2.チェスターフィールド・コーナーソファに腰かけた恋人たち
てっきり数日後に会わせるのかと思いきや、女はすぐ玄関の前まで来ているというのです。
呆れた。
さっそく徳栄はスマートフォンで相手を呼び出しました。
ほどなくインターフォンが鳴りました。
否応なく、私は対面せられるとは……。
まさかの対決。
こうなったら腹立ちまぎれに、女の顔を見てやろうと思いました。こちらにも面罵してやる権利ぐらいあります。
ところが、いざ対面してみると――私の青白い怒りはたちどころに萎びました。
というのも玄関のライトのもとで、申し訳なさそうに佇む尻の青そうな娘の姿に、私は衝撃を受けずにはいられませんでした。
見まちがいようがありません。私の若いころに瓜二つだったからです。
瓜二つ?
生き写しとかそんなのじゃありません。ひと目見ればわかります。
いくら四半世紀以上ものとっくにカビの生えた昔とはいえ、人一倍、鏡を覗いてきた私の眼は欺けない。
どこをどう見てもまちがいなかったのです。――特徴的な愛くるしい眼。意思の強そうな柳眉。イチゴみたいにぷっくり膨らんだ下唇と、その脇にある艶ボクロといい、小柄ながら色っぽい身体つきといい、私が20代前半のころの(そう、もっとも美しく、輝いていたころ!)そのものだったのです。
それにしても、しっとりと潤いを帯びたきめ細かい肌の若々しさよ。歯ぎしりしたくなるほど、白くてきれいなのですから、夫が夢中になるのもわかります。
玄関で徳栄は私を見ながら、片手をさし出し、
「こちらがはぎもと まどかだ。――さ、妻にご挨拶なさい」
「はじめまして。まどかといいます。円高ドル安の円と、佳人薄命の佳で円佳です。その……旦那さまと内緒で付き合っておりまして、ご迷惑をおかけしました。お詫び致します」
「は?」
と、素っ頓狂な声を頭のてっぺんから発したのは私です。
なにを隠そう、私の名も円佳だからです。ましてや旧姓も萩本。確率論から言って、こんな偶然が重なるのは限りなく低いはずなのに……。
それにしてもいけしゃあしゃあと佳人薄命だなんて。なんて厚かましい表現。
だけど、待って。その自己紹介の仕方って、遠い昔、当の私も使ったような気がするんだけど……。
それにしたって、こんな展開になるとは。
徳栄が若いころの私と不貞を働いていたなんて予想外でした。
ですが、相手が私であるならば……と、私も許し、若い円佳と一緒に暮らすことを許したのでした。
◆◆◆◆◆
こうして、ふしぎな共同生活がはじまったのです。
夫は以前のように隠し事がなくなった分、優しくなったような気がします。悲しいかな、すでに惰性になっていたお互いの無味乾燥な関係は、若い円佳が介入することによって潤いと彩りが生まれたのですから、世の中なにが災いするかわかりません。
それにしても私以上に、若々しい女と接するときの、徳栄の蕩けっぷりといったら見ていられませんでした。私さえも思わず頬を赤くしてしまうほど気恥ずかしい眺めなのです。
たしかに私と出会った青春時代を再現して、客観的に眺めているようにも見えました。私たちにもそんな熱々で、フワフワした時代もあったものだと再確認するのでした。こんな姿、赤の他人がそばで見せつけられた日には、たまったものではないでしょう。
突然降って湧いた3人だけの奇妙な世界。
夫が出社しているあいだ、むろん円佳も出かけております。円佳は大型スーパーのなかにあるアパレルショップの店員らしいのです。
その間専業主婦である私は忍海家を守っており、ひとたび2人が帰宅すると家は賑わいを見せます。
「ね、ダーリン!」をはじめ、「徳栄ぃ」だの、「徳栄ちゃん。はい、アーンして!」と、ことあるごとに円佳は夫をそう呼びます。
蜂蜜みたいに甘ったるい声が、空虚だった我が家に響きわたります。それがまるでテレビの再放送でも観ているような錯覚を憶えるのです。
かつての23だった当時の私も、そう呼んでいたのですから思い出さずにはいられません。我ながら恥ずかしい……。
土日になると、私たちはどこかへ出かけることもなく、光あふれるリビングで語り合いました。この広い邸宅こそ憩いの場なのですから、わざわざ出不精の私たちが重い腰をあげる必要もありません。
年季の入ったチェスターフィールド・コーナーソファに2人は初々しい恋人のように腰かけ、そばの私に憚ることなく睦言を囁き合うのです。
この本革仕様のL字ソファは、19世紀ロンドンのクラブで流行り、その名の由来となったもの。これもキッチンのアンティークテーブル同様、私のお気に入りの一品でした。座面には天然フェザーを使い、高密度のウレタンを圧縮した二層構造になっております。私と徳栄が結婚し、祖父の代から続く邸宅を受け継いでから、ずっと鎮座してきたものでした。