6.鉄の女へと変貌した経緯
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定点カメラのように2人の戯れを見守る私。
リビングのいつものコーナーソファで徳栄と円佳は、たがいの耳に睦言を囁き、身体をまさぐって乳くり合っているのです。
その様子を、私は少し離れた籐のアームチェアに腰をおろしたまま見つめるのですが、もう気が気じゃありません。
どうやめさせていいか手を拱くしかないのです。
このごろ2人の行為は、私の不安どおり、エスカレートしていきました。
はじめこそ、その様子を複雑な面持ちで見守っていました。
私はポーカーフェイスを決め込み、そんな狼狽ぶりを一瞬たりとも見せませんでした。けれど、内心は悲鳴をあげたい気分だったのです。
ソファでじゃれ合う徳栄と円佳。
熱したバターのような蕩け具合です。
ねじ伏せてもねじ伏せても、烈しい嫉妬が焔のごとく私の腹腔に湧きます。
とはいえ円佳の顔を見るにつけ、そこには若き日の私自身があるにすぎず、徳栄は在りし日の私の残像を重ね、睦言を囁いているのです。彼は愚直なまでに私を愛しているにちがいなく、すなわち忠実な信仰にも似ていると思うのです。
円佳だって、かつて徳栄しか拠り所のなかった世間知らずでしかありませんでした。
当時、私の世界はあまりにも狭すぎた。
だからこそ本来ならば、むしろ愛しく映るものです。人生の先輩として、そこに嫉妬の火花を散らす道理はありますまい。
……と、心ではわかっているつもりなのですが、日増しに疑いの感情が頭をもたげてきます。
ソファで円佳は戯れ、あられもない嬌声をあげて笑うとき、横目でチラリと私に目腺をよこすのではないか。すぐかたわらに将来の私がいながら、恥じらうことなく恋人が仲睦まじくいられるはずもありません。
夫も夫です。
どさくさにまぎれて私がいるのに気にせず、円佳のスカートのなかに手を滑り込ませ、いたずらしているところを見せつけているとしたら。
円佳はわざとそんなふうにして、私を試そうとしているのなら。
淫蕩な、勝ち誇ったような眼差しで一瞥をよこしてきたら。
ましてや、見られるとよけい燃えあがる倒錯じみた悦びを感じていたらと思うと、私はいても立ってもいられないのです。
「ちょっと、あなた。どういうつもり? いい加減になさい!」と、私はティーカップを荒っぽく置きながら、ついに声を荒らげました。近ごろは、おちおち紅茶を楽しむ余裕さえありません。「いままで黙っていたけど、さすがに行きすぎです。猿の親子じゃあるまいし、いつまでもくっついてないで離れなさい!」
どちらか一方に言ったのではなく、2人に対してです。
立ちあがり、コーナーソファで抱き合う祖父と孫ほど年の離れた男女を見おろしました。
円佳はにんまりと笑いました。
その憎らしい顔。
徳栄が頭を反らせ、背もたれにもたれかかった姿勢で、
「女房と畳は、新しい方がいいわな」
と、言いました。
頭のなかで、ピアノの鍵盤を烈しく叩く音が鳴り響きました。
思考停止。
2人は立ちあがり、クスクス笑いながらリビングから出ていきました。
……こうなったら、ただじゃすまないから!
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思えばあの天真爛漫かつ無軌道な娘から、どうしていまの私のような、こうも現実主義に凝り固まった鉄の女に変わってしまったのでしょうか。少なくとも夫は陰で、そう称しています。他人さまにしてみれば、とても同一人物とは信じられないでしょう。
当の徳栄ですら、その変貌ぶりにはじめは戸惑ったものです。
それもこれも、私が30代半ばすぎのことでした。
当時、お気に入りの女占い師に心酔していた私。おない年の彼女の指し示すとおり、人生の羅針盤までまかせており、あらゆる物事を実践したのです。
名うての呉服屋の経営者だったの父親がステージ3のすい臓がんと診断されたとき、素直に医師の勧めに従い、手術をし、然るべき治療に専念すればよかった。
なのに占い師ときたら、手術はおろか、放射線治療、とりわけ抗がん剤治療を否定する人物でした。
患部を切除したところに大量の活性酸素が発生し、むしろ全身の組織を攻撃し、酸化ストレスを招くのだと持論をまくし立てるのです。抗がん剤こそ、実は増がん剤だと私に焚き付けたのでした。
そこで彼女自身の手かざしを受ければ、がん細胞の増殖を食いとめ、いずれは消滅に転じさせることができると嘯いたのです。
私は藁にもすがる思いで、占い師の言うことを信じました。
不安がる父を説き伏せ、手術をすることなく、手のひら療法を受けることになりました。
いま冷静に考えれば、うさんくさい民間療法にすぎませんでした。保険が適用されず、おのずと治療費が高額になります。まんまと女占い師の手管にはめられたものです。
女占い師は手のひらを父の腹部にかざしながら、
「いました。ここに黒い波動を感じます。隠れてないで、出ておいで」と、もったいぶって言います。「こっちにおいで。悪くしないから、私の手に引き寄せられるの。そうそう。大丈夫、殺したりしないから、しっかり顔を見せて」
とかなんとか言いながら、まことしやかにがん細胞に話しかけるのです。
占い師いわく、自身の手のひらに『病の気』を集め、つかまえたあと、ガスレンジの炎で炙ってしまえば完全に施術は成功なんだとか。非科学的な嘘八百にすぎません。
真に受けた私は泣きを見ました。
父親のがんは進行し、結果的に命を落としました。あとで医師に、なぜそんな占い師に入れ込んだのだと叱られたものです。
無知や奔放ゆえに招いた悲劇でした。
そして私は猛省し、人間性を見直したのでした。
このアクシデントこそが自身を変えたのです。悲しいかな、父の死と引き換えに、私は真人間になったのでした。
だからこそ私は在りし日の世間知らずの自分自身や、その他大勢の傍若無人なふるまいの若者たちに――恐れと、忌ま忌ましさと、理解し難い世代間の食いちがいを感じるのです。むろん、すべての若い人たちに非はないと、頭ではわかっているつもりなのですが……。
私にとってみれば、若者たちは、ときにエイリアンに映るのです。