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不遇の花詠み仙女は後宮の華となる  作者: 松藤かるり
2章 いつわりの妃
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4.芍薬に悔恨を(3)


「これはどういう状況でしょうか」


 現れたのは清益だった。庭にいる紅妍と鬼霊、渡り廊下には宮女長に藍玉が揃い、秀礼は今にも庭に飛びださんと身を乗り出しているのである。駆けつけた清益が呆然とするのも仕方のないことである。

 清益よりも早く状況を理解したのは、彼が連れてきた者だった。薄汚れた襦裙を着た彼女は庭の鬼霊を視るなり、駆け出す。


「まさか、楊妃様!」


 その顔は花詠みで見た、秋芳宮の庭を手入れしていた宮女――霹児(へきじ)である。楊妃に仕えていた霹児は、この鬼霊が妃であるとすぐにわかったらしい。鬼霊の元へ寄ると、その場に崩れて泣き出した。


「ああ楊妃様……可哀想に……まさか鬼霊になっていただなんて……」

「あなたが、秋芳宮の庭を任されていた霹児?」


 紅妍が問うと、霹児は「ええ、ええ」と泣きながら何度も頷いた。


「わたしが悪かったのです。やはり黙っていることは罪でございました。家族がいくら大事といえど、あれほどお慕いしていた楊妃様の恩を裏切り、楊妃様は鬼霊になってしまった。これはすべて、わたしが口を閉ざしたためです」


 これは一体どういうことだろう。訝しんだ紅妍が霹児に問おうとした時、渡り廊下にいた宮女長が声を張り上げた。


「やめなさい霹児。あなたは気が触れておかしくなっているのよ」


 どうやら宮女長は霹児に語ってほしくはないらしい。これに察した秀礼が手をあげる。従えてきた武官が宮女長を抑えた。

 そして清益がこちらに寄る。彼なりに事態を把握し、この鬼霊が楊妃であり、危害を加える気はないと察したようだ。


「話を伺ったところ、この霹児は秋芳宮で起きた『事』を目撃しているようです」

「ほう。では犯人も知っているのか」


 秀礼が訊いた。これに清益は笑みを浮かべて答える。


「はい。どうやらその者から、家族の命が惜しければ口を閉ざすようにと脅されていたようです。里で怯えておりました」

「それは話が早くて助かる――なに、犯人の見当はついているがな」


 そう言って秀礼は宮女長をちらりと見る。宮女長は武官に拘束されながら、顔を白くさせていた。紅妍も犯人が誰であるのかは察していた。答え合わせをするように泣き崩れていた霹児が語る。


「帝の寵愛を受けられず、子を成すこともできなかった楊妃様は秋芳宮の宮女より厳しい扱いを受けていました。宮女長や一部の宮女は春燕(しゅんえん)(きゅう)の者と親しく、春燕宮の(えい)貴妃(きひ)様は楊妃様を疎んじていましたから、色々な話をふきこまれていたようです。ついに楊妃様と宮女長が口論になったのは冬が訪れる前のことでした」


 はたはたと涙が地に落ちる。楊妃の鬼霊はまだ芍薬のそばから動こうとしなかった。表情が動かないため、その鼓膜が霹児の話を拾えているのかはわからない。


「その日わたしは庭に出ていました。そして楊妃様の悲鳴を聞いたのです。慌てて駆けつけるも既に楊妃様は倒れていました。胸から血を流し、襦裙や床に垂れている。そこにいた宮女長は駆けつけたわたしを見るなり口止めをしたのです――故郷に残した家族が惜しければ、このことは忘れるようにと」

「……それであなたは故郷に戻ったと」

「楊妃様に申し訳ない気持ちはありながらも、家族が大事だったのです。気が触れたと吹聴されても逆らえず口を閉ざしたのはわたしの意志が弱かったがため。楊妃様が鬼霊となったのはわたしの罪でございます」


 鬼霊の足に縋るようにして泣く霹児に胸が痛む。紅妍は彼女の肩を数度撫でた。


「大丈夫。楊妃のことは任せて」


 そう囁いて立ち上がる。紅妍の鋭い眼光は宮女長を捉えていた。


「あなたが侵した過ちは曝かれている。楊妃を殺した罪は重い」

「っ……わ、わたしは……」


 宮女長は何かを言いかけたが、そこで止めた。彼女なりに保っていた矜持は崩れてしまったのだろう。武官に腕を押さえられたまま、身を揺らしながら笑いだした。


「ふ、はは……あははは」

「……なぜ笑うの?」

「華妃。あなたはひとつだけ間違っていますよ」


 高笑いと共に、宮女長が告げる。


「霹児は永貴妃様の名を出したでしょう。それは大間違いですよ。わたしに協力したのは永貴妃様ではありません」

「では、誰が」

「鬼霊ですよ。楊妃様を殺すことも、あなたたちが霹児を探していることも、華妃を秋芳宮に呼びだして始末することもすべて鬼霊が……ぐ、う、う」


 すべてを諦めたように勢いよく語っていた唇からうめき声がこぼれる。宮女長の瞳が大きく見開かれ、肌は血色を欠いて土色に褪せていく。そしてごぼりと、水がこぼれるような嫌な音がした。


