貧民街のシスター
案内されたのは古びた教会だった。それでも貧民街に建っている建物の中では一番しっかりしている。入り口をくぐると礼拝所があり、奥の方は客室となっている。コンロと椅子とテーブルだけがある質素なものだ。全員の席に紅茶と茶菓子がいきわたると、シスターは食事の祈りをささげ、ベルカは普段やらないもので見様見真似で同じことをし、ハチはそんなことを意にも介さず茶菓子をぼりぼりと食べ始めた。
「私、一応ここの牧師を務めております。みんなシスターって呼ぶんですけどね」
「女性の牧師は珍しいですね」
「以前に務めていた方はいなくなってしまいましたから。教団本部から認可された正式な教会ではあるのですが、ここを管理しているのは今は私だけです。貧民街で働きたがる人はいませんから……」
「ではどうしてあなたは今もここで働いてるんですか」
「そうですね……」とシスターは遠い目をした。
「レダニエの街ができた当初、この辺りは教会を中心とした閑散な広場だったのですが、蒸留酒業全盛期に移り住んだ人たちが、需要の減少に伴い徐々に失業していき、行く当てもなく不法に住み始めたのが始まりだと言われています。
領主はこの貧民街を忌み嫌っています。街の景観を損ね、疫病の発生源になり、何より貧しさ故に税を納められない……金にならないからです。公共のサービスは一切受けさせず、兵士たちが貧民街で好き勝手やっても黙認し、それどころか富裕層とさして変わらない額の税を取り立て、払えなければ町から出て行けと脅す。出ていきたくても、ここの人々には他に行く当てなどありません。必死に抵抗してきました。」
「それで業を煮やした領主のクソ野郎は、町を燃やしやがったんだ!」
ハチは怒りに任せてテーブルを叩いた。
「ハチ、それはまだ決まったことでは……」
「火が出た空き家で怪しいやつを見たって証言があるんだ、領主の手先に決まってる! そのせいでおいらの親父とおふくろは、ちくしょう……っ!」
悔しそうに顔を歪めるハチの姿に、ベルカは自分を重ねた。魔物に殺された両親、領主に連れ去られたリーヤ、大きな力に理不尽を強いられる、弱き者の姿を。
見ていると、どうしようもなく胸が締め付けられる。やはり自分が何とかしたいこととは、これなんだと思う。
「ハチの家族だけでなく、多くの人があの火災で亡くなりました。辛いことは挙げればキリがありません。それでもここの人たちは、日々の糧を得るために一生懸命生きています。そういう人たちにこそ、教会という心のよりどころが必要だとは思いませんか」
立派なことだと思う。理不尽に立ち向かうには、それに抗うだけの力が必要だと思っていたベルカだったが、誰かが弱い人の支えになることも、きっと同じぐらい大事なのだ。
しかし、こう言ってはなんだが、この教会はボロボロだ。壁はあちこちはがれ修繕が行き渡ってないうえに、金目の装飾品はみんな盗まれて、見ていて先行きが不安になる。
そのことをそれとなく伝えると、シスターはばつの悪そうな顔した。
「お金のことばかりはなんとも。本部がくれるわずかな予算で、ギリギリやっていけてます。あんまりここまで参拝に来る方はいないので、主な収入であるお心づけが全然ないのが痛いんですよね、あはは……。
ただ人がいないのは悪いことばかりじゃありませんよ! 最近は礼拝所を学校代わりにして、貧民街の子供たちに無償で勉強を教えているんですよ。ハチも生徒の一人なんです」
ハチは「けっ」と悪態をついて
「文字なんか教わってもしょうがねーぜ。今度はおいらが先生をやってるよ。財布の盗み方と、ピッキングのやり方を教えてやる。この貧民街でこれからも生きていくならよっぽどタメになるはずさ」
「ハチ、何度も言っているでしょう。あなたたちが教養を身に着けなければいけないのは、いずれここから巣立ち、社会の中で普通の生活をするためなのだと」
「一日働いてパン一本分の金をもらえる仕事をするのが普通の生活かい、シスター。貧民街の人間がもらえる仕事なんてのはそんなのばっかだ」
「じゃああなたはなおさら外の世界で頑張って、貧民街出身者への扱いを変えてください」
ハチが意地を張ってそっぽを向いたそのとき、外から大きな音と怒鳴り声がした。
「なんだ!?」
三人は急いで外に出た。
教会の隣に立っていた織物屋の商品が、道に散乱していた。店の前には三人の兵士が立っていた。二人は先ほどハチを捕まえ損ねたやつらで、もう一人の顔をベルカはおぼえていた。村へ徴兵にやってきた、エリエルの隣に立っていた、隊長と呼ばれていた兵士だ。
「誰の許可でこんなところに店をやっている!」
「兵士様、営業の許可にはたくさんのお金がかかります。とても支払えません」
「知ったことか。文句があるのなら領主様に直訴すればいい。まあ、貧民街の掃きだめ共の意見に領主様が耳を貸すとはとても思えんがな」
三人の兵士はゲラゲラと笑った。
「無許可営業の罪で逮捕だ! この罪は労役できっちり贖ってもらうからな」
「そんな、私がいなくなったら息子たちが生きていけません!」
「知ったことか! さあ、連行しろ」
店主の女性は隊長以外の兵士二人に両腕を抑えられてしまう。たまらずシスターが飛び出した。
「兵隊様おやめください! 市民を守るのがあなた達の仕事のはずでしょう」
「これはシスター。ええ、ですからこうして市民のために、町の規則に従わないものを捕らえているのです」
「規則とは強い者が作るもの、そして多くの強い者は弱い者の立場に立って考えることができません。あなた達のいう市民に、ここの人たちは含まれているのですか」
「それはもちろん――」
隊長がギラッと笑う。
「含まれておりません。貧民街の人間が市民などと厚かましい」
「なんてことを……神の裁きがくだりますよ!」
「それは結構。いずれにせよ、あなたがいくら喚こうが、どうにもなりませんよ。それとも今ここで許可に必要な金を払っていただければ見逃しますが」
「そんなお金はどこにもありません!」
「あるでしょう、シスター。最近あなた、教会の中で勝手にやっている学校の、教材を買うための資金を集めていると聞きましたよ」
「それは……!」
「こんな貧民街のガキどもに勉強を教えたところで何にもならんでしょう。それよりも目の前の困っている人を助ける方が、あなた達が大事にしている神様の教えに適うのでは?」
シスターはしばらく迷ったが、やがてハチに向かって、悲しげに笑いかけた。
「ごめんね、ハチ。本当は紙や鉛筆、町の学校で使っているような教科書を使ってあげたいところだったんだけど、もう少し待ってもらうことになりそうだよ」
ハチは顔をくしゃくしゃにして、キッと兵士たちを睨んだ。教材が買えないことそのものではなく、シスターの頑張りを無碍にしたことに怒っているのだろう。
「大丈夫ですよシスター」
ベルカは兵士たちの前に進み出た。