12.「おらおらおら!」
私はエンジン音に負けじと、
「あなたたちに奪われるくらいなら、いっそ破壊します! どうせなら私の手で!」と、返しました。念のため、腰に装着したシートベルトがちゃんとかかっているか確認しました。「これこそが、私の怒りの鉄拳です。あなた――思い知るがいい!」
アクセル全開です。
マフラーから猛々しい排気ガスが吐き出されます。
どこか遠くでパトカーのサイレンが聞こえます。
鋼鉄のブレードをかまえ――カジキマグロのように突進しました。
徳栄と円佳は左右に別れる形で逃げました。まるで旧約聖書のモーセが海を割ったかのよう。
渾身のパワーをリビングのサッシ窓にぶつけました。
派手な破砕音とともにガラスが砕け、夢のように飛び散ります。
あずき色の遮光カーテンは引き裂かれ、L字ソファがつぶされ、飾り暖炉とマントルピースまで粉々になりました。
さらに重機を突き進ませ、衝立ごと押し倒しました。
L字ソファは原型がなくなるほどキャタピラーで押しつぶしながら前進。
もはや床はこの巨体を支えきれるはずもなく、グズグズに陥没します。なにせ50トンを超えております。
それにしても、ウェハースのお菓子のように脆い床板。
恐るべきパワーで邁進します。まさに猪突猛進。
いちばん奥の飾り棚めがけ体当たりしました。
なかには古い骨董品がずらりと並んでおりましたが、ことごとく粉砕。
無価値な陶器の破片と化しました。古物商がよだれを垂らすほどの値打ちある品々は、卵でもぶつけたかのごとく割れました。
なおもイラン製のタブリーズ・パティナ絨毯をキャタピラーで踏みにじります。
床板にめり込み、キャタピラーが空転するせいで、その場を軸に高価なペルシャ絨毯は巻き取られます。
絨毯は鉄のローラーに巻き込まれ、散り散りにちぎれるさまがバックミラーで確認できました。
重機が飛び込み、いまとなっては狭すぎるこの20帖の空間で、西の壁面に向けて無理やり旋回させました。
その振動で、アールヌーボー洋式の楕円形の鏡まで壁から落ちて割れました。
腹立たしいことに、徳栄がゴリ押しでつけさせたバーカウンターはまだ健在です。
彼が不惑の誕生日を迎えたとき、私を口説き落とし、増築させたのです。
庭一面が丸見えになるほど大きな穴の開いた横から、徳栄が円佳と抱き合ったまま、悲鳴をあげています。
「おい、よせ! それ以上やると家がつぶれるぞ! 頼むから許してくれ!」
「奥さま、落ち着いてください!」
まるで2人の絶叫は、天上の妙なる天使の歌声にも似ています。
もっとわめくがいい。
私は左右の操縦桿をさばき、バーカウンター目指して特攻しました。
床板を踏み抜きながら破砕するブルドーザーは、本来こういう使い方をするわけではありません。
ですが、私の思惑を叶えるにはうってつけの相棒でした。
2人を毒殺、爆殺するよりも、鉄の女たる私にふさわしいやっつけ方だと思います。
おしゃれなバーカウンターがひしゃげ、棚は押し倒され、ボトルキープした数えきれないほどの酒瓶もすべて粉みじんとなり、ウイスキーの濃密な香気が広がります。コクピットのフロントガラスに琥珀色の飛沫を浴びました。
西側の壁ごと穴を開け、完膚なきまでに息の根を止めました。まるでゼウスの怒りが炸裂したかのごときありさまではありませんか。
西の側面から庭に出たあと、すぐ背後でバキバキバキと乾いた音がしたと思ったら、建物の倒壊する大音響がこだましました。
旋回させて忍海家に眼をやりました。
自慢の邸宅は、濛々たる煙をあげて半壊しております。スレート葺きの屋根が地面とキッスしており、胸すく思いにかられました。
これにて、リビングルームを倒しました。
徳栄と円佳は茫然たる表情で、古代エジプトのオベリスクのように突っ立っているばかり。もはやなす術もありますまい。
車両をふたたび正面玄関の方へと取って返させました。
こうなったら半壊では生ぬるい。
和洋折衷の直方体のど真ん中に食い込ませ、明治26年から続いてきた128年の歴史にとどめを刺すべきです。
夫まで取られ、そのうえ我が家を失うくらいなら、私自らが引導を渡します。
私はそういう女です。