 ぼたぼたと、口から溢れて落ちていく。瓊花(たまばな)だ。宮女長は口から瓊花のかたまりを吐き出している。腹の中に瓊花の低木があるのかと思うほど、枝や葉、花が吐き出されていく。瓊花は薄黄がかった白色をしているはずが、どれも紅色だ。上から紅で染められたように不自然である。

 口から瓊花を吐き出し続けていた宮女長はついに事切れた。眼球はだらりと上を向き、体も力を欠いて崩れ落ちる。口から吐き出された瓊花やその枝は渡り廊下のあちこちまで至っていた。


「……なんだ、これは」


 異様な光景にあたりはしんと静まり、宮女長も動かなくなったところで秀礼が呟いた。だが誰も答えられない。花を吐き出して死ぬなどおかしなことである。

 紅妍は宮女長が吐き出した瓊花に近寄る。顔は平静を保っているが、心のうちは怯えていた。この状況は、紅妍にとっても理解しがたく恐ろしい。

 瓊花の一つを手に取ってみたが、その花は虚ろだった。


(この花は違う……生きてない。空っぽの花だ)


 生きていない花なのだ。だから人の世を眺めることをせず、記憶を持っていない。本来の草花は生きているのだが、これはその(ことわり)から外れた花のようである。花詠みをしても何も見えないだろう。

 紅妍は瓊花のことを諦め、楊妃の鬼霊へと戻る。霹児と約束しているのだ。楊妃を救わなければならない。


「これから、花渡しをします」

「華妃様、花渡しとは」


 霹児が訊いた。宮女長の騒動によって涙は止まったらしいが、瞼や目の周りが赤く腫れている。


「鬼霊となった楊妃の魂を祓う。楊妃を浄土へ送る」


 ちょうどよく、ここには楊妃が好んだ芍薬がある。春に咲くだろう紅芍薬を待ち望んだ楊妃は、その花によって浄土に渡るのだ。紅妍は紅芍薬を一輪摘み取り、右手に持つ。対の手には折れた銀歩揺がある。

 瞳を閉じ、鬼霊に心を向ける。楊妃の鬼霊はたやすく、その心を開いてくれた。歩揺を掘り出した紅妍に感謝していたのかもしれない。


(楊妃。あなたを浄土に送りたい)


 その胸に咲く、痛みを示す紅花。どれほど痛むのだろう。どれほど楊妃を苦しめただろう。鬼霊となってでも宮に、春に咲く芍薬を見に来ていたのだ。その思いに紅妍の胸が苦しむ。

 涙が、落ちていた。

 楊妃を思って、自然と涙がこぼれていく。それはぽたりと手中に落ちる。同時に、楊妃の体が細い煙となって芍薬に吸いこまれていった。彼女が好んだ銀歩揺も芍薬の中に消えている。

 紅妍は瞳を開いた。双眸は涙に濡れている。拭う間はない。宙を見上げて告げる。


「花と共に、渡れ」


 風が走る。芍薬は白煙となって風にのり、流れていく。紅妍の涙と共に、風に流されて浄土に向かうのだろう。

 楊妃を連れた煙が遠くの方へ流れていくのを紅妍はじっと見上げていた。花詠みをした時に見ただけの楊妃は柔らかな人だった。鬼霊となっても人を襲わず、花だけを見る優しさを持っていたのだ。


(どうか、安らかに)


 その想いが涙となって落ちる。紅妍が宙に意識を向けていた時、花渡しを終えた手に何かが触れた。それは温かい。


「……あ」


 確かめるように見れば、そこには秀礼がいた。渡り廊下から庭まで下りてきたらしい。そしてなぜか、紅妍の手を掴んでいる。


「あの、この手は」


 戸惑い訊く紅妍だったが、秀礼もなぜか戸惑っていた。自らの行動が理解できないといった表情でぽつぽつと呟く。


「いや、これは……うむ……わからん。お前の手が震えているように見えただけだ」


 紅妍は己の手へ視線を移す。震えていたのだろうか。自覚はなかった。改めて己の手を確認するも震えている様子はない。ただ、秀礼の温かな手に掴まれているだけだ。

 むしろ、秀礼の手こそ震えている。それは秀礼自身も気づいていたらしい。


「女人に触れるなど初めてではないのだが、おかしい」

「はあ……では離していただけますか」

「いやまて。それもよくない気がする」


 訳がわからない。露骨に顔をしかめる紅妍と、首を傾げる秀礼。払いのけた方がいいのだろうかと考えていれば、秀礼がぼそぼそと小さく言った。


「お前が優しいようで、でも掴まなければ壊れそうなほど、脆く見えたのだ」


 秀礼は、枯れ枝と呼んで揶揄(からか)うのとは違う、別の脆さを感じ取ったようだが、そこまでは紅妍に伝わらなかった。紅妍は己の腕の細さを見やる。


(枯れ枝だの痩身だの、わたしはそこまでひどい細さをしているのだろうか……)


 しんと静かな秋芳宮にぽたりと芍薬が落ちる。芍薬を愛でた主はもういない。けれど次の春も咲けばいい。

 紅妍は忘れて空を見上げる。どこか遠くの方で銀歩揺の音がしていた。

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