。
しかし二人の皇子が争えば、後宮は二分されるだろう。帝は長く臥せっている。その分だけ次の話が出るものだ。
「永貴妃様は当然のごとく融勒様に。甄妃様は秀礼様の後見人になっているので秀礼様側になるでしょう」
「となれば、秀礼様と甄妃の口添えをもらって妃になったわたしは、第四皇子派として見られるわけか」
「そうでしょうね」
「面倒事に巻き込まれるみたいで、あまり良い気がしない」
「ですが、中立を保ちたくとも周囲はそう見てはくれませんよ」
藍玉はそう言って、紅妍の髪を結い上げる。ここにきたばかりの頃に比べ、髪艶はよくなった。藍玉はまだだと手入れに燃えているが、紅妍の目からすれば美しい紅髪になっていた。
「でも、既に宝剣は選んでいますからね」
「宝剣が選ぶ?」
どうも帝や皇子の話になると宝剣が出てくる。
聞き返すと、藍玉は「わたしの知っている限りですが」と前置きをして話し始めた。
「髙の宮城には代々伝わる剣があります。普通の剣では祓えぬ鬼霊もその剣では祓えることから鬼霊祓いの宝剣と呼ばれているそうです。秀礼様がお持ちになっている剣ですよ」
「ああ、あれが……」
「あの剣は鬼霊祓いの才がないと扱えないのだとか。才のない者が持とうとしても振るうどころか持ち上げられないのですって」
秀礼が宝剣を扱うところを一度見ているが、軽々とした扱い方だった。そこまで重たい剣のように見えない。
すべての者が鬼霊の気を感じるわけではない。紅妍のような仙術師か感覚の鋭い者らである。紅妍が鬼霊の気配を感じ取る時は秀礼も同じく感じ取っている。おそらく秀礼は鬼霊に関する感覚が敏感なのだろう。才がある、というのも納得できる。
「それで、その剣を振るうことができるから何になる?」
「代々の帝は宝剣に選ばれ、宝剣を振るうことができました――ですから宝剣に選ばれ、所持できることはひとつの判断材料となります」
つまり、宝剣を扱える秀礼が有利ということだろう。なるほど、とあいずちを打つ紅妍だったが藍玉は曖昧に笑う。
「けれど最後に選ぶのは帝です。永貴妃様の後ろ盾を持ち、諸侯らに幅広く信を得ているのは融勒様です。秀礼様は宝剣に選ばれるまで隠されていましたから、そういった点では劣ります。帝がどちらを選ぶのかわたしたちにはわかりません」
紅妍が思っていたよりも秀礼は難しい立場にいるようだ。
(秀礼様は今頃何をしているのだろう)
秀礼は他の美味しい果物を持ってきたいと燃えているようだが、紅妍の舌には蜜瓜の芳醇な甘さが残っている。次に会える時が待ち遠しいと考えてしまう。その理由について考えてみたが答えは靄がかかっているようで、うまく言葉にまとまらない。
(餌付けをされているみたいだ)
あのように美味しいものを食べさせてもらえるのかと思えば楽しみなところもある。だが、秀礼が甘味を持ってこなかったとしても構わない。会えばそれだけで、紅妍の知らない世界が広がっていく気がした。
「あら。華妃様、秀礼様のことを考えています?」
「は――い、いや、そんなことは」
心のうちが声にでていたのかというほど、藍玉が鋭く問う。どうやらお見通しだったらしい。
「先ほど、とても可愛らしく笑っていましたよ。頬も赤らんでいて美しゅうございました」
「違う。わたしは果物のことを考えていただけ」
「果物から秀礼様のことを思い出されたのですね。誤魔化してもわかりますよ。華妃様は秀礼様の前になると、意地を張ったり照れたりと表情がころころ変わりますもの」
仕上げの簪を挿そうとしていた藍玉は「やはりこちらにしましょう」と厨子から白歩揺を取り出した。
「今日の夕刻、秀礼様がいらっしゃるそうですよ。だから、こちらの歩揺に致しますね。先ほどのように微笑めば、紅髪に白蓮華の歩揺が映えて美しいでしょう」
そこまではしなくてもいいと慌てる紅妍に、藍玉は楽しんでいるようだった。
髪に歩揺が挿される。藍玉の言う通り、紅髪に白蓮華の花が咲いたようでよく似合うぶん、紅妍は困惑していた。
(でも、わたしは帝の妃であるから、皇子である秀礼様と親しくするのはよくないだろう)
琳琳でさえ、第四皇子の近くにいる紅妍を嫌っていた。先日の融勒の口ぶりから察するに、彼もそれを知っているに違いない。案外、人は見ているものだ。そしてこちらの思惑とは異なる解釈をして広めていく。
難しいと思う。本来ならばあまり接しない方がいいのだろう。けれど今日の来訪予定を聞いて、なぜか心待ちにしている自分もいる。




