後継者の証
それは世界で最も美しい魔道武具の一つと評されている。エルフの里にしか生えない精霊樹、それを切り出して作られた弓の背は、注がれた魔力により、木目から淡い虹色の光を発するのだ。
エルフは勢いよく礼拝堂から飛び出し、一番近い、それでも50m以上距離のあるゴブリンに狙いを定めた。民家から略奪した芋をくちゃくちゃと食べていて、エルフには気づいていない。
エルフは、弓の弦を絞った。おかしなことに、弦には矢がつがえられていない。
するとエルフの指先から氷の矢が現れ、自動的に弓につがえられた。持ち主の魔力を矢に変える、それが虹彩精霊弓の能力だ。
エルフは深く息を吸い込み、吐き出すと共に、ゴブリンに向けて矢を放った。
すべての魔物は絶命すると、黒い霧となって消える。
そのゴブリンもまた、頭を矢に貫かれると、食べかけの芋を落とし、霧散した。
近くに居たゴブリンがすぐさま離れようとするが、走り出したときには、片足にエルフの第2射が刺さっていた。転んだゴブリンは這ってでも逃げようとするものの、氷の矢は貫いた部分からゴブリンの体を凍らせていく。最後には氷の彫像となって、ゴブリンは絶命した。
見事な手際にベルカが感心している間にも、エルフは次々とゴブリンを討伐していく。自分も何かしなくては――ベルカは隠れていろというエルフの指示を無視し、倒れた人の救助へ向かった。動けなければ、いつ火の手に飲み込まれるとも、めざといゴブリンがとどめを刺しに来るとも限らない。幸いベルカは筋力と体力だけは人一倍あった。足を刺されて縮こまる中年の男と、頭を殴られて気を失っている老人を片方ずつ肩にかけ、戦場から離れた場所へ運ぼうとする。
だが途中で、物陰からゴブリンが飛び出してきた。畑で拾った鍬を構えながら、にたにたとこちらを眺めている。逃げようとする者を待ち伏せていたのだ。
慌てて肩から二人を下ろし終えたそのときには、ゴブリンは目の前で鍬を振り上げていた。
「……っ!」
そしてあわや頭に食らう刹那、真上から矢が飛んできて、ゴブリンの頭を串刺しにした。
「大丈夫ですか!」
民家の屋根の上から、エルフが声を掛けた。目の前で霧散するゴブリンを確認して、「ああ、ありがとう――」と、ベルカは言いかけて、大きな黒い影に自分が覆われたことに気づいた。
「後ろだ!!!」
ベルカの忠告にエルフはすぐさま振り向いたが――遅かった。大きな棍棒の一撃を食らい、吹っ飛んだエルフは屋根から落ちた。
ベルカは絶望した。
そのゴブリンは、身の丈3メートルはあろうかという巨体だった。簡素な胸当てと腰当てをつけ、樹木のように太い腕で荒削りの巨大な木の棍棒をぶらぶらと持っている。
ゴブリンの進化種、ホブゴブリンである。
「グオオオオオオオオオオオオオオッ!」
獲物の中で最も強いと見定めたエルフを倒したことで、ホブゴブリンは勝利の雄叫びをあげた。それに釣られてあちこちから、ギィッ、ギィッと他のゴブリンも鳴き出した。
こんなやつ、エルフがやられてしまったら、誰にも倒せない。
「おい、しっかりしろ! 頼む起きてくれ!!」
ベルカはエルフの元に駈け寄り肩をゆすった。息はしていたが、薄く開いた目は焦点が定まっておらず、しばらく動けそうにない。
「このままじゃみんな殺されちまう! もうおまえしかいないんだ!!」
とどめを刺しにきたホブゴブリンの足音が、一歩、また一歩と大きくなる。このままじゃやられる――エルフを抱えて逃げようとしたそのとき、エルフの腕が動いて、さっきの古びた剣の柄をベルカに押しつけた。
