1.アンティークダイニングテーブルでの追及
フランスの女性は裏切られたらライバルを殺す。イタリアの女性は騙した男の方を殺す。イギリスの女性は黙って関係を断つ。だが、みんな別の男に慰めを見出す。
――西洋のことわざ
シロアリは知らず知らずのうちに足もとを蝕んでいき、家の基礎をグズグズに空洞化させてしまいます。
同じく、いつまでも続くと思っていた日常さえも徐々に浸食されているものなのです。
私のような中高年から高齢者の入り口にいる女にとって、若い世代はとうてい相容れぬ関係にあるように、いつか立場を逆転させられかねないのです。
「君はどうしょうもないわからず屋だな。――本当だってば!」
と、徳栄は両腕を広げて声を荒らげました。
この夫は昂奮すると、女々しいほど声が裏返るのは昔からです。
「嘘おっしゃい。学芸会の書割みたいに薄っぺらな偽装工作にすぎません。いつまで白を切ることができるかしら、見ものね」
「おいおい、なにを根拠に僕が嘘をついてるっていうんだい?」
私はこみあげる熱い感情を押さえつけ、テーブルのまえに腰かけたまま静かに言いました。
唇を噛み、そっぽを向きます。
これだけで夫は焦るでしょう。ハッタリのポーズでしかないのですが……。
そっとアンティークダイニングテーブルの天板をさすりました。
レール中央に薔薇の透かし彫りをあしらったロココ模様がすてきなルイ15世様式。思えば私と徳栄、そしてすでに独立した2人の息子たちもこのテーブルで食事を囲んだり、人生の節目節目で家族会議をしたものです。
徳栄は顔をしかめ、片手で頭を抱えました。
「何度言わせりゃわかってくれるんだ? 金曜は課長たちに無理やり高級クラブに連れていかれただけだし、今日は今日で納品ミスがあったっていうから、出先から急きょ出社したの。ゼロがひと桁多い状態で先方に渡ってたからと思うとゾッとするだろ。でも万事解決した。――本当だってば」
私は今年で、きっかり60歳になったばかり。
夫は67で、根っからの仕事人間でしたが、定年を機に嘱託職員となりました。給料は大幅に減ったものの、おかげで心身ともに職務の重圧から解放され、むしろ生き生きしております。
忍海 徳栄が最近浮気しているのではないかと疑っていました。
確たる証拠はありません。
女の直感にすぎないのですが、伊達に37年もつれ添っていません。
彼ときたら、以前は服装などどうでもよかった男なのに、急におしゃれに目ざめ、笑顔が増えた気がするのです。
のみならず、あれほど仕事が終われば判で捺したように真っすぐ帰宅していたにもかかわらず、最近とみに残業が増えました。休みの日の取引業者との付き合いまで、やけに頻繁になったのはいかがなものか。嘱託になったというのに、いまどき付き合いのゴルフやら飲み会など、時代錯誤もいいところでしょう。
家計のことを考えて残業をしているわりに、給料明細書は半年前とさほど変わりないのですから、ろくに偽装工作さえできないのです。
どうせ私を騙すなら、うまくやらないと出し抜けないというのに。
問いつめました。
なにもゲシュタポのように手厳しくやったつもりはありません。
夫はソファの上で正座し、頭をさげたあと、ついに吐いたのです。
ほら見なさい。
案の定、女、だった。結婚37年目にして、はじめての裏切り。
経緯を説明しなさい、と静かに追及致しました。
このあいだ入った映画館で、偶然となりの席に座った若い女性と意気投合し、いい関係になったんだと。ありがちなロマンスです。
ただし徳栄が言うには、まだ肉体関係はないと言い張るのですが、本当かどうか。
相手の年齢は、なんと23のまだ娘。
信じられない。
そんなことってあるかしら?
夫はとっくに男として枯れた、あと3年で70に届こうかという年なのに。
奇特な女――。
それで最近は仕事終わりにデートしたり、日曜ごとにこっそり会っていたらしい。
徳栄ときたら馴れ初めは白状したのに、この期に及んで相手の名前だけは洩らさないのです。
私は泣かない。泣いたら負けです。
遊びではないとしたら。
その生真面目な沈痛な顔つきがすべてを物語っていました。
相手との仲を清算するどころか、私と離婚するのではないか。
思わず背筋が凍り付きました。
ところが徳栄はそんな不安とはよそに、その女性と会って欲しいと意外な要求をしてきたのです。
「どの面さげて会わせる気なのです。私のまえで謝罪してくれなくてけっこうよ」
「そうじゃないんだ。もちろん謝るべきは僕の方にある。けど、一度会ってみてくれ。そしたら君の考えもきっと変わるはずだ。じつはそのあとで提案があるんだ」
「提案ですって? どんな考えがあるにせよ、言い訳はたくさん」
「頼むよ。君にとっても悪い話じゃあない。とにかく会えばわかる」