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2.永貴妃の依頼(3)


 まずは最禮宮の近くに向かう。最禮宮は南東の奥まった位置にある。道中は見渡して瓊花の植えられている宮がないかと確かめた。これは冬花宮や秋芳宮の庭にもない花である。花が落ちても葉を見ればわかるものだが、いまのところ見当たらない。


(鬼霊と聞いたけれど、詳細はわからない。直接会えればいいけれど)


 鬼霊を知るには視ることから、である。その姿から判別できることは多い。

 永貴妃が住む春燕(しゅんえん)(きゅう)を通り過ぎ、高塀に挟まれた通路を進んでいた時だった。まもなく最禮宮というところで、あたりに嫌な気が満ちていく。


(これは……鬼霊だ)


 供についてきた藍玉を見やるが、素知らぬ顔をしていることから気づいていない。紅妍はあたりに満ちる重たい気と独特の血のにおいを感じ取っていた。


(こちらに襲いかかってくる鬼霊であれば、藍玉を守らないと)


 おのずと、身が強ばる。血のにおいはだんだんと近づいてくる。まるで最禮宮からこちらへと向かってくるかのように。

 じっと待っていると、それは通路の角を曲がってこちらにやってきた。

 女人の鬼霊である。だが妃や宮女ではないだろう。襦裙に布接ぎの跡がある。後宮にはそぐわない、貧しい身なりをしていた。


 その鬼霊は若い女だった。だが体に紅花が咲いている様子はない。外傷を与えられて死んだ鬼霊ではないのだろう。生前に体を病んで死んだのだとしたら、ここからは見えない、腹のうちなどに紅花が咲いているはず。

 女の鬼霊は紅妍らを見つけるなり、ぴたりと足を止めた。そしてがぱりと口を大きく開く。


(まずい!)


 鬼霊が駆けだした。こちらに襲いかかってくるのだろう。土色をした手から爪が長く伸びる。噛みつかれても、長い爪で切り裂かれてもたまったものではない。


「きゃあああ! 鬼霊!」


 藍玉が叫んだ。こちらに襲いかかってくる鬼霊に怯えている。紅妍は藍玉の前に立った。懐に忍ばせていた花を手に取る。ここで花渡しをしても、鬼霊の想いは解けていないので不完全なものになる。浄土へは渡れず、一時しのぎ程度の足止めにしかならないだろう。


(でもいまは、これしかない)


 藍玉を守るため花に意識を傾ける。

 うめき声のようなものが聞こえた。方角からして鬼霊が発したのだろう。


(この鬼霊は苦しんでいる)


 ならば余計に人を襲わせてはならない。鬼霊が人を襲ったところで苦しみから逃れられない。浄土へ渡る以外に救われる術はないのである。

 この場を凌ぐため花渡しをしようとした、その時であった。


「待ってくれ!」


 鬼霊を追いかけるようにして通路の角から現れた者が叫んだ。男の声である。花渡しに集中していた紅妍は、それを中断して男を見やる。

 不思議なことに鬼霊の動きもぴたりと止まっていた。振り返って、男の方を見ている。

 こちらにやってきた男は、まず鬼霊の方を向いた。そして鬼霊に告げる。


「宮に戻ってくれ。ここはよくない」


 鬼霊は何も語らない。しかし男の言葉を聞き入れたらしく、紅妍らに背を向けた。長く伸びた爪はみるみる縮んでいく。鬼霊は最禮宮の方へと歩いていった。

 その姿が遠ざかった後、男は紅妍らの方へと寄る。男の身なりはよい。宦官らが着るような盤領(ばんりょう)(ほう)ではない。帯に細やかな装飾が施され、秀礼を彷彿とする格好だった。


「華妃ですね。お噂は聞いております」


 男は手を前に組んで頭を深く下げた。


「私は融勒(ゆうろく)と申します」


 これが話に聞く第二皇子である。異母兄弟といえ秀礼と似た面影をしている。どちらも端正な顔つきをしているが、こちらの方がやや線が細い。秀礼が動であるなら融勒は静という言葉が似合う。利発な印象がある青年だった。

 融勒は顔をあげてこちらを見やる。


「華妃がこのような場所まで来るとは、何かありましたか」

「先ほどの女人の鬼霊を祓いにきました」

「なるほど。そういえば、華妃は不思議な術で鬼霊を祓うと聞きましたね」


 どうやら華妃の噂はここまで広まっているようだ。ある意味では話が早くて助かる。


「最禮宮に鬼霊が出ると聞きました。それは、先ほどの女人の鬼霊でしょうか?」

「最禮宮に……もしやどなたかに頼まれましたか」

「永貴妃に頼まれました」


 融勒の母である永貴妃の名を出せば祓わせてくれるのではないかと、紅妍は考えていた。事態を甘く考えていたのである。

 しかし融勒は柔らかく微笑んだ。


「それは必要ありません。あの鬼霊は祓わなくてもいいのです」


 確かに鬼霊は、融勒の言葉を聞き入れていた。だからといって野放しにすれば鬼霊の苦しみが続くだけだ。見えぬ場所に咲いたとしても紅花は確実に鬼霊を苦しめる。


「鬼霊を祓わずに放っておくと、苦しみが増すだけ。いまは言うことを聞いていても、苦しみに自我を欠いて、人を襲うようになります」

「ご心配には及びません。私には仙術や宝剣による鬼霊祓いなんて必要ないのです」


 まるで融勒は鬼霊を庇っているようである。理解できず、紅妍は眉根を寄せた。


「祓いたくないのはどうしてです」

「華妃に関係のないことですよ――それよりも私と話していいのでしょうか。あなたが思っているより周りは見ていますよ。第四皇子が困るのでは?」

「わたしは一方に肩入れをするつもりはありません。鬼霊を救いたいだけ」

「立派な考えですね。でもそれを周りは信じてくれるのでしょうか」


 そう言って融勒はこちらに背を向ける。これ以上話す気はないのだろう。

 悩みながらも、紅妍は遠ざかっていく融勒に告げた。


「……あの鬼霊はつらそうにしていました」


 ぽつりと、呟く。おそらく融勒には聞こえただろう。紅妍の言葉に、その歩みが止まりかけたものの、振り払うようにそのまま去って行く。


(最禮宮の鬼霊も、一筋縄では解決しないのだろう)


 鬼霊の気配は遠くに去り、融勒もいない。この件の難しさは紅妍の体にずしりとのし掛かっていた。

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