天帝伝説
『天帝伝説』は、最古のおとぎ話であると同時に、最も古い歴史でもある。一見矛盾するようだが、子々孫々語り継がれていく中に尾ひれがつき足されたのが物語としての『天帝伝説』で、これまで発見されてきた遺物などから判明している事のみが、歴史の教科書にも記載されている天帝時代の史実である。
その昔、世界は一つだった。大小さまざまな国が、一つの帝国としてまとめあげられ、その帝国をまとめ上げていた王の中の王が存在した。それが天帝だ。
『天帝伝説』の中で天帝は、自由に水を湧かして大河を作ったり、山を動かして町を作ったり、空を飛んだり、神獣を従えたりと、あらゆることを可能とする、神様のような存在として描かれている。
そんな超常的なことは現代の大魔術師ですら不可能なので真に受ける必要はないのだが、唯一本当にあったのではないかと目されている力がある。
それは、天帝の背後には常に、さながら神仏像の光背の如く、光が天帝の紋の形となり現れていたという話だ。それが天帝の力によるものか、天帝の偉業をたたえる神の祝福か、それともただの光魔法のまやかしか、誰にもわからない。ただ現実に、はるか昔から残っている、天帝の像には必ずといっていいほど、天帝の紋を模した光背が備えられている。
ベルカの目の前にある天帝像も、その例に漏れていなかった。雨雲が通り過ぎ、青い月明かりが照らす夜の天帝像の前で、ベルカ一人立っていた。見た目はヒューマンの男性だが、アーモンドのような眼はエルフに似ている。首にはペンダントがかけられ、これまた天帝の紋を模ったエンドパーツが付いている。手に持った剣は、細かい細工が施された柄から、先端の丸い不思議な形の刃が生えている。
この村の生き字引ゼノじいさん曰く、村ができる前からここにあったものだという。放浪していたご先祖様がそれを見つけたところ、天帝の加護があるに違いないとここに集落を作ることを決めたそうな。
ベルカはあまり敬虔な人間ではない。村の端に立っているこの天帝像も、何もない村のちょっとした飾り程度の認識でしかなかった。
だが今は、はるか遠くの町に連れ去られたリーヤの無事のため、ここで祈る以外の方法が思いつかなかった。
「諸共に偉大なる王を讃えよ、オーデン」
ベルカはつぶやいた後、両膝をつき、頭を下げ、組んだ両手を頭と同じ高さまで掲げた。
これは、天帝への忠誠を示す姿勢だ。またオーデンとは、古代の言葉で「万歳」を意味しており、この号令を合図に天帝の前に集まったあらゆる部族あらゆる民はこのポーズをとったそうだ。
いつまでそうしていたか、冷たい石の床に着いた膝から悪寒が首筋まで駆け上がってきて、ベルカはぶるっとした。俺にできることなんてもう何もない。それよりも、明日も朝から畑仕事が待っている。
帰らなくては。
後ろ髪をひかれる思いを振り切り、振り返った。
今朝のエルフの魔術師が、そこにいた。