まるで爆撃を受けたかのようなエントランスまでいったんさがり、呼吸を整えました。
玄関はすでに半分虫の息。
さらにひと押しして主要な柱を破壊し、致命的なダメージを与えれば、忍海家は完全に崩壊するでしょう。
そのとき、小柄な人影が立ちふさがりました。
円佳でした。
「奥さま、いくらなんでもひどい! せっかく私たちの愛の巣だったのに! こんなの、やりすぎです!」
声を嗄らして泣き叫んでおります。
徳栄など、リビングのすぐそばの外で、ぽつねんと両ひざをついて頭を抱えております。
まるで被災地をまえに、これからどう生きていけばいいのだろう……と、絶望する男を体現しております。
私はキーをひねってエンジンを切りました。
ますますパトカーのサイレンがはっきりと聞こえてきます。
「どの面をさげておっしゃるのです。この寄生虫ども!」私は安全ヘルメットを目深にかぶったまま、ぴしゃりと言いました。「私は家政婦ではありません。ましてや私を追い出そうとした時点で、あなたたちは甘くみすぎていました。これこそ天誅です。ひねりつぶしてさしあげます!」
さんざん大暴れしておきながら、私は冴え冴えと冷静さを保っていました。
なぜ私の分身たる若い円佳が現れ、夫に近づいたのでしょうか? いまもって謎はわかりません。
奇しくも3人の暮らしがはじまったのは事実です。
結局のところ、円佳は小悪魔の地金をさらし、徳栄も若返ってしまい、輪をかけて増長してしまいました。
私自身のアイデンティティは貶められ、それだけで飽き足らず、家から追い出される形となりました。
てっきり円佳はエイリアンの類で、いずれは本性を表し、とんでもない特殊な力を使うのかと思いきや、重機を操る私の前では、ただ無力に手を拱ているだけにすぎません。
しょせんは私の若いころの分身でしかなく、非力なままなのでした。
私は正面玄関を最後のターゲットとして的を絞った状態で、ハタと思いつきました。
はじめ、2人もろとも忍海家を滅ぼすつもりでした。
とっさに、異なるプランが浮かんだのです。
そのためには、なにはともあれこの邸宅を完全に崩壊させるべきです。なまじ半壊では寝覚めが悪すぎる。初志貫徹すべし。
家の周囲で大騒ぎが起きています。おびただしい人だかりとなり、スマートフォンで撮影会すら行われているのです。
救急車と、何台ものパトカーのサイレンが近づいてまいりました。
善は急げ、です。
ふたたびキーをひねり、エンジンをかけました。
テンプル騎士団の盾を掲げたあと、ギアチェンジしました。
アクセル全開です。キャタピラーが唸ります。
「おらおらおら、どきなさい!」
50トンの鉄塊は容赦なく飛び込んでいきました。
あわてて円佳が横へ逃げます。
瓦礫の山となった正面玄関に突っ込んで乗り越え、さらに鮭が遡上するかのごとく廊下を前進し、壁や天井の梁ごとめちゃくちゃに破壊しました。
コクピットの天井に、訳のわからぬ木材が降り積もります。おかまいなしにフルパワーで進みます。これしきの負荷ごときでブルを阻むことはできません。
暗闇と、濛々たる煙で視界が閉ざされたので、ライトをつけなおも前進。
すごい埃の海です。まるで深海を進む潜水艦に乗った気分です。
やがて北側のサロンに飛び込みました。ここでのダンスパーティーは思い出深いものがあります。
一気に破壊尽くし、トスカナ式の列柱がずらりと並ぶベランダに達しました。
このヨーロッパ然とした佇まい。一生、忘れることはありますまい。
柱は真っ二つに折れました。折れた上の部位は、マッチ棒のように回転しながら前方へ飛んでいきました。
なんとか敷地の外に出ました。
その直後、ついに忍海家が崩壊したのでしょう。ディーゼルエンジンをもかき消す轟音が響きましたから。
私はふり返り、黄色い安全ヘルメットの庇に手をかけ、滅びゆく我が家をこの眼に焼き付けました。
連鎖的に、辛うじて生き残っていた南東部のキッチンとダイニングまで巻き込み、邸宅はペシャンコになりました。
そのあと、まるでニューヨークの地下から湧く蒸気のように、粉塵が舞いあがります。
こうして私は望みどおり、本懐を遂げたのでした。