2.永貴妃の依頼(1)
冬花宮に春桃色を基とした輿があった。春桃色は春燕宮に住まう永貴妃が賜った色である。彼女はいま、冬花宮にて茶に口をつけていた。
華紅妍を前にしても永貴妃の表情は動かない。齢は甄妃より少し上だが、甄妃が温かさを持つ人であれば永貴妃は氷である。紅妍をじいと見やる瞳の奥は身震いしそうな冷気を孕んでいた。
「華妃は不気味な術を使うと噂が広まっている」
永貴妃が切り出す。
「おぬしを鬼霊の妃と呼ぶ者もいるほどだ」
「鬼霊の妃……残念ながらわたしは鬼霊ではありません」
否定すると永貴妃がわずかばかり頬を緩め、冷笑した。
「知らぬ者にとって理解しがたい術を使う華妃は鬼霊と同等に見えるのだろう。今日も冬花宮に向かうと話せば、我の宮女長が悲鳴をあげて制止にくるほどだ。おぬしはよほど怖がられているのだな」
不気味だと思われてしまうのは致し方ないことだと紅妍は思っている。大都や宮勤めをした仙術師たちは迫害されたのは随分と昔のことだと聞いている。特に人を呪う呪術の類いは身を隠す。光と影があるのならば、術師らは影に属するだろう。仙術に明るくない者たちがそれを気味悪いと感じることは当然だ。
「なに。ただの噂はいずれ薄れる。どこぞの若娘が言いふらしているのだろう。嫉妬に駆られてよく口が回るようだから」
「若娘……ああ、なるほど」
思い当たる顔が浮かぶ。辛琳琳だ。秀礼を慕う琳琳は、秀礼に近づいているからという理由で紅妍を嫌っている。紅妍を貶めるような噂を流しているのもおそらく琳琳の嫌がらせだ。
対峙する永貴妃はそれを見抜いているようだった。そのため紅妍を前にしても怯える素振りはない。
「おぬしが華妃となった理由は聞いている。帝を苦しめる災禍を解くためだろう」
鬼霊を祓うなと命じられたことは隠し、紅妍は頷く。
「帝の災禍に関し、我が知っていることがひとつある。おそらくはおぬしの役に立つはずだ」
「ありがとうございます。では――」
早速それを教えてほしい。目を輝かせた紅妍だったが、永貴妃の鋭い眼光がそれを制した。
「条件がある」
どうやら手放しで情報を与える気はないらしい。後宮を取り仕切る貴妃の立場にいる人だ、一筋縄ではいかない。
「おぬし、鬼霊を祓えるのだろう? 我の頼みを聞いてくれるのなら、知っていることを教えてやってもよい」
「……内容によります」
「ほう。慎重だな。よいことだ」
くく、と喉奥でこもったような笑い声をあげる。永貴妃が扇を勢いよく閉じる音が部屋に響いた。
空気が張り詰める。それだけ永貴妃はこの件の解決を願っているのだろう。紅妍は身を強ばらせて、言葉の続きを待った。
「我の息子――第二皇子、融勒のことだ。融勒は最禮宮を与えられているが、どうもこの宮に鬼霊が出るらしい」
現在、内廷に住まう皇子は二人いる。秀礼と融勒の二人だ。次期皇帝は内廷の皇子から選出されるため二人のどちらかが帝になるのだろう。そのうち第二皇子の融勒を産んだのが永貴妃である。
その融勒の宮に鬼霊が出ているというのは穏やかではない話だ。紅妍に依頼するのだから鬼霊や呪いに関することかと推測していたが、やはり血のにおいから離れられそうにない。
「宝剣の力を借りて祓うことも考えたが融勒はそれを好まない。宝剣なしで鬼霊を祓うとすればおぬしの力が必要であろう。どうだ、ひとつ融勒を助けてはくれぬか」
この依頼に、しばし紅妍は口を閉ざした。
というのも紅妍は、華妃になるために秀礼の口添えを得ている。よく冬花宮に来ていることも広まっているだろう。つまり紅妍は、融勒と敵対の位置にある第四皇子の秀礼と親しい側にいるのだ。秀礼に断りなしで第二皇子の件を引き受けていいものか悩ましい。
(だけど、鬼霊が絡んでいる)
鬼霊が絡むとなれば、宮城内でそれを解決できる人は少ない。普通の者が鬼霊を祓うことはできないのだ。第二皇子だからと見捨ててしまえば、その鬼霊は延々と宮城を彷徨うことになる。鬼霊は永く、苦しみを味わうことになる。
逡巡の末、紅妍は顔をあげた。




