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9.えげつない侵略

 それにしても、どうして私の若々しい分身といい、徳栄さえも時間を逆行して若者に変化してしまったのでしょうか?

 おかげで、私だけが置いてけぼりを食らった疎外感に打ちのめされます。

 夢を見ているみたいですが、あいにく寝ても醒めても異常事態は変わりません。

 まぎれもなく現実でした。私の価値観は根底から覆されるほど揺さぶられます。


 ふたたび3人の、奇矯な共同生活がはじまりました。

 しかしながら、以前のような関係は構築できません。

 6人用のアンティークダイニングテーブルの端で向かい合った円佳と徳栄の、なんと楽しそうなはしゃぎっぷり。

 会話のキャッチボールは、若い者同士だけの方が弾むこと。


 テーブルの片側の端についた私に、入り込めるすきはありません。

 孤立した者にしかわからない暗澹たる思いが、さざ波のようにこの胸に広がります。

 ひどくいたたまれない。




「でさ、あのドラマって、全体的にラブマイ(、、、、)のまるパクリなんだよね。話の流れなんか、そっくりすぎるの。絶対、脚本家はめちゃくちゃファンなんだろうけど、いくらなんでもね」


「SNSはすぐ炎上する。危険物取扱者試験を合格した者限定にすべきだな」


「見て見て、この猫動画。アメショー祭りだって。それよか徳ちゃん、今度の日曜、マルキューに連れてってよ」


「僕は自他とともに認めるクイズマニアだが……。円佳、この問いに答えられるかい? 極めてシンプルなクイズだ。ただし、柔軟性ある答えを求む。では行くぞ――雪が溶けるとなんになる?」


「水じゃないの? あ、待って。先読みして、水蒸気!」


「Non。正解は、『春になる』」


「なにそれ。むかつくー!」




 2人の楽しそうなこと。

 私はすっかり浮いた存在となり、ここにいる必然性がないのではないかと、自虐的に思うようになります。

 円佳と徳栄の話題の豊富さ。反射神経、柔軟性、インテリジェンスとユーモアを交えた軽快な会話。

 ときには徳栄がお得意とする博識あるトークを、頬杖を突いたままひたむきな顔で聞き入っている円佳は、もはや私なぞ眼中にないようなのです。


 私はその会話に参加することができません。

 ちょうど集団縄跳びで、なかなか縄跳びのなかに飛び込めず、いつまでもグズグズしている子どもみたいな心境です。


 燭台のオレンジ色の光に浮かぶ在りし日の恋人たち。

 居場所はない。ここに着席しているのは場ちがいな感じがします。

 いらない存在となった私。

 テーブルの向こうの2人は私を無視し、話に夢中になっています。もはやこちらに気を遣うそぶりさえ見せない。

 人は2人集まれば対立が生まれ、3人集まれば派閥が生まれる、を地で行っているのです。


 したがって、出ていくしかなかった。

 静かにテーブルを離れ、ダイニングをあとにしました。

 みじめな気分を引きずり、2階へつながる階段をあがり、廊下の左右の壁にぶつかりながら寝室へ行きました。

 ベッドに倒れ込み、うつむけになったまま呻吟します。


 そのうち、隣の部屋に気配がしました。

 あの2人も絡み合ったままベッドに倒れかかったにちがいありません。烈しいスプリングの軋みが聞こえました。円佳のきゃはは!というかんに障る声が重なります。

 耳をそばだてました。




「ありゃ、相当ショック受けたみたいだぜ。かなり効いたと見るね」徳栄の聞こえよがしの声がしました。「愛情の反対は憎しみじゃあなく無関心って、マザー・テレサも言ってたからね。SNSの荒らしはスルーするのが一番。放置された荒らしは、煽りや自演でこちらのレスを誘うもんさ。だけど反撃したら負け。ないものねだりのクレクレ厨(、、、、、)だってガン無視しちゃって、あえて燃料を投下しない。そうすりゃ、自分から身を引いていくもんさ」


「これで邪魔者は出てくかな。あともうひと押しってとこだね」


「忍海家は僕たちのものだ。さらに追加ダメージを与えてやろう」


「うまくいくといいね」




 壁の向こうで、2人がクスクスと笑い、じゃれ合う物音が筒抜けになりました。

 聞くに耐え難い、女の淫らな呻き声。

 両耳をふさがずにはいられません。私は布団をかぶって、羊水のなかの胎児みたいに丸まりました。

 あれほど泣くまいと誓ったはずなのに、とめどなく涙があふれてきます。


◆◆◆◆◆


 しっかりしなくては――。

 彼女たちはいったい何者なのでしょうか?

 夫は完全に敵の罠に落ちたも同然です。若返りの原理は理解できませんが、いまなら目的はわかる気がします。


 きっと、あの2人はエイリアンにちがいない。

 人間の姿を借りてはいますが、その実この世界(少なくとも私の狭い生活空間という意味において)を脅かし、侵略しにきたのです。

 もっともえげつない(、、、、、)やり方で。


 最後の砦である我が家を追い出されようとしているのです。

 唯一、私の拠り所だったのに、それさえも奪われるのは恐怖を憶えます。

 なんにも増して、存在が希薄になっていくことも屈辱的でした。


 このままビリヤードの的玉まとだまのように、コーナーポケットへと排除されるのでしょうか?

 否、私にも意地があります。伊達に人生を60年間、泳いできていません。

 こんな尻の青い連中に後れを取ってなるものか。

 復讐するしかない。

 たとえ勝ち目はないにせよ、いささかなりとも奴らの頬に傷痕をつけてやるべきです。


 すべては、徳栄があの女を家に連れ込んできたときから狂いはじめました。

 すなわち円佳こそ元凶。

 シロアリそのものです。

 私の気づかない足もとで、ゆっくりと、しかし確実に基盤を蝕んできたのです。




 そう、シロアリ娘――言い得て妙ではありませんか。

 徳栄も徳栄です。まんまと女の術中に落ちて。然るべき罰を与えなくてはなりません。

 ではどう対策を講じるべきでしょうか?

 以前、何度かシロアリ駆除の業者を呼んで、邸宅の基礎と天井に施行してもらったことがあるので、よく存じております。


 地面から侵入してくるシロアリに対し、薬剤によるバリアを作って家を守る工法。

 もうひとつは建物の周囲に、薬剤の入った器具を埋め込み、シロアリにそれを食べさせ、巣に持ち帰らせて巣ごと一網打尽にするベイト工法。


 薬剤なら、たしか――。

 地下室に農薬を保管していたはずです。

 3年前、庭に植えてある栗の木に、クリイガアブラムシが異常発生したことがありました。樹木の至るところに、黒々とした虫がわんさか張り付く様は、思い出すだけで怖気をふるいます。


 最寄りのホームセンターで買い求め、水で1000倍に希釈して散布したものです。ばっちりよく効いたのを思い出します。

 その余ったものが残っていたはずです。劇薬指定の殺虫剤だったので、金庫にしまってあります。


 隣の騒ぎが静けさを取り戻した深夜、私は寝床を抜け出し、足音を忍ばせて地下室へおりたのでした。

 ひそやかに含み笑いを洩らしました。

 これで円佳が自己紹介した際の、佳人薄命って四字熟語は実現してしまうかもしれません。

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