「これを……」
反射的にベルカはそれを手に取った。
すると柄が息を吹き返すように淡く光り出した。ベルカは触れた瞬間に、エルフが六宝剣と呼んでいたこの剣の柄には大きな力があることを感じ取った。
「これで、みんなを助けられるっていうのか!?」
エルフは苦しそうにしながらも、必死の力で、口元だけ、にこっとしてみせた。
振り向くと、ホブゴブリンはすぐ後ろまで迫っていて、棍棒を空いた手にパシッパシッと嬉しそうに叩いている。
その顔が、相手を見下すにやついた面が、ベルカには領主の姿と重なった。
すると、かっとなったベルカの気持ちに呼応するように、六宝剣は光を放ち、ぼろぼろだった柄が修復されていくとともに青く染まっていった。そして柄の先端からは二本の光の糸が生え、一旦交差したあと上に向かって伸び、その糸が最後互いに接続されると、糸で囲まれた部分に透明な刃が生成された。刃の長さは短剣ほどしかなかったが、先端が丸まった独特な形は、柄の紋様も含め、やはり天帝像の持っているそれと一致しているのであった。
ベルカが剣を構えると、炎が刃先に反射してまばゆく燃え上がり、リカッソの透かし細工の中で赤く光った。
ホブゴブリンは一瞬たじろいだが、自分の方が強いのだと言い聞かせるように再び雄叫びをあげ、棍棒を振り下ろした。
ベルカは視界を覆うほどの巨大な木の塊に、無謀にも短剣を振り上げた。
赤子の腕の長さにも満たない刃と、一振りで家を吹き飛ばせる大きさの棍棒が、かち合う。
ホブゴブリンが勝利の予感に口元をつり上げたのも束の間、刃からは水色の光がほとばしり、エネルギーは棍棒の中を伝って、あふれ出した光と共に棍棒を粉々に砕いた。
呆気にとられたホブゴブリンの隙をベルカは見逃さなかった。
「おおおおおおおおおおおおおおおっ!」
ベルカが踏み込んだ足から突風が巻き起こった。ホブゴブリンはベルカが一瞬で消えたと思ったはずだ。民家よりも高いホブゴブリンの背丈、そのさらに上まで、ベルカは跳躍していた。
気づいたホブゴブリンが上を見上げたそのときには、ベルカの刃がその顔を真っ二つに切り裂いていた。
ベルカは落ちながら、刺した刃を重力に逆らわずホブゴブリンの中でまっすぐ這わせ、腹まで縦に裂いた。着地した瞬間二枚に降ろされたホブゴブリンは、半分になった口からそれぞれか細い断末魔を上げ、霧散していった。
「やった……っ! あのデカいのを、ベルカが倒したぞ!」
戦いを目撃した村人が叫び、歓声が上がった。敗北を察したゴブリン達は、略奪品も投げ捨ててバタバタと撤退した。
ベルカは呆然と、手に持った六宝剣を見つめていた。六宝剣はベルカが力を抜くと刃を形成して糸をしゅるしゅると引っ込め、元の柄だけの姿に戻った。
これが、古代宝具。凄まじかった。持っているだけで力が溢れ、体は羽根のように軽くなって空を飛び、刃はあの固そうな筋肉をバターのように切っちまった。でも魔力のない俺が、どうしてこんなもの扱えたのか。
「示されましたね……証を」
振り向くと、エルフが立ち上がっていた。ダメージがまだ残っているせいでふらふらしていたが、嬉しそうな顔をしている。
「示したって、何を?」
「古代宝具を扱ったという事実、それこそが」
エルフはベルカの前まで来ると、突然両膝をつき、頭を下げ、組んだ両手を頭と同じ高さに掲げてみせた。
さっきベルカがとっていた、天帝への忠誠を示す所作だ。
「あなたが天帝の後継者――世界を統べる王の中の王である証なのです」